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◆7 神と人 狂気と魂



 バン、バン、パァン!と、軽快な音がトライスクラップ社ビルに響く。

 社内にはアルバート、ヘレナのほかに甲殻類型ミ=ゴが何人か働いているが、そのうち数人がジムの入り口でハンクを眺めてはアルバートにどやされて仕事に戻っていった。


「なぁっ、ここの奴ら何してっ、働いてんだ?」


 ハンクは目の前に展開されたホログラム相手に仮想スパーリングを行っていた。

 実体は生体素材によるサンドバッグだが、上に被せられたホロブラムは若干ダグに似たダゴンの使徒のイメージとなっている。

 横ではヘレナが座っていて、真剣にショゴ助経由で送られてくるデータと向き合いながらわずかな連携のずれをショゴ助に入力し洞調律を高めていく作業中である。

 アルバートは仕事に空きができたからとハンクの話し相手になることにした。


「主に素材になる細胞の養育と事務仕事だな、ワシが基本形を作ったスーツを設計図にしてオーガニックフレーム……いわば骨格だな。そいつに職人それぞれが調整して育てた源ショゴスの万能細胞を有機プリントして形にしていくんだ

これが中々、他所よりも個性が出るやり方でな。その個性を顧客に合わせて調整なんかもしてるんだ。」


「うちの製品はそのオーダーメイド性が売りで、ヴェルみたいな個性派に人気なんです」


「知る人ぞ知るってやつか、なるほどね」


 パァン!と、いい音が鳴るとハンクはヨシ、と一言入れる。


「ハンクさんの動作データ……動きの癖を入力しました、反撃入れますよぉ? 危ないので、ここからは返事はテレパシーでお願いします」


『あいよぉ』


 ヘレナの言葉に、ハンクは言われた通りテレパシーで応える。

 ヘレナがホロスイッチを押すと、サンドバッグとホログラムが連動して、素早いパンチを返してくる。

 威力は軽そうだが、素早い動きだ。ハンクは半歩下がって当たらないように回避する。

 本番ではスピードはそのままに威力は比べ物にならないものであることがわかっているからだ。

 トレーニングの意図を読んでくれたハンクにヘレナは満足そうに髪をピンクにして笑顔を浮かべる。


『それで、あいつら地球の何にあんなに怯えてるんだよ』


 ハンクのテレパシーで飛ばした問いに、アルバートは応える。


「それはな、奴らの神が大昔に地球の神々……正確には、魔法使いって化け物に敗北したんだよ

奴らはいわゆるダゴンやクトゥルフ、サイメイギといった地球でいう旧支配者の天敵でな

地球にいた旧支配者は残らず地球に封印されるか、殺されかけて異次元に逃げ込んじまった

今深淵共和の連中が信仰してご利益もらってんのもその生き残りだ」


『何? そんなヒーロー譚聞いたことねぇぞ?』


「形を変えて伝わってるぜ、神話なんてのは化け物退治に事欠かねえだろ?

魔法使いの存在は地球に住んでる人間達の間ですらトップシークレットだ

願いを叶えて宇宙の法則を好きに追加するなんて化け物、居るなんて知れたら魔法使い狩りが起きちまうからな」


 アルバートの話に、スパーリングをしながらハンクは呆れた顔をする。


『そんな化け物を狩っちまうのかよ』


「どんな生き物も、化け物相手に集まって欲を振り翳したら恐ろしい化け物になっちまう。

特に人間みてえな『個』の生物はその狂気が凄まじい執念に昇華しちまう

怖えぞ、個を獲得して長い生物が、その個を犠牲にする覚悟で迫ってくるってぇのは」


 アルバートの言葉に、ホロコンソールのキーボードを打つヘレナの指が止まる。

 何かがヘレナの背をかすめ取ったかのように、唐突な寒気に襲われたからだ。


「……っ?」


 ふるりと震えたヘレナには身に覚えのないその感覚に戸惑ったが、すぐにコンソールの手を動かし始める。

 それを見たアルバートは目を細めた。


『あの野郎やっぱ教えてねぇな……まぁ、それでこそ後釜ってコトか』


 そう思ったところで膝を叩き話し始める。


「ちょうどいい、少し昔話をするか……」




 ワシとノイズは今から100年前……地球の調査の為に派遣された特殊部隊に所属していた。

 任務は有用な鉱石と生物細胞資源の調査だ、特に地球ってのは古い神々の子孫が意外なところにたむろしてやがるからな。

 ノイズのチームは人のいる都市部近郊の鉱山を調査した。

 ワシらのチームは特に人間の手が及んでいない、ヒマラヤ山脈の奥地に拠点を築いて生物調査を行っていた。


「ぎゃあ!ぎゃあ!」「グルルルルル!グルルル……ぎゃいん!」


 今考えると野蛮だったよ、ワシらはそいつらを『資源』としか思っていなかった。

 タンパク質資源、霊的資源、生体構造資料……まぁ使い道は色々あったが雑な仕事をしていたなぁ。

 当時使っていた旧式イエティバイオスーツは掴んで食べることで必要な資料をあらかた解析するついでにエネルギーを補給していた。

 冥王星ほどではなかったにせよ、極寒の山中に地球の手にとれる有機構成物は限られる。

 当時の技術ではスーツのエネルギーなしでワシらの本体は地球の環境にはとても耐えられなかったんだ。

 油断すれば、一人、二人、エネルギー不足で倒れ証拠の根絶のために内蔵した毒素で泡になって消えていった。

 悪いことはまだ続いた。


「居たぞぉ!!こっちだ!!」「イエティ野郎!」


 ワシらはその上追われていた。

 地球の宇宙人調査組織が我々を嗅ぎつけて、現地で土地勘のある猟師を雇って送りつけやがったんだ。

 運の悪いことに、知らず奴らの張った陣の向こうに帰還用の電送ユニットがあった。

 戦いは長期戦になった……厳しい冬のヒマラヤで、一人、一人、互いに倒れていった。

 ワシらは奇妙なものを目撃した、奴らは祈るんだ。

 神でもない、神の末裔でもない、自然の動物資源たちに。生きるためのエネルギー源へと、祈ってから変換工程を踏んだ。

 深淵共和のような宗教的なものかとも思ったが、何かが違うと直感的に思ってな、変にはっきりその違和感を覚えている。


「はぁ、はぁ」「ぶるるっ、ぜぁ、ぜっ」


 技術ではこちらが勝るはずなのに、バイオスーツの性能は奴らの生体スペックを遥かに超える筈なのに、ワシはついに一対一で追い詰められた。

 ワシは、自然に覚えた奴らの言語でいつの間にか訪ねていたのさ。


「ゥルルル、おいぃ、人間よぉ……何故だぁ」


「なんでぇ、お前さん喋れるんけぇ?」


 エネルギーが底をつきそうだったっテェのに、ワシは構わず訪ねてたんだ。

 それが結果的に、ワシがこうして助かる原因になったんだが……


「何故、お前たちは犠牲を恐れない?何故、お前たちはワシらを憎む?何故、お前たちはワシに恐怖しない」


 正気定義摩擦、今じゃSAN値減少なんて呼ぶところもあるがあれはそんな数値化された事実じゃねぇ、知的生命体が持つ『致命的な欠陥』だ。

 ものが違う存在だ、ワシらは強力な体を持つ群体、奴らはひ弱な体を持つ個体。

 言っちゃなんだがスペックが違う、守るものも違う、お互いの常識も違う。

 だから普通はこうなる前に逃げると思っていた、だが奴さんらは脅威的な執念でまるで旧きミ=ゴの群れのようにワシらに噛みついてきた。

 そして今、その窮鼠の牙は猫の首を噛みちぎる寸前だ。

 それが疑問で仕方なかったんだ……


「怖いさ、怖いし今も狂っちまいそうだぁ……いや、狂ってんのかもしんね」


「それほどまでにお前たちを雇った存在は偉大なのかぁ?ァルルルル……」


「違えよ」


 笑いながら、男は原始的な猟銃を構える。それがまるで、奴の魂の形であるかのように、自然に、そういう生き物のように。

 男の声は、子供に絵本を読み聞かせるように穏やかでありながら、静かな怒りに満ちていた。


「お前らは自然に敬意を抱かなかった。お前らはワシらを軽んじた。お前らはワシらを恐れた

ワシらは怒り狂ってるのさ、山を荒らす、『魂』なきものに

ワシらの誇りを、軽んじるものに……!」


 今思えば……あれは逃がされたのかも知れねえ。


 ワシは明らかに、そいつを恐れて逃げたんだ。あの猟師に目掛けてな。


 猟師が撃った鉛玉の群れを両腕で受け止める、目の前に警告表示のアラートが鳴り響くのを止めて無理やり走った。

 二発目、警告音さえも止んでがくりと膝から力が抜ける瞬間、最後の力を振り絞って叫びながらもう一度跳躍した。

 雪の下に隠した電送ユニットのスイッチに手が触れて、ワシは電送され、現地に残ったユニットは自壊した。


 中継地点まで電送で帰った時、地球帰りのミ=ゴは皆一様に何かしらの恐れを地球から持ち帰っていたよ。

 それはミ=ゴ特有の正気定義摩擦、理解の及ばねえ執念の強さにワシらミ=ゴの合理性が追いつかなかったんだ。

 ワシは知っている言葉……神々や悪霊、深きものや旧き者が用いる言葉の中から必死に言語化しうる概念を探し、やがてその執念を『魂』と呼んだ。

 『心』はその理由の強さ、『技』はその理屈の複雑さ、『体』は物理的な頑固さ……どれか低くてもダメだし、どれかだけでも足りねえそれを補う『狂気』。




「まぁそれがたまらなく尊く思えて、トライスクラップの基礎理念にしたのさ」


 呑気にあくびをして白い顎髭をワシワシと弄びながらアルバートが語る壮絶な過去を、スパーリングを続けるハンクは真摯に聞き取り、テレパシーではなく口を開いて言葉を紡いだ。


「言葉が、足りねえ。」


 ハンクの言葉に、アルバートが顔を上げる。

 ハンクは右肩と拳に力を込めて、サンドバッグと被せられたダグの幻影に怒りを込める。


「狂気ってだけじゃねぇ、それは足りねえもんを補う狂気的な努力だ!」


 ハンクの振るった拳は、彼の精神論の上に合理的な理屈があることを示すかのようにサンドバッグの本体を強かに打ち鳴らした。

 昼休みを告げるブザーと共に、データの収集完了を知らせる表示がヘレナのコンソールに映る。


「……父も、狂気を持ち帰ったんでしょうか」


 ヘレナの言葉に、アルバートは明後日を向いて頭を掻いて立ち上がった。


「さぁて、ね。んじゃ、提出されたバイオCADのチェックに行ってくらぁ」


 そう言ってノシノシと歩いて行くアルバートを見送るヘレナの表情は、どこか寂しさを感じさせた。


「アルバートは、優しいんです」


「あんな、あからさまに何か隠しててもかよ?」


 その不器用さにヘレナも髪をオレンジに染めて苦笑いで返す。


「私がノイズの子株って話しましたよね、子供と言ってもほとんどクローンのような物です

私はノイズのそれまでの叡智と技術をほとんど継承した状態で個の人格を育みました。

その時、『意図的に切り離したもの』があったのもわかっているんです

多分、彼にはそれが邪魔だったから、それのない私にノイズコンツェルンを継がせたかったんだと思います

ダグのいう通り、結果的に私は父さんから離反して、技術と知識を抱えたまま逃げ出したんですが……

アルバートは私とノイズに、父さんに配慮してくれてるんだと思うんです」


 言いながらヘレナの髪は、深い藍色に沈んでいった。


「呪い、なんて言われたっけな」


「はい?」


 ハンクの口から出た言葉に、ヘレナは振り向いた。

 隣に腰掛けたハンクの肩も、青く光っていた。


「昔俺の住んでいた街によぉ、俺より何代か前のチャンピオンが住んでたんだ

ジャック・ハリソン。 あいつは何度も防衛戦に負けて地に叩きつけられては、泥臭くトレーニングに励んでは何度もベルトを奪還してた。」


 語るハンクの肩は、徐々に暖かいオレンジに染まっていく。


「そのトレーニングがまぁ地球人から見ても、狂っているとしか思えねえもんでよ

誰もいねえ空間に敵の幻を見て人目を憚らずシャドーボクシングに熱中したり、ぶっ倒れるまで走り込んで人の乗った公園のベンチを持ち上げたり、当時不衛生って言われてた生卵をジョッキいっぱいに注いで一気飲みなんてのもしてたっけ

それでもジャックは、あいつは勝ち取って戻ってくるんだ。いずれ完全に壊れてぶっ倒れるその日まで、何度も、何度も……」


「それって……」


 まるで、地球人が古い信仰に信じる地獄の概念のようではないか。

 そう言いかけたヘレナは、何故か言葉に詰まってしまった。

 一泊おいて理解できた、それを語るハンクの肩の燐光があまりにも暖かかったからだ。


「俺も疑問だったんだ、何であんなにボクシングにハマれるんだ。

何であんなに、楽しそうに身体を虐められるんだってな。

試してみたら思いの外、性に合ってたんだ。肩がぶっ壊れても辞めらんなかった

呪い扱いなんて余計なお世話なんだよ、俺は死ぬまでこいつを引きずるつもりだ

今そいつに力を与えてくれてんのはーーお前だ、ヘレナ」


「……っ!」


 そう言ってヘレナの瞳を見つめるハンクの真っ直ぐな紅い瞳、ヘレナは一瞬にしてポフっと髪を桃色にして赤くなった顔を隠すように目を逸らした。


「ぅあ、や、私はぎじゅちゅしゃとしてっ、役割を全うしてるだけですからっ!」


「HAHA照れるなよ、凄えぜ?最初は少し肩ん中にズレが出てちいと痛かったし、ショゴ助が勇んで肩伸ばして腕攣りそうになったりしたのにそれがどんどん減ってんだから

でも一番凄えのはなヘレナ、お前の技術が俺の狂気を理解し乗りこなしてるってことだろ?

それは今やお前の親父にも、アルバートにも出来ないお前だけの努力だ。」


「ふぁ、はいっ」


 ピンクから赤になろうとしていた髪が、徐々にオレンジに染まっていってヘレナはゆっくり顔を隠しながらハンクに向き直る。


「だからよ、俺はダグの野郎にお前を絶対渡さねえ。お前が俺を、ボクシングに繋ぎ止めてくれる限りな!」


「……〜〜っ」


 ヘレナが潤んだ瞳をギュッと瞑ると、ボシュぅぅと彼女の首にあるファンが回転し熱風を吐き出した。


「おわぁ、何だ何だお前。照れ屋かよ」


「いえっ、これはやる気ですっ!多分っ!昼食食べましょう!深淵通販でイィーキルス産の良い食材を買ったんです!生卵より断然良いものですよっ!」


 そう言って、ヘレナはふんふんと鼻息荒くハンクの腕を引っ張り食堂へと連れて行くのだった。



 ブツンーーと、ブラウン管のチャンネルが変わる。

 リモコンを握る女はカウチに座り、黒地に金の装飾をしたチャイナドレスから覗く脚を妖艶に組み替えながら肘をついた。


「いい感じに育っているわねぇ、『あの子』に見せる時が楽しみね」


 ケラケラと笑いながら暗い部屋でブラウン管テレビの向こうの世界を『俯瞰』する彼女は、その世界の混沌を眺めながらテーブルに置いたスナック菓子を貪っている。

 そこは、普通に見せかけた……異様な部屋だった。

 壁と言えるものはなく、その向こうに見えるのは星々の瞬き。

 四角く切り取られたフローリングの上に本棚と、テレビと、カウチとテーブルがあり

 テレビの対角に出入り口らしき『扉だけ』が立っている。

 本棚には投資やボクシングの基礎知識が書かれた本が並んでいて、テーブルの上にはノートパソコンもあり株価らしきグラフを変動させている様を表示している。

 その空間はまるで、出来の悪いホームドラマの撮影現場のようでもあった。

 カウチの上に腰掛けるのはチャイナドレスと同じ漆黒の長髪を重力のままにカウチに垂らし、リラックスした様子のグラマラスな美女だった。


「暇つぶしに作った可能性だけど、面白くなってきたじゃないねぇ?

魂の哲学と技術の哲学の衝突に、ハンク・グリフィン、ノイズはまだ余裕そうだけど

片方だけの視点じゃあ不平等よ、ね?」


 そう言いながら、その視線はブラウン管の向こう……白い光の照らす庭が見える個室へと移る……



 黒い砂利の上に自然石でできた円環、人工の風、ほのかに香る金属臭……空一面雲に覆われながらも十分な環境光に満たされたそこは、遠い深宇宙にある、ミ=ゴという種族に故郷の郷愁を感じさせる環境だった。

 石の円環の中央に座り、静かに瞑想に耽る白磁のミ=ゴが居る……ノイズだ。

 どこからか機械的な人工のテレパシーがノイズの脳髄に瞑想を乱さないよう静かに語りかける。


『精神分析プロトコル Ver.1411.25 実験を開始します』


『あぁ、頼む』


 ノイズの心の奥底へと、人工テレパシーのーー科学のメスが入る。




 地球の環境は、我々ミ=ゴにとっては荒々しく地獄のようだったと言わざるを得ない。

 統一性のない多細胞生命体の群れ、解析不能な神的資源の痕跡、当時何より不快だったのが……


『いあ、いあ、シュブ=ニグラスに1000の生贄を!』


『日は来れり!ニャルラトホテプは、すべての秘密を詳にせんこと!』


 日の初めはいつもこれだった、最初に狂ったのが群れを率いる隊長だったことが不幸の始まりだった。

 はじめは順調だった、地球人が知的生命であると私が辛うじて認めていた頃、我々は催眠音波を用いて現地協力者を募り、周囲の社会構造に潜り込むことができた。

 だが、予期せぬ嵐が皆を狂わせた。氾濫を起こした川に隊員が数名流されたのだ。

 間抜けな奴らだ、未知の環境に身を置く以上、本星にない何らかの自然災害が発生することは予測されていたはずだったし、訓練もしていた。

 私はチームに恵まれなかったと心底後悔していた。

 低俗な奴らだった、神に祈ったところで嵐を起こした地球の大気予測モジュールを今回のデータを用いて新しく更新した方が何倍も有用だというのに。


『ノイズさん……ノイズさん!』


『ウィルマ、どうした?』


 彼、いや彼女というべきか? ウィルマ=フィリップスというミ=ゴだけは、私の地球での調査期間で唯一心を許せた個体だった。

 ミ=ゴ随一の脳神経学者である彼女は、地球人の脳構造解析から催眠音波を組み立てた。

 周りより少し若く、些細な失敗が多いことを除けば彼女は十分な正気を持った有能な人材だったと言えるだろう。

 私は大気予測モジュールの更新を止めて彼女に向き直った。


『マズいことになったかもしれません……これ見てください』


 彼女が渡してきたのは現地人が用いる原始的な紙媒体のマスメディアだった。

 地球人がこれを通してSNSのような討論をチマチマと行うことは知っていたが、私はその内容に戦慄を覚えた事を覚えている。


『これはっ……あの狂信者ども、確認を怠ったな!?』


 そこには、あの日の濁流に流された同胞が死によって自己分解を起こす前に、現地人によって見つかったことと、それによって我々の存在に感づいた二人の人間のやり取りが断片的に書かれていた。


 それが、あの忌々しい老人をさいしょに認識した瞬間だった……た……あがぐ


ーー忌々しい、闇に囁く者どもめ!!ーー


『待って!私たちは敵じゃない!』


ーー絶対に、絶対にお前達の存在を、白日の元に晒してやるぞ!!ーー


 忌々しい猟犬が、彼女の足に噛み付く……


『きゃあ!』『逃げるんだ!』


『待て、待つんだ!ウィルマが、ウィルマがまだ!』


 バン! バン! テレパシーによって正確に可視化された夜の空に銃声が鳴り響く。


ーー我が魂を、燃やし尽くし削りきってでもぉ!!ーー


『お前が、お前さえこの街に居なければ……何なんだ、お前はぁ!!』




『……っあ!』


 ビグ、という痙攣と共にノイズが瞑想から覚めたノイズは、精神分析プロトコルのエラーによる音声サイレンの音波を感じ取った。


『……プロトコル、テラリウム、全機能停止』


 ノイズがテレパシーで機械を止めると、白い空は青い光を湛えた黒曜石の天井に変わった。

 立ちあがろうとしたら、足が震えていた。

 ぽた、ぽた、と体液が滲み出していた。どうやら瞑想中にバイオスーツの筋肉が限界を超えて収縮していたらしい。

 ジジ、ジ、ジジジジジッ!!と、羽が鳴る。


『……っぇえい!』


 自らの足に腹を立てて、ノイズはガシ!と鋏を叩きつける。

 擬似的な痛みが走るが、構わずノイズは壁に収納された予備のバイオスーツを展開すると、自らのスーツの頭部を開きスルスルと壁の予備スーツにゼンマイ状の頭部を移動させて起動する。

 壁から展開したアームが足の傷ついた元のスーツを回収し壁の中に消えていく。


『やはり、打ち砕くしかないのだ……狂気は、恐怖は、解剖し、解析されなければならない、支配しなければ、ならない』


 新しいスーツごと壁から下ろされたノイズは、反対側の壁にトラッシュトークの現場を投影する。


『深淵を舐めるなよ、地球人!』『一本釣りしてやる、深き者!』


『とんでもないことになりました!深淵共和との戦いは最早、地球人チャンピオンの復活戦にとどまりません!

ノイズコンツェルンの姫、ヘレナ=エイクリー氏を巻き込んだ争奪戦! これは見逃せません!』


 捲し立てるリポーターのテレパシーと共に映る、桃色の髪をしてハンクの背を見て惚けるヘレナを見て溜息をつく。


『どこまでお前は、私を失望させる気だ……アルバートの思想と、下劣な肉の檻に汚染された雌に成り下がるお前など見るに耐ない……』


 そう言うノイズの独白は、どこか悲痛な響きを持っていた。

 だがすぐにそのバイザーは、その直後に映るハンクへと向けられる。


『ハンク=グリフィン……可能であったのならば、勝ち上がってくるがいい

お前は、私の科学が叩き潰す……そうあらねば、ならんのだ

それも出来ん蛆虫であるなら、ヘレナ諸共宇宙の塵として捨て去ってやる……!』


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