表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/28

第25話 悟の接近

朝の空気が冷たかった。


 現場は東区の外れ、住宅地が途切れて空き地になっている場所だ。草が伸びて、その奥に低い林が続いている。アームドビアはその境目あたりにいた。


 悟は車を降りた。装備はいつもと変わらない。作業着、軍手、それから布袋一つ。


 白石が近づいてきた。


「駆除チームは北側で待機中です。悟さんが合図を送るまで動きません」


「わかりました」


「無線、持っていきますか」


「邪魔になります」


 白石が少し顔をこわばらせてから、うなずいた。


「……了解です。何かあれば手を上げてください。こちらからすぐに動きます」


 悟はうなずいた。久保田が少し離れた場所に立っている。腕を組んで、口を一文字に結んでいた。目が合った。久保田は何も言わなかった。


 悟は正面に向き直った。草むらの向こうに、黒い塊が見えた。


---


 悟は草むらの縁から、アームドビアに向かってまっすぐ歩いた。


 体長は二メートルを超えている。背中の甲殻が朝の光を反射している。昨日よりも動きが少ない。昨夜の疲弊か、痛みで体力が落ちているか。頭を低くして、草の根元に鼻を近づけていた。


 歩き方はやはり乱れている。右後ろ脚への体重のかけ方が、左右で違う。映像で見たとおりだ。


 五十メートル。四十メートル。


 悟は歩くペースを変えなかった。速くもなく、遅くもなく。視線はアームドビアに向けたまま。


 アームドビアが顔を上げた。


 悟が足を止めた。


 唸り声が来た。低い、腹の底に届くような音だ。草が揺れた。体が一歩後ろに下がりたがるが、足は動かさなかった。


 立っていた。ただ、そこに。


 アームドビアの目が悟を見ていた。黄色い目だ。虹彩が大きく開いている。警戒か、恐怖か、それとも両方か。悟には見分けがつく気がした。


 怒っているのではない。怯えている。痛みを抱えたまま、何かが来るたびに身構えている。そういう目だ。


 一歩も動かなかった。


---


 三十秒が過ぎた。


 悟はゆっくりとしゃがんだ。急がずに、膝を折って、地面に近い位置に体を下ろした。視線は外さない。正面を向いたまま、体の高さだけを下げた。


 草が濡れていた。膝が湿った。気にしなかった。


(右後ろ脚を確認する必要がある)


 頭の中で考えた。感情ではなく、実務として。あの脚の状態を見なければ処置の方針が立てられない。どの程度の損傷か、化膿が始まっているか、骨に達しているか。近づかなければ確認できない。だから今ここにいる。


 それだけだ。


 アームドビアの唸りが続いていた。


 一分が過ぎた。


 悟は動かなかった。地面に膝をついたまま、目を逸らさずにアームドビアを見ていた。風が草を揺らした。アームドビアの鼻がひくついた。


 唸りのトーンが、少しだけ変わった気がした。


 高く鋭い音ではなく、やや低く、平らになってきている。


 いい傾向だ。まだ近づくべきではないが、方向はいい。


 悟はそのまま待った。体重を均等に分散させて、長く保てる姿勢を維持した。動物に接近するとき、急ぎたい気持ちは邪魔になる。今すべきことは、ここにいることだけだ。


---


「動かないでくれ」


 久保田が小さく言った。声に出したつもりはなかったが、出ていた。白石が横にいた。


 白石は無表情だった。手帳を持っていたが、書いていない。手が止まっている。手帳を持つ手の指が、白くなっていた。


 遠くから駆除チームリーダーがこちらを見ていた。腕を組んで、眉間に皺を寄せている。部下が何か言ったが、リーダーは手を上げてそれを制した。


「……本当にいくか」


 呟いた声が聞こえた。久保田には誰に言ったかわからなかった。


 現場に入っているのは悟一人だ。駆除チームは北側で止まっている。久保田も白石も動けない。何か起きたとき、全員がここから走ることしかできない。


 久保田はその事実を、ずっと頭の端に置いていた。


 白石が少し動いた。久保田が見ると、白石は手帳を体の横に降ろしていた。書くのをやめて、ただ悟を見ていた。


---


 二分が過ぎた。


 アームドビアの唸りが、ゆっくりと下がっていた。消えたわけではない。でも変わっていた。低く、静かな音になってきている。


 悟は布袋に手を入れた。ゆっくりと、引き抜かないようにして、中に手を入れた。指先に乾燥した草の束が触れる。昨日の夜に準備したものだ。


 地面に置いた。


 そっと、音を立てないように。草の束を地面に置いて、手を引いた。


 アームドビアの鼻がひくついた。


 頭が少し動いた。草の束の方に向いた気がした。


 悟はそのまま動かなかった。体重を膝に置いて、ただ待った。焦る必要はない。急げば唸りが戻る。このペースでいい。


 アームドビアが首を伸ばした。草の束に鼻を近づけていく。


 少しずつ、少しずつ。


---


 久保田の背中から汗が出ていた。腕組みしていた手が、いつの間にかほどけていた。手のひらが湿っている。


 白石がわずかに前傾みになった。気づかずにそうなっているのだろう。風が止まった。


 アームドビアの鼻が、草の束に触れた。


 久保田が息を止めた。


 悟がゆっくりと、一歩だけ進んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ