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第二十一話 闇夜にスキンヘッド

「それで瑛太、二階に逃げてどうするつもりじゃ」


 ルゥの手を引いたまま階段を駆け上り、部屋に滑り込んだ瑛太。

 だが、その足は地面に打ち付けられたようにぴたりと止まってしまった。


「えーと、どうしよう」

「……お、お主、何も考えておらなんだか!」


 勢いで行っちゃいました、と言いたげにぽつりと漏れだした瑛太の囁きに、ルゥは呆れ返るのを通り越して、逆に度肝を抜いてしまった。


「馬鹿者っ! それに何故降りて来た! 先に逃げればよかったものを、お主まで奴らに捕まってしまうぞ!」

「ば、馬鹿はそっちだ! ルゥを見捨ててひとりで逃げられっか!」

「なっ……!?」


 並々ならぬ剣幕でそう言い放った瑛太のに、何故か頬を上気させながらルゥは目を丸くして呆けてしまう。しかし、背後から迫る請負人たちの足音は待ってはくれなかった。


「ええい、窓から逃げるぞ! 覚悟せい!」


 余計な事を考えている時間は無い、とルゥは再び瑛太の手を握った。


「ま、窓からって……ここ二階だぞ!?」

「ぐずぐずするなっ!」

「いや、待って……」


 窓の向こうに広がっている景色が近づき、冷たい空気が瑛太の頬を流れる。

 背後から請負人たちの足音が聞こえた瞬間、瑛太の体は空中へと投げ出されていた。


「のわぁぁぁっ!!」


 ここ最近で三度目の背筋が凍りつくほどの浮遊感にぞわぞわと悪寒が下腹部から脳天まで一気に駆け上がる。

 瑛太の両足に地面の感触が伝わったのは刹那の間を置いてからだった。ルゥと出会ったあの洞窟から落とされた時と同じように魔術で着地の衝撃を和らげてくれたのか、両足にしびれるような衝撃はなく、ルゥに手を引かれたまま、瑛太は即座に走りだす。


「窓から逃げたぞ! 追えっ!」


 外部を見張っていた請負人たちが一斉に駈け出したのが瑛太の視界の端に映る。


「走れ! 瑛太!」

「はっ、走ってるっつの!」


 運が良かったのは、トッタ神父が現れたのが夕刻だったことだ。ホワイトムーンに面した大通りには昼間よりも村人たちが多く行き来し、瑛太とルゥは彼らの影を上手く使い、網の目を縫うように追手を欺く。村人から村人へ。そして木陰から、脇道へ──

 そして、追手の視界から、瑛太たちの姿が消えるまでに必要な時間は刹那だった。


***


 陽が傾き、まるでワインを零したかのように琥珀色に染まるエルトンの空は、すぐに幕が降ろされたかのように深い闇に覆われてしまった。

 心もとない松明の明かりを頼るしかないエルトンの夜は深く、危険に満ちていた。

 得に危険なのが、夜目が効く魔獣たちが活発化することにある。魔術で半永久的な光源を作るという研究が都市部で行われているようだが、まだ実用化には至っておらず、「日が落ちたら早々に寝るべし」というのがこの世界に住む人々の一般的な考えであり、普遍のものだった。 


「……ルゥ?」

「ここじゃ」


 大通りから離れたエルトンの西を流れる小川に架かった小さな橋の脇に、ふたつの影があった。ホワイトムーンをからくも脱出したルゥと瑛太だ。


「塩梅はどうじゃ?」

「酒場に特に変わった様子は無かったけど、大通りで松明を持った請負人っぽい人たちを見かけた」


 そう言って瑛太はルゥの側へと身体を滑りこませると、懐から布に包まれた羊の干し肉取り出した。運良く追手を巻くことができた瑛太たちはこれからの事を考え、トッタ神父らが警戒を強める前に食料の確保に動いていた。


「これ以上はちょっと危険かも。しばらくここに身を隠していたほうが良いと思う」

「ま、行くあてもないからの」


 闇に身をひそめているとはいえ、何もないこの場所にとどまっている理由がそれだった。

 一番人通りがある大通りから程よく離れ、付近に民家もなく、小川が流れている事から気配も消すことができるこの場所が一番安全な場所だった。


「ヘンリエッタさんは無事かな。トッタ神父たちにひどいことされてなきゃいいけど」

「もしかすると儂らに逃げろと言った事で教会に捕まってしまったかもしれん」

「ちなみに異端認定されちゃったらどうなるわけ?」


 異端認定されてしまったらどうなるのか。どういう結末が訪れるのかはなんとなく判るけど、異端容疑ってどの程度重い罪なんだろう。


「ホワイトムーンとヘンリエッタ、マルクスはエルトンから消える事になるの」

「え? 消えるって……エルトンから退去って事?」

「違う。全部火炙りじゃ」

「ひ、火炙り……マジで?」


 建物には火を放たれ、見せしめとしてふたりは火炙りになるだろうとルゥは言う。


「だが、騙されていた、という事を話せば火炙りは避けられるかもしれん」

「たしかに……」


 弱々しくそう答えながらも瑛太はヘンリエッタの性格からそれはないと思った。


「しかし、問題は難解だが単純でもあるぞ。ヘンリエッタを助けるには儂にかけられた異端容疑を取り下げされば良いのだからな」

「ルゥにかけられた異端容疑を?」

「そうすればヘンリエッタは開放され、すぐにでもホワイトムーンは営業を再開できるし、儂らも堂々とホワイトムーンに戻ることができるであろ」


 確かにルゥの言うとおりだったが、それはかなり難しい問題だった。

 異端容疑が重い罪だということはわかったけど、重い罪だからこそ、簡単に取り下げるということは難しいんじゃないだろうか。


「口で言うほど簡単じゃなくね? だって、証拠があるからこそトッタ神父はホワイトムーンに乗り込んできたんだし……もがっ!!」


 愚痴に近いセリフを瑛太が吐き出しかけたその時だ。ふとルゥの手が瑛太の口を塞いだ。


「な、何?」

「ヒトの気配がする」


 小さく囁いたルゥの言葉に瑛太の心臓がどくりと大きく跳ね上がった。


「ヒヒヒ、ヒトって……追手?」

「判らん。だが、確実にこちらに向かって来ておる」


 すんすん、と鼻を鳴らしながら周囲を警戒し、近づいてくる気配を逃すまいと、ルゥが神経を集中させる。

 重苦しい沈黙が辺りを支配し、得も知れぬ恐怖が瑛太の精神をすり減らす。遠くに聞こえる葉擦れの音。脇を流れる小川のせせらぎ。その全てが追手の足音に聞こえてくる。

 そして、夜風が吹き抜けたその時だ。


「おい」


 その声が聞こえたのは、小川に架かる小さな橋の上だった。押し殺したような男のその声に、瑛太とルゥはとっさに身構える。


「それ以上近づくでないぞ。儂の魔術がお主に向けられておるからな」


 低く唸るように放たれた声と共に、ルゥの指先からぱしんと小さな火花がほとばしる。

 バーバラ商会でルゥがぶっ放しかけたあの魔術だという事が瑛太にはすぐにわかった。


「そのまま下がれ」


 脅しではないぞ、と続けるルゥ。

 だが、橋の上に居る人影から返されたのは意外な言葉だった。


「おい、落ち着け。俺は追手じゃ無い」

「……え?」


 その言葉に瑛太は思わずきょとんとした表情を浮かべてしまった。

 追手じゃない? ということは、味方?


「馬鹿者。簡単に騙されるでない。そもそも追手が自分は追手だと言うわけがなかろう」


 儂らを貶める罠だ。

 そう漏らしながら警戒の色を崩さず、人差し指を請負人へと向けたまま答えるルゥ。


「ふむ。甘い言葉にも警戒を崩さねぇとは出来る嬢ちゃんだな」


 身構えるルゥに向け、別の声が暗闇の中から放たれた。先ほどの声とは違い、どこか落ち着き、そして安心感がある声。その声は聞き覚えのある声だった。


「あー、嬢ちゃんじゃなく、ルゥ様、か?」

「ラ、ラドマンさん!?」


 橋の脇に炊かれた松明の明かりに浮かび上がった人影。

 それは紛れも無く、エルトンで請負人ギルドを営むラドマンだった。


「ど、どうしてラドマンさんがここに」

「言っただろ? 困った事があったらすぐ頼れってよ。全部ヘンリエッタから聞いたぜ。何から何までな」


 そう言ってラドマンが先ほどの声をかけた請負人に何か指示を出した。

 どうやら辺りには幾人かの請負人が居たらしく、闇の中から足音がいくつも生まれる。


「ヘンリエッタさんは無事なんですか!?」

「話は後だ。とりあえずウチに来い。辺りにはトッタの野郎が雇った請負人たちで溢れかえってる。このままここに居たらすぐ捕まっちまう」


 そう言ってくるりと踵を返し、闇の中に滑りこむラドマン。

 居るはずのない味方の登場に、どこか困惑した表情を覗かせる瑛太とルゥ。

 顔を見合わせ小さく頷きあうと、ふたりは暗闇に身を任せるように駈け出した。

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