表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/19

第7話 脱ぎたて

レグが器の前に座ったまま、また顔を上げた。


 悟はそれを見てすぐしゃがんだ。体温計を出す。レグの首元に当てて計測する。数字が出た。普段より一度三分低い。誤差の範囲ではない。


「いつから元気なかった」


 レグは答えない。答えられない。ただ悟を見ている。


 悟は両手でレグの体を丁寧に触った。腹部、背中、四肢の付け根。筋肉の張り、皮膚の状態、鱗の感触。鱗がわずかに浮いている。根元が乾燥している感じがある。腹の鱗の一部が白っぽく変色していた。


「脱皮前か」


 独り言のように言って、頭の中で時期を確認した。レグが最後に脱皮したのは五ヶ月前。ウォームドレイクの脱皮周期は四〜六ヶ月で、体調によって前後する。外気温が下がってきた今の時期は脱皮が誘発されやすい。症状が一致する。


「問題ないです」


 レグに言った。レグは「ふぅ」と息を吐いた。


 悟はすぐ動いた。保温ランプを一段階上げる。バスキングスポットの温度を三十四度に設定する。通常の給餌は一旦止めて、消化しやすい半流動食に切り替える。脱皮前は消化機能が落ちるため、固形物は負担になる。水分補給のゲルを追加して器に置いた。


 レグはゲルをすこし舐めた。器を全部空にはしなかったが、拒否もしなかった。


「そのくらいで十分ですよ」


 ムクが棚の上から覗き込んでいた。普段はレグに近づかないのに、昨日の夜からそばをうろうろしている。今日も朝から棚の端まで移動してきて、下を向いている。


「気にしてるんですか」


 ムクが触手を一本上げた。


 午後に久保田から電話があった。


「レグが不調って聞いたんですけど、大丈夫ですか。なんか昨日ここに来たとき、目が少し鈍い感じがしたんで。もしかして田所さんの来訪がストレスになった、とかじゃないですよね」


「脱皮前なんで問題ないですよ」


「えっ、そんなあっさり」


「症状が全部一致してます。体温低下、食欲減退、鱗の浮き。時期的にも合ってる。特に異常はないです」


「でも心配じゃないですか」


「心配してもしなくても同じことをするので」


 久保田がしばらく黙った。「……神崎さんって、心配しないんですか、本当に」


「します。ただ心配してる間に手を動かした方が早いです。今はできることをやってるので」


「それが神崎さんか」久保田が少し笑った声で言った。「レグに何かあったら教えてください。あいつ、なんか施設の精神的支柱みたいな感じあるじゃないですか」


「脱皮したらまた連絡します」


 電話を切った。


 二日間、レグはほとんど動かなかった。保温スポットにいるか、悟の足元で丸まっているか。食欲は戻らなかったが、水分ゲルだけは毎回少しずつ口にした。


 ムクは棚の端から離れなかった。


 三日目の朝。悟が様子を見に行くと、レグが体をくねらせていた。腹を地面につけて、前足で床をかいている。始まった、と分かった。


 ウォームドレイクの脱皮は自力で行う。手伝いは基本的に不要で、むしろ介入すると皮が傷つく。悟はそばに座って観察した。ノートを膝に置いて、時刻と状態を書き込む。


 二時間かけて、古い皮が剥がれた。


 下から出てきた鱗は、見違えるほど鮮やかだった。橙色が深くなって、光の当たるところで金に近い色に光る。まだ柔らかい。表面がつやつやしている。


 レグがゆっくり立ち上がった。体を一度伸ばす。それからゆっくり歩いて、悟の膝に顎を乗せた。


「お疲れ様でした」


 レグが目を細めた。


 悟はレグの鱗をそっと確かめた。均一に脱げている。傷も残っていない。完璧な脱皮だ。


 昼過ぎに久保田に連絡した。「脱皮しました。問題ないです」とだけ送ると、三分後に「よかった!!」と返ってきた。その後で「写真ください」と来たので、悟は一枚撮って送った。脱皮したてのレグが保温スポットで丸まっている写真だ。


 久保田から「きれい!!鱗の色がすごい」と来た。悟も同意した。


 夕方の給餌で、レグはいつも通り器を空にした。食欲が戻ってきた。あとは柔らかいものから徐々に固形物に戻していけばいい。


 夜になった。


 悟は施設の中を一回りした。毎晩の習慣だ。各魔物の様子を確認して、異常がなければそれで終わる。


 リンはとまり木で羽を折り畳んで眠っていた。羽が薄く発光している。眠っているときも光が消えない。


 ガッシュは裏庭の隅で横になっていた。草の匂いがする場所を好む。いびきに似た低い音がしている。


 ムクは棚の上に戻っていた。三つの目が閉じている。


 幼体ドレイクはレグの腹の横に潜り込んで眠っていた。四日間、ほとんど近づかなかったのに、今夜は迷いなくそこにいる。何かを察したのか、ただ偶然なのかは分からない。


 レグは目を半分開けたままだった。悟の視線に気づいて、ゆっくり尻尾を一度動かした。


「きれいですよ、今の鱗」


 悟は声を落として言った。レグが目を少し細めた。


 ノートを持ってきて、その場で書き込んだ。脱皮完了時刻。脱皮の所要時間。新しい鱗の状態。食欲の回復。一通り書いてから、ペンを持ったまましばらく止まった。


 それから最後にひと言だけ書いた。「鱗の色、これまでで一番きれいだったかもしれない」。


 記録には要らない一行だったが、書かずにいられなかった。


 施設が静かに呼吸している。こういう夜が続けばいいと思う。悟はそれだけ思いながら、ノートを閉じた。


 明日はレグの給餌を通常に戻す作業がある。幼体の体重測定もある。ムクがまた棚から何かを盗んでいたので確認も必要だ。やることは山ほどある。それがここの日常だ。


 悟は部屋に向かいながら、もう一度だけ施設の中を見渡した。眠っている五つの気配。全部いる。全部いつも通りだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ