第16話 白石さんの手帳
白石が来たのは水曜日の午前十時だった。スーツではなく、落ち着いた色のジャケットと細身のパンツ姿だ。職員証は出さなかった。
「今日は私的な訪問という扱いで伺っています」
玄関で最初にそう言った。手元にはいつもの手帳と、書類が入っているらしいクリアファイルがある。
「どうぞ」
悟は白石をテーブルのある部屋に案内した。管理局からの封書と六ページの書式を広げると、白石はすぐにクリアファイルを開いて確認を始めた。
「基本情報のページは大丈夫そうですね」と白石が言った。「飼育個体のリストも揃っている」
「五ページ目で詰まっていました」
「法的分類ですね」
白石がクリアファイルから一枚の紙を取り出した。手書きで書き込みのある、内部向けの整理資料のように見えた。
「この欄には複数の書き方があります。ただ、神崎さんの施設は現行の分類のどれにも完全に当てはまりません。この場合、『該当分類なし・特例対応申請』という形で記入できます」
「申請、ですか」
「はい。空欄にするか誤った分類を選ぶよりも、特例申請として提出した方が、受理する側としても処理できます。後から正式な枠組みが整えば、それに従った変更手続きができる。今の状態で無理に既存の枠に当てはめると、後で書き直しが必要になることがある」
悟は書式の欄に「該当分類なし・特例対応申請」と書いた。白石がそれを確認して、小さく頷いた。
一項目ずつ進んでいく。白石の説明は簡潔で、余分なことを言わない。どこに何を書けば処理が通るか、という観点からだけ話している。悟は書き、確認し、また書いた。四ページ目まで来たところで、悟は白石が手帳に何かを書いていることに気づいた。
クリアファイルとは別の手帳だ。悟を見ているわけでも書類を見ているわけでもなく、少し視線が部屋の中を向いている。
「それは何ですか」
「え」と白石が顔を上げた。一瞬、表情が変わった。「……習慣で。気になったことをメモしてしまって」
「書類のことですか」
「いえ、その……」と言いかけて、白石は手帳を閉じた。「すみません、関係ないことです」
悟は特に追わなかった。
六ページ目まで目途がついたところで、悟はお茶を出すために立ち上がった。白石がクリアファイルを整えながら「ありがとうございます」と言った。
台所でお茶を入れていると、部屋の方から小さく声がした。
戻ってみると、リンがとまり木から飛んでいた。白石のそばのテーブルの端に降りて、半透明の羽をわずかに広げている。羽の縁が淡く光っていた。白石は手帳を持ったまま、少し体を引いていた。
「触れますか」と悟が聞いた。
「……大丈夫ですか」
「噛みません。興味があるだけです」
「そうですか」と白石は言ったが、体は動かさなかった。
リンは白石を見た。白石はリンを見た。しばらく見合った後、リンは悟の方へ飛んでいった。
「鳥型の魔物を室内飼育しているのは初めて見ました」と白石が言った。
「フェアリーバードの亜種です。光の強さが安定している方がいいので室内に」
「そうですか」と白石が言った。手帳に何か書いた。
「また書いていますね」
「すみません、どうしても」と白石が言った。声は平静だったが、少しだけ困ったような間があった。「職業柄なのか、気になるものがあると記録したくなってしまって」
「構いませんよ」
白石がお茶のカップを両手で包んで、一口飲んだ。
そこへレグが部屋に入ってきた。悟を確認して、次に白石を確認した。数回顔を合わせたら覚える。レグはゆっくり白石の方へ歩いて行った。
「来ますよ」と悟が先に言った。
「……わかりました」
レグは白石の横で立ち止まり、膝のあたりに頭を乗せようとした。白石がお茶のカップを持ち直してから、空いた片手でそっと押しのけた。力をかけるでもなく、ただ静かに押しのける感じだった。レグは少しだけ不満そうに鼻を鳴らして、悟の足元に来た。
「慣れてきてるみたいですね」と白石が言った。
「まあ、慣れですよ」と悟は答えた。
白石がカップを置いて、また手帳を開いた。何かを書いた。何を書いているのかは角度で見えなかった。
しばらくしてから、白石が手帳を閉じて立ち上がった。帰り支度だ。
「報告書は出してください」と白石が言った。「窓口に直接持ち込んでいただいても、郵送でも構いません」
「はい」
「対応しやすくなりますから」
管理局側にとって、という意味だけでは多分なかった。悟はそれを確認しなかったが、「対応しやすくなる」という言葉には、施設に対しての含みがある気がした。
「ありがとうございました」
「いえ」と白石は言った。玄関で靴を履きながら「では」と軽く頭を下げて、出ていった。
手帳は最後まで手元に持っていた。
悟はドアを閉めた。白石が何を書いていたのかは結局わからなかった。聞かなくてよかったとも思う。
レグが横に来た。「ふるる」と言った。
「終わりましたよ」
レグは特に反応せず、自分の場所に戻っていった。
翌日、悟は完成した報告書を封筒に入れて、バスで管理局の窓口に向かった。受付で番号札を取って、呼ばれて提出して、印を押してもらった。「受理しました」と窓口の人間が言った。白石ではなかった。
施設に戻って午前の掃除を始めた頃、外の気配に気づいた。柵の向こうに、子供が数人立っている。年齢は小学校の低学年くらいだ。柵のすきまから中を覗こうとして、それぞれ首を伸ばしている。




