第十六話 青タンプレゼン その1
「ルゥ様!?」
琥珀色に染まった日差しが差し込むホワイトムーンの作業場。突然飛び込んできた瑛太の姿にヘンリエッタは思わず作業の手を止めてしまった。
「ど、どうしたんですか、ソレ」
「え? えーと、これは……その~」
なにやらもごもごと言葉を濁す瑛太。ヘンリエッタが驚いたのは他でもない。現れた瑛太が右目に巨大な青タンを作っていたからだ。
「慌てて転んでしまったんですよね、主様」
「そ、そーなんですよ、あはは」
あわてんぼうなんですからと笑顔で答えるルゥに瑛太は苦笑いを浮かべる。
実は、瑛太は請負人ギルドでルゥを抱えた時にどうやら彼女の胸の小さな膨らみに触れてしまったらしく、ホワイトムーンに戻る最中にルゥの強烈な膝蹴りを顔面に頂戴していた。どうせ蹴られるならじっくり堪能するべきだった、と右目の疼きと共に最低な思考が瑛太の中で渦巻く。
「てか、そんな事はどうでもよくて! ヘンリエッタさん、思いつきましたよ! ホワイトムーンにお客を呼びこむ方法が!」
「……えっ!? 本当ですか!?」
瑛太の興奮が伝播したかの様に、思わず立ち上がってしまうヘンリエッタ。
そして瑛太は、善は急げと、ホワイトムーンに戻る途中で購入したとある物をテーブルの上に広げた。
「それは……布ですか?」
「はい。説明するにあたって、色々と書き残した方がいいと思いまして」
瑛太がテーブルの上に広げたのは布や綿で作られた紙、コットンペーパーだった。
請負人登録書のような重要な書類には頑丈な羊皮紙が使われる事が多かったが、高価で容易く手に入るものではなかったため、簡易的な書類には安価なボロ布を活用したコットンペーパーが使われる事が多かった。
「お主、こっちの世界の文字が書けるのか?」
「いや、無理だからルゥお願い」
そっと耳打ちしあう瑛太とルゥ。
ルゥの魔術のお陰なのか、話すことは問題無かった瑛太だったが読み書きは無理だった。
「な、なぜ儂が……! あっ、こらっ! そのようなもの要らぬわ!」
「それでは、早速説明を始めますね!」
羽ペンをむりやりルゥの手に渡し、騒ぎ立てるルゥを無視しながら瑛太が続ける。
「まず、ホワイトムーンが置かれている現状から整理しますね。いきなり結論を言っても混乱しちゃうと思うので」
「はい、判りました」
「まず、エルトンに訪れる請負人は経験が浅い駆け出しの人が多く、お金をあまりもっていない。そして、シルバーアクセサリーは請負人達にとって必需品とも言えるものである」
「……ぐぬ……偉そうに……なぜ儂が文字起こしなど……」
ぷちぷちと小さく愚痴を漏らしながらも、嫌々瑛太の言葉を紙に落としていくルゥ。
「バーバラ商会は、豊富な資金をバックに低価格のシルバーアクセサリーを販売している。そしてバーバラ商会が現れた事で、請負人はバーバラ商会へ流れてしまった」
コットンペーパーと瑛太の表情を交互にみやりながら、ヘンリエッタは頷く。
そこまではヘンリエッタも知り得ている事実だった。
「でも、実はそこが違ったんです。駆け出しの請負人の方たちはバーバラ商会へと流れてはいなかったんです」
「えっ?」
「ホワイトムーンから請負人が消えたのは、バーバラ商会に流れたんじゃなくて、不況が原因だったんです。不況の煽りを受け、教会からの依頼が減り、収入が減ってしまった彼らは単純にシルバーアクセサリーを買い渋っていたんです」
その言葉に思わず息を呑んでしまうヘンリエッタ。それは正に寝耳に水な事実だった。
「それに気がついたのはバーバラ商会に行った時でした。流れていたハズの請負人達は、バーバラ商会にも居なかったんです」
「買い渋っていたって事は、請負人の方達は、シルバーアクセサリーよりも他の物を優先していた……って事ですか?」
「その通りです。彼らはシルバーアクセサリーの有用性を全く理解していなかった。だから彼らは剣や鎧にお金を使い、シルバーアクセサリーは二の次にしていたんです」
「まさか……請負人の方達はシルバーアクセサリーの有用性を理解しているはずです。以前ホワイトムーンに来て頂いた方達にもしっかりと説明していましたし……」
だからこれまでエルトンで商売を続けてこれた。
「確かにヘンリエッタさんの説明を聞いた請負人はシルバーアクセサリーの有用性は理解していたと思います。むしろ、ヘンリエッタさんが説明したお陰で」
「だとしたら請負人の方達はシルバーアクセサリーについて理解してるんじゃ?」
「ヘンリエッタさん、エルトンには『駆け出しの請負人』しか居ないんです」
その言葉に小首をかしげ、しばし考えふけるヘンリエッタだったが、ふと何かを思いついたかのように目を見開いた。
「……私が説明した請負人は、もうエルトンには居ない?」
「そうなんス。ラドマンさんが『請負人ギルドが教会や領主の代わりに助言できるのは、彼らが一人前になって羽ばたくまで』と言っていました。つまり、シルバーアクセサリーの有用性を理解して熟練者になった請負人たちは巣立つようにエルトンを去っているんス」
だからエルトンに居るのはシルバーアクセサリーの有用性を知らない請負人ばかりになる。そして彼らが自慢気に話す武勇伝にシルバーアクセサリーが出てくることは無い。
「ということは、値段の問題じゃ無かったんですね」
「そうなんです。原因は根本的に違ったんです。請負人たちはシルバーアクセサリーを欲していない」
どこか釈然としない表情を浮かべながら、ルゥが「請負人はシルバーアクセサリーを必要としていない」とコットンペーパーに落とした。
「つまり、このままギルドをたたんだほうが良いって事なんでしょうか?」
ある意味死の宣告に近い事実をつきつけられたヘンリエッタは頭を抱えてしまう。
それはヘンリエッタにとって、知りたくなかった事実だった。駆け出しの請負人がシルバーアクセサリーを欲していないということは、エルトンでは銀細工ギルドは無用の産物になりつつあるという事だ。
「……待て。まさかそれがお主の結論ではあるまいな?」
助けるどころかトドメを刺すような事を言い放った瑛太に、思わずルゥは手を止め口を挟んだ。つまり買う者が居なくなった為に、エルトンから撤退すべきだ、と?
「あっ、いや、違う違う! 違いますよっ!」
ルゥの冷たい視線と、長い耳をしゅんとしならせてしまっているヘンリエッタの姿を見た瑛太はあわてて首を横に振る。
「これはホワイトムーンに起きている問題を整理してるだけですってば! 起きている問題がわかれば、これから話す解決策を理解してもらえると思うので」
「でも、必要としていない彼らに買ってもらえる解決策が本当にあるんでしょうか?」
「んーと……」
心配げに見つめるヘンリエッタに、どう説明すべきか顎に指を添えたまま考えこむ瑛太。
普通に考えれば、その商品を必要としていない人に売る事は不可能だ。騙したり、欺いたりしない限りは。
そしてしばしの沈黙が作業場に流れた後、瑛太は静かにとんでもない事を言い放った。
「少し結論を言いますと、シルバーアクセサリーは売りません。彼らにはなんにも買ってもらわなくていいんです」




