第30話 アーク、帰る
脚が完治したのは、搬入から十二日後のことだった。
朝の処置でガーゼを外したとき、傷口がきれいに塞がっていた。皮膚が再生して、色も周囲と同じになっている。触れても反応がない。押しても唸らなかった。
悟はノートに「治癒確認。歩行の様子を観察次第、移送の準備に入る」と書いた。
アークを見た。アークが立ち上がって、エリアの中を三歩歩いた。右後ろ脚にきちんと体重が乗っている。びっこを引いていない。
「よかった」
声に出した。誰に言ったわけでもない。
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白石に連絡すると、三日後に移送チームを手配すると言った。「準備が整い次第ご連絡します」という声はいつも通りだったが、「アークが……アームドビアが回復したのですね」と繰り返したところに、少しだけ違うものが混ざっていた気がした。
移送当日の朝、施設の前に白石の車が来た。それから久保田が来た。それから、スーツに書類ケースを持った田中が来た。
「全員来たんですか」
悟が言うと、久保田が頭を掻いた。
「なんとなく来たくなって」
「私も同じです」と白石が言った。
田中は少し照れくさそうに「ご迷惑でしたら」と言いかけたが、悟が「いいですよ」と言ったので入ってきた。
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移送車両が到着した。前回と同じ大型のものだ。荷台に干し草が敷いてある。悟が昨日指定した量だ。
久保田が移送チームの隊員を見て「どのぐらいの人数ですか」と悟に聞いた。「四人です」と答えると「少なくないですか」と言った。「扉の開け閉めだけなので」と言うと、久保田がまた黙った。
悟はアークのエリアの扉を開けた。
アークが出てきた。四本の脚でしっかりと地面を踏んで、ゆっくりと歩く。搬入のときとは違う歩き方だった。あのときはかばっていた。今は違う。
移送車両の手前で、アークが止まった。
悟の方を向いた。
悟はアークのそばに立った。草の束は持っていない。ただ、そこに立った。アークが鼻を伸ばした。悟の肩に鼻先が触れた。一秒か、二秒か。
「よかった。元気でいろよ」
アークが鼻を引いた。それから移送車両の方を向いて、荷台に前足をかけた。体重を乗せた。ゆっくりと乗り込んでいった。
扉が閉まった。
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施設の端、レグとムクとガッシュが並んでいた。
レグはいつもの場所から首を伸ばして移送車両を見ていた。ムクは水槽の前面に張り付いて、体の色が落ち着いた青になっていた。ガッシュは縁側から立ち上がって、車両の方向に鼻を向けていた。
移送車両がゆっくりと動き出した。
誰も何も言わなかった。
久保田が「なんか、よかったですね」と言いながら目を細めた。言葉としては小さかったが、声に何かが混ざっていた。
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移送車両が施設の出口を出たところで、白石が悟の方を向いた。
「ありがとうございました」
深く頭を下げた。いつもの職務上のお礼とは少し角度が違った。
「仕事ですよ」
悟が言うと、白石が顔を上げた。
「私にとっても仕事ですが、それ以上のことがありました」
悟はその言葉を受け取った。
白石はいつも手帳を持って、事実を記録して、判断を積み重ねる人だった。仕事の人だった。だから「それ以上のこと」という言葉が、どういう意味かはわかった。それ以上の説明は要らなかった。
「そうですか」
悟は言った。白石がもう一度、小さく頷いた。
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田中が少し遠慮がちに近づいてきた。
「あの、悟さん」
「なんですか」
「今回の一件、組合として正式に感謝状を出してもいいですか」
「いいですよ別に」
「本当ですか」
「邪魔にはならないです」
田中がほっとした顔をした。「ありがとうございます、では改めて」と言いながら、書類ケースを胸に抱えた。なぜか書類ケースを持ってきていた。来るつもりがなかったはずなのに。
久保田が隣で小声で「田中さん、書類ケース持ってきてたんですか」と言った。田中が「習慣で」と答えた。久保田が「そういう人いますね」と言った。
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みんなが帰ったあとで、施設の中は静かになった。
前と同じ静けさに戻ったかというと、そうではなかった。ほんの少し、何かが薄くなった感じがあった。欠けているというより、一区切りついたという感じだ。
悟は特別エリアの扉を閉めた。中はもう空だ。干し草の残りがあった。あとで片付ける。
レグが足元に来た。
「終わりましたよ」
レグが短く鳴いた。
悟はノートを手に取って、最後の記録を書き込んだ。「移送完了。歩行に問題なし。施設に戻る」と書いて、ノートを閉じた。棚の一番手前に置いた。
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翌日の朝、特別エリアの扉が開いていた。
悟が近づくと、レグがいた。空になったエリアの中に入って、くるくると一周した。鼻を地面につけて、においを確認するようにゆっくり回った。それからもう一周した。
悟は扉の外から見ていた。
レグがこちらを向いた。目が合った。特に何かを言うような目ではなかった。ただ見た。それから出てきた。悟の足元を通り過ぎて、いつもの場所に向かった。
「そこ、もうすぐ次の子が来るかもしれないぞ」
レグが立ち止まった。振り返らなかった。尻尾が少し動いた。それだけだった。
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翌朝、久保田から電話が来た。朝の七時だった。
「悟さん、起きてますか」
「起きてますよ」
「丘ダンジョンで大型魔物の逸脱が起きたらしいです」
「逸脱」
「Bランク相当だって。白石さんから連絡が来て……俺にも電話してきたってことは、まあ」
久保田が言いかけてから止まった。
「そういうことですか」
「そういうことだと思います」
悟は少し間を置いた。
「わかりました。白石さんに折り返します」
「はい。お願いします」
電話を切った。悟は窓の外を見た。丘の方向は遠い。今日も晴れそうだった。




