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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

選択肢

作者: 黒井ハナ
掲載日:2026/08/27

【ご注意】

本作品集には、いじめ、精神疾患、希死念慮、自傷行為、暴力的描写を含む表現があります。


読者の方の心身の状態によっては、強い不安や動揺を引き起こす可能性があります。


これらの表現に不安を感じる方は、閲覧をお控えいただくよう、お願いいたします。

【一】


 薄い浅葱色のカーテンがゆらりと揺れて、月の光がそっと、私の瞳の表面に反射した。


 月の「声」に呼ばれた。


 マンションの屋上、出来るだけ夜の月に近い場所から、真っ黒に広がる(てん)を眺めたい気持ちになり、私はマンションの屋上まで階段を登って、一人、夜の闇を眺めていた。


 そっか。

 夜空は、こんなにも綺麗なものなのか。


 屋上から眺めた空には雲一つなかった。

 深い水のように澄み切っている。

 息を吐き切ったタイミングで空をもう一度見上げる。


 リン。

 リン。

 リン。


 私の手を引くように、ポケットの中の携帯電話が鳴り始めた。


 携帯電話の艶やかな画面。

 そこには、同級生の「ミミカ」の名前が、白い文字で表示されていた。


 ぴっ。

 私は通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てる。

 (つんざ)くような悲鳴と叫び声が、スピーカーから鳴り響いた。


「やめて……!」

 ミミカの声は震えていた。

 携帯電話の向こう側。

 彼女が小刻みに、しかも、ぜいぜいと呼吸が乱れていることが、すぐに分かった。


「たすけて……お願い……」


 スピーカー越しの粗末な男。


 お願い。

 助けて。

 もう、助けて……。


 ミミカは震える声で、何度も、誰かに懇願し続ける。


「マミが……。マミが私を……。私を殺そうと……している……! 次は私が殺されちゃう……!」


 喉の奥から声を出すのが、精一杯なのだろう。

 きっと携帯電話を持っている手も、大きく横に震えているのだろう。

 ミミカの悲鳴は鳴り止まない。


 殺される……。

 殺される……。

 ころされる……。

 ころされる……!!


 そして、ミミカは絶叫した。

「マミが私を……マミが私を殺そうとしているの!」


 マミもまた、私の同級生だった。

 「だった」という過去形を使うのは、彼女はもう、既に、同級生じゃなくなったから。


 マミは、もうこの世にはいない。

 マミは今日、死んだ。

 亡くなった。


 だが、ただ命を落としたわけではない。

 マミは私とミミカの目の前で、いや、正確に言えば、今日の午前の授業中、私たち同級生の目の前でマミは亡くなったのだ。

 マミは自ら命を絶ったのだ。


【二】


 午前の授業中。

 異変は突然、何の予兆もなく訪れた。

 (つんざ)くような悲鳴が、突如として教室に響いた。


「やめて……! 来ないで……!」

 落雷のような叫び声。

 それはマミの叫び声だった。


「……こっちに来ないで! やめ……て……! やめてよ……! 嫌だ…………嫌! 来ないでよ!」

 泣き叫ぶ彼女の目は、同級生の顔も姿も、誰一人、認識できていないようだった。

「誰なの!? 知らない! 私は知らないから……!」


 知らない。

 あなたたちのことなんて知らない。


 マミはそう何度も、(ちゅう)に向かって叫び続ける。

 何者(なにもの)もいるはずのない空中に向かって、マミは懇願し続ける。


「あなたたちは……誰なの……? だれなの!? お願いだから来ないで……」


 こっちに来ないで!!


 マミは自分の座っていた椅子を持ち上げると、教室の天井に向かって投げつけた。

 椅子は天井の蛍光灯にぶつかって、ガラスが割れる音とともに勢いよく落下し、女子の一人に激突した。

 その女子が痛みで悲鳴を上げたが、その声さえも、マミのさらなる叫び声によってかき消されてしまう。


 マミの口から出る言葉は、どれも日本語の文章として、まるで意味を成しておらず、誰も理解することが出来なかった。

 だが、教室の皆が聞き取れた言葉が一つだけ、たった一つだけあった。


 「死にたくない」


 何度も、何度も。

 彼女は、繰り返した。

「私、死にたくない……」

 彼女はその言葉を繰り返す。


 私はマミを落ち着かせようと、彼女の肩に手を伸ばしたが、その手はただ、(くう)をつかんだ。

 マミは窓に向かって飛び出したのだ。

 淀む朝の空気に向かって。

 何者(なにもの)かから逃げるがごとく、マミは窓に向かって走り出した。

 そして、そのまま彼女は身を投げ出した。


 一分も経たなかった。

 同級生の誰もが聞いたことのない鈍い音がした。


 --やわらかい肉体とアスファルトがぶつかる音。


 その音で、ついにクラスの全員がパニックに陥った。

 教室から泣きながら逃げ出す者、その場にうずくまって苦しそうに呼吸をする者、私のように唖然と立ち尽くす者……。

 当然、学校も臨時休校となり、生徒たちは家に帰されることになった。


 このクラスの中で、今回の惨劇に一番衝撃を受けていたのは、ミミカだった。

 ミミカは学校から出る直前までトイレに籠り、自身の身体の水分がなくなってもなお、吐き続けていたようだ。


「ミミカさん、マミちゃんと仲が良かったものね」

 同級生の何人かが、ミミカをまるで心配するかのようにそう言ったが、彼女の誰もが本心では全くそう思っていないことは、誰の目にも明らかだった。

 ミミカはマミの死を全く悲しんでいない。

 それはクラスの共通の認識であり、実際、事実そのもの。

 しかし、なぜこれほどまでに、ミミカが衝撃と恐怖に襲われているのか……。

 皆が首を傾げる中。

 真相を知る者は、私一人だけだった。


【三】


 マミが身を投げる、ちょうど一週間前。

 私はミミカから、放課後に呼び出された。

 場所は、学校からそう遠くない、小さな神社。


 「寂れた」という表現が、まさにぴったりの人足がほとんどない。古く、小さな神社。


 しんとした空気。

 風に木の葉が揺れる音。

 真っ赤な鳥居の下、ミミカが私のことを待っていた。


 この神社には、都市伝説が「一つ」存在した。


 古い神社の入り口。

 そこには、小さな木製の赤い箱が置かれている。

 野ざらしに置かれたその箱は、神社への意見や要望を集めるための、いわば「目安箱」。


 だが、「赤い色」というものは、人の好奇心と想像力を掻き立てる。

 数多の人間の口から口へ。

 やがて、想像は確かな噂となって、世に広まってゆく。

 そうして、生まれた都市伝説。

 それは、赤色の紙に名前を書いて箱の中に入れると、名前を書かれた人は呪われ、この世のものでない「何か」につきまとわれる。そして、その恐怖から解放されることなく命を落としてしまう。


 そんな悪辣な都市伝説。


 そして、この二つ目の都市伝説には続きが存在した。

 名前を書いて箱の中に入れた人物もまた、穏やかな風に手を引かれ、「穏やかに」その命を終わりを迎える、と。


 その日、ミミカが用意していたもの。

 それは真っ赤な折り紙。

 その紙に書かれていた名前はマミ。


 ミミカは、ケラケラと笑う。

 こんな紙が見つかったらマミは学校に来れなくなる。

 ミミカの声は、神社の中に静かに響いた。


【四】


 ミミカがそんな嫌がらせを行った理由。

 それは、至って簡単。

 ミミカは、自分と仲の良いグループで、マミに対していじめを行っていたから。


 いじめを見かねた同級生の一人が、マミを連れて担任の教師に相談をした。

 だが、不運か必然か。

 その事実は、すぐにクラスの中に広まる。

 その事実は、ミミカの耳に入る。

 ミミカは報復と言わんばかりに、より陰湿にマミを追い詰め始めた。


 だが、マミの異様な叫び声。

 行動。

 彼女の結末。


 それら全ての事象を目の当たりにしたミミカは、ついに確信した。


「あの呪いは本当だった……。次に死ぬのは……私なの?」


 ひゅうひゅう。

 まるで、肺に穴が開いてしまったかのように、ミミカは息にならない声を出し続けた。


「私、死にたくない!!」


 ミミカは学校の廊下で泣きながら私にそう叫ぶ。

 彼女は私の手を振り払い、自分の家に逃げ帰った。


【五】


 --お願い。

 --たすけて。


 電話の向こう側から聞こえてくるミミカの声は、マミのものと瓜二つだった。

 ミミカには、この世の者でなくなったマミのことが見えているのだ。

 血まみれの。

 あるいは、人の形をしていないマミの姿が。

 ミミカの悲鳴が、屋上に響いた。


「私が全て悪かった!! お願い、殺すなら早く殺して!! もうこれ以上、血を見せないで……私に見せないで……!! こんなに怖ろしい思いはしたくないの!!」


 どうして早く殺さないの?

 どうしてこんな苦しめるの?


 ミミカの問いに対する答え。

 それは、とても簡単だった。

 それは、とても簡単なものだ。

 

 --それは、私がミミカの名前を書いたからだ。


 血のような真っ赤な折り紙に、私は彼女の名前を書いた。

 そして、赤い箱の中に入れたのだ。

 だから、ミミカは「穏やかに」命を終えることができない。

 だから、ミミカは、この世のものではなくなった「マミ」につきまとわれているのだ。


 私は思ってしまったのだ。

 もしも、ミミカが書いた赤い紙が見つかり、マミが教師の強い庇護(ひご)を受けることになったのなら。

 もしも、マミに寄り添い、担任に相談に行ったのが私だったとバレたなのなら。

 次のいじめのターゲットに私はなるかもしれない。

 私は、人生で初めて「人を傷つけたい」と思った。

 ミミカのやり方でミミカを傷つけたい、と。


 ミミカは電話の先で泣き叫び続けたあと、声にもならない悲鳴をあげて、そのまま静かになった。


 夜の静寂が、再び戻る。


 ミミカの声が聞こえてこないことを確認し、私は携帯電話を屋上から投げ捨てた。この携帯電話を使うことなんて、もう二度とないのだから。


【六】


 思えば、全く意味のないことをしてしまった。

 呪いは確かに存在したのだから、放っておけばミミカは自ら身を滅ぼしたというのに。

 私が命を懸けて、彼女を呪う意味なんて全くなかったのに。


 もしも、呪いの存在を少しでも信じていれば。

 あるいは、そもそもミミカの卑劣なやり口に、正々堂々と立ち向かっていたのなら。

 誰も命を落とさない選択肢は、すぐそこにあったのかもしれない。


 しかし、今となっては、私にはもう、どうでもいい。

 ただ、身を乗り出したい。

 私が鉄柵から身を乗り出したとき、暖かい風が、私の髪を撫でた。


 ()の光のように、心の奥まで暖めてくれる。

 そんな優しい、夜の風が。

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