第9話 三つの卵
卵だった。
一個だけではない。土をゆっくりと広げると、卵が三個、ほぼ等間隔で埋まっていた。直径は十五センチほど。表面がごつごつとした質感で、ウォームドレイクの卵のような滑らかさはない。色はくすんだ茶色で、土と区別がつきにくい。
悟はその場でしばらく動かなかった。
「……ガッシュ、産んでたのか」
背後でガッシュが静かにこちらを見ていた。いつものように表情は読めない。ただ、いつもより動かない。悟が卵の近くにしゃがんでいても、逃げるでも威嚇するでもなく、ただ立っている。
アームドボアのガッシュ。草食性の猪型魔物。半年以上一緒にいるが、繁殖の記録がある種ではない。管理局のデータベースにも産卵に関する報告は上がっていなかったはずだ。そもそも草食の魔物が卵を産む、という記録自体が、悟の手元にはない。
「草食でも産卵するのか……記録がない」
声に出して言ったが、驚きの解消にはならなかった。
とにかく、今ここに卵がある。そして卵には体温が必要で、時間は待ってくれない。
悟は卵を一個ずつ丁寧に掘り起こした。土を落として手で包むと、かすかに温かみがある。完全に冷えてはいない。埋めたのがいつかはわからないが、ガッシュがこのスペースにいることを考えると、体温を借りていた可能性が高い。
保温環境の準備を始めた。ウォームドレイクの卵と違い、アームドボアの孵化適温についてのデータがない。悟は手元の資料と頭の中の知識をつなぎ合わせながら、とりあえず哺乳類寄りの魔物の孵化環境を参考にした。二十八度から三十二度の範囲で保温ランプを当て、湿度は高めに保つ。これでいいかどうかは、やってみながら調整するしかない。
ガッシュが廊下の入り口から部屋をのぞいていた。中には入ってこないが、視線が卵の方向に向いている。
「見てていいですよ。邪魔はしないでくれると助かりますが」
ガッシュは首を少し横に傾けた。返事の代わりなのかどうかはわからない。
卵を三個並べて保温ランプを整えながら、悟は記録を取り始めた。発見日時。発見場所。卵のサイズ。表面の質感。体温の有無。ガッシュの行動。書くことが多い。
レグが部屋に入ってきた。卵のそばまで来て、鼻先を近づけて臭いを嗅ぐ。それから悟の顔を見た。
「同種じゃないですよ。たぶん。見てていいけど、触らないで」
レグは「ふぅ」と息を吐いて、卵から少し離れた場所に座った。遠巻きに観察するつもりらしい。
その日の夜から、悟は卵のそばに寝袋を持ってきた。孵化が近いかどうかも不明だが、初めての個体の場合は近くにいた方がいい。
三日目の夕方、変化が起きた。
一個目の卵に細かいひびが入り始めた。悟はノートを持ってその場にしゃがんだ。ひびが広がるのが見える。内側から何かが押している。
ガッシュが廊下に出てきて、部屋の外から頭だけ入れて見ていた。
「静かにしてくれてますね」
ガッシュは何も言わない。当然だ。
ひびが走って、殻が割れた。中から前足が出てきた。小さい。成体のガッシュと比べると、まるで別の生き物のように見える。プレート状の突起はまだ柔らかく、全体にしっとりとした質感がある。目を開けると、黒い小さな瞳がきょろきょろと動いた。
「はじめまして」
幼体が悟の声の方向に首を向けた。
続いて一時間ほどのあいだに、二個目、三個目も孵化した。三頭それぞれ少しずつ動きが違う。最初に生まれた一頭が最も活発で、すぐに体を起こしてふらふらと動き回ろうとしている。二頭目はおとなしく丸まっている。三頭目は孵化直後から声を出していて、小さくかすれた音を繰り返していた。
体温測定、体重計測、初給餌の準備。ドレイクの幼体とは違い、アームドボアの幼体は何を食べるかも手探りだ。草食性の親の特性から考えると植物由来のものが基本になるはずで、消化しやすい形に加工した柔らかい葉と果実を少量ずつ試した。三頭とも少しずつ口をつけた。
ガッシュが部屋に入ってきた。幼体の前で立ち止まり、しばらく動かない。
幼体三頭がガッシュの方を向いた。
ガッシュが低く息を吐いた。威嚇ではない。もっと穏やかな音だった。幼体たちがゆっくりとガッシュに近づいた。ガッシュは動かない。幼体が鼻先を親の足元に押しつけた。
悟は記録を書く手を一瞬止めた。
親が受け入れている。産んだ後どうするかわからない様子だったが、悟が環境を整えて三頭が無事に孵化したことで、何かが落ち着いたのかもしれない。理屈でははかれない部分だ。ただ、ガッシュが幼体を受け入れているのは確かだった。
レグが遠巻きから観察している。今日は卵から幼体に変わったことで少し近づいたが、ちょっかいは出さない。近づきすぎると悟の視線が来ることを知っているのかもしれない。
「今日は多いですね」
悟は独り言を言いながら、記録ページに「幼体三頭孵化・全頭体温正常・初給餌問題なし」と書いた。
名前をどうするかは後で考えよう。一頭のときでも時間がかかった。三頭いる今は、なおさらだ。
夜になって施設が落ち着いた。ガッシュが幼体三頭のそばに体を横たえていた。幼体たちがガッシュの腹のまわりで丸まっている。ドレイクの幼体がレグのそばで眠るのと、構図がよく似ていた。
悟は記録ノートを開いて、新たにページを作った。「幼体ガッシュ一号・孵化日・体温正常」「幼体ガッシュ二号・孵化日・おとなしい、丸まりがち」「幼体ガッシュ三号・孵化日・鳴き声あり、活発」。
三頭並べると個体差がはっきりしている。同じ日に生まれて、同じ親から出てきて、これだけ違う。生き物というのはそういうものだと悟は思う。動物園でも、兄弟個体が同じ環境で育っても性格がまるで違うことはよくあった。記録に残しておくと、後から読み返したとき面白い。
ガッシュが幼体たちの鼻先を一頭ずつ確かめるように嗅いでいた。幼体は逃げない。三頭目が鳴き声を上げると、ガッシュが低い息を返した。会話しているのかどうかは悟には判断できないが、距離が縮まっているのはわかった。
賑やかになってきた、と悟は思った。施設を始めたときは、こんなに増えるとは思っていなかった。一頭また一頭と増えていく中で、施設の空気も少しずつ変わってきた気がする。最初のころは緊張している個体が多く、夜中にざわめくことも多かった。今は、それがない。
そのとき、インターホンが鳴った。




