5.私の鼓動はファンファーレ
小学校、中学校のころに比べるとかなり質素に終わった入学式。
会場を後にした新入生たちは教室に戻るとその場で放課となる。
「おっす、うみ、入学式どうだったよ?」
保健室にいたはずの柴田絢佳は他の新入生たちと同じタイミングでのこのこと教室に戻ってきていた。
辛そうな表情は微塵も見せていない。
「んー、暇だった」
柴田に『うみ』と呼ばれた少女、和島海はそう答えると髪の毛を掻きながら机に座り、着信音が鳴るスマートフォンを取り出し画面をタップする。
「あ、もしもし? うん、うんわかった」
和島は適当に電話に応え、勝手に電話を切った。
スマートフォンを鞄に投げ入れ、その鞄を肩に担げ上げる。
「かえろー」
和島の言葉に仮病女の柴田は立ち上がると和島同様に鞄を担ぎ上げる。
保健室に一人取り残されていた美山春も帰る準備をしようと大分痛みの和らいできた腹部を押さえながらゆっくりと起き上がる。
ベッドから腰を上げるとその沈みが元に戻る。
「せ、せんせー…」
か細い声で穴戸を呼ぶ春だったが、入学式の片付けをしており、穴戸は保健室にはいなかった。
(先生…どこ行ったんだろ…)
ふと机に目をやると、そこには自分の名前の書かれた診断書のようなものが置いてあった。
体温計等が無造作に散らかる中で、それが目に入った彼女はおそるおそるその紙を目に近づけて凝視する。
「…ストレス性胃痛炎…」
書かれていた内容を小声で読み上げた彼女だったが、イマイチピンとこない病名が腑に落ちないまま保健室を去った。
さすがに入学式が終ってから10分以上経っており、もう南の方から陽光が差し始めている教室には誰もいないだろうと思っていた春。
ところが、一つの人影が見えた。
「…!」
人影を視界に捉えた瞬間に俯いてしまう春。もう彼女にとってこの行動は反射のようなものになっていた。
ところが、目の前の人物はそんな春の様子を見ても嫌な顔一つしない。
「美山さん、もう大丈夫?」
成島葵はそう言って春に一言話し掛けると、彼女の返答を待たずして去っていこうとする。
(今日、いっぱい迷惑かけていっぱいお世話になったのに…何もお礼も言えてない…)
心臓の音がやけに聞こえた。
緊張する自分を鼓舞するファンファーレのように一定のリズムでなり続ける。
「あ、あの…!」
教室から足一歩だけ出して廊下を歩く成島を呼び止めた。半身だけ振り返る成島。
彼が何か言おうとする前に春は思い切ってその薄い口を開いた。
「きょ、今日は…色々とご迷惑をおかけしました…。でも色々な局面で助けてくれて凄くうれしかったです…ありがとうございました…」
半身だけこちらに向けた爽やかさのある少年は、その大きな目を薄くして口を広げた。
勇気を振り絞って声を出したせいか、足が小刻みに震えていた。
口が渇く。先ほど自分を鼓舞していた心臓の音は自分の死期を早めようと企む悪魔の如く速い脈を打つ。
寿命を削る勢いの春とは裏腹に、成島は慣れた素振りで右手を高く上げこちらに向かって振ってくる。
そのまま廊下を曲がり、見たこともない背の高い女性と彼が歩いていくのを、春は名ばかりの名画を眺めるかのごとく、無心でその光景を見ることしかできなかった。