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元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


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第11話 縄張りと間合い

ムクが今日も水槽から出てきた。悟はそれを見て、少しだけ手を止めた。出てくる方向が、いつもと違う。ガッシュの餌場に近い方だ。


 まずい方向だな、と思った。


 朝の給餌は順番が大事だ。先に腹が減っている個体を優先して、後から食べるタイプを待たせる。理屈としては単純だが、個体の数が増えるにつれて順番の調整が手間になってきた。


 悟がムクの水槽に小型甲殻類を入れると、ムクがさっと触腕を伸ばして引き込んだ。体の色はベージュ寄りの薄い茶色で、朝の機嫌は悪くない。


「今日もちゃんと食べてますね」


 ムクは特に反応しなかった。食事中は無視される。悟はそのまま隣のガッシュのスペースへ向かった。


 葉と果実を混ぜた朝の餌を皿に盛って置く。ガッシュが寄ってきた。首を下げてゆっくり食べ始めた。幼体三頭がガッシュの周囲をうろつきながら、合間に自分たちの柔らかい餌を食べている。


 問題が起きたのは、その少し後だった。


 ムクが水槽から出て、餌場のそばを通り過ぎた。水槽外での移動は珍しくない。ムクは定期的に施設内を動き回る。ただ、今日は動き回る先がガッシュの餌場に近い方向だった。


 ガッシュが顔を上げた。


 ムクが体の色を変えた。ベージュから、橙色を経由して、じわりと赤みが差した。それが濃くなって、黒に近い赤になった。


 威嚇の色だ。


 悟は手を止めた。


 ガッシュが低く息を吐いて、前足で地面を掘った。一掻き、二掻き。土が左右に広がった。ここは俺の場所だ、と言っているような動きだった。


 ムクがさらに近づいた。触腕を広げて体を大きく見せようとしている。色は黒に近い。


 レグが離れた場所からこちらを見ていた。


 悟は動かなかった。


 介入するかどうかは、状況次第だ。どちらかが相手に実際に触れようとしたら止める。だがまだ、距離がある。言葉がない生き物同士がお互いを測っている段階だ。このやりとりを中断させると、次に顔を合わせたときの処理が残る。


 結果だけを止めても、問題は消えない。


 悟は少し離れた場所に立って、記録ノートを開いた。


 「ムク 体色変化:ベージュ→赤→黒 威嚇状態。ガッシュ 地面掘り行動。距離約一・五メートル。双方接触なし」。


 ガッシュがもう一度地面を掻いた。今度はゆっくりとした動作だった。掻いた土がくぼみになった。ガッシュはそのくぼみをじっと見てから、ムクの方に視線を戻した。


 ムクが体色を落とした。黒から赤へ。赤から、くすんだ橙へ。


 どちらも一歩も引かないが、激しくなっていない。


 レグが悟の足元に来て座った。「ふるる」と鳴いた。


「見てたんですか」


 レグは答えない。ただ足元に丸まって、ガッシュとムクの方を遠巻きに眺めている。悟と同じ観察だ。


 にらみ合いは続いていたが、膠着状態になった。ムクが触腕をゆっくり縮めた。ガッシュが一歩下がった。どちらが先に引いたというより、同時にそれぞれのペースで距離を取り始めた。


 午前中のうちにムクは水槽に戻った。ガッシュは幼体たちと屋外スペースへ出た。にらみ合いはそれで終わった。


 午後になって、悟が換気の確認で施設内を回っていると、ガッシュが戻ってきていた。掘ったくぼみのそばで草を食んでいた。幼体たちは離れた場所で一頭ずつ好き勝手にしている。


 ムクが水槽から出てきた。


 また近くに来るのかと思ったが、ムクはガッシュのスペースの端で止まった。距離は一メートルほど。朝と同じくらいだが、体の色が違った。今は橙色の薄い、落ち着いたベージュに近い色だ。


 ガッシュはムクを見たが、地面を掻かなかった。首を戻して草を食べ続けた。


 悟は何も言わなかった。


 夕方、悟が記録をつけていると、廊下から気配がした。のぞくと、ガッシュが朝掘ったくぼみの中で横になって眠っていた。幼体三頭が腹のまわりに寄り添っている。


 その背中に、触腕が一本だけ乗っていた。


 ムクだった。体はガッシュのすぐそばに置かれていて、色は薄いベージュのまま動かない。眠っているのか、ただ静止しているのかは判断できないが、触腕の先がガッシュの背中の突起に軽く引っかかるような形で、そこにあった。


 ガッシュは眠ったままだ。幼体三頭も動かない。


 悟は記録ノートに書いた。「夕方・ガッシュのくぼみでムクとガッシュが接近。ムク触腕一本をガッシュの背中に接触。双方落ち着いた状態。ムク体色・ベージュ安定」。


 ペンを置いて、悟はその光景をしばらく見た。


 介入しなくてよかった。朝の段階で引き離していたら、こうはならなかっただろう。生き物は、自分でなんとかする。時間と空間がちゃんとあれば、大抵のことは折り合いがつく。それは動物園での経験から知っていた。


 介入は最小限でいい。見ていることも仕事のうちだ。動くタイミングと動かないタイミングを間違えると、関係の修復に余計な時間がかかる。この施設でも、それは変わらない。


 そのとき、ポケットの中で着信音が鳴った。


 久保田からだった。


「悟さん、今いいですか。明日なんですけど、同僚を連れていってもいいですか。松田っていうんですけど。探索者なんですけど、なんか魔物見てみたいって言ってて」


「どうぞ」


「え、本当ですか。あ、ありがとうございます。松田、喜びますよ絶対」


「何時ですか」


「十時ごろで大丈夫ですか」


「はい。あと今日、ムクとガッシュで縄張り問題がありましたよ」


「え、大丈夫でしたか」


「夕方には落ち着きました」


「さすがですね。じゃあ明日よろしくお願いします」


 電話が切れた。


 廊下の奥では、ガッシュとムクがまだ同じ場所にいた。

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