3.異変
今日は目覚めの悪い朝だ。朝起きると、俺の左腕から血が流れていた。今、俺はどういう状況なのか理解が出来ていない。とりあえず、まだ血が止まっていないということは、それほど時間は経っていない傷だということだ。
ここの家には不審者撃退用の仕掛けがこっそりと仕掛けられていたりするのだろうか。初めは、優良な空き家として人間を誘い込み、少し生活に慣れてきたところでじわじわと身体をいたぶっていく。なんと意地の悪い仕掛けだろう。いや、今はそんな冗談を言っている場合じゃないな。とりあえずアオイに相談してみよう。
「アオイ。俺の左腕から予兆もなく血が流れている。どう思う?」
「なかなかバイオレンスなお目覚めね。とりあえず止血をするべきだと思うわ」
うむ。ごもっともな意見だ。だが、俺が聞きたいのはそういうことではない。
「あぁ。それも必要なことだろう。だが、俺はこの現象についてどう思うか聞きたい」
「そう言われても分からないわ。血を流して朝に起きてきた人間の血が流れている理由を間髪入れずに答えられたら、間違いなく私が犯人じゃないかしら」
「そうだな。すまない。訳が分からな過ぎて少し気が動転していた」
「それは仕方ないわ。私も生理が酷い日は気が動転しそうになるもの」
そういう問題ではないと思う。そして、もう少しレディーとして恥じらいを覚えていただきたいものだな。
「でも、冗談はなしにしておかしい状況ね。ちょっと見せてみて。とりあえず止血してあげるわ」
おっ、なかなか優しいところがあるじゃないか。そうだ。そういうところを俺は見たかった。そして期待していたんだ。血が流れている理由は分からなくても、流れている血を止めることはできるからな。そこに気付いてくれて俺は本当にうれしい。
「えっ……これ……」
さっきまで余裕の軽口をたたいていたアオイの顔が、険しい色に様変わりする。ちょっと不安になるな。
「なんだ? そんな傷が深いのか?」
首をゆっくりと横に振るアオイ。よかった。思った以上に重傷ということではないらしい。
「違うわ。怪奇現象であるならば傷も摩訶不思議であるのが道理なはずよ。だけど、これはそうじゃない。言葉よりも見てもらった方が早いわ」
慌てて鏡を取りに行き、俺に手渡したアオイ。なかなか怖いことを言うじゃないか。これは、自分の顔を見たときの数倍以上は緊張するな。
「……なっ!」
どういうことだ。アオイの言うとおり、これが怪奇現象であるならば傷も摩訶不思議であることが道理なんだ。そうなれば「この空き家って、やっぱり空き家なだけあってオカルトだね」と笑い話にできた。だが、これはどうだ……。
「驚くでしょ? それは立派な傷よ。怪奇現象でもなんでもなく、人的被害を受けた切り傷ね。しかも、こんな無造作なえぐられ方はひっかき傷と推測するのが妥当だわ」
どういうことだ。実は、この家の持ち主は俺たちが住んでいることを知っているのか? それでそんな嫌がらせを? いや、そんなはずはない。
というよりも、どうして俺は気付かなかった。普通、こんな傷ができるまで攻撃を受けたなら目覚めるはずだ。なのに俺は目覚めることなく朝を迎え、今に至っている。本当、怪奇現象であってほしかった。
「一応確認させてくれ。これはアオイの仕業ではないな?」
「残念だけど、レッドを傷つける動機がないわ」
「……そうだな」
分からない。だが、ここで悩んでいても仕方がないな。とりあえず動こう。
「とりあえず一度落ち着こう。止血を頼む」
「分かったわ。じゃあ、急いで包帯と傷薬を買ってきてくれる?」
そうきたか……。
「頼まれた。ちょうど買い出しにでようと思っていたところだ。今日は何が食べたい?」
「そうね。ちょっとこの状況に呑まれてしまったのか、それほどお腹はすいていないわ。何か軽めの食べ物を頼もうかしら」
「曖昧だな。まぁ、そこもシェフの献立力の見せどころだ。受け入れよう」
傷が切り傷だと分かると、途端に痛み始めてきたぞ。それに、左腕を血で染めたまま買い物に行くのは恥ずかしいな。この前、赤色の服を買ってきていてよかった。まさか、お気に入りの服を血のカモフラージュで使うことになるとは思わなかったがな。
さて、買うものは買えた。さすがに血は固まって、これから治療することに意味はあるのかと疑問は感じるが、もしばい菌が腕に入りまくって切断とかにでもなったら報われないからな。丁寧に治療してもらおうではないか。
「……」
どういう状況だ。俺が家へ帰ると軽口をたたきながらアオイが出迎えてくれる。いつもはそんな流れだ。だが、今、俺の目の前では息を乱して苦しんでいるアオイがいる。どうしたというのだ。まさか生理でも始まったか? それなら気が動転して苦しんでいるのもよく分かる。さっき自分でそう言っていたからな。
そんな考えを頭に張り巡らせてみたものの、どうやらそんな様子ではない。世界中の女性が生理の度にこれだけ苦しんでいたら、いまごろ世界中で大問題になっているだろう。そうなっていないということは、やはりこの家に異変があるのか。それとも……。
「どうしたアオイ。体調が優れないのか?」
俺がそう声をかけると、アオイが弱弱しそうにこちらを見た。その瞬間、何に異変があるか俺は気付いてしまった。もしかすると、俺の傷も、今の状況も、すべてアオイが関係しているのかもしれない。いや、アオイかどうかも怪しい何かが……。
「アオイ。いや、アオイだよな? 名前と瞳が一致してしまっていて、シャレになっていないぞ? お前の瞳は赤色のはずだ。だが、そこにいるアオイは青色の瞳をしている。これはどういう現象だ?」
もう、傷の痛みなど忘れてしまった。それほどに状況が呑み込めない。冷や汗もかいてきたな。傷が汗で染みるが、それすら気にならない。
「わから……ない。だけど、これだけは言えるわ……逃げ……」
その言葉を最後に、アオイの目つきが変わる。目の色から目つきまで、すべてが変わってしまうとはなんということだ。
「なっ!」
そんなことを考えていると、唐突にアオイが襲いかかってきた。それにしてもなんという機動力だ。これだけの機動力があれば、あのゴミども五人なんて簡単にミンチにできただろう。俺ですらかわすのに少し苦労した。
とりあえず外に出よう。これじゃあ、せっかくの家が壊れてしまう。最終的にはきれいな形で家の持ち主に家は返品したいところだしな。
「さぁ、これはどういうことだ。さすがに一度考えるのを止めたいところだな」
アオイの攻撃をかわしながら外に出たのはいいが、どうすればいい。本当に廃虚のようなこの場所に相応しい状況にあるな。バイオレンスはどちらかというと好みではないのだが……。
「血……血、欲しい。お前の血……欲しい」
「まさか血フェチだとは知らなかったな。そうなら買い出しに行く前に告げてくれれば助かったのだが。あいにく、もう血は固まってしまっていてね。料理に混ぜる血も切れているところだ」
血が欲しいだと? 間違いない。今のアオイは厳密にはアオイではない。俺にはアオイがここでそんな告白をするとは思えないからだ。これこそまさに怪奇現象ではないだろうか。何かに憑かれているとしか俺には思えない。
「血……欲しい!!」
「おっと、俺の血は希少なんだ。そう簡単にはやれないな」
また襲い掛かってきた。だが、なんとか目が慣れてきたな。確かに驚異的な機動力だが、捉えられない機動力ではない。
「なんで避ける? 僕、血欲しいのに!」
「やれないね」
よし、これなら相手の攻撃の終了と同時に、俺の拳でカウンターが狙える。だが、ひとつ問題が発生した。これは大きな問題だ。
「殴れる……わけないだろう!!」
今目の前にいるアオイが何かに憑りつかれた別のアオイだとしても、姿はどう見てもアオイだ。これでもアオイと過ごしてきた日々は楽しかったと感じている。そんなアオイを殴れるほど、俺は強くできていないようだ。
そして、さらに問題の発生だ。さっき躊躇したせいで、少し右腕の皮膚を持っていかれてしまった。つまり、アオイに多少の血が指に付着したということ。さらにはこれはひっかき傷。どうやら、つながったようだな。
「血……美味しい。これないと、僕、生きていけないと思うほどに」
「そいつは光栄だな。俺の血で商売でも始めるかね」
俺の血が付いた指を、舌でいやらしく舐め取るアオイ。そういうプレイだとすれば興奮する光景かもしれないが、今は止めてほしいものだな。
「でも、これじゃまだ足りない。もっと、もっと欲しい」
「……」
さすがにまずいな。この変貌はあまりに狂気過ぎる。
「……いよいよ始まりましたねえ。世界を終わらせる変革が」
「!?」
後ろから声をかけられたと思ったら、そこにいたのは金色の瞳をした若い男だった。だが、怪しすぎるな。俺はこいつの存在に気付くことができなかった。
「今、俺はお取込み中なのだが。用があるなら後にしてもらいたいものだな」
「お気づきになられないようでしたのでこちらから声をかけさせていただきました。そして、僕は今あなたに用があるので、その要件は聞き入れられませんね」
まったくわけが分からないこいつの存在が気になるところではある。だが、今はそれどころではない。こっちに気を取られていると、アオイに襲い掛かられる。難儀なものだ。
「おっと。不意打ちは美しくないぞ?」
危ない。ぎりぎりでかわせた。だが、どうやらアオイの標的は俺一人らしい。こいつには目も向けない。
「おやっ、かわすだけですか。あなたならば、今の彼女の攻撃くらいは見えていると思うのですが」
「どうしてそんなことが分かる? 俺は必死かもしれないだろう」
「分かりますよ。今はまだ目覚めたばかり。まだまだ完全ではありません」
「ほぅ。それは何かいろいろと知ってそうな回答だな。怪しさが漏れ始めてきたぞ?」
「ええ。時は満ちました。しかし、このままでは満足に会話することもできませんね。なので!」
襲い掛かってくるアオイの腹に思いっきり蹴りを入れやがった。しかし、なんて蹴りだ。こいつはまさか、本当に格闘技世界王者だったりするのか? あれだけ血気盛んだったアオイが、地に倒れ込んでしまった。
だが、今はそんなことどうでもいい。こいつはやっちゃいけないことをやった。いくら何か事情があり気とはいえ、アオイを蹴ったという事実は許せたものじゃない。
「おい。アオイに何をする?」
思わず、荒々しく胸ぐらをつかむ。俺らしくないな。
「落ち着いてください。僕はただ話し合いをしやすい環境を作っただけです。それに、ほとんど彼女にダメージはないでしょう。ここで僕とあなたで喧嘩をしても、彼女が起き上がってまた面倒事になるだけですよ」
「ちっ」
確かに効率を考えればそうなるだろう。だが、こいつの今の行動は許せそうにない。しかし、今はこいつに従い話を聞くのが先決だ。じゃないと解決しそうにないからな。こいつとは一生利害の関係でしか分かり合えそうにない。俺の嫌いなタイプだ。
「まず、あなたはこの状況をどんな風にお考えで?」
なんでクイズ形式なんだ。俺はお前と番組を作りたいわけじゃない。
「わけが分からないな。だから早く説明してくれるとうれしいのだが? アオイが起き上がると面倒なのだろう?」
「つれないなぁ。まぁ、いいです。あなた方は自らの出生について探求している。そこを紐解いてあげましょう。結論を言うと、彼女は世界の癌。そして、あなたはその中和剤です」
「……」
わけが分からないを通り越して、何を言っているんだこいつ状態だ。俺とアオイの出生の正体が『世界の癌と中和剤』だと? 俺自身の存在がそんなもののためにあってたまるか。アオイもそうだ。世界の癌と言われていい気がするはずがない。何を根拠にそんなことを言っているのか。
「意味が分からないと思いますが、これは真実です。ですが、あなたが真実に到達できないのも当然の話。あなたはまず、『ヴェル』という存在を理解しなければなりません」
「ヴェル?」
聞いたこともない言葉だ。こいつは、何か知っているとかそういう類ではないのかもしれない。もしかすると俺の、いや、俺たちの出生にまで関係しているのかもしれないな。くそったれめ。雲行きが怪しくなってきたぞ。
「そう。それが彼女の中にいるのですよ。そして、とうとうヴェルが目覚めた。血を求めて破壊衝動を繰り返す怪物がね」
「ファンタジーのような話だな。どうしてお前がそんなことを知っている?」
「その質問に答える義理はありません。とにかく、目覚めたばかりでこの力です。彼女の中でヴェルが成長するということはどういうことだかわかりますね?」
自分に都合の悪い質問はすべてシャットアウトするつもりか。ファンタジーとしては優秀だが、ここはリアルだぞ。世界が危機にさらされるかもしれないそんな状態のなか、こいつのこの余裕はどういうことだ?
「世界の終わりということか……」
「ええ。物分かりがいいようで助かります。そう、ヴェルとは世界を変革させる存在。生物ピラミッドを変化させ、そして世界を終わらせるでしょう」
「お前はなぜそんなに余裕なんだ? 世界終末信者か何かか?」
「おもしろいじゃないですか。このまま人間なんて無能な生物が牛耳っていくような世界ならば、終わらせてしまった方がいい」
「いかれてるな……」
「どうでしょう。大きい目でみれば、果たして僕はいかれているのでしょうかね?」
「……」
こんな恐ろしい言葉を不気味な笑みでつぶやきやがった。どうやら、話の通じる相手ではないようだな。だが、とりあえずヴェルという存在は分かった。破壊衝動で動く怪物か。しかも成長型のようだ。つまり、このまま野放しにしておくと、本当に世界を破壊してしまうような怪物になってしまうということ。こいつの言葉をそのまま鵜呑みにするのはまずいとは思うが、アオイがあんな状態になっている以上、うそだとは考えにくい。
これはまたバイオレンスな状況になってきたな。どうせなら、もっと軽い出生であってほしかった。お互いが笑いあえて済むような、そんな出生であってほしかったと心から思う。
しかし、それがどうしてアオイのなかに……。おそらく、こいつはその理由を知っている。だが、それを聞いても聞きだすことはできないだろう。力づくで聞き出そうとも考えたが、さっきの蹴りを見る限り甘い相手ではない。こいつの言うとおりヴェルがまた目覚め、そしてまた傷つけるだろう。それは避けたい。本当、ややこしくなってきたな。
「それはもういい。次は俺の『中和剤』という役割についてだ」
とりあえず話を変える。得られる情報は多ければ多いだけいい。
「僕の質問にも答えてはくれないようで。まぁ、いいでしょう。それはお互いさまです。では、あなたの出生の役割について……」
「おい。勝手に出生の役割を決めるな。俺は中和剤の役割を聞いているんだ。出生は関係ない。アオイは別に世界を終わらせるために生まれたわけじゃない。そして俺も、それを中和するために生まれたわけじゃない。俺もアオイもひとつの個だ。出生の役割などはない」
思わず口をはさんでしまった。俺は、こいつの何もかもを見透かしている感が大嫌いなようだ。そして、出生の役割を決め打ちされるのはさらに嫌いだ。とりあえず、俺はこいつの思い通りになど生きてはやらん。何があってもな。
「失礼。中和剤というのはあなたの血のことです。ヴェルを抑えられるのはあなたの血のみ。あなたの血を飲んだときのみ、ヴェルの破壊衝動は落ち着きます。満足するまで飲めば、また彼女の人格に戻ることでしょうね」
そうか。だからヴェルは俺の血を欲しがった。俺の血に何が含まれているのかはしらないが、これで俺とアオイの出会いは必然ということが分かった。もしかすると、出会わされたのかもしれない。そうは思いたくないが、今は明らかにこいつの手の上で踊らされている。それぐらいは分かる。
「もし、俺とアオイが出会わなければどうなっていたんだ?」
「詳細は話せませんが、ヴェルは生まれなかったでしょうね。おそらく、あなたは『ヴェルは自分の血が弱点』だと考えているのでしょうが、それは違います。むしろ、ヴェルはあなたの血を好んでいます。あなたの血を追い求めて破壊衝動を繰り返すと考えていいでしょう。そして、あなたの血の匂いを感じ取って、ヴェルは目覚めてしまった。つまり、世界変革のスイッチを押したのは紛れもなくあなたです」
「……俺たちは出会ったのか? それとも出会わされたのか?」
「どうでしょう。必然だとすれば、その方は立派な魔術使いなのでしょうね。完璧に思い通りになるシナリオなんてこの世には存在しないと僕は思いますが」
真意は分からないが、とにかく出会わせたのではないと言いたいようだな。だが、もし出会ってしまったのだとすると、時間を戻したい気持ちになるな。俺とアオイが出会わなければ、アオイはこんな運命を背負わされることはなかった。もしかしたら、何かほかのきっかけがあって忌み嫌われし呪われし者から抜け出せたかもしれないのに、俺と出会ってしまったばっかりに、本当に呪われし者を背負ってしまった。
「さて、あまりにも大きな事実を知ったあなたに、ここで最後の問いかけです」
「……」
「これはとても単純な二択。ご覧のとおり、今のヴェルならば私の力でも倒すことができます。すなわち、あなたの力をもってすれば殺すことなど造作もないでしょう。ならば後は簡単なこと。ここであなたが彼女を殺し、ヴェルごと闇に葬ってしまうか。それとも、ヴェルにあなたの血を飲ませながら、世界の癌との共存を選ぶか。世界的に考えると、英雄になるか悪魔になるかの二択です。さぁ、お選び下さい」
「……ヴェルを消滅させる方法は他にないのか?」
「お答えする義理はありませんね」
「お前は他に何を知っている?」
「それもお答えする義理はありません」
「ならば最後に聞こう。お前の名前は?」
「ウキョウです。以後、お見知りおきを」
「このままお前の手の上で踊らされたままだと思うなよウキョウ」
「ええ。そうなることを期待していますよ」
「……」
アオイか。お前と出会って、まだそれほどの時間を共有していないが、俺はお前のことを随分と気に入っている。俺の軽口にも軽口で返してくれるし、俺の料理を美味しそうに食べてくれる。そして何よりも、こんなどこのだれかも分からない俺と一緒に居てくれた。「私も分からないのだから一緒よ」と言われてしまったらそれで終わりなのだが、やはりそれはうれしいことだ。
それが、こんな形で終わりを迎えてしまうとはな。俺とお前は出会わない方がよかったのかもしれない……それが今だ。だが、それはしょせん今であって未来ではない。出会ってよかったと感じた過去はあった。だからこそ、俺はまだ未来という希望の夢を見られるのかもしれない。
もしかすると、これは間違った決断なのかもしれない。俺にとってもアオイにとっても、これからの未来を青色に染められるかどうかは確証がない。だが、少しだけわがままをさせてくれ。俺は、諦めるのが嫌いな気質なんだ。
「ウキョウ。刃物を持っていないか?」
「護身用のナイフでよければ」
「それで構わない」
どこを切ろう。まだ傷の浅い右腕でいいか。
「つっ……」
俺の肩から赤色の血が流れる。痛みは感じるが、それがアオイの生命線だと感じると愛おしくも感じる。赤というのはどうしてこうも生を感じさせてくれるのだろう。死人が流すものではなく、生きるために流れるものだと今は感じる。アオイがアオイとして生きることができるのならば、俺は重ねて同じ血を流し続けよう。
「ヴェル。さぁ、飲め」
「血!!」
血の匂いに反応したのか、ウキョウの蹴りで地に倒れていたヴェルが起き上がり、俺の右肩を凝視する。そして、極上の料理を食べるときのようなうっとりとした顔で、俺の肩から流れる血をすすり始めた。
なんとも言えない奇妙な感覚に襲われる。まさか、自分の血をだれかに飲ませる日がくるとは思わなかった。いつか貧血で死なないように気を付けよう。
「血……美味しい」
俺の血に満足したのか、ヴェルの瞳が青色から赤色に戻る。また次いつ現れるかは分かったものではないが、できるならば一生満足しておいてほしいものだ。
「レッ……ド?」
「やぁ。お目覚めかアオイ」
「私、どうしちゃったの? 気分が悪くなったと思ったら意識がなくなっちゃって」
「いろいろあったのさ。俺の腕が傷だらけなのも仕方ないくらいにな」
「あらそう……何か分からないけど迷惑かけちゃったみたいね。ごめんねレッド」
「あぁ。時にはバイオレンスも必要だろう。これからもっとバイオレンスな事実をお伝えしなきゃならないがな」
「うん……ごめん、また眠く……」
そう言うと、アオイはまた眠りについた。言ってみればアオイはヴェルの母体のようなもの。疲れも激しいのだろう。俺は、そっとアオイを抱きかかえ、家へ戻ることにした。
後ろを振り返ると、もうすでにウキョウはその場から姿を消していた。結局、何者なのかすら分からなかったな。
今回のことで、とても危険な状況におかれているということは分かった。だが、厳密には俺は何も知っちゃいない。疑問は数えきれないほどある。
俺はまだウキョウの手の上で踊らされていることは間違いない。だが、このままで終わるつもりなどはない。俺は諦めが悪いんだ。アオイ、そしてヴェルと共存して生きていくと決めた以上、アオイからヴェルを取り除いて真のハッピーエンドを迎えてやる。黒く沈んでもまた青くなる空のように。