第38話 Bランク
久保田が事務所に入ってくるなり、顔が明るかった。
「来ましたよ」
「お疲れ様です」
悟はお茶を一杯淹れて渡した。久保田が受け取って、一口飲んだ。
「で、お祝いは何ですか」
「何がいいですか」
「なんでもいいですよ。でもこう、盛り上がりがほしいというか」
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悟は棚から小さな袋を取り出した。近所の和菓子屋の饅頭だった。二個、小皿に乗せて久保田の前に置いた。
久保田が袋と小皿を交互に見た。
「これが……お祝いですか」
「そうです。美味しいですよ、あそこの饅頭」
「いや、美味しいのはわかるんですが、なんというか、もう少しこう……」
「食べてください」
久保田が一口食べた。黙った。
「……美味しいですね」
「でしょう」
「悟さんって、こういう人なんですよね」
「どういう人ですか」
「饅頭でお祝いする人」
久保田がもう一口食べた。
「まあ、悪くないですよ。饅頭でお祝い。なんか、悟さんらしい」
「そうですか」
「そうですよ。ちゃんと祝ってくれてますよ、悟さんなりに」
悟は特に何も言わなかった。お茶を一口飲んだ。
久保田が最後の一口を食べ終わって、お茶を飲んだ。レグが縁側からこちらをじっと見ていた。
「レグも祝ってくれてるんですか」
「さあ。饅頭に興味があるのかもしれないです」
「食べさせていいですか」
「駄目ですよ」
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そこへ受付のベルが鳴った。
「お邪魔しまーす! 久保田さん、おめでとうございます!」
松田だった。入り口から顔を出した瞬間にもう言っていた。
久保田が振り向く間もなく、松田が飛びついた。久保田の背中に腕を回して、ぱっと抱きしめた。
「重い重い重い!」
「よかったー! Bランクじゃないですか!」
「わかってるから離れてください!」
悟は二人のやりとりを見ながら、お茶をもう一杯淹れた。
松田がようやく久保田から離れて、事務所に上がってきた。小皿の饅頭を見た。
「あ、饅頭だ。もらっていいですか」
「もう一個あります」
「やった。悟さん気が利きますね」
「数を合わせただけですよ」
松田がさっそく一口食べた。レグが縁側からこちらを覗いていた。松田が饅頭を見せるような手つきをすると、レグの口元からぱっと小さな火花が散った。
「わっ」
「やらないですよ」と悟が言った。
「わかってますよ。でもこれ、喜んでる表現なんですよね」
「そうらしいです」
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少しして、また受付のベルが鳴った。
「田中ですが、Bランク昇格の書類手続きのご確認で……」
田中が入ってきた。書類の束を脇に抱えていた。
松田が「田中さんも来た」と言った。
久保田が「業務ですか」と聞いた。
田中が軽く咳払いをした。
「昇格にともなう書類の確認で来ました。業務です」
悟が黙ってお茶と饅頭を用意した。田中の前に置いた。
田中は「ありがとうございます」と言いながら、じっと書類の束をテーブルに置いた。それからすぐ饅頭を手に取った。
「業務ですよね」と松田が言った。
「業務で来ましたが、饅頭が出たんです」と田中が言った。
田中はひとつ食べて、しばらくして「もう一個、ありますか」と言った。
「一個ずつ取り置きしてます」と悟が答えた。
「……ありがとうございます」
「なんで一個余分に想定してたんですか」と久保田が言った。
「数を合わせただけですよ」
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夕方になって、四人で縁側に並んだ。お茶を持ってきて、そのまま外を眺めた。
ガッシュが遠くで草を食んでいた。ムクが物置の日陰で丸まっている。
レグが縁側を歩き回っていた。松田の前を通り、田中の前を通り、久保田のそばで少し止まった。
久保田がレグの頭を撫でた。レグが久保田の膝に前足をかけた。
ガッシュがのっそりと縁側の方へ歩いてきた。全員の足元をゆっくり一周して、また戻っていった。
「確認しに来たんですかね」と松田が言った。
「さあ」
「なんか人数が増えてたら気になるんじゃないですか」
「かもしれないですね」
田中が饅頭の最後のひと口を食べた。久保田が「業務ですよね」と言った。「業務です」と田中が答えた。
田中が書類を出してきたのは、夕方も遅くなってからだった。
「では、一応業務の確認を」
「業務でしたね」と久保田が言った。
「業務ですよ。最初からそう言いました」
悟は四人分のお茶を入れ直しながら、外を見た。ガッシュがまだ草を食んでいた。レグが縁側の端に落ち着いて座っていた。
こういう夕方もあるものだと思った。
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田中が帰り支度をしながら、久保田に向かって言った。
「改めておめでとうございます。Bランク、正直もう少しかかると思ってましたよ」
「失礼ですね」
「いい意味ですよ。早かったということです」
久保田が少し照れたような顔をした。
田中が玄関で靴を履きながら、悟に向かって言った。
「ところで、組合から正式な報酬の提案をしたいんですが。来週、改めてお時間いただけますか」
「わかりました」
田中が頭を下げて出ていった。




