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第十九話 博識な少女

 グランドルーフでの生活が二週間を越え、次第に異世界での生活に慣れて来た瑛太だったが、異世界ライフを満喫する時間もなく光の速さで時間は流れていった。最後のひと押しで瑛太たちは食事処や鍛冶ギルドなど、請負人が足を運びそうな商人ギルドにホワイトムーンの張り紙を貼らせてもらえないか駆け回っていたからだ。

 直接の競合ギルドではないものの、ある意味、商売敵であるホワイトムーンの張り紙を貼らせてもらえるワケは無いかと思っていた瑛太だったが、その予想は良い意味で外れていた。祖父の代からエルトンで銀細工ギルドを営んでいるホワイトムーンを気にかけている商人ギルドは多く、そのほとんどが快く承諾してくれたのだ。


「ヘルマさーん!」


 天高く登った太陽が放つ、心地良い日差しが差し込むホワイトムーンの二階にヘンリエッタの声が優しく広がっていった。

 だが、二階に居るのは瑛太とルゥのふたりだけで、それ以外には誰もいない。

 だが、怪訝そうな表情を浮かべたのはベッドの上で窓の外を眺めていたルゥだった。


「なんじゃい!」

「ごめんなさい! 手が離せないのでコットンペーパーを持ってきていただけませんか?」

「……あの娘、また儂をパシリに……」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるルゥ。

 何故神である儂が顎で使われねばばならんのだ、とぶつぶつと押し殺すような愚痴を漏らしながら、渋々部屋の端に積まれたコットンペーパーの山へと足を向ける。


「ホワイトムーンを助ける為なんだから、頼みますよ〜ヘルマさん」


 そう言って茶化すようにニヤニヤと笑みを浮かべているのは、テーブルの上に乗せられた台帳と睨み合っていた瑛太だ。


「……お主、馬鹿にしておるだろう」

「してないし、良い名前だと思うよヘルマって。なんだが僕の苗字とも似てるしさ」


 そういいつつも笑顔を絶やさない瑛太。

 ヘルマとは他でもない、ルゥの仮の名前だ。瑛太が商業神を名乗っている以上、本物の商業神であるルゥをそのままの名で呼ぶわけには行かず、ルゥ自身が提案した名前が「ヘルマ」だった。ヘルマという名は取ってつけた名前ではなく、どうやら数百年前、ルゥが神へと昇華する以前、まだ人であった頃の名前らしい。

 当時ルゥが住んでいた北部地域の言葉で「賢い」とか「博識な」という意味をもつ言葉だったらしく、その事を聞いた瑛太はここぞとばかりに茶化していたのだった。


「何故儂がお主のように走り回らねばならんのだ。そもそもホワイトムーンを助けるようお主に依頼したのは儂だというのに」

「ンな事言っても、俺は請負人のリスト更新で手が放せないし、ルゥはごろごろしてるだけだから別に良いだろ」

「ご、ごろごろしておるわけではないわっ!」


 ルゥが唇を尖らせ、そう吐き捨てた。


「商業を統べる神として世界情勢を知り、見聞を広げねばならんし、信仰を取り戻す為には神らしくあらねばならん。お主にとってはごろごろしているだけに見えてもしっかりとした考えの元に──」

「窓辺に来た小鳥と楽しそうに談笑して、鼻歌歌いながら毛づくろいして、狐の姿でふらつくのがしっかりとした考え?」

「ぐぬ……そ、そうじゃ。文句あるか」


 ちゃんとした考えの元にやっていると言い張ってはいるルゥだったが、瑛太にはルゥがただ暇を持て余しているグータラケモミミ少女にしか見えなかった。


「とりあえず僕たちが出来ることは少なくなってきてるからいいけどさ。グータラしても」

「な、なんじゃその引っかかる言い草は」


 怪訝な視線を送るルゥ。

 これまで閑古鳥が鳴いていたホワイトムーンにぽつぽつと請負人たちの姿が現れ始めたのは三日前くらいからだった。どうやら、請負人たちは商人ギルドに貼らせてもらったホワイトムーンの張り紙を見たり、ラドマンからホワイトムーンの事を聞いたらしく、瑛太の目算通りにホワイトムーンに足を運んでくれるようになっていた。

 そしてヘンリエッタの手腕で彼らはもれずヘンリエッタのファンになっていった。中には親身になって聞いてくれるヘンリエッタに言い寄ってきた請負人もいるらしい。


「ところでさ、ルゥ、狐の姿だからってひとりでふらふら出歩いたらまずいんじゃない? こんな所に狐が居ること自体ちょっと怪しいし」

「ん、それは問題無い。狐の姿は神の姿じゃ。普通の人間には見えなんだ」


 部屋の片隅に積み上げられたコットンペーパーを幾枚か手に取りながらルゥがそう説明した。今は波長を瑛太に合わせている為、瑛太であれば狐の姿を見ることができるが、波長があっていない他の人間には狐の姿は見えないという。


「あ、そうじゃ。その話で思い出した。昨晩エルトンを回っている時に少し気になる話を耳にしての」

「気になる話?」

「具体的に何がどう、というわけじゃないのだが、バーバラ商会が何やら動いておるようなのじゃ」

「動いてる……って?」

「察するに、ホワイトムーンの妨害じゃ」


 その言葉に思わずぎょっとしてしまう瑛太。だが、それは瑛太やルゥも多少予想していたことだった。至る所にホワイトムーンの告知を出して、請負人達がホワイトムーンに流れ始めればバーバラ商会も黙ってはいないだろうと思ってた。

 でもまさかこんなに早く来るとは思ってもみなかったけど。


「バーバラ商会はどんな妨害工作を?」

「詳しくは解らぬ。ただ判っておるのは、奴らは請負人たちにホワイトムーンの事を色々と聞きまわっているらしい」

「ホワイトムーンの事を……? なんで?」


 良からぬ噂を流すか金の力で強引にホワイトムーンを潰しにかかるのかと予想していた瑛太にとって、それは意外な事実だった。


「もしかすると今儂らがやっている事をそっくりそのまま真似するつもりなのかもしれん」

「バーバラ商会が? ……まさか」


 あり得ないと瑛太は苦笑いを浮かべた。彼らと真逆の方法で請負人を呼び込んでるのに。


「まぁ、色気を使ってまで押し売りをしようとしたバーバラ商会がまったく真逆の方向へいくとは思えなんだがな」

「う~む」


 目的が判らないバーバラ商会の動きに、瑛太の脳裏にどこか嫌な予感が過ってしまう。

 もし僕がバーバラ商会の立場だったらどうするか。

 しばらく思案する瑛太だったが、未熟なその頭に浮かぶ物は何も無かった。


「ん~……とりあえず、バーバラ商会の動きには注意しておこう」

「そうじゃな。であるならば、儂は聞き込みを続けようかの」


 人には見えぬ狐の姿で回ればバーバラ商会の動きなどすぐに分かる。そう続けるルゥだったが、ふと瑛太に訝しげな視線を送り始めた。


「な、なんだよその目」

「儂に何か言うことがあるじゃろ? ん?」

「言うことって何だよ?」

「儂が鳥達と会話を交わし、エルトンへ出向かねばバーバラ商会の事を見逃してしまうところであったな?」


 あ〜、骨が折れたわ、とルゥがわざとらしく自らの肩をもみ始める。


「く……はいはい、わかりましたよ。ルゥはグータラじゃなくて頼りになる神様です」

「うむ、うむ! わかればよろしい!」

「んじゃぁ、そういうことで、はいこれ」

「……え?」


 そう言って瑛太はルゥの両手に積み重なったコットンペーパーを渡した。


「なな、なんじゃこれは」

「何って早く持っていかなきゃっしょ? ヘンリエッタさん待ってるよ?」

「なっ、何をいうか! 儂はしっかりとホワイトムーンの為に走り回って──」

「それとこれは別だろ。ほらちゃっちゃと行く!」

「ッ!? そんなバカな!」


 儂は行かんぞ、と騒ぎ立てるルゥを無視し、瑛太が再び台帳の整理にとりかかる。

 ルゥに残された道はパシリ神としてヘンリエッタの元に行くことだけだった。


「……ぐぬ……儂が……なぜ……覚えておれよ……瑛太」


 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら渋々部屋を出て行くルゥ。

 そんなルゥの姿を含み笑いを浮かべながら見送る瑛太の耳に、いつものように窓辺に舞い降りた数羽の小鳥達の囀る声が届いた。ルゥには冗談半分でああ言ったけど、バーバラ商会の事を嗅ぎつけたのはお手柄だし、後で豚の塩漬け肉でも買ってやるか。

 ふとそんな事を考えた瑛太。

 そして、エルトンを通り抜ける風がホワイトムーンの二階に舞い込み、小鳥たちがぱたりと飛び立ったその時と、ホワイトムーンに招かれざる客が現れたのは同時だった。

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