8.親子
「パパの話をしたら、なんだかパパに会いたくなっちゃった」
この言葉でボスをサラの家に招くことが決定した。仕事が忙しいのではないかと思ったが、サラ曰く、もっとも重要視する事項はサラのようで、どんな大仕事があってもサラの下へ来るらしい。なんというか、大した親バカの鏡だな。よくファミリーの反感を買わなかったものだ。
そういえば、ボスに会うのも久しぶりだな。元気でやっているといいが。人を笑顔にしているとはいえ、金貸しのボスだ。町でも評判はよくなかったな。さらに、ヴェル討伐に参加していないとなると、ますます日当たりは悪いのではないだろうか。まぁ、そんなことに負けるボスではないということは俺もよく知っているがな。だから、それほど心配はしていないのだが、当事者側としては頭が上がることはないな。
「そういえば、私はまだサラのお父さんに会ったことはないのよね」
ふと気が付いたようにそう言うアオイ。そういえば、ボスとのプライベートの付き合いはなかったから、一度も家などには招いたことはなかったな。ボスと初対面か。初めは有り余るオーラに驚くことだろう。だが、話を進めていくうちに「なんだこのおっさん」となることだろう。それがボスであり、ボスの魅力でもある。
「パパは本当に素敵なんだ。優しくてかっこよくて。だから、お姉ちゃんもパパのことが好きになるよ」
「それは楽しみね。サラのお墨付きだなんて、どんな保証よりも信用できるわ」
「私は、どんなことがあってもパパを愛し続けるの。パパは私の最後の家族で、とても大好きだから。失いたくないものは自分から歩み寄らなきゃいけないって、私はそう思うんだよね」
「そうね。サラはお父さんのお姫様ね。お姫様側としてはナイトがいるといないとでは大きな違いだと思うわ。それは、私も常に感じているもの」
ボスとサラには家族としての大きな絆がある。そこにひとつの世界が存在していて、そこはサラの家族以外、だれも踏み入れてはならない聖域だ。これは、とても素晴らしいもので、サラの家族以外のだれもがその関係を馬鹿にすることはできない。
つまり、だれにも侵されない天国のような場所だと俺は思う。これ以上の平和がどこにあるというのだろうか。少なくとも、禁術を用いて強くなるとか世界を終わらせるとか、そういう物騒な類じゃないことだけは確かだな。
そうなると、俺とアオイはどういう絆から成り立っているのだろうか。俺とアオイは家族というわけではない。どちらも出生不明という点で結ばれている偶然出会った個体同士だ。表向きには世界の癌と中和剤だと公表されているが、いつかこの領域を抜け出して、ひとつの聖域を作り出したいと思う。
別にアオイとどうかなりたいわけじゃない。ただ、そこに個体同士で存在して、笑顔で手をつなげるような、そんな聖域に俺も足を踏み入れたい。
「なぁアオイ。俺の剣は錆びついていないか? お姫様を守るには屈強な剣が必要だと考えるのだが」
「ええ。いつもいつも透き通ったように光っていると思うわよ。欠かさず剣を磨いてくれている証拠じゃないかしら?」
「それは光栄なお言葉だなお姫様。だが、俺はもっと立派なナイトにならないといけないな」
俺はもっと自信を持たなくてはならないな。心の奥底ではいつも不安に悩まされている。俺の力で、果たしてヴェルを抑えることはできるのか。生まれたばかりのころですでにそれほどの力の差はなかったんだ。数か月を経た今、もう一度ヴェルが出てきたら、俺はナイトとしてアオイを守ることはできるのか。そんなことを考えてはいけないと思ってはいるが、本能が何か危険を伝えているのか拭えそうにない。
早くヴェルを取り除きたいものだ。俺のためにもアオイのためにも。そして、だれにも迷惑をかけずにハッピーエンドを迎えるためにも。俺の小さな希望の炎は消えそうで消えない。まさにボスの言うとおりだな。希望の炎は消えない。
「あっ!」
部屋にチャイムの音が鳴り響く。ボスのお出ましだ。
「出てくるね!」
サラの顔が笑顔であふれる。本当にボスのことが好きなんだなと確信できるような表情だ。これは、俺もアオイも自然と笑顔がこぼれてくるな。
「よぉ。元気にしてるかレッド……これはまずいな」
ボスが俺たちの前に姿を現した瞬間、アオイの様子がおかしくなる。まさか、こんなときにヴェルが前へ出てくるというのか。
「にげ……抑えられそうに……」
それを最後にアオイの赤い瞳は青色に変化を遂げる。こんなときにかよくそったれ! ヴェルもなかなかの悪趣味野郎のようだな。
「さぁ、血をすすれヴェル。今日という日を壊されたくはない」
即座に肩を差し出す。だが、まただ。ジェインのときのように、標的は俺ではない。その瞳の先には……
「……懐かしい匂い……許さない!!」
「ボス!!」
ボスに向けて間を詰めているはずのヴェル。正直、前までの比ではない機動力だ。俺では目で追うことすらできない。とてもではないが俺では止められそうもない。どうする。俺が止められなければどうしようもない。このままではボスとサラを傷つけてしまう。
それだけはしてはならない。俺はもうこれ以上、だれにも迷惑をかけたくない。それも、俺が大好きだと感じている人たちは、ほかのだれよりもそう強く願っている。踏み入れてはいけない聖域に土足で踏み入れようとしている今の現状を、黙って見てなどいられるか!
「やめろヴェル。お前の相手は俺だ。ボスとサラは関係ない!」
今はアオイの身体を気にしている場合じゃない。ボスの目の前へ近づきながら、横から思いっきり打撃を入れる。だが、当てずっぽうで当たるはずもなかった。届かない。このままでは、ボスが……サラが……。
「俺に人間らしい生活なんて、どこかで限界がくるのは分かっていた。それがここだというのなら、俺は喜んで受け入れよう。ここには最愛の娘がいるんだ。傷ひとつつけさせてたまるか」
「!?」
どういうことだ。目で追うことすらできなかったヴェルの手をつかんで攻撃を阻止している。
「ボス……これは一体?」
「パパ……?」
「詳しい話は後だ。今は何も考えず外に向かって走れ。サラの家を汚されるのは困る」
そう言うと、つかんでいる手を振って、全力でヴェルを投げ飛ばす。そして、その間にボスの合図とともに俺がサラを背におぶり、外へ向けて駆ける。ボスは、そんな俺たちを警護する形で後に続く。
当然、ヴェルの標的はボスなので、外へ向けて追う。ヴェルはすぐにボスの目の前へ追いつき、打撃を繰り出す。だが、ボスはそれをぎりぎりで受け流す。
「すまんな。俺はお前を見捨てて逃げてしまっていた」
「……許さない」
ボスとヴェルの攻防を見ている暇はない。だが、見なくても俺では輪にも入ることができないことは分かる。
これはどういうレベルの戦いだ? 確かにボスは謎が多すぎる男ではあったが、ボスもヴェル騒動に関係していると断定できる。それも深くかかわっていそうだ。まったく、俺の周りは怪しい存在しかいないな。
そう考えると、俺は一体何をしてきたのだろうか。ヴェルからアオイを守るということにばかり気をとられて、平穏な生活を楽しみながら何もせずに今を迎えてしまっている。こんな怪しい存在に囲まれて生きているんだ。もっと危機感を持てたはずなのにな。
世界の癌と呼ばれるヴェルの力に対し、俺はもう完全に置いていかれてしまった。俺が役に立てることなんてヴェルに血を飲ませ落ち着かせる中和剤でしかない。
これでは本当に俺はただの中和剤だな。ウキョウのシナリオ通りに動いてしまっている操り人形に過ぎない。だが、俺には仲間がいる。あのヴェルの力にも対応できるボスがいる。俺が今すべきことは、背におぶるサラを守りきることだ。決して、真っ暗な夜に呑まれることじゃない。
『パパはサラをだれよりも愛しているぞ!』
無事に外に出ることができた。だが、依然として状況が良くなったわけではない。ヴェルは一向に俺に目を向ける素振りがない。
「これで場は広くなったな。離れていろレッド。サラを頼んだぞ」
「ボスは一体何者なんだ?」
「ただの死神さ。何者と胸を張れるものでもない」
そう言うと、ボスは俺たちから大きく離れてヴェルと対峙する。できるかぎり俺たちに危害が及ばないような立ち回りをしてくれているのが、ボスはボスに変わりないということを知らせてくれる。
俺もボスの邪魔になってはいけない。ボスの安否は心配だが、俺とサラが近くにいるとかえって邪魔になるだろう。そんな状況が悔しいが、今は離れることに全力を尽くそう。
「死神……」
俺がその場を離れ始めると同時に、サラが何かに気付いたようにつぶやく。
「偶然だと思っていたけど本当だったんだ」
「どうしたサラ?」
「お兄ちゃん。パパの瞳って見たことある?」
「……いや、ないな」
そういえば、いつもサングラスをかけているから違和感がなかったが、俺は一度もボスの目を見たことがなかったな。ん? 目……ヴェルと渡り合う強い男。金色の瞳……
「まさか!」
「うん。パパの瞳は金色。もう偶然とは思えない。パパは、私の憧れた金色の瞳をした……」
ボスが古代の伝説の死神だと? あれはもう数千年前以上の話のはずだ。ボスがいるはずがない……いや、ひとつ可能性があるな。古代の伝説には禁術が伝えられていた。そのなかに、不死になる術があった。まさかとは思うが、それしか考え……!?
「ぐっ!?」
「お兄ちゃん!」
「そこまでだ。油断はいけねえぜナイト。ナイトってのは、守る対象が変わっても全力を尽くすもんだ」
「……かはっ」
やられた。こいつの気配に気付くことができなかった。ジェイン……こんなところで現れるとは。まずいな。この場にはボスはいない。いたとしてもヴェルの相手で精一杯だろう。
俺が守らなくちゃいけないな。こんなところで倒れている暇はない。ボスに頼まれたんだ。ファミリーの俺が諦めるわけにはいかない。
「離して!」
「それはできないね。お前を離したら、あそこのナイト様にやられちまうかもしれねえ。人質は人質らしくおとなしくしてな」
「ジェイン。これはどういうことだ? お前がなぜここにいる」
といってもまずいな。またアオイの時と同じ状況だ。守らなければならないサラは、すでにジェインが捕らえている。しかも、今回は簡単に離してはくれなさそうだなくそったれめ。
「ようやく尻尾を掴めたんでね。宿命の決着までの下準備ってやつだ」
「わけが分からないな。俺はお前の宿命の決着よりも、サラの解放に期待しているんだが?」
「なら、俺に立ち向かうしかないな。俺が人質を傷つけないと信じて突っ込んでこいよ」
サラの首に突きつけるナイフをさらに近づけて脅しにかかるジェイン。どうする。今回はジェインに、にたにたとした雰囲気はない。つまり、本気だ。
無闇に突っ込んでサラを傷つけないという保証はない。俺に力があればこの状況もたやすく切り抜けることができるのだろうか。金色の目をした男……ボスのような強さがあれば俺も。
「私のことなんて気にしちゃだめだよお兄ちゃん!! 私のことは気にしないでこいつを倒して」
必死の形相で俺にそう告げるサラ。くそったれめ。サラにこんな思いをさせるこいつは許さんぞ。
「だまってろって。そのうるさい舌を切っちゃうぜ?」
「切ればいいよ。そうすればお兄ちゃんは自由に動ける。そして、あんたなんてやられちゃえ」
「強気な発言は結構だけどよ、相手は選んだ方がいいぜ?」
「!?」
サラの頬から少量の血が流れる。脅し程度だとは思うが、ジェインはサラの頬を切った。俺の拳も怒りで血が滲みそうだ。
ジェイン、お前はやっちゃいけないことをやったぞ。サラを……これほど俺を救ってくれているサラを傷つけて、ただで帰ることができると思うな。だが、この行動は俺が何もできないことを分かっていての行動だ。つまり、サラを傷つけたのは俺だ。無力な俺のせいだ。
「睨むのはやめてくれよ。ほら、もう少し怖がるとかあるだろ? 頬が切れてんだぜ? 力のない嬢ちゃんに何ができる。俺を睨んでも状況は変わらねえ。ならせめて怖がれよ。俺に命乞いでもしてみろよ。そうすりゃ情が動くかもしれねえじゃねえか」
「私はあんたみたいなやつに屈したくないんだ。パパは言ってたの。本当に強い武っていうのは、『だれも傷つけない武』だって。そんな風に無闇に人を傷つけるあんたなんかに、絶対屈してなんてやらない。刺しなよ。それでお兄ちゃんが戦えるなら早く私を刺せばいい!!」
「……大したもんだ。やっぱり親が親なら子も子だな。羨ましいぜ」
今、俺もサラも自分の無力さに嘆いている。強さがいらないものだなんて、それはうそだ。だれかを守る強さがないと、行動することすらできない。そこに生存することが許されなくなるほどに無力になる。俺の剣は、ただ透き通ったように光っているだけだ。磨くだけで使おうとしない、赤に塗れない錆びた剣だ。傍から見ればきれいな物かもしれないが、蓋を開ければ、ただのガラクタにすぎない。
だからこそ使わなければならない。どれだけ立ちすくんでいても状況は変わらない。サラは自分の強さを見せて、俺の後押しをしてくれている。なら、俺もそれに答えよう。信じろ。サラを救える俺を信じろ!
「サラ、今助けるぞ!!」
「お兄ちゃん! いけえぇぇぇぇ!!」
人質になっているというのに、サラは俺の行動を後押ししてくれる。サラは強い。俺なんかよりもずっとな。だからその力を俺に少し分けてくれ。サラを救える力を俺に。
「へっ。俺の方もなかなかやるじゃねえか」
俺の拳はジェインに受け止められた。だが、目的のサラは解放された。サラを捕らえていたジェインの腕は今、俺の拳を受けるために使用されている。
「気を付けてお兄ちゃん! そいつ、強いみたい」
「あぁ。だが、サラは救えたぞ」
「ありがとうお兄ちゃん。かっこいいよ」
「そいつは最高の後押しだ」
これでひとまず一安心というところだが、安堵している余裕はない。今、俺の拳はジェインの手の中にある。
「お勤めご苦労だなナイト」
「黙れ。お前は俺が倒す」
「そりゃそうだ。お姫様を守りきるまでがナイトの仕事だからな。でもよ、人生のなかに、たまに負けイベントってのがあるんだよ。どれだけ意気があってもどうしようもならないときってのがな。そしてだ。それが今だ」
「ぐがっ!!」
俺の拳を掴んでいる手とは逆の手で俺の腹に拳をぶつける。しかし、なんだこの威力は……意識が飛びそうなほどに効いた。武器を持ったときとはけた違いだ。まさか、あれは手加減だったというのか。本当は素手が一番の武器だとでも。
そう感じてしまうほどの威力だ。現に、俺は今、地に膝をついている。あれだけの後押しをもらったというのに、どういうことだこれは。
「立てよナイト。俺を倒すんだろ? 立たねえと嬢ちゃんを守れねえぞ。お姫様を守れないナイトなんて無意味だ。ほら、立ちな!!」
「がっ!」
顎を蹴りあげられて宙に舞う。異次元だ。俺は、こんな怪物を倒そうとしていたのか?
「止めろ! これ以上お兄ちゃんを傷つけたら許さないんだから!」
「おいおい、何の力もねえ嬢ちゃんがどうするってんだ。お姫様が粋がるとろくなことはないぜ?」
「お兄ちゃんの体力が回復したらあんたなんて敵じゃないんだ。だから、私はお兄ちゃんの体力が回復するまでの時間稼ぎになる。そしたら、今度はあんたがやられる番なんだから」
「ナイトは強くてかっこいいヒーローじゃねえんだ。そんな小さな望みに自分の命を託すなよ」
「うるさい。きなよ怪物! 私が相手だ!!」
「やっぱ似てるわ。どうよナイト。お前は半端者で終わっちまうか?」
「……」
これほど無力が嫌だったことはない。立て。立っても敵わないと分かっていても飛び込め俺の身体。死ぬことを嫌がって、動かなくて助かった命に何の意味がある。俺の諦めないという心は生き残ることだったのか? 違うだろ。ハッピーエンドを迎えるんだ。最後はだれも悲しまずに笑顔で終われるような、そんな結果にするために俺は世界の癌と共存することを選んだんじゃないのか?
なのに、今さら動けないとは何事だ。俺は半端な覚悟で選択してしまったということなのか? 未来という希望の船を他人に任せて、俺は地に倒れて何をしている。俺はサラに何をさせている……。
確かにだれかを背負いきれるほど俺は強くない。だが、俺は選んでしまった。世界と対をなす存在と共存する選択を、俺は半端な気持ちでしてしまった。ここで諦めるな。立って火を灯せ。希望の炎は消えない。そして、消さない。
「よく立ったなナイト。やっぱりお前は俺より強いわ」
『お前は何をしている。俺の娘に、俺のファミリーにお前は何をしている!!』
聞こえるはずがない声が聞こえる。今はヴェルと対峙しているはずの頼もしい声が。確実に聞き覚えのある声が。
なんだ、その声が聞こえたら意識が遠く……ボス、後は任せたぞ。