第二十四話 ルゥの本心
「儂が限り有る命をもってこの世界に生きておったのは、百年戦争よりもすこし前、人間族が経済を武器に世界を席巻する前じゃ」
ルゥが「ヘルマ」という名で生を受けた村は、魔人族と獣人族が住むピノという北部の小さな村だったという。
「村としてはそう貧しくは無かった。周囲には手付かずの自然があったからの。秋には稲穂が輝き、それを求めて行商人が訪れる事もあった。これまであれほど穏やかに過ごせた時間は無い」
「だったら、どうして?」
ルゥは殺されてしまうことになったのか。そして何故神へと昇華することになったのか。
「それは、儂が『異質』だったからじゃ。儂は魔人族と獣人族の間の子だった」
「……つまり……ルゥは混血児だったってこと?」
こくりと小さくルゥが頷く。
「異種族間の交配は広い範囲で見れば他にも事例はあっただろうが、ピノは狭すぎた。当時の人々は種族間の交配を『血の汚れ』と禁じておったのじゃ。血の汚れが村に災いをもたらすと信じられていた。……後は想像できるじゃろ?」
そこまで聞いて瑛太には全てが理解できた。つまり、ルゥは生まれた事を隠され、そしてそれが見つかってしまったことで──村人たちに手にかけられてしまったという事か。
「……マジかよ。酷すぎねぇか、それ」
「それが儂がヒトであった時代の常識じゃ。お主の世界でも今は異常だと考えられる事でも当時は普通だったという事は、すくなくあるまい?」
「確かにそうだけどさ……」
「儂はずっとひとりだったのじゃ。物心ついてからも。こうして神としてこの世界に留まったときも。ヒトであるときは人々から忌み嫌われ、神へと昇華した後も……異教の神と蔑まれ、儂はずっとひとりぽっちじゃ」
これまで雲に隠れていたのか、夜空に輝く月の光がそう囁くルゥの寂しそうな表情をくっきりと浮かび上がらせた。ルゥのその表情は寂しげで、儚いという言葉がぴったりな表情だった。その表情は、大通りでトッタ神父に会ったときに見せたそれと同じだということに瑛太は気がつく。
「儂は神へと昇華した後、早く死んで母と父の元へ行きたいとずっと考えていた。だがの、人々から儂への信仰心が失われ、次第に力が失われていくにつれ、儂は醜くも死にたくないと思うてしもうたのだ。そして、その想いがこの世界とお主の世界をつなげてしもうた」
「だから……僕がこの世界に?」
小さくルゥが頷く。
「儂がお主に依頼したかったのは『商人たちを救え』では無かったのかもしれん。誰かと一緒に居たかっただけなのかもしれん。だから儂はお主を失いたく無かった。それがお主を助けた理由じゃ」
瑛太はまごうとこなく、経験が無い童貞だ。だが、自分に心の中の弱い部分をさらけ出す女性にしてやれることはひとつしかないと思った。
おっかなびっくりにルゥの手をもう一度握ると、瑛太は優しくルゥを引き寄せた。
人は危機の時ほど本心が現れるって父さんが言ってた。理性が消え去り、本心が姿を現すからだ。いつも気丈で強気なルゥが語ったさっきの話はきっとルゥの本心なのだろう。
ルゥのことがとても愛おしく感じてしまった瑛太はルゥの体を力強く抱きしめてしまう。
「……苦しい」
「あ、ご、ゴメン」
苦しそうに漏れだしたルゥの声にあわてて腕を緩める瑛太。
だが、ルゥは瑛太の服を掴んだまま、じっと離れようとはしなかった。
「大分マシになってきたようだがな。童貞卒業までもう一歩という所じゃ」
自分の胸元から見上げる艷やかなルゥの視線に瑛太は戸惑う。そして、いつもと変わらない瑛太の表情を見たルゥは、久しぶりに笑顔を零すとふわりと瑛太の元を離れた。
「……さて、行こうか。ルーヴィク神殿までもう少しじゃ」
「だだだ、大丈夫なのか?」
「ん、しばらくは行けそうじゃ。慌てふためくお主の姿も見れた事だし、の」
「なッ!?」
先ほどとはうってかわりルゥの表情はいつもと変わらない無邪気なものへと戻っていた。
まるでまた引っかかったと言いたげに嘲笑うと、くるりと背を向け瑛太の手を引いた。
***
月明かりに浮かぶルーヴィク神殿を見た瑛太はなぜか懐かしさを感じてしまった。
「なんとか到着できたの」
「そうだな」
瑛太はそう返事を返しながらも、無事にルーヴィク神殿に到着出来たことに何処か気持ち悪さも感じてしまっていた。追手にも魔獣にも襲われることなく辿りつけたからだ。
「儂は何もやってはおらんぞ」
「へ?」
「そろそろ陽が昇る頃じゃからの。魔獣は森のより深い場所へ向かったのかもしれぬ」
「そ、そっか。そりゃ良かった」
追手はともかく、魔獣が近づいて来なかったのはルゥがまたしても魔術を使ったのではないかと勘ぐってしまっていた瑛太は、まるで繋いだ手のひらから思考を読み取ったかのようにずばり言い当てたルゥに面食らってしまった。
「じゃぁ、追手が来る前に早速入ろう」
「ふむ、それが良いかもしれんな」
すん、とまるで気配を嗅ぐかのように鼻を周囲に巡らせながら小さく漏らしたルゥ。
「あれってさ、ルゥ?」
「なんじゃ?」
「あの入り口の上ンとこにあるヤツ」
地上から数段高くなった土台の上に設けられた小さな神殿の入り口には、ルゥの姿を模されたのか、稲穂と貨幣を持った人物のレリーフが施されている。
「そうじゃが、本物はもっと美しいであろ? この神々しく麗しい髪を表現できぬとは、あれを彫った彫刻師は万死に値する」
自分で神々しいなどと言い放ったルゥに瑛太はつい鼻で笑ってしまった。
「ああ~、全然似てないけど……狐っぽい姿じゃないだけ良かったんじゃね?」
掘られているレリーフは人の形はしているものの、ルゥの特徴的な耳と尻尾は無い。
もしルゥの姿そのままだったら、もっと早くトッタ神父にばれていたかもしれない。
「ん~、確かにな」
「彫刻師に感謝したほうがいいと思うよ」
「感謝、か」
しばし何かに思いふけったルゥが吹き出すように笑みを零した。
「な、なんだよ?」
「お主に言われて思い出した。あのレリーフを彫った彫刻師は確か若い彫刻師だった。商人でもあるまいにここへ足繁く通い、名高い彫刻師に弟子入りを認められた時に、あそこに儂のレリーフを彫りたいと言ったのじゃ。彫らんで良いといっとるのに、強引に下手くそな腕で彫りおった」
胸にしまいこんでいた記憶が次第に蘇ってきたのか、くすくすと忍び笑いを繰り返すルゥ。昔話で嬉しそうに笑みを零すルゥにどこか面白くなさげな瑛太だったが、ルゥがずっとひとりきりじゃ無かった事に嬉しくもあった。
「ああ、懐かしい。どこかお主に似ておったな。面倒くさい事に首をつっこみたがる、どうしようもない男だった。ひょっとするとお主と同じ童貞だったのかもしれぬな」
「多分な」
違ったらその人に失礼極まりないけど。いや、合ってても失礼か。
「そうか、儂はひとりでは無かったのだな。お主のお陰でそれが思い出せたわ」
瑛太の手を離し、ルゥは嬉しそうにくるりと、始めてその姿を見せた時と同じように瑛太の前で舞った。頼りない月明かりが差し込む神殿の中、わずかに煌めく銀の髪がふわりと宙を舞う。そしてそんなルゥを、瑛太はやはり綺麗だと思った。
「瑛太」
ルゥが嬉しそうに両手を広げた。ハグを求めている少女のようにつま先で背伸びを繰り返しながら。
「な……何? なんだよ!?」
また僕を貶める為に何か企んでいるのか、と何かを察知し、思わず身構えてしまう瑛太。
だが、ルゥは変わらない表情で続ける。
「こっちに」
「う……お、おう」
ルゥが何を考えているのか全く見当もつかない瑛太は、目を白黒させながら恐る恐るルゥの元へと近づいていく。出来るだけ平常心を保とうと、心の中で「落ち着け」と連呼する瑛太だったが、ルゥが飛びつくように瑛太の首に両手を回し、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった瞬間、瑛太の頭は情けなくホワイトアウトしてしまった。
「ほお……おお、おお……」
抱きついたルゥの身体のどこを触ってよいか判らないまま、両手を宙に漂わせながらうめき声のような返事を返す。このままルゥの小さな身体を抱きしめたい欲望にかられてしまうものの、後で何を言われるかわかったものではないと必死にその煩悩を押しとどめる。
だが、そんな瑛太を気にする様子もなく、ルゥはゆっくりと瑛太にその美しい両目を近づけていく。吸い込まれるような蒼い瞳と小さくつんとした形の良い鼻。これほど近くでルゥの顔をみたことが無い瑛太の顔は爆発するのではないかと思う程に、真っ赤に火照り上がった。
「瑛太……」
「はひ」
そして、息がかかるほどにルゥの唇が瑛太に近づいたその時だ。
「そのまま動くでないぞ。追手の連中がこちらの様子を伺っておる」
「……へ?」
遠くで聞こえる葉擦れの音と共に、耳心地の良いルゥの囁き声が瑛太の鼓膜を揺らした。
鼓膜から瑛太の脳に入り込んだその情報は、両手をつきだしたまま固まっている瑛太の中をぐるぐると駆けまわる。瑛太がその意味を把握するにはしばらく時間が必要だった。
「お、追手って……なんでしょうか」
「何を言っておるか。儂らを捕まえようとトッタが放った請負人じゃ」
「……ふぇ?」
ルゥの言葉に、気の抜けた声で返事を返す瑛太。僕らを追っている請負人がここに居る? 僕らが到着するよりも速く?
「嘘でしょ? だって神殿に向かおうって言ったのはさっきだし、追手は請負人ギルドに集まってるはず……」
「察するに……こちらの動きが読まれた。魔人族が追手の中に居る」
「魔人族!?」
その名前に瑛太は足元から全身の血が引いていった。
魔人族って、百年続いた戦争を引き起こしたあの「魔王」の仲間って事だよね。ヘンリエッタさんたち亜人族よりも魔術に長けた、魔術のエキスパートだったはず。
「魔人族が得意とするのは、獲物を狩ることに特化した『黒魔術』じゃ。請負人ギルドで光球の魔術を受けた際に儂らは術師にマーキングされ、追跡されていたのかもしれん」
「てことは、どこに逃げてもバレちゃうって事?」
ごくりと恐怖を飲み込みながら、瑛太は顔は正面を見たまま、視線だけで辺りを伺う。
「だが、流石に境目までは奴らとて立ち入れぬ。故に走るぞ、瑛太」
「ははは、走る?」
「奴が動かんということは、仲間か、もしくはトッタの到着をまっておるのだろう。今なら駆け込む事ができるはず」
どくどくと鼓動が速くなっていっているのが瑛太自身にもはっきりと判る。
「場所は?」
「お主の右手、神殿の奥じゃ。儂が案内する」
その言葉にちらりと視線を神殿の奥へと送る瑛太だったが、薄暗く状況が良くわからない。途中に障害物があるかもしれないし、地面に穴が開いているかもしれない。
「い、行こう、ルゥ」
ここまで来たら、もうビビっても仕方がない。ルゥを信じて突っ走るしか無い。
「三つ数える。何が起ころうとも足を止めるでないぞ」
浮つく心を落ち着ける為に瑛太がすぅ、と空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「ひとつ」
変わらず、抱きついたままの状態でルゥが囁く。
「ふたつ」
そしてゆっくりと瑛太の首から両手を解き、瑛太の瞳を見つめる。ルゥの蒼い瞳に、崩れかけた神殿の天井の隙間に浮かぶ、丸い月が映った。
「みっつ……ッ!」
そして、ルゥがぎゅっと瑛太の手を握った瞬間、だん、と地面を蹴りあげた。
「……ッ!! おい、待てッ!!」
瑛太たちが動いたと同時に、周囲から請負人たちの物と思われる怒号が放たれた。
ルゥが言っていた通り、辺りには請負人たちの姿があった。身を潜めるに最適な崩れ落ちた天井や壁面の瓦礫の後ろからふたりを取り押さえようと多くの人影が飛び出してくる。
「瑛太、行けるぞ!」
夜目が効くルゥが叫ぶ。ルゥの予想通り、請負人たちはふたりを取り囲む準備前だったのか、丁度神殿の奥方向に請負人の姿は無かった。
行ける──このまま行けば、境目に飛び込める。飛び込んでしまえば、居場所がわかっても彼らが来ることは無い。
瑛太が心の中で助かったと連呼しながら、ルゥの手を確かめたその時だった。ふたりの前に予想だにしなかった事が起きてしまった。丁度ルゥの右前方、暗闇に包まれた神殿の壁面が凄まじい爆音を轟かせながら吹き飛んだのだ。
瑛太たちのすぐ側の壁面が大きく爆ぜ、多くの瓦礫を吹き出したと同時に、まるで時間が逆転し、夕焼けが飛び込んできたかのごとく辺りは赤く染まった。
だがそれはもちろん夕日などではない。瓦礫を伴わせながら神殿内に入り込んできたのは、生きているかのようにうねり地をはう紅蓮の炎だった。自ら炎の中に突っ込む形になってしまった瑛太の身体に容赦なく弾け飛んだ瓦礫と炎が襲いかかる。
「ルゥ、止まっ──」
咄嗟にルゥの手を引き、足を止めようとした瑛太。だが既に時は遅かった。
瑛太に出来た事は、背後からルゥに飛びつき、炎と瓦礫からその小さな身体を守る事くらいだった。




