第1章 光の中の私
私が初めて「人を助けること」に価値を感じたのは、小学生のときだった。夏休みの午前、蝉の声が窓の外で鳴き止まない中、近所の一人暮らしのおばあさんの家に水を運んだ。
腰を痛めて動けないその人は、私が差し出した冷たいペットボトルを両手で包み込み、「ありがとうねえ」と、皺だらけの笑顔を向けてくれた。あの時、胸の奥がふわりと温かく膨らんだ感覚を、私は今でも覚えている。
人を助けることが、自分の存在を形づくる。そんな単純で、でも強烈な確信を、その日から持ち続けるようになった。
高校生になってもその想いは変わらなかった。進路指導の時間、迷いなく介護福祉士を志望欄に書き込んだ私に、担任は「本気か?」と苦笑したが、迷いはなかった。大学に進む友人たちとは違う道を行くことへの不安よりも、「必要とされる場所で生きる」という期待のほうが大きかった。
そして二十歳の春、私は小さな病院の介護職員として働き始めた。
朝は6時前に起き、寝間着から服に着替え、髪を後ろでまとめる。通勤バッグに水筒と軽い昼食を入れて、家を出る。自転車で15分、病院に着くと、まず更衣室で制服に着替え、名札を胸に留める。
タイムカードを押してフロアに出ると、夜勤担当の先輩が待っていて、患者さんの夜間の様子や体調の変化を手短に引き継いでくれる。
「おはようございます」
そう挨拶を交わし、メモを取りながら一日の業務の流れを頭に入れる。
患者さんの顔を拭き、体を起こし、朝食を配る。自分の手が誰かの役に立っている感覚が、日々の中で何よりの支えだった。
もちろん、きれいな場面ばかりではない。
失禁の片付け、拒否される介助、叱責される日もある。だが、そういう瞬間も「この人が少しでも楽に過ごせるなら」と思えば、不思議と苦にならなかった。
「あなたがいると安心するわ」
そう言われることが、私の生きる意味を裏付けてくれる。
夏のある日、廊下を歩いていた時、窓の外に広がる青空と入道雲が目に飛び込んできた。
白い雲の向こうに、未来が輝いているように見えた。
「私は、きっとこのままずっと、人を助けるために生きていく」
そう思って疑わなかった。
その未来が、音もなく崩れ始めていたことに、このときの私はまだ気づいていなかった。
四月から始まった新しい生活は、あっという間に日常に溶け込んだ。
勤務のサイクルは早番と日勤、遅番、そして月に数回の夜勤。夜勤はまだ先輩の補助としてだったが、昼夜が逆転するあの感覚は、慣れるまで体の芯に重くのしかかった。
それでも、患者さんの「ありがとう」の一言が、疲労をごっそり削り取ってくれる。そう思っていた。
六月、蒸し暑さが増し、病棟の空気は少しピリついていた。熱中症対策のため、こまめな水分補給や室温管理が求められ、職員同士の声掛けも増える。だが、その忙しさの中で、時に些細なことで衝突が起きる。
先輩の佐伯さんは、真面目で几帳面だが、私の段取りの甘さを容赦なく指摘する人だった。
「その順番だと時間がもったいないよ。次からはこうして」
頭では理解しても、連日の疲れが溜まると、その言葉が棘のように胸に残った。
帰宅後は、シャワーを浴び、簡単な夕食をとると、あっという間に眠気に襲われる。以前は読書や趣味の時間もあったのに、今は布団に倒れ込むだけ。
それでも「忙しいのは充実の証拠だ」と自分に言い聞かせた。
夏の終わり、ある患者さんが急変した。昼食後、談話室で談笑していたはずの人が、わずか一時間後には意識を失っていた。必死の対応も虚しく、その日の夕方には息を引き取った。
病棟全体が沈黙に包まれ、私は廊下の隅で立ち尽くした。
「私がもっと早く気づけていたら…」
根拠のない後悔が、胸の奥でじわりと広がる。先輩たちは「これは誰のせいでもない」と言ってくれたが、その言葉は慰めにならなかった。
それから、業務中に何度も患者さんの呼吸や表情を確認するようになった。
夜勤では、ナースコールが鳴るたび、心臓が跳ねる。何事もなければ安堵し、何かあれば自分を責める。
日々の緊張は、少しずつ、しかし確実に私を蝕んでいった。
秋が深まり、病棟の窓から見える木々が赤や黄色に染まる頃、私は笑う回数が減っていた。
同僚と談笑することも減り、昼休みは食堂ではなく更衣室の隅で静かに弁当をつつく。
誰かに心配されるのが怖かった。
「疲れてる?」と聞かれるだけで、涙が出そうになるから。
家に帰ると、テレビの音がやけに大きく感じる。家族の何気ない会話や笑い声が、別世界のもののように遠くに響く。
布団に入って目を閉じても、脳裏に浮かぶのは患者さんの顔ばかり。
生きている顔、亡くなった顔。笑顔、苦痛に歪んだ表情。
眠りに落ちる直前、耳元で誰かの呼吸が途切れるような感覚に襲われ、飛び起きることもあった。
それでも私は、自分が「人を助ける人間」であることを手放したくなかった。
たとえ少しずつ壊れていくとしても、その信念が私の存在理由だったから。
十一月に入ると、病棟は一気に慌ただしくなった。季節の変わり目は体調を崩す患者が多く、入退院が立て続けに起こる。
廊下の隅には点滴スタンドがいくつも並び、ナースステーションには書類が積み上がっていた。
日勤が終わる頃には、もう外は真っ暗。病院を出た瞬間に頬を刺す冷気が、仕事の疲れをいっそう深く沈める。
その頃から、朝の目覚めが苦痛になってきた。
目を開けても体が動かず、布団の中で天井をぼんやり見つめる時間が増える。
「行かなきゃ…」
そう思って体を起こすものの、頭は重く、胸の奥が鈍く痛む。
ある日、夜勤明けで病院を出たとき、冬の朝の白い息がやけにまぶしく感じた。
通勤路の向こう側では、スーツ姿の若い男性がコンビニのコーヒーを片手に笑っていた。その笑顔は、まるで別世界の住人のようだった。
その瞬間、胸の奥に、説明できない違和感が生まれた。
羨ましさとも、悔しさとも、はっきりしない感情。それはすぐに霧のように消えたが、心の奥底に沈殿したまま動かなかった。
十二月、街はクリスマスの飾りで輝き始めた。
仕事帰りに駅前を通ると、イルミネーションの下で手を繋ぐ恋人たちや、笑い声をあげる友人同士が目に入る。
私はその光景を横目で見ながら、足早に通り過ぎる。
――あの人たちは、きっと何も背負っていないのだろう。
そんな考えが頭をかすめた瞬間、自分で自分に驚いた。
私はこんな風に、人を線引きして見下すようなことを考える人間だっただろうか。
職場でも変化があった。
ある日、佐伯さんが「最近、表情が硬いね」と言った。
冗談めかした口調だったが、その言葉が胸に突き刺さった。
私は笑顔を作ろうとしたが、頬が引きつるだけだった。
「すみません、少し疲れてるみたいです」
そう答えると、佐伯さんは「年末だからね、みんなそうだよ」と軽く返した。
だが、その軽さが逆に、自分だけが取り残されているような孤独感を強めた。
クリスマスの日、夜勤中に窓の外を見た。
病院の敷地の向こうには住宅街があり、色とりどりのイルミネーションが瞬いている。
誰かが笑っている声が遠くから届く。
私は無意識に拳を握りしめていた。
――どうして、私はここでこんなに寒い思いをしているのに、あの人たちは笑っていられるのだろう。
胸の奥に、小さな黒い塊が生まれる音がした。
年末の大掃除の日、病棟のカレンダーをめくったとき、ふと気づいた。
今年は、笑顔で過ごした記憶がほとんどない。
それでも私は、自分が壊れ始めていることを認めなかった。
認めてしまえば、「人を助ける人間」という自分の軸が崩れてしまうからだ。
大晦日の夜、帰宅すると、家の中は年越しそばの香りで満ちていた。
テレビからは特番の笑い声が響く。
家族に「おかえり」と言われ、私は「ただいま」と返す。
そのやり取りさえ、どこか薄い膜を隔てた向こう側の出来事のようだった。
私は笑うことを忘れ始めていた。
それでもまだ、この時の私は信じていた。
――きっと来年も、人を助けるために生きていくのだと。