第二十六話 お別れは笑顔で
「ほんと、それ好きだよな。何個目だよ」
「五個目じゃ」
それが何か? と言わんばかりにルゥがじろりと瑛太の顔を睨みつける。ひとつも渡さん、といいたげにルゥの目の前に置かれているのはビートクッキーの山だった。
「まぁ、別にいいけどさ。てか、そんなに食べて太らないわけ? 神様って」
「何を言うか! 大丈夫……だと……思うが……」
「太った神様なんて、誰も信仰してくれなくなるぜ?」
茶化すようにジト目を送る瑛太に、ルゥは狼狽の色を隠せない。
ふたりが居るのはホワイトムーンの一階にある商談スペースのテーブルだった。
今ホワイトムーンは臨時休業という形で、店主であるヘンリエッタは留守にしている。ついに、滞納していた貨幣地代を納める期限が来たからだ。
だが、瑛太やルゥに焦りは何も無い。トッタ神父の異端騒動が不問に終わり、ホワイトムーンが営業を再開したと同時に、ここを訪れる請負人たちの数はさらに増え、二ヶ月どころか三ヶ月分以上の貨幣地代を納める事ができるほどの「神様が喜んだ日」が続いているからだ。
「風評被害というか、異端容疑が取下げられたとしても、請負人たちは来なくなるんじゃないかと思ったけど……良かった」
「ふむ、確かにな」
それもこれも、ラドマンさんが発見してくれたトッタ神父の横領の証拠のお陰だ。
公に出来ない金の動きを証拠に取られ、窮地に陥った教会はこちらから要求を出す前にトッタ神父を左遷し、ルゥにかけた異端容疑を無かった事にして証拠の隠滅を図った。
そして、ルゥの件を教会が目をつぶった事で、商業神の噂は教会にもみ消される事なく、商人たちの間に広がっていた。すぐに以前と同じレベルにとまでは行かないだろうが、商業神を信仰する商人は少しづつ増えて行くだろう。
「これで儂らの仕事は終わりじゃの」
「ヘンリエッタさんたちともお別れ、ってことか。なんか寂しいね」
「何を言っておるか。神と人は一定の距離を保たねばならぬ。すっぱりと去るぞ」
「う……確かにそうだけどさ」
共に生活する時間が永ければ長いほど、より近しい関係になり、信仰心は失われてしまう。それは神として避けなくてはならない事態だ。
「ルゥさまっ! 瑛太さんっ!」
「帰ったぞ!」
「おら、ちゃんとお留守番してたかお前ら!」
瑛太たちの耳にヘンリエッタとマルクス、そして彼女らに同行したラドマンの嬉しそうな声が響き渡った。声色から察するに貨幣地代の上納は問題なく完了したのだろう。
「この場所で商売を続けて良い事になりました!」
「おお、まことか」
「はい! ルゥさまたちのお陰ですよっ!」
「ぬおっ、こらっ! やめぬか!」
嬉しそうに駆け寄ってきたヘンリエッタに両手をとられ、ビートクッキーを咥えたルゥが、されるがまま操り人形のように宙を舞う。
「これほど嬉しい日はねぇぜ! 死んだ親父さんにやっと顔向けできるっつーもんだ!」
「……いい年なんだからさ、ラドマンさんも姉ちゃんも……そんなに喜ぶなよ」
ヘンリエッタとラドマンのテンションについていけず、苦言を零すマルクスの声がさみしげに放たれる。
「まぁ、今日くらいはいいんじゃね?」
ぽつりと放たれた瑛太の言葉に、すぐにマルクスの顔にも笑顔が浮かぶ。
全身で喜びを表現するヘンリエッタの笑い声と、豪快に笑うラドマンの声、そして目を白黒させているルゥの叫び声が、心地よく舞い上がっていた。
***
「まだしばらくいらっしゃっても良いのに」
「そうだぜ。教会もあんたらを追い出す事はできねぇだろうしいつまで居てもいいのによ」
「そうはいきませんよ。ルゥは商人たちの幸を願い、彼らを天から見守る『商業神』ですからね。いつまでもここにいるワケには」
だろ? とルゥの顔を覗きこむ瑛太。だが、ルゥの表情を見た瑛太は固まってしまった。
泣き出しそうなさみしげな表情で服の裾を掴んだまま、じっと見返していたからだ。
「あのさ、なんでルゥがそんなに未練たらたらな顔してんの?」
「し、しかし……しかしのう……」
「神と人は距離を保たないとダメだから、潔く去るって言ってたのルゥだろっ!」
マジでわけの判らない神様だな。大人なのか子供なのか全くわからねぇ。
「そんな泣きそうな顔すんなよルゥ様。ルーヴィク神殿に行けばまた会えンだろ?」
「そうですね。次お伺いするときは、もっとビートクッキー持っていきますから」
「……まことか?」
スキンヘッドの頭をさすりながら、肩をすくめるラドマンと笑顔で語るヘンリエッタに、ルゥは鼻をじゅくじゅくと言わせながら答える。そんなルゥにすっかり調子が来るってしまった瑛太はため息を漏らしながら続けた。
「……姉ちゃんを大切にしろよ、マルクス」
「な、なんだよ急に」
「家族は大切にしなきゃダメだ、って話だよ」
「わかってるよ、そんなの!」
恥ずかしそうに頬を赤らめるマルクスに思わず瑛太は微笑みを浮かべてしまう。
「……それに決めたんだ。俺、銀細工師になる」
「え?」
突如マルクスの口から放たれた言葉に瑛太は目を丸くしてしまった。
「今回の事で良くわかったんだ。大事なのは俺が強くなるんじゃなくて、瑛太みたいな弱っちい奴でも戦えるようなシルバーアクセサリーを作る事だって」
「おお、成る程な」
それが一番良いのではないか。マルクス君が銀細工師を目指すのであれば、今の環境は最高だし、お手本となる綺麗な先生はすぐ側に居るわけだし。
いま、少し失礼なことを言い放った事は目をつぶろうではないか。
「本当にありがとうございました。この恩は一生わすれません」
深々と頭を下げるヘンリエッタに瑛太は死んだ母や向こうの世界に残してきた姉の姿を重ねてしまう。
そして瑛太は、やり遂げた達成感と共に、やっと母姉に恩返しを出来たような感覚に陥り、思わず胸が熱くなってしまった。
「……お元気で、ヘンリエッタさん」
高鳴る鼓動を必死に抑えこみ、なんとかその言葉を瑛太がひねり出す。
その表情は天高く太陽が昇るエルトンの青空の様に雲ひとつなく晴れ渡っていた。




