第33話 非公式という形
見学会の初日、田中が三十分前に来た。
「段取りの確認をしたいのですが」
「どうぞ」
事務所のテーブルに向かい合って、田中がメモを広げた。
「本日は三名の探索者が来ます。全員Cランク以上です。見学の流れとしては、施設の入口からご案内して、各エリアを見ていただく形で——」
「来た人に話しかけるようなことはしません」
田中が顔を上げた。
「世話を普通にするだけです」
「それで構いません」
「見てもらうための説明とか、解説とかはしません」
「……それで構いません」
田中が少し間を置いてから、メモを一行書き加えた。
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探索者が三名来たのは午前十時ちょうどだった。
一人は三十代の男性で、装備のロゴを見ると中堅の探索者チームのものだった。もう一人は若い女性で、髪を後ろにまとめている。三人目は五十がらみの男性で、背が高く、口数が少なそうだった。
悟は「どうぞ」と言って中に案内した。特に挨拶の言葉は足さなかった。
三名が施設の中に入った瞬間、一様に少し立ち止まった。におい、音、空気の質。ダンジョン内とは違う種類の生き物の気配が漂っている。
三十代の男性が田中を見た。田中が小声で「普通の様子を見ていただく形なので」と言った。三名が頷いた。
悟はそのまま歩き始めた。三名がついてきた。
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水槽の前を通ったとき、三十代の男性が立ち止まった。
「タコ……ですか」
悟は振り返った。
「テンタキュラスモールです。ムクと呼んでいます」
ムクは水槽の前面に張り付いていた。体の色が赤黒い。
「あの、なんか色が変わってます」
「警戒の色です」
「なんで」
「珍しい人が来たから」
三名がしばらくムクを見た。ムクも三名を見た。吸盤がゆっくり動いて、水槽のガラスの上を移動した。
「警戒色って、ずっとこの色なんですか」
今度は若い女性が聞いた。
「しばらくすると落ち着きます。感情で色が変わります」
「意思があるんですね」
「あります」
女性が水槽に少し顔を近づけた。ムクが少し引いた。女性が引いた。ムクが吸盤を一本だけ動かした。
五十がらみの男性が静かに水槽を見ていた。何も言わなかったが、目が離れなかった。ムクが体の端を少し黄色に変えた。まだ警戒だが、薄まってきている。
「少し興味が出てきた色ですか」
男性が低い声で聞いた。
「そうかもしれないです」
「どっちが興味を持ったのか」
「両方だと思います」
男性が少し笑った。笑うと顔が和らいだ。
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ガッシュのエリアを通った。
ガッシュはちょうど縁側に出ていた。朝の日当たりがよかったので、そこで地面を少し掘っていた。三名が近づくと、顔を上げた。
「でかい……」
三十代の男性が呟いた。
「アームドボアです」
「アームドボア……あれ、ダンジョン中層の」
「そうです。ここのはガッシュと呼んでいます。草食です」
「草食なんですか、あれ」
「温和です」
ガッシュは三名を一通り見てから、また地面に向いて掘り始めた。これ以上の関心はないという態度だった。
五十がらみの男性が「なんか、でかい犬みたいですね」と言った。
「そうかもしれないです」
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悟は各エリアで世話をしながら進んだ。餌の確認、水の状態、傷や発疹がないかの目視。三名がついてきた。悟は手を動かしながら、聞かれたことだけ答えた。
途中、レグが悟の足元に現れた。橙色の鱗が日差しを受けて光る。悟の脚に沿って歩き、そのまま三名の前で止まった。
三名がレグを見た。
「これは……何ですか」
「ウォームドレイクです。レグと呼んでいます」
「こんな色なんですね」
「橙色です」
レグが三十代の男性の足元を一周してから、また悟のそばに戻ってきた。男性がしばらく自分の足元を見ていた。
リンのエリアで、悟が止まり木を確認していた。
リンが羽を広げた。半透明の羽が日差しを受けて、ふわりと光る。それからそのまま飛んで、五十がらみの男性の肩に降りた。
男性が固まった。
「……え、何してるんですか、これ」
「気に入ったんだと思います」
「降りてますよ」
「そうですね」
男性がゆっくり首を動かして、肩の上のリンを見た。リンは何も気にしていない様子で、羽をたたんで座っている。半透明の羽が、わずかに光っていた。
「体調がいいときに光ります。フェアリーバードの亜種です」
「きれいですね……こんな近くで見るのは初めてです」
「そうですよ」
女性がしばらく立ち止まって見ていた。三十代の男性も足を止めて、肩の上のリンと、少し困った顔の男性を交互に見ていた。
リンはしばらくして、悟が止まり木を確認し終えるまで肩にいた。それから自分で飛んで戻った。
男性が肩に手を当てた。
「行ってしまいましたね」
「気が済んだんだと思います」
男性が少し笑った。先ほど笑ったときと同じ、顔の和らいだ笑い方だった。
悟は記録ノートに今日の状態を書いた。
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一時間ほどで一周した。
出口に近い場所で、三名が立ち止まった。田中が少し離れたところで待っていた。
三十代の男性が、悟に向かって言った。
「こういう施設があるとは知りませんでした。助かります」
「どういう意味ですか」
悟が聞いた。断るわけでも確認するわけでもなく、単純な疑問として。
「ダンジョンで魔物を見るのと、こうやって外で見るのは全然違う。ここで見た方が、なんというか、距離感がわかる」
悟は少し考えた。
「そうですか」
「次に潜るとき、少し参考になります」
「それならよかったです」
五十がらみの男性が「ムク、もう一度見てもいいですか」と言った。
「どうぞ」
三名が水槽に戻った。ムクはすでに赤黒い色から、黄色に近い色に変わっていた。吸盤が一本だけ水槽の底をゆっくり歩いている。
「落ち着いてる」
「慣れたんだと思います」
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田中が探索者三名を送り出したあと、事務所に戻ってきた。
「問題はありませんでしたか」
「なかったです」
「魔物たちの様子は」
「ムクが最初に警戒しましたが、落ち着きました」
田中が手帳に何かを書き込んだ。
「次回は五名来ます」
「わかりました」
田中が上着を羽織りながら出口に向かった。扉に手をかけて、少し振り返った。
「悟さん、収支はどうなっているんですか。今度聞かせてもらえますか」
悟が田中を見た。
「どうぞ」
田中が少し表情を変えた。聞いてよかったのか、聞かなければよかったのか、まだわからない顔をしながら扉を閉めた。




