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1.狂える春の青い詩曲

「あっ…ごめんなさいっ…」

人ごみに紛れて革製の新品の鞄の中に入れようとしてた入学案内の紙を落としてしまった。

混雑する有象無象は少女の小さな声に見向きもせず歩いていく。 その新品の艶めく革靴が落とした紙を土色に染めた。

小さな身体を屈めて汚れた紙を拾おうとする彼女を一瞥する人はいても助けを差し伸べる手は現れない。

挙句の果てには押し揉まれた人ごみの一部が彼女の丸まった背中につまずく。

バランスを崩して右手を地面につける少女。

「ああっ…」

か細い声が空気を伝うも、他の耳には入らない。

桜の花びらが手に舞い降りてくるのも気に留めず、ひたすらにばら撒いてしまった紙を拾い集める。

皺が多くつき、字も曲がってしまったその紙を見る目にいいようのない悲しさが宿り、長い前髪に隠れた細く形の整った眉を下げる。

少女の瞳に漂う哀愁。彼女は一人で立ち上がると、萎れた紙を少し黒くなった両手で抱きかかえて再び歩き出した。


――この一連の動作を見ていた、知っていたのは彼女ともう一人の男だけであった。


「大丈夫?」

歩き出して二歩目。そんな彼女の目よりも少し高いところから声が聞こえる。

差し出された右手と声の主の顔に交互に視線をやる少女。

「紙余分に取っちゃってさ。一枚あげるよ」

声の主の男はそう言って彼女の持ってる皺くちゃの土色に染まる紙と皺一つない真っ白の紙を取り替えた。

はにかんだ時に見える白い歯に、少女の顔は赤く染まり、目を土の方に向けたまま動かなくなってしまった。

「じゃっ」

汚れた紙と綺麗な紙を一枚ずつ持つ男。正確に言うなれば、15歳の少女と同い年の少年は地面に置かれたエナメルバックを肩に担いで、右掌と顔と背中だけ少女に向けて早足で去っていった。

自分よりも顔一つ分くらい背の高い男の小さな顔を見上げ彼女は呆然と立ち尽くしていた。

「…あ、あの…」

ありがとう。たったのこの一言ですら言えなかった。

彼の小さくなっていく大きな背中を見つめながら、彼女は再び俯いて、交換してもらった綺麗な紙と言いようのない焦燥感を抱えて再び歩き出した。


白く外装された校舎。色鮮やかに装飾された玄関を抜けると、Ⅱのマークを施した学年証を胸ポケットにつけた先輩と思しき人がⅠのマークを施した新入生である少女の胸ポケットに花をつける。

「…ありがとう…ございます」

俯きながら聞こえない声を発して足早に玄関へと歩いていく。


磨かれた白い廊下に自分の歪んだ姿が映る。木目調の温かさのある教室に入ってもなお、誰とも話すことなく席に座る少女は大事そうに抱えていた入学案内の紙を机に置く。

右から数えて二番目の席にて周りを見渡す。知らない顔ばかりが広がっていた。

(あの人…誰だったんだろ…)

ふとあのときの少年の顔を思い出す。白い歯に、丸刈りから伸ばしたような細くて短い髪に、好印象を与える明るい笑顔。

白い肌を紅く染めて俯き、髪の毛で顔を隠す。後に鞄に顔をうずめ、眠ったかのように息を潜める少女。


「あれ? さっきの…大丈夫だった?」

聞き覚えのある声がしたのでさっと顔を上げて声の主の方を見る。

「俺、成島葵。よろしくね。えっと…君は…」

見覚えのある笑顔に顔を更に紅潮させて彼女は口を開こうとする。だが、声が出ない。

「み、美山…美山です…」

「美山さんかぁ 隣だね。よろしく」

数奇な運命とはあるものだと彼を見て初めて少女は悟った。

美山春15歳。彼女の鼓動はこれまでの人生で一番速い脈を打っている。

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