第三章:夢の階層
【夢の第一層 ― 雨のバン】
雨の音がしていた。
ただのSE(効果音)じゃない。**記憶から再構成された“雨の重さ”**だ。
ユスフの夢。運転する彼のハンドルさばきには、現実以上の正確さがある。
後部座席にはフィッシャーがいた。
今回のターゲット。彼の潜在意識に、アイデアを「植え付ける」ための第一段階。
だが俺は、この層で最初の“違和感”を感じていた。
マルがいた気がした。街角の誰かの顔に、あの輪郭があった。
「潜在意識が反応している。武装警備の反応が速すぎる」
アーサーの声が無線で響く。
フィッシャーの防衛反応。彼の深層はすでに“夢の中の侵入”を感知している。
サイトーが撃たれた。その痛みは、夢では“死”ではない。
だが、今回の眠りは深い。もしここで死ねば、リムボに落ちる。
サイトーの顔が蒼白になる。俺の中で、**“彼を現実に返す責任”**が重くなる
【夢の第二層 ― 無重力のホテル】
バンが橋から落ちる。
その“落下”が、次の層――アーサーの夢――に“無重力”として反映される。
アーサーが無言で壁を歩く。
物理法則のねじれが起きている。夢の中の時間は、物理法則を凌駕する。
この層では、フィッシャーに“疑念”を植え付ける。
「父は何か遺言を残していたのではないか?」
その種が、第3層で育つ。
だが俺の内面では、別の種がすでに根を張っていた。
マルの声が、廊下で響いた。
誰も聞こえていない。俺の脳だけがそれを“再生”している。
「またここにいるの? ドム、現実から逃げて、また他人の夢の中?」
「違う。これは仕事だ。戻るための手段だ」
「あなたは“戻る”気なんてないのよ。
あなたが望んでるのは、“夢の中で許されること”だけ
【夢の第三層 ― 雪の要塞】
風が冷たい。
イームスの夢。フィッシャーの深層にある“父との記憶”を操作する。
要塞、金庫。彼が「真実がある」と信じられる舞台装置。
ここまで降りてくると、時間の感覚が壊れていく。
現実の5秒が、この層では1時間以上に感じられる。
イームスが変装し、フィッシャーを誘導する。
俺はただ、マルの姿を探していた。
「金庫の中には、風車が入っている」
あれはフィッシャーの記憶。子供時代の象徴。
誰かに認められたかった。父に見られたかった。
その小さな“欲望”に、「分社化=自己決定」という新たなアイデアを植える。
成功の兆し。
だが同時に、俺の中で“境界”が崩れた。
サイトーが撃たれ、意識を失う。
落下する彼の姿が、俺に“あの記憶”を呼び戻す。
マルが飛び降りた夜。
俺が彼女に「これは夢だ」とインセプションを仕掛けた、その直後。
「あれは正しかった。あのままでは、俺たちは二度と戻れなかった」
「でも、私は現実でも“夢”だと信じてしまった。
ドム、あなたがインセプションしたのは、私の“死”よ」
俺の言葉は、誰にも届かない。
ここは、第三層。もう“俺の夢”の中にさえ、俺の意志は通用しなくなっていた
【リムボの気配】
サイトーが落ちた。
それは、「俺が彼を連れて帰る」と誓った瞬間だった。
そして、俺は気づいた。
彼を迎えに行くには――リムボに降りるしかない。
リムボ。時間のない海。構造も記憶も、自己すら崩壊していく最下層。
「お前が俺を待ってるのは、知ってる。
でも今回は、そこに“帰る”んじゃない。取り戻すために行くんだ。現実を、未来を、俺の子供たちを」
そう言いながらも、俺は夢の底へ、もう一度飛び込むことを選んだ