第二章:夢の設計者
目を覚ましたはずなのに、違和感だけが先に起きていた。
天井は見覚えのある木目だった。窓からは喧騒の都市音――モーターの唸り、クラクション、遠くの犬の鳴き声。
それでもどこか過剰だった。現実にしては、音の密度が濃すぎた。
「これは現実か?」
その問いがまず、喉より先に脳の中で反響する。
いつもそうだ。俺にとって「目覚め」とは、夢の可能性を一つずつ排除していく作業だ。
サイトーの部屋。ソファの上にはコーヒーのしみ。
記憶と微妙に違うその配置が、俺の不安を煽る。
「私はある依頼をしたい。君の“専門”を使って、あるアイデアを“植え付ける”ことはできるか?」
サイトーが言った。“インセプション”。
できるのか?
理論上は、可能だ。だが、それが成立するには――対象者自身が、自分の意志でそう信じたと錯覚しなければならない。
つまり、思考の最深層にまで降りなければならない。
俺はすぐには答えなかった。
代わりにポケットの中にある独楽を、無意識に指でなぞる。
止まらない独楽。それは、俺の中のもう一つの答えだった
【パリ】
アーサーと共に、俺たちは“設計者”を探した。
若く、創造的で、現実と空想の境界を操作できる頭脳。
――それがアリアドネだった。
パリの大学の設計科。彼女の設計図は狂っていた。だが意図的に狂っていた。
視点がねじれ、空間が“見る者の信念”によって変容する構造。
彼女はもう、「現実を信じること」の脆さを知っていた。
アリアドネ「夢って、どこまでが“私”なんでしょう?」
その質問に、俺は答えられなかった
【初めての夢構築実験】
彼女を初めて夢に招いた日。
俺は彼女が、どこまで“来られるか”を試した。
最初は市場。パリの街角。果物の露店、語られるフランス語、ハトの羽ばたき。
それはすべて“構築された幻”だった。
彼女がそれに気づいた瞬間、世界は崩れ始める。
地面が折れ、天井がせり上がる。重力が反転し、パリの街が折りたたまれる。
アリアドネ「すごい……これが夢の構造?」
「正確には、“夢を作っている私たちの無意識が再現した現実”だ」
だがそのとき、彼女の背後に──マルが現れた。
冷たい瞳。まるで見知らぬ他人を見るような表情。
彼女はアリアドネを刺した。
「これは、あなたの現実じゃないの。ドム、あなたはまた他人を巻き込もうとしてる」
目が覚めた。だが、どこかで理解していた。
マルは“俺の防衛機構”だ。俺の罪と記憶が具象化した影だ。
そしてその影が、俺たちの作戦における“最大の敵”になる――
【識閾】
作戦の始動は始まった。
ユスフ、イームス、そしてサイトーも乗り込むことが決まり、計画は「夢の三階層」に及ぶ大規模構造となる。
だがその中心にいる俺自身が、もっとも不安定な構造物だった。
記憶は滲む。夢は重なる。マルは再び現れる。
俺は知っていた。
夢の奥底、リムボへ行けば、あの記憶のマルが待っている。
だが、もしその先に“帰れる場所”があるなら、俺は降りる。
夢の底まで