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元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


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第5話 ノートの重さ

「神崎さん、ちょっと聞いてもいいですか」


 久保田が施設に顔を出したのは午後の二時過ぎで、珍しくリュックサックを背負っていた。探索帰りではなく、私用で来たという感じがした。


「どうぞ」


「昨日の探索で、Bランクのトゲアームドボアを一匹倒したんですよ。まあ倒したってことは倒したんですけど、その前に仲間が一人かなり深い引っかき傷を負って。傷の回復は問題ないんですが、同じ種が施設にいるじゃないですか。あいつら、何か特殊な毒とか持ってましたっけ」


 悟はガッシュの方に一度目をやった。裏庭で草を食んでいる。トゲアームドボアとアームドボアは近縁だが別種だ。ただ参考になる部分はある。


「毒は持ってないですよ、基本的には。ただ鱗の突起自体に刺激物が含まれてることが確認されてて、傷口から微量に入ると炎症が長引く場合があります。傷の周りに赤みや熱が出てませんか」


「あー、ちょっとそういう感じがするって言ってました」


「抗炎症の処置をした方がいいですね。病院で話した方が早いですけど、傷の原因をちゃんと伝えれば対応してもらえると思います」


「ありがとうございます。それ、神崎さんがどこかに書いてあるやつですか」


 悟は棚に向かった。並んでいるノートから一冊引っ張り出す。背表紙に「アームドボア類・観察記録」と書かれている。ページを開いてテーブルに置くと、久保田が覗き込んだ。


「これです。三年前にトゲアームドボアを一時的に預かったときの記録と、ダンジョン内での行動観察のまとめ。突起の成分については解析に出した結果も貼り付けてあります」


 久保田がノートを手に取った。細かい文字で書かれた観察メモ、図解、数字。ページの端に日付がある。


「これ……全部手書きですか」


「パソコンで打つより手の方が早いので」


「いや、そうじゃなくて」久保田がページをめくりながら言った。「量がすごい。一匹分でこのくらいあるんですか」


「トゲアームドボアを預かったのは短い期間だったので、これは薄い方ですよ」


 久保田が顔を上げた。


「薄い方、って言いましたか」


「ガッシュのはもっとあります。半年分ですから」


「見せてもらっていいですか」


 悟はアームドボアのノートを二冊取り出してテーブルに並べた。久保田が黙ってページをめくっている。「給餌量と体重変化の推移」「気温と活動量の相関」「プレート状突起の成長記録」。図解がページごとに入っている。


「これを……毎日書いてるんですか」


「変化があった日は多くなりますけど、基本は毎日です」


「レグのはどのくらい」


 悟は棚を示した。アームドボアのノートの隣に、レグのラベルが貼られたノートが並んでいる。五冊。


「レグは二年半なので。あとウォームドレイク全体の分類記録が別にあります」


「全部で何冊あるんですか」


 久保田が棚を見渡した。幅二メートルほどの棚いっぱいに、背表紙にラベルを貼ったノートが並んでいる。一冊一冊違う色のラベル。


「数えたことないですけど、棚一列分はありますね。動物園のも引き継いできたので」


「動物園の?」


「元々市営動物園に勤めてたんで、そこでの観察記録が前半にあります。十年前から書いてます」


 久保田がしばらく棚を見ていた。それから悟を見た。


「……十年分、あるんですか、これ」


「全部合わせると、まあそうなりますね」


 久保田がゆっくり一冊を手に取った。背表紙に「爬虫類全般・摂食行動・観察記録2016年」とある。開くと、同じような細かい文字とスケッチ。


「神崎さん」


「はい」


「これ、すごいですよ」


 悟は少し考えてから答えた。「普通ですよ。記録してないと後で見返せないですから」


「いや、普通じゃないです」久保田の声が少し上がった。「こういう施設で、こんだけ体系的にまとめてる人、他にいないですよ。俺、探索者として割といろんな情報を集める仕事もするんですけど、こういうフォーマットで十年分そろってるのは見たことないです」


 悟はそうですかね、と言った。久保田はうなずいた。


「出版できるんじゃないですか、これ。探索者向けの魔物生態ガイドとか、需要ありますよ絶対」


「そういうつもりで書いてないので」


「そういうつもりじゃなくても、内容が十分すぎるって話です」


 久保田がもう一度棚を見渡した。真剣な顔をしていた。普段の軽い口調ではなく、何かを確かめるような目だ。


「これを知ってる人、ほとんどいないですよね」


「見せびらかすものでもないですし」


「いや、でも知られた方がいいと思う。真剣に」


 久保田が言った。悟は特に返事をしなかった。ノートをひとつ棚に戻しながら、やることがあるので、と立ち上がった。


 久保田はもうしばらくノートを見てから、リュックサックを背負い直した。


「ごちそうさまです、情報。仲間に伝えます」


「傷が深いなら早めに病院に行くように言ってください」


「言います」久保田が玄関に向かいかけて、立ち止まった。「あ、そういえば」


 振り返った顔が少し別の表情をしていた。


「近所の田所さんって方が、施設のことを気にしてるらしくて。俺に『あそこは危なくないのか』って聞いてきましたよ」


 悟は少し間を置いてから言った。「何歳くらいの方ですか」


「六十代ぐらいですかね。元農家の方みたいで。真剣に心配してる感じでした、怒ってるというより。管理局に話を持ち込むことも考えてるかもしれないって」


「わかりました」


「何かするんですか」


「特に何もしないですよ。来たら話しますし、来なければこちらから行くかもしれないですし」


 久保田が「まあ神崎さんらしいですね」と言って出ていった。


 戸が閉まると、レグが悟の足元に来た。「ふるる」と短く鳴く。


「ノートの話ですよ」


 レグが首を傾けた。


「説明してもわかんないですよ」


 悟はそう言いながら、棚の前に戻った。並んでいるノートを眺める。十年分。動物園時代から数えれば、それだけある。自分では特別だと思ったことはなかった。記録するのは当たり前のことで、見返せないデータは意味がないと思っているだけだ。


 でも久保田の「すごいですよ」は、いつものような軽い驚きとは違う種類のものだった。


 悟は一冊のノートを引き出して、今日の日付のページを開いた。


 「久保田、トゲアームドボアの突起刺激物について問い合わせ。ガッシュのデータ参照済み」と書いた。


 それから少し考えてから、一行だけ付け足した。「田所という近隣住民が施設を気にしているとのこと」。

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