第十七話 青タンプレゼン その2
なんとも言いがたい空気が次第に辺りを侵食していく。
ヘンリエッタはもちろん、ずっと瑛太と行動していたルゥでさえ瑛太のその言葉が何を意味するものなのか全く判らなかった。
ホワイトムーンは自ら商品を作る職人ギルドの性質が強いとはいえ、収入源はシルバーアクセサリーを売る事で得られるお金だ。商品を売らなければ売上を上げる事は出来ない。
「とりあえず説明を続けますね。次はホワイトムーンの『強み』についてです」
結論は後のお楽しみで、と言いたげに瑛太はルゥが書いたコットンペーパーを端に寄せると、新しい紙をを取り出した。
「ホワイトムーン、というかヘンリエッタさんの『強み』なんですけどね」
「わ、私のですか?」
瑛太の言葉に思わずヘンリエッタはぎょっとしてしまった。
「はい。ヘンリエッタさんの『強み』のひとつはシルバーアクセサリーを造る技術力だと思うんです。バーバラ商会で治療魔術が付与された指輪を見たんスけど、僕の目でも判るくらいにヘンリエッタさんが作った物の方が良かった」
「確かに。ヘンリエッタが生成する銀細工は一級品じゃと思う」
「そ、そうでしょうか」
自分が造ったシルバーアクセサリーについて褒められる経験があまりなかったのか、ヘンリエッタは肩をすぼませながら頬を赤らめてしまう。
「でも、重要なのはもう一つの強みなんス。それは、請負人たちへの『気遣い』です」
「気遣い?」
「ヘンリエッタさん、人を最終的に動かすのは『心』なんです」
父、総一朗とラドマンが語ったその言葉。瑛太はふたりのその言葉を借り、言葉を繋げていく。
「自分の事よりも、採算度外視でホワイトムーンに訪れた請負人達の事を考えるヘンリエッタさんの『心』は、バーバラ商会が真似出来ない強力な武器なんス」
「武器、ですか……」
むず痒い感覚に頬を紅潮させながらも、やっぱりどういう事なのか判らないヘンリエッタは再度首をかしげてしまう。
無意識でやっていたことが良い事だったということはなんとなくわかったけど、それがどう関係しているんだろう。
そして、書記係としてコットンペーパーにさらさらと文字を落としていたルゥも同じ心境だった。
「……ええい、解らぬ! どういうことかはっきり言わぬか!」
「うわっ」
「具体的に、何をどうすれば良いのじゃ!? 結論を言え、結論を!」
我慢の限界に達してしまったルゥが羽ペンを放り投げ、いつもの口調で瑛太に詰め寄る。
「わ、わかったよ! 結論を言うと、駆け出し請負人達が抱えている問題を解決して、彼らにヘンリエッタさんのファンになってもらうんです」
「私の……ファン?」
「そうです。つまりホワイトムーンを『シルバーアクセサリーを販売している商人工ギルド』じゃなくて、請負人が抱えている問題を解決する『悩み解決ギルド』にするんですよ。彼らが抱えている問題を解決できるなら、ライバルであるバーバラ商会のシルバーアクセサリーを勧めるくらいのやり方で、です」
それは、実際にマーケティングの世界でも活用されている手法のひとつだった。
顧客の事を第一に考え、言わば彼らの相談役になり最適な商品を勧める。
それが自社商品でも、他社の商品でも構わない。目的は、商品を売ることじゃなく、顧客の問題を解決し、顧客の事を第一に考える事。哲学的ではあるものの、そうすることで顧客の信頼を得ることができ、顧客にとって無くてはならない存在になる。
「しかし……よく判らんのじゃが、バーバラ商会の商品を勧めれば当然客は向こうに流れてしまうのではないか?」
静かに瑛太の説明を聞いていたルゥが小さく問いかける。
折角来た客にバーバラ商会を勧めれば、損をするのはホワイトムーンだ。客を商売敵に渡すようなマネをして良いのか、と。
「確かに一時的に流れちゃうかもしれないけど、目的はあくまで請負人達の問題を解決して彼らの信頼を勝ち取る事だよ。請負人達が安価な物を求めているんだったら、安くて質が悪いバーバラ商会のシルバーアクセサリーを勧めるのが彼らの為になるでしょ?」
どうしても安いものを探しているというのが請負人の悩みであれば、バーバラ商会を勧める事がその悩みを解決することになる。そして、己の利益を無視し、ライバルギルドであるバーバラ商会を勧めれば、お金では買えない彼らの信頼を得ることができる。
「……ううむ、そう言われれば確かにそうじゃな」
納得した、と言いたげにルゥが小さく唸った。
確かにバーバラ商会であの女性店員がやったような「押し売り」に近い手法だと、もう二度と来たくないと思うが、親身になってくれるのであればまた来たいと考えてしまうな。
「でもルゥ様、ひとつ気になる所があるのですが、その方法で請負人の方たちがホワイトムーンのファンになったとしても、彼らがエルトンを去ってしまえば同じ状況になってしまうのではないでしょうか?」
ルゥに続けて今度はヘンリエッタがもうひとつの懸念を口にした。
先ほど瑛太自身も言っていた通り、エルトンに居る請負人は少なくとも二年以内にこの場所を去り、知識が無い新たな請負人がエルトンを訪れることになる。
「大丈夫です。それも打開出来る方法があるんです。こんなふうにコットンペーパーにホワイトムーンに来た請負人の方達の情報をメモっていくんス。いつどんなシルバーアクセサリーをどこで購入したか、みたいな情報を」
「情報を?」
「はい。そしてその情報をもとに個別にアプローチするんです。いわゆる……リレーション……シップ……えー……マネジメントってヤツっス」
名前が上手く出てこなかった瑛太は絞りだすようになんとかその名前を口にした。
請負人ギルドで瑛太の頭に舞い降りたのは、この世界に来る寸前に総一朗から聞かされた、「ぱっとしない瑛太が女の子を落とす為のマーケティング手法」である、リレーションシップマネジメントだった。
己をアピールをしつつ、付かず離れずの関係を築き、相手の中に常に自分という存在を植え付けさせる事で他人が入り込む事ができない良好な関係を作る手法──
それこそが、ホワイトムーンが生き残る為に重要となる手段だと瑛太は考えていた。
「リレ……なんじゃと?」
「リレーション……マネ……えーっと……せ、専門用語はどうでもいいの! つまり、ラドマンさんが無意識にやっている事をヘンリエッタさんにもやってもらうって事!」
「ラドマンさんがやっている事って、駈け出しの請負人の方達のサポートですか?」
「そうッス。ラドマンさんは請負人の情報を全て頭の中に入れているようだったんスけど、さすがにあれは無理だと思うので、こうやって紙に残すんです。そして、例えば魔術付与の効果が薄まるような時期になった時に、ラドマンさんに頼んで請負人ギルドで本人にチラシを渡してもらうんスよ。『お持ちのシルバーアクセサリー、そろそろメンテナンスしませんか』って」
シルバーアクセサリーは効果を失わせない為に永続的なメンテナンスが必要だってルゥが言っていた。それを利用して請負人と関係をつなげておく。そうすれば、少なくともエルトンに居る間は良好な関係を築く事ができる。父さんが言っていた通りに、他の誰もが割居る事ができない程の良好関係が。
「永続的な関係を作れれば、どんな事があっても彼らが足を運ぶ銀細工ギルドはホワイトムーンになるというわけじゃの。ファンになっていれば尚更じゃ」
「確かに以前、請負人の方達とじっくりと話していたのですがシルバーアクセサリーを買ってもらったらそこで終わり、という関係でした。ルゥ様が仰るとおり、得た情報を元に彼らにアプローチすれば、信頼を得ながらシルバーアクセサリーの有用性を広めていく事が出来るかもしれませんね」
最初は何も買ってもらえなかったとしても、長い関係の中で何かしらホワイトムーンにお金を落としてくれる可能性は高い。さらに彼らはシルバーアクセサリーの有用性を己の武勇伝として酒のつまみにするだろう。
「後はどうやって請負人達にもう一度ホワイトムーンに来てもらうか、なんですけど」
瑛太が自問するようにそうつぶやいた。
瑛太が説明したアイデアの中には、シルバーアクセサリーの有用性を再認識してもらうい、彼らの心を掴む策もある。
だが、最後残った問題はどうやって請負人たちにもう一度ホワイトムーンに最初の一回、足を運んでもらうかだった。例えば新しい商品を売り出せば、それを目玉に客引きができるが、商品もやることも何も変わない以上、再び気に留めてもらう事は難しい。
「確かに。請負人ギルドにチラシは張り出してますし……」
「実は、効果があるかわからないけど、僕にちょっと考えがあるんです」
へへ、と笑顔を漏らしながら、瑛太は新しいコットンペーパーを取り出すと、さらさらと何かを書き落としていった。
「ほう?」
「これは……」
コットンペーパーに書き起こされたそれを見た瞬間、ルゥとヘンリエッタが思わず簡単の声を漏らした。そこに書かれていたのは、瑛太が考えた請負人達の目を引くための謳い文句だった。
「少しでも彼らの気を引ければいいんだったら、こんな感じで『心』に訴えればいいんじゃないかと思ったんスよね」
「成る程。少しでも彼らに気になって貰えれば」
「あとはヘンリエッタさんが彼らの心をガッチリと掴んでくれますよね?」
笑顔でそう言う瑛太に、ヘンリエッタは驚きながらも小さく頷いた。
何も気張る必要は無い。これまでやってきた事をいつもどおりやればいいんだから。
「……ありがとう御座います、ルゥ様。なんだか行けそうな気がします」
「でもヘンリエッタさん、忙しくなるのはこれからッスよ。やらなくちゃいけないことが沢山ありますから」
新しいホワイトムーンの告知に請負人たちの情報を管理する名簿の準備。
もし今あるのであれば既存の顧客リストの整理と、請負人達への個別アプローチ。
それをホワイトムーンの通常営業と同時進行でやる必要がある。
「ええ、すごく大変そう」
「でも大丈夫ッス! 僕も手伝いますから!」
泥船に乗ったつもりで居てください、とまたしても真逆の言葉を放つ瑛太にヘンリエッタは笑顔で小さく頷いた。
瑛太が必死に考えた一枚の地図。それは荒削りで不格好だったが、もしかするとこの状況を打開することができるんじゃないかとヘンリエッタに思わせる程の瑛太の強い「想い」が込められていた。
そしてその想いは、まるで重くのしかかっていた雨雲が過ぎ去った後に広がる、華やぎ始めた朝日のように光り輝いているようにヘンリエッタには感じた。




