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第十一話 所有物

「いらっしゃいませ」


 バーバラ商会の店内で瑛太とルゥに声をかけたのは、若い女性の店員だった。

 エルトンでは珍しく小奇麗なウール製のチュニックを着こなしている落ち着いた印象の女性。微笑みを携えながらゆっくりと瑛太の元へと歩み寄ってくるその店員に、瑛太の心臓がどきりと胸をノックした。


「シルバーアクセサリーをお探しでしょうか?」

「えっ、あ、はい」


 入り口で立ちすくんだまま、目を泳がし、生返事を返しす瑛太。瑛太は文字通り衝撃を受けていた。もちろんそれは、優しい微笑みを投げかけるこの女性ではなく、ホワイトムーンとは比べようも無いほどに広くそして綺麗なバーバラ商会の店内の様子にだ。

 まるで教会の中に間違って入ってしまったのか、と思うほどにバーバラ商会は厳かできらびやかだった。大理石で覆われた床面と、この銀細工ギルドでシルバーアクセサリーを買った請負人には神の祝福がある、と言いたげに天から降臨する美しい女神のレリーフが施された、思わずため息が漏れてしまうほどの美しいバロック調の壁面──

 しかし、一方で瑛太はその店内の様子に手応えを感じていた。瑛太が想定していた通り、バーバラ商会に訪れている請負人は数えるほどしか居なかったからだ。それはつまり、請負人たちがシルバーアクセサリーを買い渋っている可能性を示唆していた。


「当ギルドでは指輪タイプのシルバーアクセサリーから、ネックレスタイプ、イヤリングタイプ、女性向けであればカチューシャタイプなど幅広くご用意しております。お客様はどのようなアクセサリーをお探しでしょうか?」

「え? ええっと……」


 流れるような口調で説明を始めた店員に瑛太は目を白黒させてしまう。どうしよう、とフードに隠れるルゥの顔を覗き見る瑛太に、ルゥは小さくため息で返事を返すと、瑛太の代わりに店員へと問いかけた。


「指輪です。治癒魔術が付与された指輪はありますか?」

「指輪、ですね。もちろんございます。こちらにどうぞ」


 そうして瑛太たちが案内されたのは、ギルド内の一角、ホワイトムーンとは違い、しっかりとした陳列台に並べられたアクセサリーがきらめくエリアだった。 


「そうですね、治癒魔術ですと一番売れているのはこちらの指輪でしょうか」

「へぇ……」


 そう言って店員はひとつの指輪を差し出す。ホワイトムーンで見た指輪と同じようなシルバーアクセサリーだったが、その違いは瑛太にもひと目でわかった。

 あの美しい虹のような煌きがほとんど無いのだ。それはつまり、ホワイトムーンでルゥが言っていた「魔術が漏れだしてしまっている」状態なのだと瑛太は直感した。


「これって、おいくらですか?」

「こちらは銀貨五枚になります」

「安いですね」


 同じ指輪でホワイトムーンの五分の一。効果がどの程度なのかは判らないけど。


「ありがとうございます。当ギルドは請負人を始めたばかりの方々向けにシルバーアクセサリーを販売しておりますので、低価格設定になっております」

「成る程」

「失礼ですが……お客様はどの程度ご経験が?」

「……へ?」


 変わらない笑顔を携えたまま、そう問いかける店員に瑛太は目を丸くしてしまった。


「いや……その、実は僕、ケイケンありません」


 何故か頬を赤らめてしまう瑛太。その意味が判らない店員はきょとんとした表情を返す。


「瑛太、念の為に言うが、この娘はお主の請負人の経験を聞いておるのじゃぞ?」


 お主何か勘違いしとらんか、と小さく耳打ちするルゥ。

 しまった。さんざんルゥに童貞だの、経験が無いだの言われていたからその事を聞かれているのかと思ってしまった。


「ごご、御免なさい。経験無いのは本当なんですが、そっちの経験ではなくて……いやどっちもなんですが」


 そして瑛太は「どっちもまだです」と訳の分からない事を吐き出す。挙動不審で明らかに怪しいお客に成り下がってしまった瑛太だったが、店員はそんな瑛太に対して動じる事無く、そびえ立つ山のような大らかな笑顔を向け、続けた。


「新しく請負人を始められた方ですね。でしたら、こちらのシルバーアクセサリーもいかがでしょうか?」


 そう言って、店員が取り出したのは先ほどとは別のアクセサリーだった。

 その手に持たれていたのは、同じように光り輝く一本のネックレス──


「こちらも請負人の方々に人気があるシルバーアクセサリーでして、身体を保護する『防護魔術』が付与されています」

「防護魔術、ですか」

「はい。お客様が受けた傷の一部を無効化する魔術です。先ほどの治療魔術は『受けた傷を癒やす』魔術なのですが、こちらは『受ける傷を最小限に押さえる』魔術が付与されているんです。こちらも先ほどの指輪と同じく銀貨五枚で販売しております」

「へぇ」


 ため息を漏らしながら、瑛太は店員の手に持たれたネックレスを興味深く覗きこむ。

 そんな瑛太の視界の端に、はらりと落ちた髪の毛を小指でかきあげる女性店員の艷やかな仕草が映り込んだ。間近で見る女性の豊麗な仕草に思わず生唾を飲み込んでしまう瑛太。


「こちらのイヤリングもおすすめですよ。俊敏性が高まる魔術が付与されていまして、こちらはなんと銀貨三枚です」

「ほ、ほぉ」

「この三点セットは請負人を新たに始められる方がよく購入されるセットでして、お客様も是非購入されることをおすすめしますよ」

「へ、へぇ」


 目の前に差し出されたきらきらと光輝く三つのシルバーアクセサリーに、ではなく、女性店員のセクシーな仕草に瑛太の口からはため息のような感嘆の声が自然と漏れだしてしまう。その姿はバーバラ商会の偵察に来た調査人でもシルバーアクセサリーを買いに来た新人請負人でもなく、女性店員にすっかりやられてしまっている童貞の情けない姿だった。


「あの、もしよろしければそちらのテーブルでお話いたしませんか?」

「ええっ? おおお、お話、ですか?」


 笑顔でそう話す女性店員につい鼓動が高なってしまう瑛太。彼女が言っている話とは単なる価格交渉の事だったが、もちろん瑛太にそんな事は判るはずもなく「僕はここの人間じゃありませんからダメです」と緩んだ表情でわけの分からない回答を返す。

 そして、その時だった。


「痛ッ!!」


 鼻の下をでれんと伸ばしていた瑛太の尻に凄まじい衝撃が走った。


「お主……何をやっとるか」


 お尻を擦る瑛太の目に映ったもの。それは、ただならぬ殺気を放ちながら、いつもよりもドスの聞いた低い声を放つルゥの姿だった。


「ル、ルゥ?」

「ふん。鼻の下を伸ばしおって。そのまま必要ない銀細工を買うつもりなのかお主は」

「い、いや、そういう訳じゃ」

「ションベン臭い小娘の色気に簡単にほだされおって。はよ断らんか馬鹿者」

「は、はひ……」


 ギラリと危険な光を放つルゥの瞳にすっかり気圧されてしまった瑛太。

 なんだか凄く機嫌が悪そうに見えるのは気のせいだろうか。さっきはあんなに機嫌が良かったのに。


「お客様?」

「あ、すみません。実は今日はちょっと手持ちがないので、これで失礼します」


 そう言って瑛太は店員に丁寧に頭を垂れると、いそいそと踵を返す。

 しかし瑛太はこのまま無事にバーバラ商会を後にすることは出来なかった。ここまで来て瑛太を逃すわけには行かない、と店員がすかさず引き止めにかかったのだ。


「大丈夫ですよ。請負人の登録番号をいただければ支払いは後日で構いませんから」

「え? いや……でも……」

「これも何かの縁ですよね?」

「いや……その……」


 ぐいぐいと押してくる店員に瑛太の声は次第に細くなっていく。後頭部に突き刺さるルゥの鋭い視線を感じ、瑛太は「もう勘弁してください」と逆に店員に泣きつきそうになってしまった。


「た、体調も悪いし今日はもう、かかか、帰りたいです僕」

「そう言わずに。さぁ、こちらにどうぞ」


 自然な流れで女性店員が瑛太の肩に触れる。それは何気ないボディタッチだったが、瑛太にとってはどんな口説き文句よりも殺傷力が高い、トドメの行動だった。

 か細く、ひんやりとした女性の指先に、瑛太の頭が真っ白に吹き飛ぶ、まさにその時だ。


「……良い度胸じゃの」


 瑛太の耳に微かに何かがぷっつんと切れるような音が聞こえたと同時に放たれたのは、周囲の空気を震わせる、小さく唸るような低い声。その声に続くように、ぴんと張り詰めた空気が鋭い刃のように店員の心を切り裂いていく──

 その声の主は、ぐるる、と威嚇するように小さく喉を鳴らしているルゥだった。


「ひ……っ」


 フードの影から覗くルゥの美しくも凶暴な蒼い瞳に店員は小さく悲鳴を上げてしまった。


「小娘。黙って聴いておれば、よくもまぁいけしゃあしゃあと戯けた事をしてくれたもんじゃの」


 ルゥのドスの効いた声と、その恐ろしい表情に女性店員は息をするのも忘れその場に膝から崩れ落ちてしまった。

 ぺたりと女性店員がへたり込むと同時に、ルゥの銀の頭髪がぞわぞわと逆だっていく。口元は小さく笑みを浮かべてはいるものの、全く笑っていない瞳が妖しく光る。


「ちょ、ちょっ、ルゥ」

「そこをどけ瑛太。この生意気な小娘に『儂の所有物』に手を付けた事を後悔させてやらねばならぬ」

「……しょっ……しょ、所有物って何!? 誰の事!?」


 騒ぎを聞きつけ、次第にしんと静寂に包まれつつある店内に瑛太の声が響く。

 代理人としてルゥを助ける事はしぶしぶ承諾したものの、ケモミミ少女神の所有物に成り下がった記憶は無い瑛太は狼狽を漂わせるばかりだった。


「儂を舐めるとどうなるかその身体で知るが良い! 例え力が弱まっていようとも、世界を恐怖に陥れた魔王ベルザすら裸足で逃げ出した儂の魔術で消し炭にしてくれるわッ!」

「ままま、魔王!? ……ふぇっ!! いかーん!」


 指をぽきぽきと鳴らしながらとんでもない事を言い放ったルゥに「それだけはイカン」と慌てて瑛太はルゥの身体を羽交い締めにした。 


「ルゥ! ダメ! ブレイクっ!」

「離せぇぇぇっ! ゴラァァッ!!」

「ひぃっ! 離さねぇからっ!」


 びりびりと空気を震わしながら叫ぶルゥを咄嗟に抱きかかえた瑛太は、まるでメガトン級の時限爆弾を抱きかかえているかのような恐怖に苛まれながら一目散に出口へと走る。途中、漏れだしたルゥの魔力が辺りに火花をちらすが構っていられない。


「し、失礼しました~」


 ぎゃあぎゃあとわめき声を喚き散らし、魔術をぱしぱしと漏らし続けるルゥに次第に騒然としていく店内。その中に残された女性店員は、あっけにとられたまま、ギルドを出て行く瑛太とルゥの背中を精気が抜けた目でぼんやりと眺めていた。

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