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元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


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第32話 条件というもの

田中が来たのは、前回から四日後だった。


 朝のうちに連絡があって、午後二時に来ると言っていた。悟はその時間に合わせてアークの処置を午前中に終わらせ、レグの記録をつけ、昼過ぎからムクの水槽の掃除をした。予定通り田中が来た。


 今回は書類ケースに加えて、クリアファイルを一つ余分に持っていた。事務所のテーブルに着くと、すぐにファイルを取り出した。


「提案書ができました」


「どうぞ」


 悟はファイルを受け取った。A4で三枚。内容が三項目に整理されている。


 田中が横から少し緊張した様子で見ていた。


---


 一枚目を読んだ。


「施設の魔物の行動観察データの提供」


 次の行に内容の詳細が続く。月ごとの行動記録、食事量の推移、健康状態のメモ。悟が記録ノートにつけていることと大体同じだった。


「これは、ノートの写しを渡せばいいですか」


「はい、それで構いません。形式は問いません」


「魔物のストレスにならない形であれば可能です」


「ストレスとは——」


「観察のために動線を変えたり、普段と違う照明を入れたりすることです」


「そこは配慮します」


 悟は次の項目に移った。


「組合員が見学できる機会の設置(月一回)」


「定期的に探索者数名をこちらにお連れして、実際の魔物を見ていただきたいのです」


「見学中に魔物の調子が悪い日は中止できる条件で可能です」


「もちろんです」


 田中が少し安堵した顔をした。思ったより早く話が進んでいた。


 見学の条件については、田中が前回から準備してきた文章が提案書に細かく書かれていた。見学の所要時間、見学中の禁止事項、緊急時の対応手順。悟はそれを一行ずつ読んだ。目を止めたのは「見学者は施設の魔物に触れてはならない」という一文だった。


「これは、魔物側が触れにきた場合はどうなりますか」


「魔物側が……」


「相手が来たときは止めないですよ」


「そうですね、その場合はこちらが対処します」


「こちらというのは」


「見学者が落ち着けるよう、こちらで対応するということです」


「わかりました」


 田中が書類の余白にメモを書き加えた。


 悟は三項目目を読んだ。


「緊急時の相談窓口として機能」


 少し考えた。


「今もやってることだから同じですよ」


「はい、それを正式な形にしたいということです」


「同じことをすればいいですよね」


「そうです」


「わかりました」


---


 田中が「ここまでは問題ないということですね」と確認した。


「はい」


「ありがとうございます。それでは報酬について——」


 田中が書類の最終ページを開いた。そこに数字が書いてある。月額の協力費と、データ提供ごとの費用。


 悟がちらっと見た。


「わかりました」


「えっ」


「わかりました」


 田中が少し間を置いた。


「もっと交渉してもいいんですよ」


「いえ、生活できればいいので」


 田中が書類を持ったまま、しばらく動かなかった。


---


 そのとき、テーブルの端で何かが動いた。


 書類の一枚が、少しずれた。


 田中が目を向けると、ガッシュがいた。猪型の体をテーブルの端に寄せて、前足を一本そっと書類の隅に乗せていた。踏もうとしているというより、そこにあるから触れているという感じだった。


「ガッシュ」


 悟が声をかけた。ガッシュが顔を上げた。それから前足をゆっくり引いた。しかし書類から三十センチほど離れたところに立ち止まって、また動かなくなった。


「草食です」


「書類を食べないですよね」


「食べないです」


 田中がガッシュをしばらく見た。ガッシュも田中を見た。しばらく見合ったあと、ガッシュがふいと顔を外に向けた。


「……かわいいですね」


「温和なので」


---


 田中が書類をしまいながら、少し真剣な顔をした。


 この人はわかっていてやっているのか、本当に興味がないのか。


 田中にはまだわからなかった。交渉において、相手の出方を読んで最初から要求を抑えておくという戦略がある。しかしそれにしては、悟には計算の気配がなかった。ただそこにある数字を見て、可能かどうかだけを考えている。


 最終的に、田中は「可能かどうか」と「やりたいかどうか」の二軸しかこの人には存在しないのかもしれないと思い始めた。


 それでいて、条件の確認は正確だった。ストレスの定義を聞いた。中止できる条件を要求した。介入の範囲を確認した。どれも必要な確認で、どれも的外れではなかった。この人は交渉していないのではなく、交渉に見えない形で必要なことだけを聞いている、というのが正しいかもしれない。


 そう気づいたとき、田中は少し妙な気分になった。


「一点だけ確認させてください」


「どうぞ」


「悟さんは、この協力関係について、何か要望はありますか。報酬以外でも」


 悟が少し考えた。


「魔物に対して不安を持っている探索者が来る場合、事前に教えていただければ助かります」


「それはなぜですか」


「こちらも準備ができます。急に大きな声を出されると魔物が驚くので」


「なるほど」


 田中がメモを取った。それが一番具体的な要望だったので、少し驚いた顔をしていた。


---


「最終的に組合として正式な契約を結びたいのですが、今はまず非公式な協力から始めませんか」


「非公式なら今もやってますよ、いつでも」


 田中が苦笑した。


「そうですね。では、その延長で」


「それで大丈夫です」


 田中が書類をまとめて立ち上がった。帰り際にもう一度書類を確認して、ガッシュの方を見た。ガッシュはまたテーブルの端に近づいていた。書類はもうないのに、さっきまで書類があった場所の近くに立っている。


「どこを気に入っているんですか」


「テーブルが好きなんだと思います。いつもそのあたりにいます」


「そうですか」


 田中が扉を開けて、振り返った。


「次回、見学日の日程を決めさせてください」


「どうぞ」


 扉が閉まった。ガッシュが悟を見た。悟も見た。


「終わりましたよ」


 ガッシュが鼻を鳴らした。

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