第22話 久保田の進言
翌朝、九時になる前に久保田が来た。
「おはようございます。早いですね」
「いや、ちょっと来たかって思って」
久保田はいつもより声が少し固かった。悟はドアを開けて中に入れた。
ガッシュがのっそりと縁側の方に歩いていくのが見えた。今日も日向ぼっこのつもりらしい。ガッシュのことは後でいい。
「お茶、出しますか」
「いいですよ、短いんで」と久保田が言って、立ったまま続けた。「悟さんに伝えておきたいことがあって」
「どうぞ」
「昨日の電話で、聞こえてたんです。『脚の動きがおかしい』って」
悟は少し間を置いた。
「電話中でしたか」
「繋がったままでしたね、少しの間。意図的じゃないですけど、聞こえてました。それで、白石さんに連絡したんです。昨日の夜」
「白石さんに」
「はい。俺から」と久保田が真っ直ぐに言った。「悟さんが何か気づいてるなら、管理局に聞いてほしいって。勝手にすみません。でも、言わないといけないと思って」
縁側から光が入ってくる。ガッシュが縁側の端に腰を下ろした。背中に朝の光を受けてじっとしている。
「俺が言うより、専門チームの判断でいいんじゃないかと思ったんですよ。駆除チームはBランク対応の人間を揃えてるはずですし。映像だけで見た素人判断を持ち込んでも、邪魔になるかもしれない」
「邪魔にはならないですよ」と久保田が言った。「なんで邪魔になるんですか」
「向こうには専門チームがいます。俺が観察の経験を持っていても、あちらにはあちらの手順がある。それを飛び越えて口を出すのが正しいかどうか」
「でも」と久保田が少し声を大きくした。「悟さんが見て怪我だと思ったなら、それが一番正確だと思います。専門チームが映像を見ても気づかないことを、悟さんは気づいた。そういうことじゃないですか」
「……そうですかね」
「そうですよ」
久保田が珍しく引き下がらない顔をしていた。いつもは悟の返事に「ですよね」と合わせることが多い。冗談を言ったり、話を膨らませたりする。今日は違う。縁側ではガッシュがのんびりと日光を浴びている。その対比が、かえって久保田の今の真剣さを際立たせていた。
「悟さんは遠慮しすぎですよ。いつもそう。何か気づいても、俺には関係ないかなって引っ込めようとする。でも今回は人が暮らしてる場所の話です。駆除チームが動いてる。誰かが怪我するかもしれない。そこで持ってる情報を引っ込めることはないと思います」
「……」
「怒ってるわけじゃないですよ。ただ、そういうことだと思うんです」
悟は久保田の顔を見た。久保田は真面目な顔をしていた。こういう顔をすることがある。調子のいいことを言っている時ではなく、本当に思っていることを言っている時。
「白石さんが来るなら話します」
「来ますよ」と久保田がすぐ言った。「連絡待ってたんで」
スマートフォンを出して画面を見た。「あ、ちょうど。既読になってる」
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白石から電話が来たのはそれから十分後だった。
「神崎さん。管理局の白石です。久保田さんから連絡があって、少し状況をお聞きできますか」
「はい」
「現在、逸脱個体の行動が続いています。管理局では明日の午前中に現地での対応を進める予定ですが、久保田さんから、神崎さんが映像から個体の状態について何か気づいた可能性があるとうかがいました」
「脚の動きに違和感がありました。右後ろ脚への荷重が抜けている。怪我をしている可能性があります。映像の歩調の乱れと傾きの方向から、右後ろ脚に深い損傷がある可能性が高いと思います」
少しの沈黙があった。白石が何かをメモしているような気配があった。
「現地確認に同行していただけますか。駆除チームとの合流前に、観察だけでいい。強制ではありません」
悟は少し考えた。
「わかりました」
「明日の朝、七時に施設前に迎えに上がります。よろしくお願いします」
電話が終わった。久保田が「どうでしたか」と聞いた。
「同行することになりました」
「よかった」と久保田が言って、それから「俺も行っていいですか」と続けた。
「管理局が来るんで、久保田さんが来てもいいかどうかは白石さんに確認してください」
「……それもそうですね」
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夜、悟は準備をした。
ノートを一冊選んだ。アームドビアの記録が入っているもの。双眼鏡は棚の奥に入っていた。久しぶりに出すと、レンズが少し曇っていたので拭いた。
それから草の束を袋に入れた。施設のストックから大型草食魔物向けのものを選ぶ。アームドビアが草食であることはノートに書いてある。落ち着かせるためのものとして使えるかもしれない。使わないかもしれない。
「まあ、見るだけですよ」
誰に言うわけでもなく、声に出した。
レグが横で悟の手元を見ていた。準備の様子が気になるらしい。
「あなたは来ないですよ」
レグが「くぅ」と言った。
「いい子にしてて」
悟は袋を玄関の脇に置いた。
レグが離れなかった。悟が部屋に戻っても、玄関の方をじっと見ていた。
「心配しなくていいですよ」
レグが「ふるる」と小さく鳴いた。
「明日の朝には戻ります」
悟は電気を消して寝ることにした。早起きが必要だ。七時に迎えが来る。見るだけだ、と悟は思った。観察して、気づいたことを伝える。それだけのことだ。




