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第一話 もふもふに誘われて

冒頭部分を修正しました(2015/7/28)

 かつて、混沌に満ちた世界救うべく、八百万の神によって招かれたひとりの男がいた。

 その男は、腕力でも金でもなく「頭脳」をもって危機に貧していた世界を救い、その所業は、世界の長きに渡る繁栄の礎を築いた。

 男が世界に蘇らせたものは、今を生きる安らぎと笑顔。そして明日への希望と喜び。

 だが、男の頭にはひとつ気懸かりなことが残っていた。


「このまま帰っていいのか? いつかまた同じ危機が訪れはしないか?」


 役目を終えた時、男は神にそう問うた。

 世界に再び危機が訪れたとしても、自分はこの世界にはいない。

 それどころか、この世にいないかもしれない。男にはそのことが気懸かりだった。


「その可能性はゼロでは無いな。故に、最後にお前に頼みたいことがあるのだ。後継者を育てて欲しい」

「後継者?」

「お前の知略を継ぐ後継者だ」


 神は微笑みながらそう返す。

 たとえ自分の命が潰えようとも、知識が後世に残れば、再び世界を救うことができる。

 しかし、そう思いながらも男の表情は暗かった。


「……どうした? 他に何か気になることが?」

「いや……単純に自信がないだけだ。人を育てるほど難しい物は無いからな」

 人付き合いが苦手だった男は「世界を救うほうがいくらかマシだと」肩をすくめる。

「ハハ、確かに。お前には試練かもな」


 そして神は男を見据えたまま声高に笑い、こう締めくくった。


「与えようとしても人は育たぬ。自ら気付き、求めねば人とは成長せぬものだ。『求めよ、さらば与えられん』とはお前の世界の神が残した言葉だろう? なんとも的を得た話ではないか」


***


 物事はそんな単純じゃ無いとおもうけどなぁ。

 それが父、総一朗(五五歳)の言葉を聞いた瑛太えいたの感想だった。


「良いか、瑛太。重要なのは『マーケティング』だ」

「彼女作る事とマーケティングがどう関係あるんだよ」

「商売にしろ人付き合いにしろ、人を動かすのは心だからだ」


 まだ空気が透き通ったままの朝、そよそよと流れこむ心地良い春の風が遮光性の低いレースのカーテンを揺らしているダイニングに、瑛太達「比留間家」の面々があった。

 しわひとつ無いワイシャツに短く刈り込まれた髪型の父、比留間総一朗とは対照的に、手入れされていないボサボサの髪に冴えないシャツを着ている息子、比留間瑛太。

 佇まいが異なる二人だったが彼らが親子だとひと目で判る程顔の作りはそっくりだった。


「良いか瑛太」

「いや、良くないから」


 テーブル越しにそう続ける総一朗に、瑛太は口をへの字に結んでしまう。

 総一朗は口を開けばマーケティングという言葉が出てくる根っからの企業コンサルタントだった。総一朗の言うマーケティングとは市場調査や市場分析を指す言葉ではなく、どちらかというとより実践的な「戦略コンサルティング」や「広告戦略」という意味に近い。


「あぁ、もう、知らないよそんなの。父さんには言いたくないけどさ、フられたのは僕がぱっとしない男だからだよ」

「ぱっとしないお前だからこそ、成功する為にはマーケティングが必要なのだ」 


 ああ言えばこういう。振り出しにもどる。まさにそんな感じのやりとりに瑛太は辟易とした。朝日が差し込むダイニングで交わされる、いつもと変わらない息子と父の会話。瑛太が口を開けば、父はマーケティングが、と返す。


「……あーはいはい、そうだよね」


 瑛太はいつも通り、父の言葉を聞いて流すことにした。いちいち相手にしていたら時間がいくらあっても足りない。こういう時は聞き流すに限る。


「そうだ。マーケティングというのはとても大切なもので」

「お父さん、それくらいにしてください」


 これまでふたりのやりとりを傍らで静かに聞いていた女性がぽつりと釘を刺した。

 クリーム色のVネックコットンシャツがそのおっとりとした雰囲気とマッチしている優しげな空気の黒髪長髪の女性、総一朗の娘であり、瑛太の姉であるあかねだ。

 茜は、物静かでありながら言うべき事は言う総一朗と、何かと父と衝突してしまう瑛太の仲裁役としていつも立ちまわる、言わば比留間家のまとめ役だった。


「瑛太も。ほら、今日は面接の日でしょ? そんな大事な日に言い争いをしない」

「し、してないったら」


 まるで母親の様に茜が瑛太を優しく諭す。ほかほかと美味しそうな湯気が立ち昇るご飯を上品に口に運びながら静かに言い放つ茜に思わず瑛太はしゅんとなってしまった。

 なんだこれは。今日はやっとの事でこぎつけた(主に僕の堕落精神のせいだけど)大事な就職面接の日なのに、なんで朝からこんなブルーな気分にならなきゃいけないんだ。

 というか、父さんはなんで僕がフられた事を知ってるんだ。


「瑛太、お前は母さんに似て虚弱体質で身体も細い。頭で戦わねば社会で生きていく事は難しいぞ」

「わかってるよ、そのくらい」


 ため息を漏らしながら瑛太がそう返す。

 その虚弱体質のせいで高校ではイジメられて今は茜姉さんに迷惑をかけてしまってるんだ。父さんに言われなくてもその事は僕が一番よく判っている。


「いいか瑛太、恋愛に活用できるマーケティング手法はいくつでもある。例えば女性との関係を醸成する上で役に立つのが『リレーションシップマネジメント』だ」

「……リレーション……何だって?」

「リレーションシップマネジメントだ。己をアピールをしつつ付かず離れずの関係を築き、相手の中に常に自分という存在を植え付けさせる事で、他人が入り込む事ができない良好な関係を作るマーケティング手法だ」


 父の説明に瑛太は眉根を寄せながら首をかしげる。


「そうだな、例えばお目当ての女性が毎年母親の誕生日にディナーを計画する女性だったとしよう。そうした場合、どうすれば良いか判るか?」

「解かんね」


 てか、どうでもいい。ゲンナリとした表情で総一朗を見つめる瑛太。


「いいか、その誕生日の少し前に母親を喜ばす為のサプライズアイデアを幾つかその女性にメールで送るんだ。どこどこのレストランが美味しいだの、こういったプレゼントが人気だのといった具合だ。そうすることで女性にとってお前はただの友人から特別な相談相手になり、やがては──」


「お父さん」


 と、口調に熱がこもり始めた総一朗を茜の声が遮った。無言で総一朗を見つめる茜の目が「それくらいに」と語っている。


「少し難しかったか」

「いや、普通に引いてるだけだよ。いい年になって女性を落とす秘策を熱く語る父さんに」

「瑛太」


 お父さんに失礼なことを言わないで、と茜が変わらない優しい口調で瑛太に零した。

 茜はいつもどちら側の方を持つこと無く、中立な立場で事の仲裁に当たる事が常だった。


「……ごちそうさま」

「なんだ瑛太。まだ話は終わってないぞ」

「もういいよ。わけわかんないし」


 引き止める総一朗を一瞥し、瑛太はそのままダイニングを出て行く。

 父さんと会話をするたびに憂鬱になる。僕は父さんが大嫌いだからだ。父さんが言う「マーケティング」も。

 だって、父さんの仕事のせいで僕たちはないがしろにされ──母さんは病気で死んでしまったんだから。


***


 優しく大らかで美しかった母が病気で他界したのは、瑛太が高校に入学した頃だった。

 家庭を顧みず、仕事に邁進する総一朗は家族旅行に行くこともなければ、誕生日やクリスマスを一緒に過ごす事もなかったし、学校の行事に顔を出すこともなかった。

 いつも瑛太や茜の側に寄り添い、比留間家を支えたのは総一朗ではなく、母だった。

 生前、母の総一朗に対する愚痴のひとつでも耳にしていれば瑛太は逆にここまで総一朗の事を嫌いにはならなかったかもしれない。大義名分を掲げ、自分の中に渦巻く怒りと哀しみを全て総一朗に吐き出す事が出来たからだ。

 だが、母は最後の最後まで酷い仕打ちをしてきた父に対する愚痴を零すことはなく、ただ「父さんを責めないで」と語るだけだった。


「瑛太、もう十時だけど?」

「えっ、マジで?」


 比留間家の二階にあるウォークインクローゼットの中、姿見の前に立つ瑛太の耳を優しい茜の声が撫でていった。先ほどまでだらしないシャツを着ていた瑛太は、ぱりっとしたリクルートスーツに衣替えしている。これから決戦の場である就職面接に挑むためだ。


「面接って十二時からだったでしょ? 確か」

「うん。自転車で駅まで行って快速に乗れば間に合うと思う……けど、ああもう、ネクタイってメンドイな!」

「もう」


 すでにネクタイに十分近く苦戦している無様な瑛太を見た茜は、洗濯物を中断し、無言で瑛太の背後に回った。


「大事な面接だからってあんまり気負わないようにね。瑛太はまだ若いし、チャレンジできるんだから」


 姿見越しに微笑みかける茜。その姿に他界した母の姿を重ねてしまった瑛太は小恥ずかしそうに俯いた。

 大学卒業後、就職活動に失敗した瑛太は、天賦の才能とも言える超堕落的精神の望むまま、大嫌いな父のスネをかじるという矛盾を抱えつつも、一年もの間どっぷりとニート生活を満喫していた。

 何をするでもなく、だらだらと過ごしてきた一年間だったが、ここにきて就職活動を再開したのは、瑛太の中にこれ以上茜に迷惑をかけたくないという想いがあったからだ。


「わかってるよ。気張らずに、だろ? 行ってくるよ」

「はい。いってらっしゃい」


 優しい笑顔を零す茜に、まるで母に応援されている様な気がした瑛太は鼻歌まじりに階段を駆け下りた。リズミカルな足音を引き連れながら軽い足取りで瑛太が一階にたどり着いたその時だった。

 浮つく瑛太の視線は階段のすぐ前にある障子張りの柔らかい日差しが差し込んでいる畳間でぴたりと止まった。

 二十年間過ごしてきた我が家に、瑛太が「違和感」を感じたのは初めてだった。

 畳間の一角、丁度母が眠る仏壇の前、ほんの少し畳が持ち上がっている事に瑛太は直ぐに気がついた。そこから覗きこんでいる、白い何かにも。

 ふわふわとしたその「何か」に思わずぎょっと身をすくめる瑛太。そしてその瞬間、瑛太の視線から逃れるように浮き上がっていた畳は音もなくそっと閉じられた。


「な、なんだ?」


 ぞわぞわと毛が逆立ち、不気味な沈黙が畳間を包み込んだ。壁一枚向こうで電話で話している父の会話がうっすらと瑛太の鼓膜を揺らしている。


「ゆ、幽霊……いや、まさか」


 この家に二十年間住んでいるけど、幽霊とかそういったたぐいの物が出てきたことはない。というか鈍感な僕に霊感があるはず無い。

 気のせい気のせいと暗示とも取れる言葉を繰り返し、無理やり作った安堵の表情を浮かべながら瑛太が畳部屋の前を通りすぎようとした。その時だ。

 またしても、恐る恐ると表現して良いほどにゆっくりと浮き上がる畳。そしてそこからこちらをちらちらと覗いているのは、ふわふわの白毛を携えた一匹の動物だった。


「ぬうぇっ!?」


 その姿に思わず瑛太はすっとんきょうな声を上げてしまった。今度の今度は目の錯覚では無かった。確かに畳の下に見えた白いなにか──


「……わっ」


 瑛太の情けない声と同時に、畳間に広がったのは鳴き声とも悲鳴とも取れるかすれるような声だった。そして、その白いなにかは小さな悲鳴と共にひょいと畳の下へと姿をくらましてしまう。


「たたた、畳の下に何かいる!?」


 思わず隣のリビングに居る父に声をかけようとした瑛太だったが、引きつる喉を抑えこみ、その行動をなんとか思いとどめた。

 我が家にペットは居ない。父さんも茜姉さんも動物が苦手だからだ。そんな二人に今見た事を話したら、就職面接に行くどころの騒ぎじゃなくなってしまう。


「今のは犬? どっかの飼い犬が迷いこんできたのか?」


 下手に驚かして家の中を走り回られたらそれこそ収集がつかない騒ぎになってしまう。

 なんとか驚かさずに捕まえて家の外に連れて行こうとおそるおそる足を踏み出す瑛太。

 そして、音をたてないように抜き足差し足、先ほど浮き上がっていた畳の側まで近づき、みりみりと畳を持ち上げた瞬間だった。


「うわっ!」


 突然、ばん、と空気を破裂させたような衝撃が瑛太を襲う。

 その衝撃が、自分の持つ畳がひっくり返ったのだと判ったのは、僅かな時間を置いてからだった。突然の出来事で思わずバランスを崩してしまうと同時に、ひっくり返った畳の下にそこにあるはずがない、巨大な穴が瑛太の瞳に映った。


 あ、落ちる──


 ぞくりと不気味な悪寒が瑛太の背を伝う。ひっくり返った畳を掴む手を直ぐに離せばよかったものの、咄嗟の事に畳の端を掴んだままつんのめる形になってしまった瑛太は、なんとかふんばろうと片手をぱたぱたと羽ばたかせるが、その努力むなしく、母が眠る仏壇の前で、ぽっかりとひらいた畳の下へ吸い込まれるように瑛太は落下していった。

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