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おもちゃの剣2/銅の剣2

 鳥の糞でまみれた床に、赤く輝く銅の剣が落ちている。

 おもちゃの剣も落ちている。

 そのすぐそばに、2人の少女が横たわっている。

「それ、手に取っても大丈夫なの?」

 三千代が尋ねた。褐色の身体は全身汗でぐっしょり濡れている。鐘楼しょうろうに風が吹き始めた。汗はすぐ乾きそうだ。

「多分だけど、こいつは──オーケーはもう、みっちょんには逆らわないよ。大人しくなったんじゃないかな。みっちょんは剣士として、私と……オーケーに勝ったから」

 とはいえ少しだけ恐る恐る。スイは銅剣に手を伸ばした。肉と金属が触れる。

「オーケー? 落ち着いた?」

「朕は、負けたのか。」

 色白の少女の人差し指と中指の先、「オーケー」と呼ばれた銅の剣は応えた。異世界の“名剣”・王敬(おうけい)。もちろん返事は声ではなく、テレパシーによるものだった。

「そうだよ。オーケーが負けた。そっちの世界じゃ、勝者が正義だよね? 三千代に謝って。もう三千代を傷つけようとしないで」

「ぬ。勝者が正義。ううむ。う。む。その通りである。」王敬はどこか感慨深そうだった。「そうであるな。朕は負けたのだ。」


 テレパシーは、接触している相手にしか流れない。そのためスイは、余った方の手を三千代に伸ばした。

 三千代はスイの身体をまじまじと眺めた。新雪のような肌には、汗が水玉模様で付着しており、またよく見るとピンクの網目が走っている。金属でできた紐で全身を縛った後みたいで、実際、似たようなものだ。しかし、青緑色の(つる)は見当たらない。王敬による緑青(ろくしょう)の浸食は起きていないようだ。

 三千代はスイの手を手に取った。

「痛まない?」

 三千代は、十本の指で、スイの腕に走る薄い赤い線をなぞる。

 スイはくすぐったそうに笑った。

「かゆい。あ、いや金属アレルギーってわけじゃないんだけど。なんだろ。ギプスを外したみたいな感覚……?」

「三千代殿。そして慟哭風纏(どうこくふうてん)殿。朕の負けである。斬るなり折るなりすきにしてほしい。」

 スイは、なるほどなと思った。あの世界では煮ても焼いても人間は死なないので、「煮るなり焼くなり」は「斬るなり折るなり」と言うようになるらしい。

 三千代は新鮮な気持ちだった。いつも慟哭風纏(どうこくふうてん)を自称するあのおもちゃを、彼女は「ドンキ」と呼ぶことにすっかり慣れていたのだ。誰かがアレをあの大層な名の方で呼ぶのが珍しかった。

「あ、まって。ドンキに謝りたいんなら……」

 三千代は床に手を伸ばし、おもちゃの剣を拾い上げた。ぱっぱと軽く汚れを払ってやる。鳥の糞はどれも乾いているので幸いにもべっちょりと付着することはなかった。

 そういうわけで今、一般生徒立ち入り禁止の旧棟四階鐘楼(しょうろう)では、少女ら二人が剣を手に取って、互いに余った方の手を握り合っているいたちになる。ファンタジックというか幼稚というか、中学校という場所にはそぐわない恰好だ。

「はい。これでテレパシーが送れるでしょ」

有難(ありがと)う。」

 王敬は厳かなテレパシーで言った。テレパシーは声ではないが、なんとなく厳かだとか幼いだとか、そういったイメージの違いがある。テレパシーの調子で、「あ、オーケー、今楽しそうにしてるな」みたいなことをスイは感じることができた。今の王敬のテレパシーには、厳かな印象があった。

慟哭風纏(どうこくふうてん)殿。そなたの勝ちである。朕のいた世界では、負けたら者も物も、死ぬか、もしくは勝者に従うことになっている。大抵は死ぬ。朕はついこの間も――負かした剣を砕いて壊した。」

 王敬の言っているのは、前の土曜日のことだ。電車内で、洗剤を溶かしたどぶ川のような汚れた対流の色の剣と交戦し、王敬とスイは勝利し、床に転がる敗者を砕いた。

「話が見えぬが――」

 慟哭風纏──ドンキは、人工音声で(うな)った。

 瞬間、金属音と肉声がこだました。

 こんこん。前者は、鐘楼(しょうろう)の扉を叩く音だった。

「おうい。そこにいるのは誰だい」後者は、落ち着いた少女の声だった。


 この学校の先生・生徒なら誰でも知る声だ。なぜなら少なくとも毎週木曜日にある朝礼で聞く声だからだ。また、朝のホームルームが始まる三十分以内に登校しても校門で聞く声だ。ともかくこの学校の関係者は、一度は彼女の「おはようございます」を聞いたことがあった。

 扉を叩いたのは、市立翔仰(しょうぎょう)第一中学校現生徒会会長・佐々木(ささき)百合烏賊(ゆりいか)その人だった。

「開けるよ」

 虫も殺しそうにない、花も踏みそうにない優しい声だったが、三千代とスイにはそれが何よりも恐ろしかった。

「ヤバイッ、オーケーちょっと……!」

「ドンキ、声抑えてて!」

 二人は手に持っていたそれぞれへんてこな剣を、制服の下に隠した。

「もがふが。」

 ドンキは最後まで何かを(わめ)いていたが、少女の肌と布の隙間へ押し込まれて、ついに黙った。

 扉が開く。


「どっど、ど、ど、ど、…」スイは手をわたわた振りながら答える。「…どうも~、会長~……」

「どうも。スイ君。」床にへたり込むスイを一瞥し、百合烏賊(ゆりいか)会長はにっこり笑い、「それに、三千代君。」三千代の方を見た。

「わっ、百合烏賊(ゆりいか)会長。こ、こんにちは」

「こんにちは。ふふ。もう、こんばんはの時間かもしれないね。」百合烏賊は目をゆっくり開き、「こんな時間に、こんな場所で、何をしていたんだい」

 スイは手の甲で額を拭った。さーっと血の気が引く音がする。

 目の前にいるのは生徒会長である。それも並みの生徒会長ではない。規律に厳格な生徒会長である。彼女に惚れ込んでいる科学部の部長はよく部室で彼女の偉大さを吹聴していた。それがスイの脳裏に思い出される。

 百合烏賊は偉大な学生であった。アニメ・漫画に描かれる中高生徒会会長のような絶対的な権力こそないが、いち生徒として極めて模範的であり、同年代の中で群を抜いて優れた率先者であった。

 いくつか例を挙げよう。

 三千代は駆り出される様々な運動部で、スイは科学部やパソコン部で、上級生たちから、それまでの文化祭・体育祭のつまらなさを聞かされていた。しかしそれも百合烏賊が生徒会に所属するようになってから目に見えて改善されたらしい。

 また時には目安箱の意見を取り入れ、時には署名を集め、時には教師陣に直談判までして、様々な校則を改善し、悪法を消し、魅力的な新法を立てた。廊下が綺麗になり、トイレが臭くなくなり、生徒の成績平均が上昇し、一新された後の学校新聞について生徒の97%が「おもしろくなった」とアンケートで回答し、教師の残業時間も右肩下がりに減っているのは、一説には全て彼女のおかげかもしれないとのことだ。かもしれないというか、ほぼ確定で「そうだろう」とのことだった。

 うわさについた尾びれでしかないかもしれないが、二つ上の代から不良を撲滅した、みたいな話すら聞く。

 ともかく百合烏賊(ゆりいか)会長は正義の人である。そんな彼女に「何をしている」と尋ねられたのなら、職質に応じるよりも真面目に対応しなければならないだろう。百合烏賊会長は優秀な上に、正義の人なのである。

 スイは緊張からか珍味のようにかぴかぴに乾燥した唇を上下離し、いよいよ正直に話してしまうかと考え、数ミリまで行動に移した。口が「実は」の「じ」の形になっていた。

 しかし一音目が出るよりも先に、三千代が口を開いた。

「大鐘の、音がっ!」

 百合烏賊会長は首を傾げる。

「うん?」

「あっ、やっ、ええとその。さっき、大鐘の音が、聞こえたでしょ」

 台詞の前半は(ども)るような音がちらほら混じっていたが、言い切る頃には三千代は落ち着きを取り戻していた。

「聞こえたねえ」

 三千代は続ける。

「そんなのこの学校にいてまあ聞いたことがなくって。誰が鳴らしたんだろって気になっちゃって……」

「ね。三千代君。誰が鳴らしたのかな」

「それが、私たちが駆け付けた頃にはもう誰もいなかったんだよね。ごめん、私たちはただの野次馬」

「ああ、そうだったの。」百合烏賊は瞳を左上の虚空に向け、しばらく黙ってから、「なるほど、あれは仕方ないね。」と言った。「私も鐘の音が気になってここに来たのだから──野次馬みたいなものかもね。人のこと、言えないや」

「う、うん」

 三千代はここぞとばかりにこくこくと(うなづ)いた。

 百合烏賊は続けて、

「扉の前。立ち入り禁止を勧告するテープがでろんでろんに伸びて落ちていたね。経年劣化だろうね。あれではここが立ち入り禁止だとは気づかないか」

 都合よく解釈してくれたようである。

「ずっと放置してきたけれど、このセキュリティの皆無な鐘楼は問題だね。なんとなく近寄りがたいという威厳だけでこれまで悪戯(いたずら)されてこなかったようなものじゃないか。しかも、その安全神話も今日に崩壊した」

 百合烏賊は独り言のように言った。もしかしたら今度の彼女の仕事は、この大鐘関係のものかも知れない。

「長いこと放置してきたが、早く対策をしないとね」

 三千代とスイを見る。しかしこれに「そうだね会長」と応える精神的余裕などなく、二人は黙った。百合烏賊は頷く。

「さ。ここは一応立ち入り禁止なんだから、さっさと帰ってしまいなさい」

 脚を震わせないように気を付けながら、スイは立ち上がる。

「ごめんね~……会長。さようなら」

 続いて三千代も立ち上がる。蟹のように横に大股で一歩、百合烏賊を抜けて出口に行く。

「ごめんっ、会長。もうここには立ち入らないから! じゃあね!」

 スイの背中を追うようにして、三千代も階段を下りる。鐘楼から四階に通じる短い階段だ。下りる途中、三千代は呼び止められる。

「ああ、ちょっと。」百合烏賊だ。

 手をちょいちょいとして三千代を招いている。

「どうかした?」三千代が振り返る。

 階段の真ん中から、斜め上を見上げる。百合烏賊が髪とスカートを揺らして立っている。エッフェル塔のように真っ直ぐ立っている。風に揺れる髪は長く、扇子のように開こうとしている。太陽の光を受け、百合烏賊の髪は輪郭に薄い水色を(たた)え、白く輝く。新雪というのだろうか、白銀というのだろうか、とにかく冷たそうに光っている。この夏の空の下、彼女だけは冷ややかに見えた。口は弓の(つる)のようにゆったり笑っている。

「私も初めて入ったよ。ここは──風が吹いて──結構、気持ちいいところだね」

 三千代もにへらと微笑み返す。上手く笑えた自信はなかった。

「そうだね。でも、鳥の糞がたくさん落ちていてちょっと臭かったけど」

「は、はは」

 扉が閉まる。



──


 三千代とスイは階段を下りた。一階まで、その間一言も話すことはなかった。しかし二人は手をつないでいた。そして、制服で隠されているがスイの腰のあたりには銅剣・王敬が()されている。スイが「ぷはぁ」と息を吐く。

「(ひやひやしたあ~~!)」

 別世界から来た剣は、触れているものをテレパシーで繋げる効果があった。剣に触れている人間は、剣と話すことができる。剣と剣士が意思を通わせるためのものだが、剣に触れている人間に触れることでも効果があった。そのためスイと手をつないでいる三千代、その三千代の腰に差されているおもちゃの剣・ドンキにもテレパシーは及んだ。

「(ね。まさか、会長が来るとは。ある意味先生が来るよりも怖かった)」

 三千代(みちよ)が、右を向いてスイの横顔を見る。

「(おい三千代(ミンチョ)。小生、何も見えぬのだが。今どうなっておる?)」

「(ちょっと我慢してて、ドンキ。今ドンキを学校の誰かに見られたらめちゃくちゃめんどくさいことになるから。って全部、もとはと言えばドンキが急にモスキート音で喚いたせいなんだからね)」

 三千代は自身の腰のあたりにでこぴんを放った。かつんと音がする。プラスチックを弾いた音だ。

「(でも、おかげで友人の異変に気づけた。)」三千代は、ドンキの方に向いていた顔を上げる。「(スイ)」

「(う、うん)」

「(説明してもらうからね)」


 学校を出て二人はスイの家へ向かった。ずっと手をつないで歩いていた。はたから見たら仲良しこよしに見えただろう。実際仲良しの幼なじみなのだが、よく見ると二人の表情は硬かった。それにやはり、一言も喋っていないのだった。

 家に着く。スイの母親は、玄関で何か料理していた。相変わらずスイそっくりだ。馬の尾のように束ねられている髪だけが娘と異なる。

「あ、みっちょんだ~。おかえり~」馬の尾が揺れる。

 親子そろって三千代を同じあだ名で呼ぶのだった。

「うん。ただいま。お邪魔します」

「お母さん、今日みっちょん泊めてもいい?」

 娘の頼みに、母は包丁を止めた。手の甲を顎にあて、

「ええ? 全然いいけど、みっちょんの家には連絡したの?」

 三千代は、玄関に置かれていたスイの携帯電話を指さす。

「借りて良い?」

「どうぞ~」


 三千代は携帯をスイに渡した。

「許可、取れました」

「はいは~い。じゃあゆっくりしてってね。今日はピーマンの肉詰めと、子持ちししゃもね」

 スイの母は上機嫌だった。

「あ、お母さん。先にお風呂入ってくるから」

「は~い」

 軽やかな声で言ってから、スイの母親は鼻歌を歌い始めた。『水中、それは苦しい』の『さよならのバズーカ』という歌だった。スイもよく歌う。相変わらず親子そろって変な歌を好むなあ、と三千代は思った。

「(え~変じゃないんだけどな~いい歌なんだけどな~)」

 少女らは手をつないだままだった。


 シャワーを強い勢いで出す。水がズダダダダと床を打ってうるさい。

「つまり、」

「うん」

 湯船に髪を広げるスイを見ながら、三千代が話しかける。褐色の肌が、滝のように降ってくる35度の水を弾く。手で作ったお(わん)に水を溜め、顔に塗りたくる。シャワーをそのまま当てては、頬にできた切り傷に勢いよく入って痛そうだったのだ。

「めん・のど・どう・こてを剣で打つことで──つまり剣道のルールで──命がけの決闘をしているヘンテコな別世界がある。別世界から、強すぎる剣たちが、危険という理由でこっちの世界に送られてきた。そのうち特に強いのを“名剣”という。で、スイは“名剣”の一本である王敬(オーケー)を拾った。……海辺のゴミ拾いをしているときに」

「イグザクトリ―」

「やあ、なんって、んな、ばかな話が……ああ……」

「そだね。でもみっちょんも、目にしたんだからねえ」

 スイは風呂場の天井を見た。もわもわと白い気体が目に見える。二階、スイの部屋に二本の剣が置かれている。その一本が先の話にも出た、王敬。三千代もスイの目線をなぞるようにして上を見上げた。思い出されるのは、一時間も昔に起きていない、鐘楼での戦い。この世のものとは思えない、ファンタジックな剣。思えなかった通り、それはこの世のものではなかった。

「はあ。目に、してしまったからなー」三千代は手で目を覆った。

「それにばかな話でいうと私も、みっちょんの話はなかなか飲み込めなかったけれど」

「ああ……」

 二人はもう一度上を見た。二階にある二本の剣の、もう片方。おもちゃの剣・ドンキ。スイは意趣返しのつもりで、三千代と同じ台詞から始める。

「つまり、」

「うん」

「みっちょんは……海辺のゴミ拾いをしているときに、おもちゃの剣を拾った。ドン・キホーテ──ドンキで売ってそうなチープなおもちゃの。で、おもちゃにはAIが搭載されてて、自らのことを慟哭風纏(どうこくふうてん)と名乗ったと。そいつは私たちの学校の大鐘を化物と思い込んで、三千代に化物退治をさせようとした。つまり、そいつは、中二病だった」

「うん、それで合ってますね」

「ははあ……いやあ……ばかな話だなあ~」

 三千代は風呂椅子から立ち上がり、ゆっくりと、スイの隣に足を入れた。入水。複雑な模様の波が広がる。

「えっと、その慟哭風纏(どうこくふうてん)──ドンキって、別世界の剣のあれこれとは無関係な話なんだよね?」スイが尋ねる。

「た、多分。タイミングにあまりに悪意があるだけで……。」三千代は肩まで湯に入れる。「これからどうしようか」

 もはや自分たちが厄介ごとの渦中にいることは明らかだった。これからどうしようか。スイは答える。一番簡単な答えだ。

「わかんないなー」


 風呂から出た瞬間、体に付着している液体が水なのか汗なのかの区別がつかなくなる。さっさとタオルで拭いてしまう。レモンクリームの色をした、ふかふかのタオルだ。

「ご飯まではまだ一時間くらいあるだろうから、二階にいこっか」

 スイが、使い終わったタオルを洗濯機の口に投げ入れる。しゃがみ、足元のカゴから替えの下着を手に取る。大きめの白いシャツだ。三千代にも渡す。

「ありがとう。今度洗濯してから返すから」

 三千代も、洗濯機の口の上でタオルを手から離した。縦にたなびきながら落ちてゆく。それから、スイから着替えを受け取った。


 リビングに出ると、まだスイの母親が料理を続けていた。三千代はしばらく聴いてから、「ああ、」と気づく。歌っているのは『きりん』の『サイクリング リサイクル』だ。あまり鼻歌にするには合わないメロディのような気もしたが、彼女はフンフンと楽し気に歌っている。

「お風呂と着替え、ありがとうございました」

「フーン、フフン」

 スイの母親は、鼻歌で返事した。

 ぺこりと軽く一礼してから、スイの背中に続いて歩く。歩くたび、スリッパがぺたぺたと音を立てた。


 扉を開ける。スイの部屋に来るのは、三千代にとって別に珍しいことでも久しいことでもなかった。特に何の感慨も無い。だが机の上の二本の剣は嫌でも目についた。ついさっきまで、こいつらの話をしていたのだ。そして今これからも、こいつらについて話すことになっている。

 剣はひとつの上にのしかかるように重ねられており、クロスを(えが)いていた。王敬にドンキを触れさせることで、二本で会話をさせていたのだ。

 帰り道、三千代、スイ、ドンキ、王敬、人と剣、合わせて四つの存在で話し合った。主に互いの世界観の説明だ。なんせそれまで存在してきた世界が異なるのだ。発話の中心となったのは王敬だ。

 二本の剣の上に、スイがさらに手を重ねる。

「(どう? 剣同士、話し合えた?)」

「ああ、スイ! 慟哭風纏殿は素晴らしい剣である!」

「……ん?」

 何を言っているのか分からないが、とりあえず三千代と手をつなぐ。三千代に王敬のテレパシーを通わせる。

「いやな。慟哭殿の語る冒険譚はどれも心の踊るものばかりであった。剣とは、剣と剣士を(たお)すために在るものだと思っておったが、いや違った。そのことを知れた。なるほど人を救う剣がある。人を生かす剣がある。負けても折れぬ剣がある。勝つまで折れぬ剣がある。海を割り、空を射貫き、炎を裂いて、邪悪のみを払う。邪なる存在であれば竜にも神にも屈せぬ。慟哭殿は、そのような剣だったのだ。かような剣に、朕が勝てるはずもなかった。朕は生涯で初めて決闘に敗北したが、あれが生涯で最高の戦いだったと思える。」

(オウ)。小生も、そなたのような名剣に勝てたことを誇らしく思う。王敬(おうけい)殿。これからは、小生とそなたは兄弟なり。共に小娘たちを導こうぞ。」

「お、おおっ!」

 スイは三千代の顔を見た。頬に一滴の水がついている。ただの拭き残しだろうが、今はそれが冷や汗の漫画的表現のように見えた。

 三千代はため息をたっぷり二秒ついた。それから、

「……この銅剣、ええと、王敬(オーケー)か。オーケーは、ドンキの中二病を真に受けてしまったらしい」

 続いてスイが同じだけ息を吐く。頭を抱えて下に吐く。

「事態がどんどんややこしく……」


「これからどうするかだよね」

 三千代は言った。面倒くさそうにというか、本当に困ったふうに言った。

 一方スイは入浴を挟んだ後に再び実物の剣を見たことによって、考えの指向性が固まりつつあった。

「うん。やっぱり分かんないことが多すぎる。」スイは「でも、」と続ける。「ひとつだけ確かなことはある。……これからのことで」

「それは何?」

 話を引っ張る必要もない。スイはすっぱりと言ってみせる。

「みっちょんは関わるべきではない」

 三千代は自身にへばり付く水だか汗だかが鬱陶しくて仕方ない。短い無音の後、

「なんで?」

「たまたま同じ時期にみっちょんも剣──ドンキ──を拾ったわけだけど、それは言ってみれば、おもちゃの剣に過ぎない。別世界の“名剣”じゃない」

「うん」

 三千代は、机の上の銅剣とおもちゃの剣を交互に見比べる。「エセ侍口調中二病AIの搭載されたおもちゃの剣を拾う」……これもなかなか珍しい、非日常的な出来事ではある。しかし、「別世界から送られてきた最強の剣を拾う」のとは大きく訳が違う。前者はどうやっても人を死なせそうにないが、後者は、読んで字のごとく「真剣(しんけん)」だ。簡単に人を殺せる。

「前の土曜日の出来事も、帰り道にテレパシーで教えたでしょ」

「人が剣に操られてた、ってやつ?」

「そう。私もオーケーに操られて、みっちょんを傷つけてしまった」

 スイは、三千代の頬に走る、黒っぽく変色した血の線を見つめた。既に血液は固まってかさぶたになっている。そこまで大した怪我ではない。切り裂かれた制服も、縫えば済む話だ。しかし、少し違えば三千代は死んでいた。あのとき僅かに反応が送れていたら、銅剣は三千代の顔面をかち割っていただろう、腹から内臓がぼろぼろこぼれ出させただろう、首を()ね飛ばしていただろう。

 スイは続ける。一転していつもののほほんとした雰囲気は失われている。

「みっちょんのいる旧棟に行ったときに、オーケーが言ってたんだよね。近くに自分と同じ剣がいる、って。そしてそれは、ドンキのことじゃなかった」

 スイは、王敬の柄をなぞる。そして言い聞かせるように、

「ねえオーケー。オーケーは、自分と一緒の剣──つまりそっちの世界から送られてきた剣の気配を感知できるんだよね?」

「うむ。あちらの世界で生まれた剣になら必ず備わっている能力である。戦場では、何処(どこ)に敵が居るか素早く把握せねばならぬからな。」

「それで、オーケーは今、ドンキと隣り合って横たわってるわけだけど、ドンキの気配は感じる?」

「いや。慟哭殿の気配だが――全く感じぬのだ。不思議である。もしかすると、こちらの世界の剣についてはその気配を掴めぬのかもしれぬ。」

 このことが何を意味するか。

「分かる? みっちょん。」まくし立てるように、「あの時、学校には、私以外に、別世界の剣の所有者がいた。剣は人間を操る可能性がある。そうでなくとも……少年漫画の王道でしょ? 特別な力を手にした人間の中には、必ずそれを悪用しようと考える者が出てくる」

「……」

「これからきっと、戦いが起きるよ。剣を手にした者たちで」

「だ、だからこそ、これからどうするか二人で話し合って──」

 三千代はスイの手を振りほどき、空いた手を胸の前で強く握った。もう片方の手は外に向かって大きく伸びている。スイという媒介から接触を断ったことで、王敬のテレパシーは途絶えた。

 スイは細く長く息を吸ってから、

「いや、みっちょんに、戦いに関わらないでほしいんだ。あまりにも危険すぎる」

「それは私も同じ気持ちだよ。」三千代は息を吐いた。「スイの言い方だとまるで、スイ、自分は──スイは戦うみたいだ。スイはその、別世界の剣たちと、戦うつもりなの?」

「私は──うん。戦う」

「駄目だよ!」

「……恐らく、剣には剣で勝たないといけない。それがあっちの世界のルールだから。この世界でも……。」

 スイは頬をさすった。鐘楼でドンキで叩かれた場所だ。微塵も痛くはない。

 ドンキは完全にオモチャだが、オモチャの“剣”だ。剣がスイの顔面に触れた瞬間、スイの身体は()(かん)し、緑青の蔓が剥がれ、王敬が手から離れた。剣と剣の戦いにおける「(めん)」による決着だった。

 スイは続ける。

「土曜日、電車で私たちが交戦した男の人は、気絶していた様子だったけど、それでもなお剣を振るっていたの。みっちょんの提案はなんとなく読める。例えば、警察に言うとかね」

 三千代は手を下ろす。図星だ。フィクション的事件は「こんなこと警察に言っても信じてもらえないよ」といって自主解決に走ることがよくありがちだが、今回の例は違う。テレパシーを人体に流し込む剣の実物があるのだ。これを見せるだけで、きっと警察は動いてくれるはずだった。

「警察では剣に勝てない。仮に発砲したとしても、人間の体の心臓を撃ち抜いても、きっと剣は止まらない。気絶した肉体が動く例を目にしてしまっているから分かるの。死体もまた人体。きっと剣たちは死体さえも動かせる。剣を止めるには、剣で勝たないといけない。でしょう?」

 スイは、ぷらんぷらんと腰の横で揺れていた三千代の手を取って、ぐいと引き寄せた。王敬のテレパシーが流れ込む。三千代は、肯定を示す王敬のテレパシーを、目を閉じて聞いた。


何本かの剣が別世界から送られてきた。

それらは人間を操る可能性がある。

それらは死人さえも操る。

それらは人を殺す。

剣は人を殺す。

剣に人を殺させないためには、剣に勝て。

剣に勝つには、剣を振るえ。

剣には、剣で勝て。


「剣は、周囲の剣の気配を感知できる。特に強い剣ほど気配は大きいらしいから。オーケー──“名剣”・王敬を持っている私は……。向こうからも感知されやすいだろうね。別の剣との邂逅はすぐだと思う。特に、学校にいるらしい一本とは、すぐに……」

 スイが言うのを、三千代はもはや黙って聞いていた。スイは目を大きく開いた。鋭い、見た先を斬るような目だった。

「私は、決めた。私、は戦うよ。みっちょんとか、学校のみんなとか、この街のみんなとか、もしかしたらもっと沢山の何かを、守るために──」

──刹那、褐色の少女は手にしていたおもちゃの剣を素早く振った。反射的にスイは目を閉じた。ちらりと開くと、ビニールが銅の刃を撫でていた。

「オーケー、スイ。よく聞いて。私は勝者だ。そっちの世界では、敗者は死ぬか、勝者に従うしかないんでしょ。だったら、」

 三千代はもう片方の手でスイの手首を掴んだ。銅剣を握っている方の手の首だ。先刻の戦いでも手首を掴まれた、その感触がまだ残っていた。同じ感触に感触が上塗りされる。

「私に従って。私、戦うから。」

「そんな、無茶だよ。」スイも三千代に気圧(けお)されている様子はない。「相手は別世界の剣。言うのも恥ずかしいけど、ようするに、エクスカリバーとかレーヴァテインとかクラウソラスとか、そういった類のものなんだから。おもちゃの剣では勝ち目がない。危険なだけだよ!」

 三千代は手を離した。スイは掴まれていたところを、何も持っていないもう片方でさする。三千代は言う。

「いや、話を聞く限りそうでもないと思う。──ねえ、スイ。スイは人を殺したい?」

 いきなり何を言うのだ。スイは狼狽した。しかし狼狽したら答えが変わる問でもない。

「ううん。殺したくない」

「私もそう。でも勝負では、金属の剣を互いにぶつけ合う。人間の顔、喉、お腹、手を狙って。いかにオーケーが優れた剣でも、相手も強い剣なんだから、毎回相手の小手(こて)を打って勝てるとは思えない。特にその“名剣”とやらが相手のときは……」

 三千代は再びドンキを王敬に押し当てた。王敬の声が聞こえるようになる。

「うむ、そうであるな。“名剣”と戦ったことはないが、朕や慟哭殿でも簡単に勝てる相手ではないことは確かだ。緑青(ろくしょう)で動きを封じることができれば良かったのだが、それもこの世界の人間相手には難しいようなのでな。」

 2人と2本の剣は、鐘楼での戦いを思い出す。ついさっきの出来事であることもそうだが、あのような経験はそう忘れることのできるものでもなく、鮮明に情景が浮かんだ。三千代の身体を上る錆の蔓は、しかし最後まで彼女を支配することが叶わなかったのだった。

 王敬の緑青は、この世界の人間の動きを止めることにはあまり向かない。土曜、電車でスイが戦った相手のように意思が無いか、もしくはスイのように許可がなければ、王敬の力は本領発揮できない。

 戦いに静止が訪れないのなら、小手を狙う隙はほとんどない。やはり相手の顔面か喉、胴を狙うしかない。しかし──

「でも、こんな金属の塊で(めん)だったり喉だったり胴だったりを叩いたら、絶対相手は死ぬ。でしょ? スイ。」三千代は自信満々で言った。「そこでドンキだよ」

「む。小生か?」

「うん。ドンキ」

 スイが首をかしげる。

「ドンキ? なんで? さっきも言ったようにそれはおもちゃの剣に過ぎないものだよね」 

「そう、まさにそれ。ドンキはおもちゃであり、剣でもある。この世界じゃ銃刀法違反にも引っ掛からないただのおもちゃだけど、スイの顔にタッチしたときオーケーが負けを認めたってことは、そっちの別世界では定義上、剣なんでしょう」

「うむ。慟哭殿はまごうことなき立派な剣である。」

「うむ? 確認するまでもなく小生は剣であるぞ?」

「ドンキはおもちゃだけど剣だ。つまり、手はもちろん、顔面をブッ叩いてもお腹に思い切り突き刺しても、相手を死なせることは無い。喉はちょっと危ないけど、まあ狙わないよ。……もう分かった? スイ」

 スイはもう分かった。

「ドンキを使えば、相手をほとんど傷つけずに勝負を決めることができる……」

「そう。そういうこと」

 スイは頬をさすった。三千代にドンキの刃部分を当てられた箇所だ。痛くも痒くもない。お子様でも安心安全の、剣。

「……で、でも! ドンキにはオーケーみたいな特殊能力がない! 相手はお母さんが台所で握っているような包丁よりもずっと恐ろしい存在だよ!? ビニールの刃にプラスチックの柄では何も防げない! どうやって身を守るつもりで──」

 スイは目を閉じた。まぶたに押し出された水滴を手の甲で拭きとる。それから続ける。

「……理由はなんだっていい。ただみっちょんに戦いに参加してほしくないんだよ、私は……」

「……ごめんね。」スイの頭を、三千代は胸に抱き寄せた。二人の背丈は同じ程度だった。「でもそれは叶わない。お互いの手に剣が握られている間だけ、スイには私のわがままを止める権利はない。なぜなら私はスイに剣で勝ったのだから。……そういうことにしておいて」


 スイはもはや何も言うことができない。

 しかし、なのに、うるさい。

 心が通じているからだ。

 比喩表現ではなく、異世界の剣・王敬の機能によって。

 二人の心の間をいくつもの、無声の言葉が飛び合った。それは文字に起こすとあまりに膨大で、また野暮だった。スイの母親が晩ご飯の時間を知らせるその時まで、二人はずっとそうしていた。地平から地平へ無数の星が流れていくようだった。地平は全ての星を受け入れなければならない。全ての自分に向けられた言葉を聞き入れなければならない。そうして、最後の言葉だけを、声に出す。

「分かった」

 三千代が続く。

「ありがとう。私も、分かったよ。」ドンキの赤い(つか)に力がこもる。「気を付ける。死なないように」




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