2.青い春と紅い顔
春風が窓から廊下に突き抜けていく。なびく長い髪が少女の紅くなった顔を覆う。
暖かい風が彼女の顔に纏った熱を逃がすことも無意味となっていた。
(…う、嘘…)
高鳴る心臓の音を一つ一つ噛み締めるように聴きながらこの状況が夢ではないかと疑う。
(…同じクラスでしかも隣…あっ…あのときのお礼言わないと…)
挙動不審ともいえるほどに身体を小刻みに震わせ、薄い唇を開く。
「あ、あの…」
「おーい!!」
成島葵。春がたった今話しかけようとしたその目の前の男に寄って集ってくる多くの男。
「あーおーいー。いきなり隣の女の子ナンパしようとするのやめろよー!」
冗談めかして彼に近づく男は笑窪をその顔に溜め込んで成島の肩に擦り寄ってくる。
「え?」
その声を伴って一瞬だけ春の方向を向いた成島ではあったが、すぐに声の主であるクラスメイトの男、新庄隆典の方に興味も身体も向く。
「なんだよ、ナンパなわけないだろ!」
自分以上に顔を紅くして新庄の言葉を否定する成島を見て、春は俯く頭を更に下に落として机に座りなおす。
横目に彼女を淋しそうに見る隣の男に気付かないまま。
「おーし。出席取るぞーい」
立て付けの悪い、教室の黒板側の扉を強引に開け、扉を壁に当て音を立てる。
「俺の名前は今市善和じゃーい。 担任じゃから覚えとけよ」
くすみ一つない白い歯を見せて口角をちょっと上げると、出席簿と書かれた黒い冊子を教卓の上に叩きつける。
今市という若い教師は教卓に叩き付けた先ほどの黒い冊子を開き、一番上にある名前から読み上げた。
「はい、阿倍ー!」
「うぃー!」
「はい、市野ー!」
「はーい」
「はい、梅沢ー!」
次々に生徒の名を呼ぶ今市とそれに応える生徒たち。
何ともないホームルームの時間でこそあるが、人間と対面すると赤面するという特徴を持つ美山春にとっては地獄のひと時だった。
人と話すことはおろか、名前を呼ばれることすらも慣れていない彼女は、緊張して言葉が出なくなるのだ。
今市の動く唇を凝視しながら自分の名前が呼ばれるのを強張った表情のまま待っていた。
(ど、どんな返事の仕方がいいのかな…)
「はい、美山ー!」
「は…はい」
「ん、声が小さいぞ美山ー。腹でも痛いのか? ハハハハ」
無神経な笑い声に教室中の空気がずっしり重たくなる。
(う…うわあ…やっちゃった…)
周りからの冷たい視線を一心に浴びながら、春は下腹部を突かれたかのような痛みに襲われ、机に突っ伏す。
頭の中を、今市の鼻につく笑い声が駆け巡って離れずにいた。