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第二十五話 はじめての魔術

 多分、今度こそ確実に僕は死んでしまったと、いつぞやと同じ暗闇を見つめながら、瑛太は心の中で深い溜息をつきながらそう思った。

 畳間から転落した時と違って今度は身体は動かないし、何も見えない。遠くで微かに話し声のようなものが聞こえるけど、死後の世界に案内する死神に違いない。


「居たぞ!」


 暗闇の中から男の声が放たれた。遠くに聞こえていた声が次第に辺りに集まり、がらがらと何かを崩しているような音が響く。


「ゆっくりだ! ゆっくりどかせッ!」 


 その声と共に、ぼこん、と瑛太の目の前の暗闇の一部が取り除かれた。

 瑛太の瞳を照らしたのは、夜空に輝く月明かり──


「よし、引きずり出せ!」


 空に浮かび上がる丸い月を呆けた表情で見つめていた瑛太の身体にいくつもの腕が伸びた。筋骨たくましく、生傷の絶えない恐ろしげな腕。その腕が、自分たちを追ってルーヴィク神殿に現れた請負人たちの物だということに瑛太はすぐに気がついた。


「ま、待って……」


 弱々しく抵抗しようともがく瑛太だったが、服を掴む腕を引き剥がす事も出来ず瑛太は暗闇から簡単に引きずりだされてしまった。

 瑛太が居た場所は死後の世界ではなかくルーヴィク神殿、それも、先ほどの爆発で吹き飛んでしまったのか、天井部分に吹き飛んでいる半壊したルーヴィク神殿だった。


「このガキが例の?」

「多分な。旦那を呼んで来い」

「なんで俺が。クソ、後で奢れよ?」


 請負人たちの会話が地面にうずくまる瑛太の耳に届いた。旦那、というのはトッタ神父の事だろうか。とすれば、非常にまずい。ルゥと早く境目に逃げないと。


「ル、ルゥ……」


 顔を上げ、ルゥの姿を探す瑛太だったがどこにもルゥらしき姿は無かった。

 あの爆発が起きたとき、咄嗟に庇った僕が無事だということは最悪の状況にはなっていないはず。ふらりと立ち上がりルゥの姿を探し歩き出す瑛太。だが、足元がおぼつかない瑛太は直ぐ様請負人に取り押さえられてしまった。


「おい小僧、動くな。連れの女はもうここには居ねぇ」


 請負人の口から放たれた連れの女、という言葉に瑛太は身体の血が逆流していくような感覚に襲われた。ルゥがッタ神父に捕まってしまった。そう心の中で自答した瞬間、瑛太の中で何かがぱちんと爆発した。


「ルゥをどうしたッ! この野郎ッ!」


 瑛太の中でふつふつと湧き上がる怒り。その怒りに反応するように、ふと指先が熱くなっていることに瑛太は気がつく。熱くなっているのは指先にはめられた指輪だった。


「こ、このガキ……また……ッ!」


 光り輝く瑛太の指を見た請負人は思わず瑛太との距離を取った。その表情は明らかに恐怖の色がにじみ出ている。


「ルゥは……何処だッ!!」


 咄嗟に光る指を請負人へと向け、瑛太が叫んだその時だ。

 瑛太の指先から先ほど神殿の壁を吹き飛ばしたあの炎と同じ赤く燃え盛る人の頭ほどの火球が吹き上がった。

 それは明らかな魔術だった。だが、うまく制御が出来なかったのか、瑛太が放った火球は請負人を大きくそれ、背後の壁面に着弾した。着弾した瞬間に火球はぶわりと膨張し、凄まじい衝撃と熱波が辺りに吹き荒れる。


「うおおっ!?」


 その衝撃に思わず請負人が恐れ慄いたその瞬間を瑛太は逃さなかった。先ほどもう一人居た請負人が「旦那」と呼ばれた人を呼びに行った。という事は、そっちにルゥが居る可能性が高いということだ。


「てめッ! 待ちやがれッ!!」


 背後から放たれる請負人の声から逃れるように、崩れ落ちた天井の瓦礫を飛び越えたその時だ。瑛太の視線に飛び込んできたのは、月明かりに輝く白銀の髪。火球の爆発で騒ぎ立てている請負人らしき人影の中に、確かにルゥの姿があった。


「ルゥ!」


 叫びながら指先を請負人たちに向ける瑛太。だが、瑛太は火球を放つ事は出来なかった。

 あれほどの威力がある魔術を放てばルゥも巻き込んでしまう。使えるとすれば──


「ルゥを離せッ!!」


 身構える請負人たちを威嚇するように、瑛太は空に向けて再び火球を放つ。轟音とともに闇に沈む神殿が赤く染まり、周囲に数人の請負人が居ることがわかった。


「瑛太ッ!?」


 ごう、と火球が放つ爆音にかすれるルゥの声が瑛太の耳に届く。


「次は当てるぞ! 早くルゥを離せ!」

「ダメ! 瑛太!!」


 逃げて、と言わんばかりにルゥが叫ぶ。

 そして瑛太が再び指先を請負人たちに向けたその時だ。

 請負人たちの背後、ゆらりと現れた男の姿があった。褐色の肌の線が細い男──

 筋骨隆々とした請負人とは対照的に、ほっそりとした長身のその男が持つ普通とは異なる特徴に瑛太はすぐに気がついた。丁度両方のこめかみの部分から突き出しているぐるりとうねった二本の角。その男がルゥが言っていた魔人族だと言うことが、這い上がってくる恐怖とともに瑛太にはすぐにわかった。


「ささ、下がれッ! それ以上近づくな!!」


 指先を請負人からその男へと向け、威嚇する瑛太。だが、その男は足を止めない。禍々しいオーラを放ちながら一歩、また一歩と瑛太との距離を詰めてくる。


「聞こえないのかッ! すぐにルゥを開放しないと痛い目を──」


 男の圧力に負けじと瑛太が一歩踏み出す。そして、歩み寄る男がぱちんと指を鳴らした瞬間、瑛太の指先に異変が起きた。

 まるで風船から空気が抜けるように、ぷすんと指先から赤く輝く光が霧散したのだ。


「……へ?」


 何が起きたのか瑛太には判らなかった。

 効果が切れた? いや、多分あの魔人族が何かの魔術を使って付与効果を消したのか?


「こ、このッ!!」


 慌てて男に向け、何度も指先を突き出す瑛太だったが、沈黙してしまった指輪からは何も放たれることは無かった。睨みつける男の視線に瑛太の背中に冷たい物が走る。


「ぜぜ、絶対助けるからなルゥ! こんな奴にやられてたまるかっ!」


 己を奮い立たせるがごとく叫ぶ瑛太の瞳に、息を呑むルゥの姿が映った。

 このまま簡単に殺されてやるもんか。ルゥだけでも助け出す。

 そして、瑛太が男を睨みつけたまま、殴りかかろうとした、その時だった。


「……ホント、ゴメンナサイ」


 しん、と静まり返った夜のしじまに、気の抜けたようなカタコトの言葉が波紋のように広がっていった。


「……へ?」

「デモ、モウ、ダイジョブデス」


 拳を振り上げたままのポーズで固まってしまった瑛太。これまでの人生で瑛太はこれほど訳の分からない状況に陥った事は無かった。恐ろしげな悪魔のような男の口から放たれたカタトコの言葉。よくよくみると、どこか申し訳無さそうに眉をひそめている。


「てか、なんでカタコトなわけ?」


 ぬぅ、と顔を近づけてそう言い放った男に瑛太はまるで見当違いの質問を投げかけてしまった。それほど瑛太の頭の中は混乱まっただ中だった。


「ワタシ、人間族ノコトバ、スコシダケ。アブナイマジュツ、ケシタ」

「……え? ……は?」


 男が放つ言葉が全く理解できず、瑛太は目を白黒させながら、頭の上にぽこぽことハテナマークの山を築いていく。と──


「瑛太っ!」

「ルゥ!?」


 不意に男の背後から現れたのは、トッタ神父に捕まっているはずのルゥだった。


「え!? ルゥ!? どうして!? なんで!? ホワット!?」


 追手に捕まってるはずなのに、と困惑する瑛太の質問に答える事なく、ルゥはそのまま瑛太の胸の中に飛び込んだ。


「無事だったか! 瑛太!!」

「ぐへっ!!」


 おもいっきりみぞおちに頭突きをかますケモミミ少女は間違いなくルゥだ。

 だが、無事なルゥの姿に喜びつつも、瑛太の頭は混乱の渦に飲み込まれていく。安堵の表情を浮かべているルゥと、未だに申し訳なさそうな視線を送る男。

 それに、遠巻きに見つめる請負人たち──


「ど、どーゆーこと?」

「実はの……こいつらは……追手では無かったのじゃ」

「……なんだって?」

「この魔人族は追手ではなく、ラドマンが手配した請負人だったのじゃ」

「……えええぇぇええ!?」


 思わず瑛太は喉から胃が飛び出したかたの如く驚嘆の叫び声を上げてしまった。


「いや、いやいや、そんな馬鹿な! 騙されてるよルゥ! 神様なのに騙されてるよ!」

「な、何を言うか! 騙されてはおらぬわ!」

「だって僕たちめっちゃ襲われたじゃん!?」


 多分あの炎で壁をぶっ壊して襲いかかったのはこの魔人族だろうし、請負人ギルドであの光球を放ったのもこの人でしょ。


「ワタシ、アナタタチ、ホゴスル、キタ。デモ、ニゲル、トメナイト」


 カタコトで必死に説明する魔人族の男。その恐ろしい姿と慌てふためく表情がミスマッチでとても愛嬌がある感じだったが、瑛太は内容が全く判らず余計に混乱してしまった。


「ええと、つまり?」

「どうやらあの魔術は逃げる儂たちを止めようと、進路を妨害すべく壁を破る為に放った物だったらしいのだが、タイミングがズレて儂らに直撃したらしい」

「なんじゃそりゃ」


 つい怪訝な表情でそう漏らしてしまう瑛太。

 確かにあの時僕たちを止めるには、進路を妨害するしか無かったと思うけど、わざわざナイスタイミングで直撃させますか。


「じゃぁ、あの光の球は? 請負人ギルドの」

「追手を怯ませる為に放ったらしいのじゃが、これも同じく、らしい」


 その説明に、なんとも言いがたい疲労感が瑛太の両肩に重くのしかかる。

 ああ、確かにあの光球が現れた後に部屋に追手が乗り込んできましたよね。はい、この恐ろしい魔人族がどんな人なのかよくわかった。完全にドジなのだ。


「なんとなくわかったよ」

「しかし、マルクスが作ったシルバーアクセサリーがあってよかった」

「マルクス君が作ったシルバーアクセサリーって……これ?」


 そう言って瑛太が人差し指を立たせる。


「そうじゃ。それには魔術を吸収する『吸引魔術』が付与されておったのじゃ。あの時、炎から儂らを救ったのはその指輪じゃ」

「そういうことか」


 あの時ドジっ子魔人族が放った炎の魔術はこの指輪に吸収されたから、僕たちは焼かれずにすんで、僕は吸収された魔術を放っていたって事か。だからこのドジっ子魔人族は「危ない魔術」って言ってたのか。


「アノ……ソロソロ、イク? ラドマン、マッテル」


 と、ちょいちょい、と魔人族が瑛太の肩をつつきながらそう言った。


「え? 待ってる? ラドマンさんが?」

「儂も今しがた聞いたのだが、つい先程、ラドマンがトッタとバーバラ商会の繋がりが見つけたらしい」

「……え!! マジで!?」


 驚嘆の声を上げる瑛太。繋がりが見つかった、という事は、トッタ神父を失脚させる材料が見つかったってことだ。つまりそれは、ルゥにかけられた異端容疑が取り下げられる可能性が大きいということ。


「トッタ、バーバラショウカイ、ワルイナカマ。ウリアゲ、トッタノフトコロ」

「トッタとバーバラ商会は繋がりがあったどころか、バーバラ商会をエルトンへ誘致したのがトッタだったらしい」


 すでにドジっ子魔人族の通訳と化しているルゥがそう付け加えた。


「毎月バーバラ商会はトッタを通じて貨幣地代を上納していたらしいのだが、数パーセントがトッタの懐に入っていたらしい。バーバラ商会の売上帳簿とトッタのここ数ヶ月の金の流れからそれが判ったと」


 人々に神の教えを説く聖職者が私欲の為にホワイトムーンに異端容疑をかけ、領主に納めるべき貨幣地代の一部を着服していた。

 これはスキャンダルどころの話しじゃない。聖マリアント教会を揺るがす事態だ。


「と、いうことはルゥ」

「そうじゃ、賭けは儂らの勝ちじゃ、瑛太!」

「やったッ!!」


 ルゥが満面の笑みを携えながら、まるで勝どきを上げるようにはしゃぎたてる。

 その笑顔に釣られるように、瑛太は力いっぱいルゥの身体を抱きしめたのだった。

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