10.愛の代償
ボスは金色の目をした死神デッドだった。ジェインは死神を殺すことだけを考えて生きることを余儀なくされた悲しい男、フェイドだった。そしてヴェルも何かわけありのようだ。すべての元凶はウキョウ。いや、エネドだ。結局はみんなあの男に操られて今を迎えている。なんと悲しい現実だろう。ボスにそんな真実を聞いたとき、俺はそう思った。
そして、それ以上に、俺は俺の無力さが悲しい。ボスは俺たちすべてを守るために拳を振るってくれた。サラも俺を信じて、あんな大きな渦の中に勇敢に向かって行った。なのに、俺と言えばどうだ。あまりの大きな力に打ち勝つことができず、何もできず意識を失ってしまった。
俺は、ヴェルの好む血を持っている。だが、ヴェルは俺自身に興味を示さなかったからボスを優先したのだろう。どれだけ好む血を持っていても、ボスに惹かれるのは納得だ。
「落ち込んでいるじゃないかレッド。無力というのは辛いか」
「あぁ。今の俺にはどこを見ても暗闇しか見えないな」
「……なら、小さな希望の炎を灯せ。そうすれば少しは明るくなる」
「それは力があるから言えるセリフじゃないのか?」
「そうじゃないと思うよお兄ちゃん」
「サラ……」
今の俺には希望の炎を灯す力もない。力がないのにどうやって拳を振ればいい。力がないのにどうやって守ればいい。今はもう、諦める諦めないの話ではない。物理的に無理だ。俺は戦闘の渦に置いていかれた。ボスにエネドやフェイドと対抗する力があっても、俺にはそれがないんだ。ヴェルの動きを目ですら追えず、フェイドに軽く意識を飛ばされてしまう俺ではな。
「強くてもエネドのように力に溺れる人もいる。そして、パパのように力を守るために使おうとする人もいる。力にもいろいろな使い方があるんだよ。お兄ちゃんは力を持ったらエネドのようになっちゃう人? 違うでしょ?」
そうだな。俺が力を得てもボスのような力の使い方をしたいと考えるだろう。だが、それはやはり力がある者の考え方だ。
「それは力のあるやつが選択できるものだ。力のない俺に、それを選択する力はない」
「強さって、戦闘が強いだけじゃないと思うよ。確かに戦闘という意味ではお兄ちゃんは一歩劣っているかもしれない。だけど、お兄ちゃんは前を向けるよ。後ろ向きに生きていたら戦闘が強くなれるわけじゃないもん。自分の持てる最大限の能力を、どうやって前向きに使おうと考えることができるか。それもひとつの強さじゃないかな。私は、お兄ちゃんなら前を向けると思うんだ」
「前……か」
空もいつもこんな無力を味わっているのだろうか。希望の炎も、こんな無力の風を受けても消えることはないのだろうか。きっと、味わっているし消えることはないのだろうな。空はいつも青くなる。そして、数千年も希望の炎を消さなかった男がいる。これは何よりの証明だ。
俺もまだ前を向いていいのだろうか。いや、いいのだろうな。空も暗いときがある。希望の炎も消えかけることもある。それが今だ。まだまだ乗り越えられる。こんな力のない俺でも、力を発揮できる場面が……そんな場面があるとサラは言ってくれる。前へ向けと後押ししてくれる仲間がいるというのは、何よりも素晴らしいことだな。
「さすが最愛の娘だ。そういうことだレッド。まだ世界が滅んだわけじゃない。諦めるのはまた今度だ。今は覚悟を決めるときだ。落ち込んでいる暇がないほど大変なことが起こるんだからな」
「あぁ。すまない」
俺たちは一度サラの家へ戻った。束縛の効力はかなり長引き、すでにもう夜更け前だ。休む時間もほとんどないというのは辛いものだな。みんな手負いだというのに。
ボスはゆっくり休めというが、いろいろと気になることが多すぎて寝るに寝られない。なので、俺はサラが寝たのを見計らってボスに声をかけた。もしかすると、サラが聞くには辛いこともあるかもしれないという配慮もあっての真夜中だ。ボスからしたら迷惑かもしれんが、俺なりに配慮はできたと思う。
俺が真夜中にボスの下へ向かうと、ボスはまだ起きていた。ゆっくり休めと言っていた張本人が休んでいないというのはおかしな話だ。
「よぉレッド。明日の朝には敵地へ向かうんだ。休んだ方がいいと思うぞ」
「そういうロンド……いや、デッドはどうなんだ? 俺の瞳には休んでいないデッドの姿が映っているが」
「ロンドで構わんさ。デッドの名は親になったときに捨てた」
哀愁漂う表情でそう言うボス。正体が不死の死神だと分かっても、中身は何も変わっていないというものは安心するな。瞳の色の変化で人格が変わってしまうという現象を目の当たりにしている身としては切実にそう思う。
「そうか。少し聞いてしまったのだが、奥さんを病気で亡くしたらしいな」
俺がそう口にした途端にボスの顔つきが変わる。
「……違う。俺が殺したんだ。俺の血は呪われているからな」
「……どういうことだ?」
深く追及するものではないとは分かっているが、俺は思わず聞いてしまう。そんな行動に移ってしまうほどボスは切なそうだった。もし、俺を言葉のはけ口にしてくれるならば、そうなりたいと思ったのだ。
「そうだな。俺も人に話すのは初めてだが、この事態に乗じて聞いてもらうか。くれぐれもサラには内緒だぞ。サラが悲しむ顔は見たくない」
「あぁ。分かっている」
俺は人里つかない山の中で暮らしていた。姿形が一生変わることのない人間なんて世界が受け入れてくれるはずがないからな。俺はそんな山に身を潜めていたんだ。かといって、別にそれがつまらなくはなかった。人とのつながりはなくても、自然とのつながりはあったからな。山が時間や時代とともに成長していく姿は胸がときめくものがあった。
そんなときに俺とララは出会った。あれは約二十年前くらいのころだ。俺はこんな人里つかない山に林檎を拾いに来たララを見つけた。きれいだったな。数千年生きてきた俺でも特別きれいだと思えるほどにきれいだった。
そして、そんなララが拾った林檎を落としたんだ。いつもなら人と関わることなんてないのだが、気付けば俺は落ちた林檎を拾ってララに声をかけていた。今思えば、あれは一目惚れだったのだと思う。数千年生きてきて初めて、恋はおそろしいものだと本能が実感した瞬間だった。
「林檎……落としたぞ」
久々過ぎるほどに人と関わった俺は、たどたどしい言葉でそう声をかけた。もう、どんな表情をしていたかも忘れてしまったが、ひどかったと思う。
「あらっ、ごめんなさい」
ララは慌てた様子で俺が拾った林檎を受け取った。その仕草だけでもきれいだと思えたものだ。
「ありがとう」
そうしたら、今度は笑顔でお礼を言ってくる。こんなダブルパンチは反則だと俺は思った。第三者から見たら当たり前の光景かもしれないが、俺はそんな風には思えなかった。色眼鏡の世界というのはおもしろい。どんな出来事も思い出の一ページになってしまう。
「あぁ。だが、ここにはもう来ない方がいい。ここには死神がいるという噂がある」
「あらっ、そんないわく付きの山だったのね。だけど、あなたも山に来たのでしょう? なら、大丈夫よ」
「俺がその死神かもしれないぞ?」
「そうだとしたら一応聞いてみるわ。『死神さんは私の命を奪いにきたのですか?』って」
「どうしてそんなことを聞く必要がある」
「だって、そうじゃなければうれしいもの。死神が悪い生き物かだなんて、私の目で確かめないと信じられないわ」
世界中から死神だと虐げられてきた俺には、その言葉はものすごく温かかった。この瞬間、俺は俺が見てきたどの人間とも違うと感じることができたんだ。こんな少しの関わりしかないのにおかしな話だとは今でも思う。
「死神は殺しもしないし死にもしない。永遠にこの世で生き続ける呪われた存在だ」
「あらっ、それなら安心じゃない。そこに『あなた』は含まれていないわ」
「……」
「また来るわね。私はララ。あなたのお名前は?」
「……来ない方がいい」
「だめか。じゃあ、判明するまでは死神さんと呼ぼうかしら」
「どうして俺を気にかける?」
「だって、寂しそうな目をしているもの。これだけじゃご不満かしら?」
「さあな」
「じゃあ、また来るわね。ちゃんとここにいてよ。出てきてくれないと『死神さん!!』って叫びまくっちゃうんだから」
「……」
そのときの俺はひとつも素直になれなかった。俺には、『だれも傷つけないでいられるならば、俺に欲望の矛先が向いていることで世界が上手く回るならば、俺一人が犠牲になろう』という信念があったのだが、それを間違った方向へ広げてしまっていたのだ。その使命感に酔っていて、塞ぎこむことが犠牲だと勘違いしていた。まぁ、その誤解を解いてくれたのもララだ。おそらく、これから先もこれ以上の物好きと出会うことはないだろう。
ララは本当に数週間後には山に現れた。そして、俺を探し始めた。初めは警戒して姿を現さなかった。だが、しばらくしたら「死神さん!」と叫びだすのだ。俺は慌ててララの前に出ていった。諦めて帰るものだと思っていたのに、まさか本当に叫ぶとは思わなかったからな。今思えば、おかしな顔をしてララの前へ出ていったのかもしれないが、そのときの俺はそこまで意識している余裕はなかった。
そういえば、俺が出ていったときに、ララはクスッと笑ったかもしれない。もしかすると、かなりふざけた表情をしていたのかもな。
そして、俺と他愛もない会話をしては帰っていくのだ。そして、決まって林檎を持って帰っていく。ここの林檎が相当気に入ったのだろうと思っていた。だが、それは俺の勘違いだった。ララと出会って数か月を経たころ、そして、俺がララと会うのが五回目のころだ。あれはよく覚えている。その日の終わり、俺が初めてララに名前を明かしたときだ。
「ララ」
「どうしたの死神さん?」
「俺の名はデッド。死神デッドだ。別名、金色の目をした男。怪物を倒した死神だと言われ、忌み嫌われてきた」
俺は何を思ったか、古代の伝説の当事者だということをおもむろに話し始めた。本当はもっと順序を踏んで言っていくものだと思うが、俺はララになら俺の過去を告げてもいいと思えた。そして、そう思った時にはすでに言葉になっていた。俺の過去話は止まらなかった。言うべきこと、言わなくてもいいこと、すべてを盛り込んでララに打ち明けた。
普通に考えれば馬鹿な話だ。だれも信じることのないおとぎ話のような話を俺は打ち明け続けた。だが、ララは黙ってそれを聞いてくれた。それは俺にとって何よりもうれしいことだった。俺を俺として見てくれることは本当にありがたい。
「みんな見る目がないね。だれもデッドを見ようとしないのに、虚実の欲望から作られたデッドのことは信じるんだもの。みんな見る目がないよ。私の瞳に映るあなたはこんなにも優しいのに。デッドは虚実なんかじゃなくてここにいるのに」
「ララ……」
俺はララに抱きついた。気付けば涙が流れていて、救われたような気さえした。しょせん俺は弱い生物だ。それは今も変わらない。俺一人が犠牲になろうと意気込みながらも、だれかに俺の存在を確認してもらうことに渇望していたのだ。
そんな俺をララは抱きしめ返してくれた。温もりとはこんなに幸せなものなのかということを実感した。だが、それはすぐに終わりを迎える。ララが俺を引き離して一言告げた。
「ごめんね。今日で、しばらく会えなくなるの。ううん。もしかしたら一生会えないかもしれない。ごめんね。最後の林檎、心して食べるから」
俺は意味が分からなかった。なぜそうなるのか。やはり、呪われた死神と一緒にいるのが嫌になったのか。それなら仕方がないが、そうとは思えなかったから納得もできなかった。
林檎を摘んで俺の前から去ろうとするララの手を俺はつかんでしまった。数千年も生きてきた死神が、涙を流しながら一人の女性の手を掴み「嫌だ」とつぶやく姿など、エネドやフェイドですら見たことがないだろう。
「!?」
そのとき、俺は手を掴んだことにより、めくれたララの服からのぞく、手に描かられた紋章を見つけてしまった。俺は思わず手を離してしまう。
「ごめんね……ありがとう。楽しかったよデッド。また会えたらいいね」
そうしてララは俺の前から姿を消した。その日以降、本当にララはこなくなった。どれだけ待ってもララは姿を現さない。もし、何の手がかりもない状態だったとしたら、俺は時間の経過とともに諦めていただろう。
百年もすれば人はすべて入れ替わる。そうすれば自然と諦めもつくということを俺は知っていたから、待とうと思えた。だが、俺はララの手に描かれた紋章が頭から離れなかった。ファッションにしてはどうにも違和感が残ったのだ。
ララが姿を消してから半年ほどを経たころ、俺は意を決して山を下りることにした。当然、身を隠すフードをまとってだ。万が一ではあるが、俺が消息を絶ったこと不思議に思っているエネドやフェイドに見つかると怖いからな。そこら辺は慎重に準備をした。
山を下りた俺は、まずは近くの町で情報収集を開始した。必死で拾い集めた金で紙とペンを買い、頭の中にあった紋章を書き込む。そして、それを見せながら町を歩く。
フードを被った怪しい人間が怪しい紋章が紙をもって訪ねてくるのだ。相手にしてくれる人などほとんどいない。だが、情報を発信してくれる人というのはたまにいる。その紋章に見覚えがあって、さらには憎しみがあるなら言いたくもなるというものなのかもしれないな。
「その紋章……もしかしてこれじゃないか?」
情報提供者が写真を一枚取り出す。そこには薄汚い衣服を着て働く軍団と、その軍団すべてに施された紋章が写されていた。それはララに描かれていた紋章と同じものだった。そして、俺の中に嫌な予感が走った。
「その紋章だ! 知っているのか?」
「あぁ。それは、遠くのスレーブという町に居る、支配者ブストスの奴隷がつけさせられる紋章だよ。俺も昔働いていたんだが酷いもんさ。人権を尊重する社会の中で、権力に物を言わせてまだ奴隷制を採用してる。権力に押されてだれも反抗できないことをいいことに、好き放題さ」
奴隷。これは俺にとって呪いの始まりであり、もっとも嫌いな言葉だ。だれかが救われるためにだれかを犠牲にするなんて間違っている。犠牲にするくらいならすべてを救うくらいでないと割に合わないのに、奴隷は使い捨てられる。だれかを救うために多くの人間を犠牲にするなんてさらにだ。
それも、ララが奴隷にされているという事実。これは、俺を怒らせるには十分だった。
「ありがとう。感謝する!」
俺は走った。俺の動きは常人には捉えられない。もしかすると、エネドはこの異変に気づいて動き始めたのかもしれない。今思えば、そんな考えにもいたるが、そのときの俺は志した信念を放棄するほどに、怒りで頭が満たされていた。
それにしても遠い距離だ。俺からすればそう遠くないが、ララからすれば相当な距離となる。ララは相当な時間をかけて林檎を摘みにきていた。疲れた足を止めず、削られていく精神を放棄せず、ララは俺に笑顔で接してくれていた。なのに、俺ときたらどうだ。ララの身体にも精神にも、どんな異常にも気付いてやれず、ただララと話すことを楽しみにしていた。
ララは俺を俺として見てくれていた。だが、俺はララをララとしてではなく、俺のような死神と接してくれるいい人だと考えていたのかもしれない。呪われているのは俺の身体ではなく心なのかもしれないと、そのときは心の底から思ったものだ。
「何者だ! ここをブストス様の屋敷だと知ってのことか?」
「知らん。通せ」
「不審者だ! 応援を頼む!」
「黙れ」
「ぐっ」
軽く拳を振るって見張りを気絶させる。応援がぞろぞろと現れたが、俺からすればどれだけの数が集まろうと問題ではない。そこは死神に違いなかった。俺を呪われた死神だと縛り付けるものは、なによりもこの強い力だ。
すぐに場は片付き、俺は屋敷を駆けまわる。大体、こういうものは一番大きな部屋にボスがいるというのが相場だ。奴隷などを使おうとする馬鹿は何もかもで一番になりたがる。権力を手に入れて、大きな家を、部屋を手に入れても、自分自身が強くなるわけではないというのに、強くなった気でいる。俺はそういう馬鹿が大嫌いだ。
「……デッ……ド……?」
「な……なんだ! 警備はどうした! 侵入者だ! 侵入者だぞ!!」
「残念だったな。いまごろ見張りどもは夢の中だ」
扉を開けたそこには、肉塊のような身体をしたブストスと、そんなブストスに奉仕をさせられている女性が数人ほどいた。そして、そのなかにはララの姿もあった。
「これだから奴隷なんてものは嫌いだ。ブストス。お前は、これだけの女性の心を殺して楽しいか? 自分の思い通りになればそれで満足か?」
「な……何を言っておる! これは僕の力の結晶だ。手に入れた力を自由に使って何が悪いという。お前、僕を殺してみろ? 政府が黙っていないぞ?」
「ララ……林檎は美味しかったか?」
「……ごめんなさい……あれは……」
「そうか。林檎はすべてこいつの腹の中だったか。よほどお気に入りだったが飽きてしまったということか。勝手な話だ」
「早く出ていけ! 僕は偉い。本当はお前のようなやつがお目にかかることすらあり得ない話なんだ。僕が奴隷をどう使おうと勝手だろう。こいつらは奴隷なんだぞ。僕に忠誠を誓った下僕なんだ」
そうやって、人間は強者と弱者を分ける。そこに格差をつけ、自分は偉いとふんぞり返る。それで何を得られる。何を守ることができる。何を志すことができる。
「俺は決して、お前のようなやつを偉くするために死神になったわけじゃない。人間は死ねるんだ。死に場所を選べないものほどつらいことはない。心を殺されるということを身をもって知れ!」
「ひっ……ひぃ……」
「だめ!! だめよデッド!!」
一糸纏わぬ姿でベッドから飛び出し、俺がブストスを殺めようとするのを止めるララ。このときの俺にはどうして止められているのか分からなかった。ブストスに心をつぶされているのかと思ったくらいだ。
「なぜだララ! お前たちをこんな風にしたブストスには死でつぐなってもらうのが一番だ。こいつは人の心を壊し過ぎた」
「だめだよ。どんな人間でも生きてるんだよ。『生』を奪っちゃだめ。だめだよ……」
「こいつはお前たちの心を壊しているんだぞ? それを許すというのか?」
「許せるわけないじゃん……だけど奪っちゃだめ。ブストスを殺めても私たちの心も時間も返ってこない。これは自業自得。奴隷になっている私たちにも問題はあるんだよ。だから……奪わないで。デッドにも迷惑かけちゃう……」
「……今、ここで奴隷になっている人たちを全員解放しろ。これ以上、だれかを傷つけることは俺が許さない」
「ひぃぃ……」
今思えば、俺にも問題がある話だった。俺は、自分が犠牲になるということに酔って、世界の欲望の矛先を俺に向けさせることは放棄していた。ただ、人と関わらないようにするだけでは、俺のことを気にかけなくなるのは時間の問題だ。
時代は巡り、人も変わる。俺のことを死神だと言って欲望のはけ口にしていた時代はとっくの昔に終わっていたのだ。いまや、俺は神話の登場人物となってしまった。俺は、世界との関わりを避けていただけで、何の犠牲にもなっていなかった。こんなことが起こっているとはいざ知らず、ただ塞ぎこんでいただけだった。
「ララ。俺と一緒に行こう」
「えっ?」
「俺と一緒に人生を歩もう。俺は、お前を離したくない」
そのときの俺は死ぬほど恥ずかしそうだったと思う。どれだけ生きていてもこういうときはドキドキするものだな。
「……はい。やっぱり私の瞳に映るデッドは何よりも優しい……」
山を下りた俺は、スレーブの町でララと暮らしていた。これは、ブストスがまた権力にものを言わせないか見張るためでもあり、この町の環境自体は嫌いではなかったということもある。
このときの俺は、自分が呪われた存在だということを意識していなかった。時代は流れ、人は変わるのだ。俺の姿を見ても古代の伝説の金色の目をした男だと言われることもないだろう。
俺は俺自身を過信していた。そんなに人は俺のことを知らないし見ていない。普通に働いて普通に生活できる。歳を重ねればどこかの町へ引越せばいい。そうすれば歳を取らないという弱点も少しは濁せるだろう。一応、金色の目の対策としてサングラスをかけ始めたのもこのころだ。俺だって人間らしい生活ができるんじゃないかと希望を持っていたものでな。
だが、その考えは甘かったことをすぐ知ることになる。ララと生活を始めて半年ほど、ララの身体に生命が宿った。俺はそれをとても喜んだが、それと同時にララの身体が病魔に蝕まれたことも知った。原因は不明だったが、俺にはすぐに分かった。人間でありながら人間の身体ではない俺の生命が、純粋に人間であるララに順応するはずがなかったのだ。
それでもララは笑ってくれた。俺といて幸せだと言ってくれた。サラを産んで死ぬ前も、俺を憎まず笑って包み込んでくれた。
「産まれたね。私たちの子どもだよ。ふふっ、親になれちゃった」
「ララ。よく頑張ったな」
これが、俺に言えた最大の言葉だった。自責の念で押しつぶされていることをララに悟られるわけにはいかない。ララも頑張ったのだから、俺も頑張らなくてはならない。
「私ね、この子の名前はサラにしたいの。なんだか、どんなことにも負けずに前を向いて歩けるような名前のような気がして、私は気にいっているの」
「サラ。そうだな。いい名前だ」
「決まりね。デッドならいい子に育ててくれると思うわ。私も安心ね」
その言葉は別れを指す。それは分かっていたが、受け入れるのは未だに難しいな。
「すまない……俺はお前を……」
「こらっ! そこから先は言わないで欲しいな。私はデッドと過ごせて幸せだったのに。デッドが責任を背負う必要なんてどこにもないんだよ。デッドと出会ってなかったら、こうやって笑顔と幸せにまみれて死ねなかったかもしれない。私の死に場所はここでいいの。サラを育てられないのは残念だけど、デッドがいるから安心よ。本当にね」
「……ララ」
「最後にキスして? あなたが呪われていないことを証明するキスを。私が最後に笑えたことを証明するキスを。あなたと過ごせていた時間を思い返せるようなキスを」
俺が知る限りで、何よりも甘く、そして切ないキスだった。
そして、ララはこの世を去った。俺は涙を流したが、今思えば失礼な話だったと思う。ララは笑顔でこの世を去ったのだ。俺も笑顔で送りたかった。
だが、その直後に問題は発生した。俺の血は不死だ。つまり、産まれてきたサラも不死だった。俺はサラにこんな宿命を与えたくはない。俺はサラには人間として生まれ、人間として死んで欲しいと強く思った。
そんな思いを胸に抱いたとき、新たな魔力の線が姿を現した。その魔力線をたどっていくと、未だに解き明かされていなかった禁術『調律』に結びついた。俺は調律の謎を解いた唯一の怪物だろう。それは今でも変わらない。
俺は、数千年間溜めてきた魔力のすべてを使ってサラに調律を施し、サラを人間に構築した。サラの瞳が赤からグレーに変わったことがその証拠なのだろうと思う。
調律は心を魔力に宿して発動する魔術だ。対象への思いと、その覚悟を示すために魔力を生贄に捧げる。エネドには一生かかっても手に入れることができない魔術だということも分かる。あいつが何かのために魔力を棒に振ることはできないだろうからな。
「これでサラは俺のような苦しみを味わうことはない。愛しき俺の娘よ。こんな頼りない死神の俺を選んでくれてありがとう」
これが俺とララの真実だ。ララは幸せだと言ってくれたが、俺が殺したことに変わりはない。俺に流れる血は呪いだ。決して人間には順応しない血。
そういう意味ではレッドの血は優しい。少なからずヴェルを落ち着かせることができるんだ。その力を大事にしろ。お前は決して無力じゃない。希望の炎を消すにはまだ早すぎる。
「……そんなことがあったのか」
ボスの話は、今のボスの強さの根源を証明するのに十分な話だった。強い力とはまた違う力か……。それは、本当にこの世に存在するのかもしれないな。
「俺はロンドが殺したわけじゃないと思うが。それは、俺がどうこう言うよりも、ララの気持ちがすでに証明していることだがな」
「……そうかもしれんな。だが、それをサラに伝えるのは酷だ。これは俺とララの問題だ。サラに背負わせるものではない」
「そうだな。知らなくていいものを知るのは重いな」
「あぁ。だが、少し荷が軽くなった。感謝する」
「俺はロンドにこれ以上の荷を軽くしてもらっている。感謝には及ばないさ」
「それはありがたいな。だが、そろそろ休んでおけ。明日に響くぞ」
「……あぁ。ロンドもな」
「俺は不死だ。寝なくても食べなくても身体に異常は起こらない」
「便利だな。まさに健康体だ」
「大きく見れば意外とそうでもない。死ねないのだからな」
死ねないという感覚は、死ねない人間にしか分からないのだろう。俺は、不死と聞くとすごく魅力的なものに感じてしまう。だが、実際背負ってみればそんないい話ではないのだろう。
よくある話だ。中和剤という非日常を背負うだけでつぶれそうな俺が背負えるものではないのだろう。本当にボスは尊敬に値する。
明日はアオイを取り戻す。俺はもう一人じゃない。ボスとサラという心強い仲間がいる。俺が朽ちても構わない。どんなことがあってもアオイを取り戻して、ヴェルを取り除いて見せる。