6.ボスの娘
家へ戻り、アオイを布団へ寝かせる。傷は治療して、包帯を巻いて隠しておこう。また血の匂いに誘発されてヴェルが出てきてしまうかもしれない。そうなればアオイの身体はもちろんのこと、俺の身体も持ちはしないだろう。俺だって毎日戦って血をすすられていては、ミイラになってしまうのは時間の問題だからな。
とりあえず、こういう暇な時間は料理だ。いつの間にか、料理が趣味になってしまっているな。初めは、欠陥舌だと言われたことを見返してやろうと料理を作ってみたものだが、今となっては料理を作っている時間が本当に平穏の時間のように感じる。美味しそうな匂いが広がっていくこの時間は、俺の心を安らかにさせる。まぁ、これも美味しそうに食べてくれる人がいるからかもしれないがな。
「起きてみれば、今日もいい匂いが広がる家ね」
アオイが目覚めた。やはり、美味しそうな匂いというものは人を呼ぶ力がある。無理にたたき起こすよりも、側で料理でも作ってみた方が効果的なのだと思う。
「そうだろう? 最後の晩餐だ。家の残り食材すべてを使うから、今日は豪華だぞ」
「最後? どういうこと?」
そうか。そういえばまだアオイには知らせていなかったな。今起こっている現状と、これからこの家を出て、ボスの娘の家でお世話になるということを。
「アオイは不思議に思わなかったか? たくさんの人間どもがこの家へ押し寄せ、そして、あのジェインという謎の男に捕らわれていたという事実に」
「不思議すぎて考えないようにしていたくらいね。だけど、さすがの私でも大体の予想はつくわ。なんらかの形で私がヴェルを抱えていることがばれている。当然、この場所もね。そして、あの男が賞金稼ぎだということは、私に賞金がかかっているということ。とにかく、相当まずい状態だということね」
「あぁ。そういうことだ。呑み込みが早くて助かる」
「ええ。早く現状を理解して、私も美味しい料理を美味しく食べたいもの。冷めさせちゃうのは勿体ないわ」
「同感だ。話を始める前に美味しく食べてしまおう」
「そうねと言いたいところだけど、話しながら食べましょう。黙々と食べるのは寂しいと感じる派なの」
「なら、明るい話でもしようか」
「そうね。現実逃避できるくらい明るいやつがいいわ」
最後の晩餐は、まさに晩餐といえるような楽しい時間だった。今、俺たちが置かれている現状を忘れるような、そんな笑顔を表情に出しながら料理を口に運ぶ。きっと、今日の料理は笑っているだろう。いや、泣いているのだろうか。現実逃避の材料にされた料理たちの気持ちは、俺には想像すらつかない。だが、俺は目の前にある料理たちのおかげで、現実逃避だとしても笑えている。片思いかもしれないが、俺は料理たちに感謝をする。
そして、そんな楽しい晩餐で腹を満たした後は、考えたくもない現実の時間が帰ってくる。目を背けたくなるような世界に絶望しながら、あの逃避した世界はどこだろうと色眼鏡を探す。だが、もう色眼鏡は割れてしまったのだ。どうしようもないとは思いながらも、やはり色眼鏡を探す。だけど、結局は気付いてしまう。逃避した世界は自分たちの力でつかむしかないのだと。色眼鏡という道具はしょせん幻想でしかないのだと。自分の目で前を向いて、そして逃避した世界をつかむしか道はない。
俺は、ウキョウが全世界へ向けて、俺たちの存在をおおやけにしたということから、仕事場のボスの娘の家でかくまってくれるということまで、事細かに説明した。アオイはそんな説明を黙って聞いてくれた。どうしてこんな目に合わなければいけないのかと思うこともあるだろう。だが、そんな顔を見せず、いや、見せないように振舞って、アオイはボスの娘の下へ行く準備をする。
「ねえレッド?」
「なんだ?」
準備をしながら、物悲しそうな表情をするアオイ。やはり、いろいろと思うこともあるのだろう。ぜひ、俺にぶつけてほしいものだ。
「やっぱり私って迷惑な存在じゃないかしら? レッドにも、あなたのボスにも、その娘さんにも、そして世界にも……私は迷惑をかけすぎているわ」
そっちの心配か。合わなければならないではなく、合わしてしまっていると考えるアオイは、やはりいい子だ。なのに、こんな目に合わなければならないのは酷だな。
「確かにそうかもしれないな。だが、迷惑だと考えるのは個人の自由だ。俺は迷惑だと考えていないし、世界もなんやかんやで、この状況を楽しんでいる。意気揚々と襲ってきたのがいい証拠だ。ボスと娘には迷惑をかけるかもしれないが、協力してくれる本当にいい人たちだと思う。今、それを考えていてもキリがない。迷惑をかけるならとことんかけよう。中途半端は道連れを誘発すると考えるのでな」
「……そうね。ありがとうレッド。さぁ、だれにも気付かれないように行きましょう」
明らかに無理やり納得したような、言いたいことを呑み込んだような表情と間だった。だけど、そこには触れない。自分が迷惑で生きていていいのかという不安を呑み込んでくれた、その気持ちを棒で突くような真似はしたくない。
こういうとき、俺はどういう風に声をかけてやればいいのだろうか。俺には答えが分からない。とりあえず、軽くにっこりと微笑もう。少しでも不安が取り除かれることを祈って。
「あぁ。家の持ち主が驚くくらいにきれいにしてな」
家を出て、ボスからもらった地図を頼りに道を歩く。なんとも不思議な感覚だ。普通ならば、ここはなんともない草原だ。むしろ、きれいだとも感じるだろう。だが、俺たちはそれを感じることができない。どこかで今の俺たちを監視しているやつがいるかもしれないし、どこかで俺たちを狙うやつらに遭遇してしまうかもしれない。せっかくの草原だというのに、真っ暗で満足に風景を眺めることもできない。地図を見るのも小さなライトを当てて一苦労だ。平穏というものは、なによりもすばらしい彩取りのエッセンスだと感じる。今の俺たちが世界で一番美しい風景を見ても、素直にきれいだと感じることはできないだろう。
どれくらい歩いただろうか、いつの間にか日も出てきかけている。早く見つけないといけないとは思うが、ここはすでに怪しげな森のなかだ。果たして、こんなところに家があるのか。
そして、廃虚のような場所から、今度は薄気味悪い森のなかか。これでは、そういう趣味だと思われてもおかしくない。俺は別に訳あり物件フェチじゃないんだ。本当は、少し高い金を払ってでも安全な家へ住みたいという願望すらある。まぁ、そんなことを言える身分じゃないのだがな。
さて、そんなことを考えていると、そろそろ目的の場所だと思うのだが何も見当たらないな。ここにきて実は騙されていましたなんてオチはいらないぞ? そうなれば、俺たちはすぐにでも死ねる自信がある。希望の炎も、なくなってしまっては形無しだ。
「レッド。ここで間違いないの?」
さすがにアオイも疑いだしたのか、俺に確認を取る。
「そのはず……なんだがな」
「ちょっと地図を見せてくれない?」
「あぁ」
アオイに地図を手渡す。入念にその地図を見渡すアオイだが、やはり場所はここで合っているようだ。
「……ちょっと待って?」
「どうした?」
「ライトをもっと下の方に向けてくれない?」
「何も書かれていない場所にか?」
「ええ。ちょっと一瞬何かが映った気がして」
「任された」
アオイの言う場所にライトを当てる。
「!」
すると、そこには小さく薄い字で『パパはサラをだれよりも愛しているぞ』と書かれている。おそらく合言葉だと思うが、どうしてボスはこんな言葉にしたのか。これではただの親バカだ。しかも寒いやつだ。これだけ小さく薄い字で書いたのは恥ずかしかったのだろうか。それとも、他の人間にばれてもいいようにという最終応急処置なのだろうか。後者だとすればうれしいが、前者だと、ただのおっさんの残念恥ずかしがりだ。本当に、可愛いところが多分にあるな。
「……ねえレッド」
困り、そして呆れているという、そんな表情をしながら俺に語りかけるアオイ。まぁ、大体何を言いたいかの見当はつく。俺も、それは薄々どころか多分に感じている。
「今からこれ、言わなきゃいけないのよね?」
「任せろ。俺が言おう」
「いや、そんな大仕事あなた一人には任せられないわ。お供させてもらおうと思ってね」
「それは心強い。恥ずかしいセリフもみんなで言えば怖くないとはまさにこのことだな」
「そうね。仲間の重要性を感じるわ」
二人で息を合わせるために一度深呼吸して息を整える。こういう一体感があると、気も紛れるというものだ。
「いくぞ」
「ええ」
『パパはサラをだれよりも愛しているぞ』
「……!」
俺たちが声をそろえて恥ずかしいセリフをつぶやくと、近くの地面が反応を示し、そして地下への道が開いた。これは驚いたな。機械の発達とは恐ろしいものだ。というか、ボスは本当に何者なのだろうか。娘のためにこんなものを作れるような力が一体どこに……。親バカの本気は恐ろしいな。
「すごい仕掛けね。あんな恥ずかしい言葉がパスワードだなんて、機械に同情するくらいだわ」
「まったくだ。とりあえず入ってみようか」
「そうね。せっかく開いたのだから」
俺たちは地下へ足を踏み入れる。すると、ご丁寧に地上への入り口が閉ざされた。おそらく、ここから出るときはまたあの言葉を言わないといけないのだろう。何度も辱めを受けるとはまさにこのことだ。
「別に広いわけじゃないようだな」
「そうみたいね。きっと、あの入り口で予算が尽きたんだわ」
少し進んだ先にあったのは、インターホンのついた扉だった。どうも、他に部屋がありそうなつくりではない。別に、中身が広いという印象は受けなかったのだ。そういえば、娘は引きこもりだといっていたな。だから、そんな広い場所は必要ないという判断なのか。それとも、娘の方がそれほど広い部屋を必要としていないのか。おそらく後者だろうな。あの親バカが娘の要求に対して「必要ない」と言える気がしない。
「とりあえずインターホンを鳴らしましょうか」
「あぁ。それがイベントを進めるイベントのようだからな」
躊躇なくインターホンを鳴らす。たとえ、居候の身になろうとお願いしに来たとしても、押さない限りはどうしようもない。ここは迷わず押すべきだろう。
「はい」
すると、インターホンの先から女性の声が聞こえてきた。ボスの娘にしては可愛らしい声をしている。声質からすればアオイの方がボスの娘という感じだな。
「こんにちはサラ。俺はボスにかくまってもらうように頼んでもらったレッドとアオイだ。開けてくれるとうれしい」
「パパの言ってたお兄ちゃんとお姉ちゃん! ちょっと待っててね、今開けるから。たくさん遊んでね?」
「……? あぁ、ありがとうサラ」
しばらくすると、扉の鍵が解除される音がする。そして、それ以上の反応はない。すなわち、入ってきていいということだろう。
「……」
入ったそこは、一人で住むにしてはかなり広い場所だった。これなら、俺たちが住んでも場所の広さ的には問題なさそうで少し安心する。これで、一人で住むのにも窮屈なくらいの家だったらどうしようかとも思ったが。
「いらっしゃい! 早速、こっちにきて遊びましょう?」
サラが俺たちを出迎えてくれる。しかし驚いた。ボスの娘だからどんな女性かと思ったら、まさかの、身長の小さなロリ体型のロリータ服だ。グレーの瞳と長い黒髪が、それをより一層引き立たせている。
しかもだ。ロリと言えば貧乳が定番のはず。なのに、この子はちょうどいい感じに胸がふくらんでいる。このちょうどよさそうなふくらみは人によっては神と崇めるのではないだろうか。
心なしかアオイが嫉妬しているように感じる。それも、自分の胸とサラの胸を見比べながらだ。残念だなアオイ。お前は間違いなく貧乳だ。服の上から見てもまな板と分かるほどにな。
「遊ぶって何をするのかしら?」
胸の恨みは恐ろしいのか、少し挑戦的な声色でサラに語りかけるアオイ。お前はかくまってもらうという意識はないのか。
「簡単なことだよ。とりあえず、私の部屋へ行こうよ」
サラに連れられて部屋へ入れてもらう。なんとも女性らしくない殺風景な部屋だ。寝場所と機械しかないぞ。そして、これはおそらくパソコンだ。なんかいろいろ改造されていてすごいことになっているが……カスタマイズもここまでやると別物だな。
「ようこそお兄ちゃんお姉ちゃん。じゃあ、さっそくサラと遊んでね」
にっこりとした笑顔でそう言うサラ。唐突過ぎてついていけないところがあるな。さすがはボスの娘、曲者だ。
「まぁ、一度落ち着こうじゃないか。遊ぶよりも先に聞きたいことはないのか? いきなり、知らない男女が押しかけてきているんだ。何かしらの説明とかがいるんじゃないか?」
俺がそう言うと、少し勝ち誇ったような気丈な顔つきになるサラ。なぜそうなる。
「心配ないよ。私はすでにお兄ちゃんたちの事情を知っているから」
「どこまで知っているのかしら? ウキョウは知っているとしてもジェインは知らないんじゃない?」
「そうだね。お姉ちゃんたちとジェインの関係は把握していなくても賞金稼ぎジェインのことは知ってるよ。ウキョウもジェインも目立つから、情報が多く転がっているの」
「詳しいことまで分かるの?」
「多分、お姉ちゃんたちが知りたいことは分からないと思うよ。だから、早く遊ぼう? ここにかくまうことを許可した条件は『遊んでもらえること』だよ。契約違反は私嫌いだな」
少し強張った表情になるサラ。おそらく、早く遊んでくれないことに怒りが込み上げてきているのだろう。なんというかペースを乱される怖さがあるな。
「そんな契約したの?」
こそこそと耳打ちしてくるので耳打ちで返そう。短い言葉だがな。
「いや、知らん」
正直、そんな契約がなされているとは思わなかったが、遊ぶだけでかくまってくれるというのは御の字だ。内容にもよるが、ボスの娘だからそんな危惧することもないだろう。
「悪かった。早速遊ぼう。遊びの内容はなんだ?」
俺の発言でサラの顔がパッと明るくなる。表情の起伏が激しいな。
「うん! 遊ぼう遊ぼう。別に難しい遊びじゃないの。むしろ、みんなが笑顔になれるものばかりだよ!」
どんな遊びだろうと思ったが、それは本当にみんなが笑顔になれるような遊びばかりだった。サラが要求してきた遊びは、お馬さんごっこやおままごとといった子どもが楽しむ遊び。そんなサラの遊びに俺たちは付き合う。 まさか、あんな強面のボスの娘が望む遊びは、こんな女の子らしい可愛い遊びだとはな。だが、これが存外に楽しかったりもする。世の中は酒と女が最大の娯楽だなんて言うが、案外こういう童心に戻れるような遊びが一番楽しいのかもしれない。まぁ、俺は童心の時期なんて記憶にすらないから、こういった時間を新鮮に感じているだけかもしれないがな。
「お腹すいたねお兄ちゃん、お姉ちゃん!」
サラのその言葉でふと時間を見てみると、なんだ、もう夕食の時間か。楽しく遊ぶ時間というのは時間の流れが速いな。
そう言われてみれば腹が減ってきたような気がする。もしかすると、ずっと楽しい時間が続いたら、人間は料理を食べなくても生きられるのかもしれないな。そんなことはないと思うが、そんな気がする。
「そうだな。そろそろ飯にするか」
「うん。今日はいっぱい遊んでくれてありがとう! お礼に、私が晩ご飯を作ってあげる」
満面の笑みで俺たちにそう言ってくれるサラ。ありがとうと言うのはかくまってもらっている俺たちの方なのに、ボスの娘はとてもいい子のようだ。安心するな。
「ちょっと待って」
ここぞとばかりに強気な声色を発し、和やかな雰囲気をぶち壊しにくるアオイ。少し口を閉じていてほしいものだな。
「どうしたのお姉ちゃん?」
「私もサラのおかげでめいいっぱい楽しむことができたわ。だから、お礼としてもうひとつ遊びをしましょう」
「どういうこと?」
まさか……頼む、本当にやめてくれ。サラも興味を示さないでくれ。
「私も料理を作るわ。ねえサラ、料理の味対決で遊ばない?」
その言葉を聞いた途端、サラの表情がパッと明るくなる。やめてくれ、本当にアオイの料理は危険なんだ。
「面白そう!! やろうよお姉ちゃん。ルールは?」
「ルールは簡単。私たちが作った料理をお互いが食べ合うの。そこのレッドは欠陥舌だから、私の料理は受け付けないのよ。困ったものね」
「あっ、お兄ちゃん好き嫌いとかしちゃうタイプなんだ! いけないなぁもう」
そういう問題じゃないんだ。まぁ、直に分かるさ。
「だが、それだと判定はどうするんだ? お互いが自分の方が美味しいと言い張ったらそれで終わりだろう」
ここでまたアオイが自信気な表情をする。何がどうすればそんな自信がでてくるというのだ。
「そこでレッドの登場ね。レッドには私たちの表情を見ておいてもらうわ。こういうのは第三者の目が一番正しいのよ。それも、洞察力の優れてそうなレッドならなおさらね。美味しいものには美味しそうな顔を、不味いものには不味そうな顔をするのが世の常というやつよ」
「ということは、俺は食べなくていいんだな!?」
「……ええ。そんなに私の料理が食べたくないのねあなた」
「あぁ! できれば一生食べたくないな」
よかった。最悪の状況は無条件で切り抜けられたみたいだ。よし、全力で審査員を務めてやろう。アオイの料理を食べなくてすむなら、とことん公平にやってやるぞ。サラの料理が気にならなくもないがな。これだけ長く一人で暮らしているんだ。料理の腕もいいはずだ。
「失礼ねまったく。まぁ、いいわ。このルールで構わないかしら?」
「いいよ。でも、私も料理得意だよ。私の圧勝だったら、ちょっとお姉ちゃんが可哀想だね」
「心配ご無用。私はそれ以上に得意なのよ。究極の料理というものを魅せてあげるわ」
よく言うよ。まぁ、究極には変わりないと思うがね。
「うん! 期待してる!」
そう言うと、二人が持ち場へ行く。どうやら、キッチンをサラに案内してもらっているようだ。それにしても、きれいなキッチンだ。これは良い料理が作れそうだな。俺も使わせてもらおう。
食材も新鮮そうだ。これは、本当に期待できそうだな。とりあえずサラの料理は食べたいものだ。
「完成したわ!」
「私も!」
どうやら二人の料理が出来上がったようだ。果たしてどんな出来になっているやら。片方の出来は想像したくもないがな。ほぼ間違いなく食材レイプに違いない。
「まずは私からね。私の料理はハンバーグよ」
「!?」
なんだこれは。一体、何がハンで何がバーグだというのだ。こんなもの、ただの黒い塊だろう。黒い隕石ですと言われた方が納得するぞ。『中を開けるとジューシーな肉汁が』……とか、そんなことは絶対ない。断言できる。それはない。
なのに、どうしてそんな自信満々に「先攻で自信を失わせてあげるわ」とでも言いたいような表情ができるというのだ。サラの顔もさすがに引きつっている。当たり前だ。普通の感覚からすればこれは料理ではない。
きっと、新鮮な肉が使われていたのだろう。だが、結果は黒い隕石だ。切られた動物も報われないな。こんな姿にされた挙げ句に、嫌々食べられようというのだから。
「つ……次は私だよ! 私は豪華にステーキを作ってみました!」
「おぉ!」
ほぅ。どちらも肉で攻めてきたか。そして、これは見事にステーキだ。香りも飾り付けもいい。肉がいきいきとしているな。
これは、食べる前から決着がついていると見ていいだろう。美味しそうなステーキ対黒い隕石バーグなんて、そんな不釣り合いな試合はそうそう見られない。これで、黒い隕石バーグが勝ってしまったら、その隕石に賭けた物好きは一生暮らしていけるだけの賞金を手にすることができるだろうな。
サラはもっと自信あり気な顔をしてもいいはずだ。だが、無理もないか。相手は未知の料理、黒い隕石バーグだ。警戒して緊張するのも分からなくもない。だが安心しろサラ。それは最強に見せかけた最凶だ。お前の勝ちは揺るぎないだろう。これが、『料理でノックアウト選手権』だとしたら話は別だがな。
「これはいい勝負になりそうね。さすが得意と言っていただけあるわ」
それは本気で言っているのか? 冗談にしても笑えないな。
「そう……だね。じゃあ、早速食べようかお姉ちゃん!」
「ええ。いただきますサラ」
「うん。こちらこそアオイお姉ちゃん」
両者が互いの料理を口に運ぶ。俺は、サラが死なないことを祈るしかない。すまんサラ。俺はお前を救うことはできなかった……!?
「美味しいじゃない。得意と言っていただけあるわね。相手に不足なしだわ」
当たり前だ。アオイの方はそうなるだろう。だが、これはどうだ。
「お……美味しい。正直、もの凄く警戒してたけど、すごく美味しいよお姉ちゃん!」
「そうでしょ? サラは分かってるわね。どこぞの欠陥舌さんとは違うわ」
おいおい。そんなことがあるはずがない。サラはお世辞がうまいなぁ。表情を隠すのもうまい。おだてのプロと呼ぼう。
「サラ。年上だからって我慢しなくていいんだぞ。人は時に、年齢や上下関係なんて気にせずに文句を言っていいときもある」
「あらっ、欠陥舌さんは中立な立場じゃないのかしら? まさか、審査員としても欠陥なのかしらねえ」
「……サラ。正直に言っていいぞ。大丈夫だ。俺は味方だからな」
今はアオイの言葉を耳に入れている場合ではない。これは非常事態だ。
「えっ、美味しいよお兄ちゃん。多分あれだよ。この前食べた料理が偶然にもお口に合わなかっただけじゃないかな。ほら、食べてみて?」
そう言って、アオイの黒い隕石バーグを俺に差し出すサラ。女性の食べかけの料理を食べられるなんてラッキーだなんて思っている場合じゃないぞ。これはさらに非常事態だ。だが、せっかくのサラの優しさだ。受け取らないわけにはいかない。
「あぁ……それでは失礼して食べさせてもらうぞ」
「どうぞご勝手に」
料理は冷たい。アオイも冷たい。まさにピンチだな。さっさと食べてしまおう。裁きは早く食らった方がいい。
「……ぬぐわあぁぁぁぁ!!」
これは超野菜炒めを超える破壊力だ。まさに黒い隕石の如く、俺の口内を征服しにくる。飲みこみたくないが吐きたくない。俺も男だ。気合いを見せる。
「はぁ……はぁ……」
どうだ。飲みこんでやったぞ。俺は……俺は黒い隕石バーグに勝ったんだ!
「お兄ちゃん大丈夫? お口に合わなかったんだね。おかしいなぁ。美味しいんだけどなぁ」
「あぁ。どうやら、俺のお口はアオイの料理はシャットアウトらしい」
「本当、大した欠陥舌だこと。分かる人には分かるのにねえ。ねえサラ」
「うん! お姉ちゃんのハンバーグ美味しいよ!」
「ふふっ、いい子ねサラは」
アオイが笑う。サラも笑う。なのに、どうして俺だけ泣きそうなんだ。そうだ。俺も料理で笑おう。サラの料理を食べればきっと……。
「なぁサラ」
「どうしたの? もう大丈夫?」
「いや、それはない。だが、サラのステーキを食べればきっと大丈夫になるさ。料理のお口直しは料理で済ませってな」
「いいよ! 食べて食べて!」
そう言って、サラは俺にステーキを差し出す。これは美味しそうだ。お口直しにはぴったりだ。いい香りと良い見た目は、俺の食欲を湧き立たせる。
「じゃあ、いただきますサラ」
「どうぞレッドお兄ちゃん」
……。
「……ぬぐわはあぁぁぁぁぁぁ!!!!」
冗談だろ。黒い隕石バーグとは違って見た目も香りもいい。なのに、なんだこの味の破壊力は。何をどうすればこうなる。というよりも、なぜこれを美味しそうに食べられるんだアオイ。
この世界の女性の味覚はみんなこんなものなのか? もしかすると、俺の料理も驚くほどに不味いのか? こんなもの新鮮な食材への冒涜だ。絶対に今後は俺が料理を作る。作らさせてたまるものか。これでは食材が報われなさすぎる。これがきっかけで地獄に落とされるくらいのものだ。
もう駄目だ。意識を失いそうだ。今日はもう飯はいい。明日自分で作ろう。それが一番の道だ。俺はもう、他人の料理なんぞに一切の期待を持たない……。