第十八話 母と姉
「……『エルトンを卒業できない請負人に共通している問題をご存じですか? ホワイトムーンは請負人が抱えるその問題を解決し、魔獣討伐成功率を上げるサポートを行う今までに無い全く新しい銀細工ギルドです』……って何だこりゃ」
「見ての通り、ホワイトムーンの告知っす」
困惑したような表情を浮かべるラドマンに瑛太はけろりとそう返した。
相変わらず請負人達で溢れかえっている請負人ギルドに瑛太とルゥの姿があった。
ヘンリエッタとホワイトムーンの方向性について詳細を詰めた後、早速請負人ギルドに張り出してある張り紙を新しい物へと替えてもらおうと考えていたからだ。
「なんだ? ホワイトムーンは何か新しい商売をはじめたのか?」
「そういうわけじゃないんス。実はこれ、前からやっていた事だったんスけど、張り紙にもそれを出したほうがいいな、と思って」
そして、ラドマンが口にしたそれが瑛太が考えた謳い文句だった。
ただ商品やサービスを説明するのではなく、思わずどきりとしてしまう心に訴えるような文章で請負人たちの目を引こうと瑛太は考えていた。
「そうだったのか。ヘンリエッタとは商売の話はあまりしねぇからな。そんな事やってたなんて知らなかったぜ」
ヘンリエッタの父とラドマンは酒を飲み交わす程の仲だったが、ラドマンが知っていたのはホワイトムーンはこの荘園で長く銀細工ギルドを営んでいる自ら銀細工を作れる珍しい商人ギルドという程度で、具体的にどのような商売をしているかは全く知らなかった。
「所で、この『エルトンを卒業できない請負人に共通している問題』って何なんだ?」
「シルバーアクセサリーの事です」
「へ? シルバーアクセサリー? シルバーアクセサリーがエルトンを卒業できない問題なのか? このエルトンを卒業するって、駆け出しを卒業するって意味だよな?」
思わず首をかしげてしまうラドマン。
「実はシルバーアクセサリーの有用性を駆け出しの人たちは理解していなかったんです」
「……は?」
瑛太の言葉にラドマンはわけが分からず、きょとんとした表情を浮かべてしまった。
シルバーアクセサリーは請負人にとって鎧と同じ位に重要な身を守るアイテムのはず。それを理解していないヤツが居るわけが無い。
「いやいや、いくら請負人の連中が馬鹿だからっつっても、まさかシルバーアクセサリーの事を理解してない訳は無ぇだろ」
「それがこの張り紙に書かれた通りだったんスよ。シルバーアクセサリーの有用性を理解している請負人はエルトンを卒業し、理解していない請負人が残っているんス」
まさか、と息を呑むラドマン。だが、ふとこれまで話してきた請負人達に何度か違和感を感じていた事を思い出した。
そういえば明らかにシルバーアクセサリーを付けていない奴らが何人かいた。単に外しているか、メンテナンスに出しているんだろうと思っていたが、まさか奴らシルバーアクセサリーを買わずに魔獣討伐に向かってたって事か。
「思い当たるフシが?」
「……ある。信じられねぇが」
「ラドマンさんは元請負人だって言ってましたよね? 熟練した請負人には考えられない事だからこそラドマンさんも見落としていたんだと思います」
シルバーアクセサリーを買わない請負人はいないはず。そう固定概念があるからこそ、見落としてしまっていた。きっと教会とか領主が駈け出しの請負人をサポートしていればこういうことは起きなかったと思う。いわゆる役所対応でやっていたとしても、必ずシルバーアクセサリーを買うように、って言われるはずだから。
「奴らと毎日顔を合わせておきながらその事に気付かないとは面目ねぇ。だが、金が無い奴らがシルバーアクセサリーを二の次にする気持ちは判らんでもない。モノは高けぇし、メンテナンスも費用がかかるからな」
「そうスね。だからホワイトムーンはお金が無い駈け出しの方達をサポートする事を中心に考える事にしたんです。シルバーアクセサリーの押し売りはせず、メンテナンスも銅貨一枚でやるって」
「ど、銅貨一枚だって!?」
請負人と永続的な関係を築くにあたってヘンリエッタと瑛太達が最後まで悩んだのがシルバーアクセサリーのメンテナンス費用だった。
良い関係を築けたとしてもメンテナンス費用が高ければ彼らは二の足を踏む事になってしまう。故にメンテナンスに関しては出来るだけ費用を取らない方向で行くことになった。
運良く、メンテナンスには生産時に必要な銀粘土等の素材が必要無い場合がほとんどで、大きく損傷している場合などを除き、魔術の再付与や魔術の漏れだしの原因になる細かい傷の修復などは一般的なメンテナンス費用の半額以下で行う事にした。
「そりゃあヤツらには優しい価格設定だな」
「ラドマンさんの請負人ギルドと同じように、請負人の方達に足を運んでもらわないと意味がないですからね。実はその事に気が付かせてくれたのはラドマンさんなんですけど」
「え、俺?」
まさか自分の名前が出てくるとは思っていなかったラドマンは目を丸くしてしまった。
「はい、ラドマンさんが話してくれた内容でピンときたんです。ありがとうございます」
「いやいやいや、俺、何もやってねぇよ? ただいつも通りに話しただけだ。つってもまぁ……ルゥ様にそう言われて悪い気はしねぇけどよ」
困っちまうぜ、とぽっと赤く染まったスキンヘッドの頭を擦るラドマン。
厳つい姿と相まってなんだかギャップが激しいですね。
「ところで、そもそもなんでルゥ様がその張り紙を持ってここに来てンだ?」
「え?」
「いや、あんた神様だろ? そんな雑用、マルクスのガキに任せりゃいいだろ」
自らの足を使い、わざわざこんな場所まで来た瑛太にラドマンはどこか呆れたような表情を浮かべてしまう。
「……いや、全くじゃ」
そして、これまで沈黙を続けていた瑛太の傍らに立つルゥも同じ心境だった。
商業神の化身のふりをしている瑛太がうろつくのはあまり得策とはいえないし、商業神が雑用の為に駆け回れば、神の威厳が損なわれ、そもそもの目的である「商業神への信仰心の復活」が難しくなってしまうのではないか。
「張り紙などマルクスにやらせて、お主は大人しくしておれば良い物を」
「いやそれはそうなんスけどね」
ちらりと背後からジト目を送るケモミミ少女神を見やる瑛太。
「ホワイトムーンの方向の転換はラドマンさんからヒントをもらったとは言え、ヘンリエッタさんに提案したのは僕ですからね。だから、なんというか、成功させないとマズいじゃないスか?」
自信なさげに瑛太が背後のルゥと目の前のラドマンの両方に説明するように語る。
「……つまり、ルゥ様は心配だから自分で駆けまわってると?」
「ま、まぁ、そんなトコっス」
責任感とかそんなカッコイイもんじゃなく、単純に僕がビクついてるだけなんだよね。
チキンですから。
「……ぷっ。がっはっは!」
次の瞬間、突然噴出すようにラドマンの豪快な笑い声が喧騒な請負人ギルドの中に響き渡った。空気が震えるほどのラドマンの声に瑛太は思わずぎょっとしてしまった。
「いや、スマン。なんつーか、失礼だがあんたを見なおしたぜ俺は」
「へ? 見なおした?」
「神様は自ら手を下さず、高けぇ場所から見てるだけの存在だと思ってたんだけどよ。それがどうだ、あんたは俺たちの世界に来て、口を出し……さらには自分の足で駆けまわってやがる。最高だぜ、ルゥ様」
そう言いながらラドマンがくつくつと巨大な肩を震わす。そんなラドマンを瑛太とルゥは呆けた表情で見つめていた。
「これはどういう事なんだろ」
「儂にも解らぬ」
自分で走り回っている神の姿が滑稽だからというワケではない事は解るが。
「その張り紙ありったけ寄越しな。一枚だけじゃなくそこら中に貼り付けてやるから」
「……ッ! マジすか」
「俺はあんなに惚れたぜルゥ様」
その言葉に瑛太とルゥは同時にびくりと身を硬直させてしまう。
「あ、ありがとうございます」
「ま、何かあったらいつでも声をかけな。力になるぜ」
瑛太から張り紙を受け取ると、ラドマンが力強い笑顔を零した。それは、彼に頼めば全てを解決してくれるような、力強く、心を許してしまうような大雑把な笑顔──
その笑顔を見た瑛太は、これがルゥが言っていた「紳士的な立ち振舞い」になった熟練した請負人なのかと敬服の眼差しを送った。
「つーかよ、何か神様っぽく無ぇよな、ルゥ様って」
にやり、と意味深な笑みを残したままカウンターの奥に消えていくラドマンの言葉に瑛太の心臓がばくんと大きく跳ねてしまった。
「もしかしてバレちゃったかな?」
思わず瑛太は小さくぽつりとこぼしてしまう。まずかったか。やっぱりルゥが言うとおり神様らしく、誰かに頼んで自分は高見しているべきだったか。
「ん~……ま、良いじゃろ」
「え?」
だが、ルゥの口から放たれたのは意外な言葉だった。てっきりまた口うるさく小言を言われるかと思っていた瑛太は逆に驚いてしまった。
「儂の目に狂いは無かったようじゃの」
「何の話?」
「お主の中にあると言った比留間一族の知略の事じゃ」
「知略……って、気づかないだけで、僕の中にあるって言ってたやつか」
ホワイトムーンを救う事ができると言い張っていたルゥの言葉が瑛太の中に蘇った。
でも、今もそんなものは無いと思うけど。
「どうじゃ? 儂の言った通りだったであろ?」
「知略っていうか、運良く閃いただけだけどね」
宝くじに当たったレベルの話だ、と瑛太はため息混じりで零す。
さっきも言ったけど、閃いたのはラドマンさんのお陰で、ラドマンさんに会わなかったら多分未だに何も思いついてなかったと思う。
「しかし運も実力の内じゃろ。閃いたのはお主の手柄じゃ」
「なんか今日はすっげぇフォローするな」
「猿もおだてりゃなんとやらというではないか」
「ああ、そういうことね」
ちょっと嬉しくなって損した、と吐き捨てる瑛太に、ルゥが小さく鼻で笑ってみせた。
「ところで話は変わるが瑛太。儂はひとつ気になっておる事があるのじゃ」
「なんだよ?」
「お主が急にやる気を出した理由なのだがな?」
その言葉に瑛太の心臓がどきりと跳ねた。
「や、やる気を出した……理由?」
「うむ。どうにも気になっておったのじゃ。何故、あれほどまでに帰る帰ると言っておったお主が、自ら進んで走り回るまでになったのか、と」
「そ、それは……」
静かに見つめるルゥの澄んだ蒼眼に心の中を見透かされているような気がしてしまう瑛太。瑛太がやる気を出した理由は明確だった。
「お主……ヘンリエッタに母と姉の姿を重ねたであろ?」
どうじゃ? と小さく首をかしげながら、にやにやと笑みをうかべるルゥ。
「なっ、なな、何をいってられら!? てか、なんで僕に姉さんが居るの知ってんだよ!」
「男とは女に母の面影を見るというからの。姉の件は……まぁ、あてずっぽうじゃ」
「なっ……!」
そして、軽い笑みを浮かべるルゥに瑛太は直ぐに理解した。
またしてもルゥに手玉に取られてしまったのだ、と。
「く、くそっ。やる気出すんじゃなかった」
「いやすまぬ。気を悪くするでないぞ。理由はともあれお主がやる気になってくれた事は素直に嬉しいのだ。ありがとう、瑛太」
どこか茶化したような笑みから、慈しみにあふれた艷やかな笑みへと瞬時に変化していくルゥの表情に瑛太は二の句を継げないほどまでに固まってしまった。
「……ふふ」
そして小さく、漏れだすように放たれるルゥの忍び笑い。
「可愛いのう」
くふふ、と手のひらで口を抑えるルゥに瑛太の顔は赤く腫れ上がっていく。
どの表情がルゥの本心で、どの言葉が茶化しているセリフなのか瑛太には全く判らなかった。どれも彼女の本心のようで、どれも偽りのような気がしてしまう。
「しっ、知らねぇから!」
顔を赤く染め上げたまま、どすどすと請負人ギルドを出て行く瑛太。
ケモミミ少女神にいいようにあしらわれてしまった瑛太の怒りと恥ずかしさに満ちた声が喧騒に包まれた請負人ギルドの中に溶け、請負人達の陽気な笑い声だけが辺りに残されていた。




