【短編】 獣人の求婚
「リーシャちゃん……、嫌いにならないで。……ごめんなさい」
私には弟がいる。柴犬の獣人ライルだ。彼は私と六ばかり歳が離れている。もうお姉ちゃんになったんだから、ちゃんと面倒見るのよと言われていた。義理の娘である私をわけ隔てなく育ててくれた両親の息子は、かわいかった。
そんなライルが、私の寝所に忍び込んできた。ぐすっぐすっと鼻をすすっており、涙で袖がびっしょり濡れている。寝間着の裾を不自然に握っていた。気になって彼を中心にぐるっと一周してみると、お尻が濡れていた。くるんと丸まった尾が、反省したかのようにのびて下を向いている。いつも立っている耳は怯えるかのように伏せられていた。
「ああ……」
ライルがこんなに泣いている理由が分かったので思わずそう言うと、彼はビクッと震えた。ごめんなさいごめんなさいと呟き続け、身体を小さくして頭を隠してしまう。
「ライル、服着替えよう。シーツも洗わなきゃね」
「リーシャちゃん、怒らない?」
「ううん。ぎゅってしてあげる」
抱きしめると、ようやくライルは身体から力を抜いた。
「一人は寂しかった?」
腕の中の彼がコクリと頭を動かす。そんな彼の背中を撫でて、服も下着も変えさせた。怒られないか様子見するライルを私のベッドに連れて行く。
「リーシャちゃん、だめ。また、おねしょしちゃったらだめ」
「お姉ちゃんと一緒なら大丈夫。おまじないかけてあげるね」
彼の額にキスをした。これは私がライルのような歳だった頃にパパとママがしてくれたおまじない。彼は目を伏せて、シッポをせわしなく動かした。掛け布団をライルのために開けて、彼を招く。
「おいで。お姉ちゃんとなら、寂しくないよ」
「うん!」
私の腕の中、頬を緩ませたライルがすりすりと胸にすり寄ってくる。甘えん坊さんだなぁ。背中をトントンとしてやると、幸せそうに笑って、私を見上げた。私が微笑み返すと安心したのか、彼は私の服を握りしめたまま寝息をたてた。
その日、ライルはよく眠れたらしい。だからか、翌日もライルが枕持参で私の部屋に来た。
「リーシャちゃん、一緒に寝ちゃダメ?」
「でもそうしたら、ライルが将来困るよ? 今から一人で寝る練習しなきゃ」
「ヤダ! リーシャちゃんと一緒がいい!」
ライルが抱きついてきたので、つい反射的に頭を撫でる。幼い頃から、私の後ろを雛鳥のようについてくるライルが可愛くて仕方ない。
「しょうがないなぁ」
「一緒に寝てくれるの!?」
私は自室のベッドから、うさぎのぬいぐるみを持ってきた。
「このうさぎのぬいぐるみ、私の大切なものなんだ。私がライルみたいに一人で寝るようになった時にもらったの。だからこれあげるね。ライルもこれで寂しくないよ」
私が寂しくなるけれど、もうお姉ちゃんだから大丈夫。ライルはうさぎのぬいぐるみを抱きしめて、スンスンと鼻を動かした。
「リーシャちゃんの匂いがする。いい匂い……」
ライルは大事に抱えて、うさぎのぬいぐるみとベッドに入る。今日はリーシャちゃんが一緒ではないけれど、匂いが傍にあるので大丈夫だと彼は思った。おまじないは今も続いている。ぬいぐるみの匂いを吸い込んでいると、胸がぎゅっとなって、思わずぬいぐるみの片耳を噛む。何か満たされるものがあった。
ライルはよく甘噛みをしてくるようになった。私に甘えているのだ。それほどまでに私に懐いてくれるなんて嬉しいばかりだ。最近は手、耳、首と様々な場所を甘噛みされる。歯型がついてしまうが、ライルの甘えだと思えば可愛いものだ。もしかすると、ライルは歯が生え変わる時期で痒いのかもしれない。早速、噛むと味のする固めのおやつをあげてみた。ライルは複雑そうな顔をして、かじっている。そんなに歯の生え変わりが気持ち悪かったのか。気がつかないなんて、お姉ちゃん失格だ。
ライルは年々たくましくなっていった。今ではどちらが年上か分からないほどだ。細かった身体は、私をしっかり抱きしめて離さないくらい筋肉がついていた。そんなライルが今日も甘噛みをする。手をやんわり甘く噛んで、耳たぶは口に含んで優しく噛む。耳たぶだけ、いつも念入りに噛まれる。こんなに密着して甘噛みされると心臓に悪い。
「あらあら。ライル、貴方も立派に育ったのね。母さん、あなたのこと応援してるわ」
「ありがと」
「お母さん、何の話してるの!?」
母はなぜか企むような顔をして、自身の耳飾りをなぞった。そこには、お父さんと同じ眼の色をした宝石が輝いている。夫婦でつける耳飾りがどうしたというのだろうか。私には意味が分からなかった。母は仕方のない子ね、とクスリと笑った。
「リーシャは獣人のことをもっと知っておくべきよ。これからもライルといたいなら」
あれからもライルは甘噛みをしてくる。柴犬の獣人である母が言った言葉だ。何らかの意味があるはずだが、分からない。私には甘えてきているとしか思えないのだ。
「リーシャ、俺を毎日ブラッシングしてくれないか」
名前はいつの間にか呼び捨てになっていた。あんなにかわいかったのに、一気に男になってしまって、なんだかつまらない。けれど可愛い弟のために、ブラッシング用のブラシを手にとる。
「いつもやってるじゃない。ほら、横になって」
しかし、横になるどころか、ライルのしっぽがたれ下がってしまった。最近、ライルの様子がおかしい。彼は呆れたように深く息をはいて、自分の前に座れと指を指した。何やら大事な話があるらしい。私は彼の向かいにあるソファーに座る。
「リーシャ、今から大事な話をする。よく聞いてくれ」
「うん、悩みなら聞くからお姉ちゃんに話してごらん」
また彼がため息をついた。よっぽど深刻な悩みのようだ。
「リーシャ……あのな、獣人の甘噛みは意味があるんだ。獣人にとっては好意を意味する。噛むことで、好きだと伝えるものだ。年頃になれば、相手を自分のものにしたいという意味もある」
「そんなことしなくても、私はずっとライルのお姉ちゃんだよ?」
ライルの眉間にしわが増えた。黙って話を聞こう。自分の口を手でふさいだ。
「……話を続ける。耳飾りは結婚した男女がつけるのが風習だろう。相手の瞳の色を耳に飾り、ずっと一緒だと示すものだ。だから獣人は、自分との耳飾りを飾ってほしいと求婚する際に噛むんだ」
すごく重要な話を聞いた気がする。いきなりいろいろ聞いて、頭がパンクしそうだ。
「よく聞け。俺はリーシャに求婚しているんだ。それをお前は勘違いして、噛む用のおもちゃをくれたが……」
それはまずいことをした。でも、ずっと前から耳を甘噛みされていた気がする。つまり、そんなに前から私のことを好きだったのだろうか。自覚すると、なんだかむず痒くなる。
「リーシャ、俺は今からお前に求婚するからな」
「や、あの、そのっ……」
思わず後退るが、ソファーであるため逃げ場はない。ライルが私を囲うように追いつめた。
「これまで俺が求婚しても平気な顔してたんだ。問題ないよな?」
「あるっ! 私とライルは姉弟!」
「義理の、だろう? ここまで惚れさせておきながら、求婚させてくれないのか。酷い女だ」
柴犬は人懐っこいはずなのに、柴犬の獣人であるライルは獲物を追い詰めるような目をして、自嘲するように目をふせた。
「リーシャは姉じゃない。俺にとっては、守りたい女だ。幼い頃、抱きしめられながら一緒に寝たことがあっただろう? あの時、大きくなったら今度は俺が抱きしめたいと思った」
彼が耳元で切々と話す。左耳に吐息が触れてくすぐったい。普段から触れあっているのに、今日は逃げ出したくてたまらなかった。
「好きだ。一緒になってほしい」
耳たぶを甘噛みされる。求婚されているのを、耳の感覚と聴覚で感じた。真摯な言葉が身体にしみこんでくる。
「リーシャの耳に、俺と同じ深緑の宝石を飾ってほしい」
彼の牙が再び、耳たぶに触れた。自分の耳に彼の色を飾る未来を想像してしまった。そして、私の碧色が彼の耳に飾られる未来も。
だから私は彼の肩に手を添えて、彼の耳を甘噛みした。彼の毛が毛羽立つ。そっと耳から口をはなして、彼を覗き込む。
「返事のつもりなんだけど、これであってる?」
「あってる……」
彼がかみしめるように私を抱きしめた。そして、感極まったように首に甘噛みしてくる。
「もう、ちゃんと伝わったから」
「好きだよ、リーシャ」
数日後、二人の耳に揃いの耳飾りが飾られる。