第6話 変わった人だね
見知らぬ男性が、腕を組んで施設の看板を睨んでいた。
悟が裏庭の給水設備を確認して表に回ると、門の外に白髪まじりの男性が立っていた。六十代半ばくらいだろうか。作業着の上に厚手のジャンパーを羽織っている。立ち姿に迷いがない。来ようと決めて来た人間の顔だ。
「神崎さんですか」
「はい」
男性が少し顎を上げた。「田所といいます。二軒先の。魔物がいるって聞いて」
「久保田さんから聞いてました。どうぞ中を見ていってください」
悟が門を開けると、田所は少し間を置いてから中に入った。警戒というより、慎重さだ。農家の人間特有の「確かめてから動く」という感じがある。
玄関のスロープを上がりかけたところで、田所が立ち止まった。
入り口の横にレグがいた。
橙色の鱗。細長い首。中型犬ほどの体で、しっぽをゆっくり左右に振っている。田所をまっすぐに見ていた。
「……竜、ですか」
「ウォームドレイクといいます。ドラゴン系の魔物ですが成体でもこのくらいの大きさです。名前はレグといって、ここの古参です」
田所が動かない。レグが一歩前に出た。
「レグ、距離」
悟が声をかけると、レグはぴたりと止まった。その場に座り込み、田所をまだ見ている。
「……言うことを聞くんですか」
「懐いてる相手なら。初対面の方には近づこうとしますが、止めれば止まります」
田所が低くうなった。警戒ではなく、何かを確かめているような声だった。「入っていいですか」
「どうぞ」
施設の中を案内した。飼育スペース、観察室、保温設備。田所は細かく見ていた。汚いとか臭いとか、そういうことを口に出さない。「ここで何匹いるんですか」と一つだけ聞いた。
「今は五匹です。ドレイクが二匹、猪型が一匹、鳥型が一匹、タコ型が一匹」
「タコ型」
「小型です。あそこにいます」
棚の上にムクがいた。三つの目でこちらをじっと見ている。田所が棚を見て、それからムクを見て、それからまた棚を見た。「……棚に乗ってる」
「ムクです。あそこが定位置なんです」
田所はしばらくムクを見ていたが、特に何も言わなかった。
裏庭に出ると、ガッシュが草を食んでいた。田所が近づく気配を感じたのか、顔を一度こちらに向けた。それから何も言わないように、また草に戻った。
「猪型ですか」
「アームドボアといいます。背中の突起が特徴ですが、草食で大人しいです。半年ここにいます」
「……ダンジョンから出てきた魔物ですか、これが」
「彷徨い出てきたところを引き取りました」
田所がガッシュの横顔を眺めていた。ガッシュは田所を特に意識した様子もなく、もしゃもしゃと草を続けた。
「人を襲ったりは」
「基本的に草食なので、よほど刺激しなければないです。このガッシュは一度も攻撃的な行動を取ったことがないですよ」
「慣れれば、ってことですか」
「慣れもありますけど、種の性質もあります」悟は少し考えてから付け加えた。「ウォームドレイクは群れで生きる種なので、群れのルールがある分、関係ができれば扱いやすい。ガッシュは元々温和な種で、縄張り意識も低い。どの種にも性質があって、それに合わせた対応をしてます」
「魔物に性質なんてあるんですか」
「動物と同じです。犬にも猫にも性質はあります。ここにいる子たちも同じだと思って接してます」
田所がしばらく黙っていた。ガッシュがまた顔を一度こちらに向けて、また草に戻った。何度見ても同じ動きだ。
施設に戻ると、レグが玄関のそばで待っていた。田所が近づいてきたのを見て、今度は立ち上がらなかった。座ったまま、しっぽだけゆっくり動かしている。
「慣れてきましたか、少しは」
田所が「そういうことじゃない」と言った。声のトーンが怒りではなかった。「危ないかどうかを確かめに来た。危ないかどうかの判断がまだついてない」
「正直に言ってもらえる方が助かります」
「住んでる側としては、いきなり魔物がいる施設ができてもどうしたらいいか分からないんですよ」
「それはそうですね」
「……あんたは不満じゃないのか、こんな対応をされて」
「田所さんが来てくれたのはありがたいですよ。来なければ話せなかったですから」
田所がまたしばらく黙った。レグがその間も座ったままでいた。
玄関を出るとき、田所が一度振り返った。
「……あんた、変わった人だね」
「よく言われます」
「脅かしてもないし、媚びてもない。ここの魔物と同じ顔してる」
悟がどういう意味ですか、と聞こうとしたが、田所はもう歩き始めていた。背中が遠ざかっていく。振り返らなかった。
来た理由と帰り方が同じ人間だな、と悟は思った。来ると決めて来て、見ると決めて見て、帰ると決めて帰った。何かを持ち帰ったかどうかは分からないが、空手ではないだろう。
施設の中に戻ると、レグが悟の顔を見た。どうだったの、とでも言いたいような表情だ。
「田所さんって方です。近所の」
レグが「ふるる」と短く鳴いた。
「説明しても分からないよ」
悟は笑いながらレグの頭をひと撫でした。レグは尻尾をぶんと振った。
その夜、リンが一声鳴いた。施設がいつも通りの夜になった。
田所がどういう人間かはまだ分からない。怒って戻ってくるかもしれないし、二度と来ないかもしれない。ただ「変わった人だね」という言葉は、怒りではなかった。それだけは分かった。
悟はノートに「田所訪問。施設内を案内。問題なし」と書いた。それから一行開けて、「帰り際の顔は、最初より落ち着いていた」と付け加えた。
だが翌朝、レグの食いつきがいつもより悪かった。器の前に座っているのに、口をつけない。悟が覗き込むと、レグはゆっくりと顔を上げた。目の輝きがわずかに鈍い。




