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元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


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第18話 田所さんのこと

「ここだよ!」


 子供の声が先に届いた。


 悟が柵の外に出ると、五十代くらいの女性が立っていた。エプロンをしたままで、手を前で揃えている。隣に小学三年生くらいの男の子がいて、その子が施設の方を指差していた。昨日も来ていた子だ。よく喋る方の。


「神崎さん、ですか」


 女性が少し硬い表情で言った。


「はい」


「田所と申します。この子の母親です。子供が毎日こちらに来ているらしくて。ご迷惑をかけていなかったかと思って」


「いえ、特に迷惑はないです」


「そうですか」


 田所さんはもう一度「そうですか」と繰り返した。何かを確かめるような言い方だった。


「柵の外から見ているだけなので、こちらは何もしていないんですが」


「でも、その、声をかけてくださっているみたいで。子供から聞きました。タコみたいな魔物に触れてもらったとか」


「触り方の約束を守れていたので」


 田所さんの息子が、その間ずっと母親の袖を引っ張っていた。聞いてほしいことがあるらしい。


「ねぇ、お母さん」


「ちょっと待ちなさい」


「でも」


「待ちなさいってば」


 悟はそれを聞きながら、待った。急かさない。二人の間に、小さな沈黙があった。道の向こうで車が通り過ぎた。


 田所さんが息を一つ吐いた。


「実は、こちらの施設について、以前、区の窓口に問い合わせをしたのは私なんです」


 悟はすぐには答えなかった。


「魔物がいる施設が住宅地に近い場所に突然できて、不安で。安全なのかどうか、誰に聞けばいいかもわからなくて、区に連絡してしまいました」


「そうですか」


「今思えば、直接お話しするべきだったかもしれないんですが」


「問い合わせ自体は普通だと思いますよ」


 田所さんが少し驚いたような顔をした。怒られると思っていたのかもしれない。悟には怒る理由がなかったが。


「不安なことがあったら確認するのは当然じゃないですか。魔物のいる施設は珍しいし、情報も少ないですから。私も最初から丁寧に説明できていたわけじゃないですし」


「でも、区からこちらへの問い合わせが来て、大変だったんじゃないかと」


「大変というほどのことはなかったです。書類のやり取りが少し増えましたが」


 実際のところ、面倒ではあった。ただそれは田所さんのせいではなく、魔物飼育に関する法整備が曖昧なせいだ。誰かを責めて解決することでもない。


「……ありがとうございます」


「こちらこそ。何か気になることがあったら直接来ていただけると助かります。区を経由すると時間がかかるので」


 田所さんが口元をかすかに動かした。笑ったというほどでもないが、硬さが少し緩んだ。


「子供が楽しそうで。今は邪魔しないようにしようと思っています」


「ありがたいです」


 そこで田所さんの息子が「お母さん!」と大きな声を出した。


「なに」


「タコが光るとこ、見せてもらっていい?」


 田所さんが悟に視線を向けた。悟は特に考えずに「どうぞ」と言った。


---


 悟はムクを連れて柵の近くに来た。田所さんの息子が柵の手すりをつかんで体を乗り出す。


「ムクって言うの?」


「そうです」


「呼んでみていい?」


「どうぞ」


「ムク!」


 ムクが目を向けた。三つ並んだ目が男の子の方を見る。体の色が薄い青から、じわりと明るい黄色に変わった。それから柔らかい白が混ざって、ぴかぴかと短く光った。


「光った!」


 男の子が飛び上がった。田所さんが思わず一歩前に出て、それから気づいて止まった。


「……あら」


 小さな声だったが、聞こえた。ムクが今度はゆっくりと橙に変わっていく。機嫌がいい時の色だ。


「ねぇ、なんで光るの」


「感情が体の色に出るんです。嬉しいとか、興奮してる時に光ったりします」


「ムクは今嬉しいの?」


「そうみたいですね」


 男の子がにやっとした。「ムクー」とまた呼ぶ。ムクがまた短く光った。男の子が爆笑する。


 レグが少し離れた場所から田所さんの方をじっと見ていた。近づかず、でも離れもせず。観察しているのか、様子を見ているのか。


「あのオレンジの、こっちを見てる」


 田所さんが静かに言った。


「レグです。人には慣れてきてるんですが、知らない人の前だと少し距離を置くんですよ」


「そういうものなんですか」


「性格ですね。臆病というか、慎重な方なので」


 田所さんが「そうなんですね」と言った。今度は硬さがなかった。視線がレグに向いたまま、少し間があった。


「魔物って、怖い生き物だと思っていたんですが」


「怖い種類もいますよ。ここにいる子たちは、まあ、そういうわけでもないですが」


「ガッシュさん、ていう猪みたいなのもいるんですよね。うちの子に聞きました」


「います。草食で、温和なやつです」


「草食の猪」


「見た目はごついですが、草しか食わないです」


 田所さんがかすかに笑った。


---


 田所さん親子が帰ったのは三十分ほど後だった。帰り際、田所さんが「また来てもいいですか、この子が」と言った。


「もちろんです」


「私も、ちょっと様子を見せてもらえたら」


「どうぞ」


 悟は二人の後ろ姿を見送った。男の子が歩きながらムクの話を母親にしていた。「お母さん見た?光ったじゃん」「見たわよ」「あれすごくない?」「……すごいわね」。


 田所さんの声が、来た時よりも少し柔らかかった。


 悟は施設に戻った。ムクが水槽の縁でのんびりしている。まだ橙色だ。レグが戻ってきて、悟のそばに座った。


 普通ですよ、と悟は思った。来た人に普通に対応する。それだけのことだ。


 その夜、給水器の確認をしていて、ガッシュの飲み水がいつもより少ないことに気づいた。食欲も、朝からやや落ちていた気がする。


 翌朝、悟はガッシュに近づいて、背中に手を当てた。


 少し、熱い。

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