第十話 異世界は商人に厳しい
一旦ホワイトムーンを後にし、荘園エルトンの中心を通る大通りに出た瑛太がまず感じたのは「空がとてつもなく高い」という事だった。空を遮る物が何もないグランドルーフの空はとても広く、ゆっくりと流れている雲と、森の木々が放つ葉擦れ音が乗った穏やかな風に瑛太は思わず大きく伸びをしてしまう。
「ふわぁぁぁ……気持ちいいのう」
だが、瑛太よりも何処かのびのびとしているのは、瑛太をサポートするために同行しているケモミミ少女神だった。あんぐりと大きなあくびを放ち、瑛太の隣で彼以上に大きくしなやかに身体を伸ばすルゥに瑛太はこの神様は狐じゃなくて猫の神様なのではないかと勘ぐってしまう。
「なんだか機嫌よさそうだね」
「うむ。こうやってヒトの姿で人里に降りるのは久しぶりだからの」
嬉しそうに飛び跳ねながらくるくると舞を披露するルゥに思わず瑛太にも笑みが溢れる。
「へぇ。久しぶりって、どの位?」
「そうじゃの、十年か五十年か……」
小さく指を折りはじめたルゥは、両手の指では収まらないほどの数を数える。
「ご、五十年って……僕以上のニートっぷりだな」
「ん? にーと? にーととは何じゃ?」
「ニートというのは人生の休憩を差す言葉で、自分を見つめなおす大切な時間なんです」
眉間に皺を寄せ、小難しげに語る瑛太。そんな瑛太をぽかんと見つめていたルゥだったが、ふと口元を抑えながらくすくすと笑い始めた。
「な、何?」
「ふふ、ニートとはただの『親のスネカジリ期間』であろ?」
「……なッ!!」
儂は知っておるぞ、と悪戯っぽい笑顔を見せるルゥ。
「なんで意味知ってんの? てか、ルゥってなんで僕の世界の事、詳しいわけ?」
パシリって言葉とか、小難しいことわざとか。ひょっとするとグランドルーフって僕の世界とかなり似ているとかなんじゃないだろうか。
「儂は博識な神様じゃからの。さもありなんなのじゃ」
「博識って、ルゥが? あのクッキーにメロメロな情けないルゥの顔みたら、博識高い神様は素足で逃げ出すと思うけど」
「……どういう意味じゃ」
「そのまんまの意味じゃ」
じとり、と睨みつけるルゥに挑戦的な笑みを浮かべ返す瑛太。そして僅かな間をはさみ、上機嫌なルゥの忍び笑いが辺りに静かに広がっていった。
「ああ、そうじゃ。ところで瑛太、話は変わるがあの部屋をいっときの住処として使わせてもらうようヘンリエッタに依頼する件なのじゃがな」
「あ」
すっかり忘れてしまっていた瑛太は表情をひきつらせてしまう。
そうだ、恩着せがましいけど宿代わりにあの部屋を使わせて貰えないかお願いしないと僕の命が危ないんだった。
「しまった……」
「やはり忘れておったか。まぁ、そうだろうと思って、儂がすでに伝えたのだがな」
瑛太の反応を予測していたのか、ルゥはふふんと小さく鼻で笑う。
「え、マジで?」
「うむ。これくらいの事しかできませんが、自由にお使いください、と言っておったぞ」
「おお、ありがたいスね」
「これで安心して『敵陣偵察』ができるのう、わすれんぼ瑛太よ」
「なんか引っかかる言い方だな」
気が回る儂に感謝するのだぞ、と鼻の穴をぷくりと膨らませ、意気揚々と歩き出すルゥに瑛太は湿った視線を投げかける。
ルゥと瑛太がエルトンをぶらついている理由は他でもなく、ライバル銀細工ギルド、バーバラ商会の偵察に向かう為だった。バーバラ商会がどの程度の規模のギルドなのか、どのような商品がどの程度の値段で売られているのかを調べ、その情報からホワイトムーンの経営を立て直す策を練ろうと瑛太は考えていた。
「ちなみに、気が回る商業神様はバーバラ商会の場所知ってるんスか?」
「判らんが、エルトンはそう大きな荘園でもないからの。グランドルーフ初心者お主の為にもこのまま散歩がてら探す感じで良いであろ」
「あ〜、この世界のルールとか全くわからないし、そうしてもらえると助かるかも」
ここの人達からすれば僕は完全な「外国人」と言える。僕達の世界ではなんでもない事がこの世界ではタブーになっている、なんてこともあるだろうし。
そうして瑛太とルゥは荘園エルトンを散策しながら、バーバラ商会を目指す事にした。大通りに軒を連ねるギルドはそう多くは無いものの、この地を訪れる請負人は重要な収入源となっているようで多種多様なギルドがあった。彼らの武器や防具を作る鍛冶ギルドをはじめ、衣服を仕立てる仕立屋や靴屋、染物屋に毛織物屋、酒場、パン屋などなど。荘園といえば、農業が主流だと思っていた瑛太はその多彩な店舗の種類に舌を巻いてしまった。
「ねぇ、ルゥ。この店って皆『商人ギルド』ってやつなんだよね?」
「そうじゃ。領主より許可を得て貨幣地代を上納する代わりにここで商売をしておる」
「領主に支払う貨幣地代ってやっぱりお金なの?」
「色々あるようじゃの。農奴であれば、実務による賦役労働か決められた農作物の上納、商人であれば現金による上納じゃ」
ただ、価値が変動する現金での上納は賦役労働や農作物よりも高くなるとルゥは言う。
「へぇ。なんだかんだ言って、結構商人に厳しい世界なんだね」
「経済危機が深刻化して、硬貨の価値が落ちておるために現金で貨幣地代を納める商人への風当たりは強くなっていると聞く。この世界というより時代が逆風になっているのかもしれんの」
「成る程ね」
気象の影響で大凶作になってるってわけじゃないから、農奴の人達はそれほど痛手は無いけど現金を収めている商人達はそのあおりを一番に受けているというわけか。
「どこの商人ギルドも苦しい……ね」
確かにルゥが言うとおり、商人ギルドであれば確実に不況の影響は受けているはず。でも、不況の影響を受けてるのって商人だけだろうか?
その商人達と利害関係にある人達もひょっとしたら──
「……うん、そこが原因なのかもしれないな」
「ん?」
顎に手を添え、うむう、と唸る瑛太に浮かんだひとつの予想。それはホワイトムーンから客足が遠のいてしまった原因のひとつになりうる予想だった。
「どういうことじゃ?」
「つまり、不況の影響は商人以外にも広がっていると思うんだよね。例えば……教会とか」
「ふむ?」
それで、と興味深げに瑛太の説明を促すルゥ。
「商人が不況にあえいでいるんだったら、彼らが貨幣地代を収めている教会も少なからず影響がでているはずだよね。ホワイトムーンみたいに、上納が遅れたり、足りなかったり」
そして、教会も少なからず不況の影響を受けているんだったら、ほいほいとお金を出して請負人に魔獣討伐依頼を出せなくなってしまうはず。
「確かにそうかもしれんが、それがどう関係するのじゃ?」
「つまり、ホワイトムーンに来るお客が居なくなったのって、不況の煽りを受けて教会からの依頼が減ってしまった請負人達がシルバーアクセサリーの『買い渋り』をしてるからじゃないかな」
「ほう、買い渋りか。成る程」
バーバラ商会に流れたんじゃなくて、不況の影響で依頼が少なくなって、収入が減ってしまった為にシルバーアクセサリーを購入する請負人の総数が減っているんじゃないか。駆け出しの請負人なら、シルバーアクセサリーの重要性が判ってない可能性があるし。
「ルゥ、早くバーバラ商会に行こう!」
「な、なんじゃ急に」
「バーバラ商会に行けば、色々と判る気がする」
昔、総一朗が言った「問題を解決できる戦略は目の前に出された情報の中に隠れている」という言葉を瑛太は思い出した。敵を知れば自ずと道は開けるって正にその通りだ。
「ふむ。良く判らんが、お主がやる気になってくれたのは嬉しいの」
にやにやと笑みを浮かべるルゥに瑛太はどこか気まずそうな表情を浮かべる。
「べ、別にやる気が出たわけじゃないけど」
「ふふふ、そうじゃな」
恥じらいを隠すように歩速を早める瑛太を追いかけるように、失言じゃった、と口ずさみながらも嬉しそうにルゥが小走りで駆け寄った。次第に店舗の数も少なくなり、次第に荘園の入り口である木組みの門が瑛太達の視界に映る。そして、他のギルドと比べても一際大きく目立つ銀細工ギルド、バーバラ商会が二人の前に現れたのはすぐだった。




