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おもちゃの剣士達

 三千代は、ひりひりと痛む手をぶら下げながら、銅の錆でできた階段を、たたたた、と駆け下りた。

「……」

 脳内にこだまするのは、百合烏賊(ユリイカ)が最後に残していった言葉。彼女は「怪獣になる」。そのようなことを言っていた。

 こちらを不安そうな目で見つめる、スイ。

 三千代は口に咥えていたドンキを取り外すと、顔を上げ、

「戦いはまだ、終わってない」

 その言葉のもとに、皆は駆け寄った。真っ先にスイが。続いて米噛(まいかみ)、そして、鈴鉢(すずはち)。四人は顔を見合わせる。

(しか)り。三千代(ミンチョ)の申す通りぞ。暗黒に包まれんとするこの世の光となるのは、我々しかおらぬのだ!」

 ドンキが叫ぶ。

 取り囲むように、十数人の傀儡剣士たちが迫ってきていた。米噛はちらりと振り向いてそのことを確認すると、黒鉄の剣・(ごう)()()(ごう)を地面から僅かに浮かせ、

「任せて」

 とだけ言うと、かつん、と地面を叩いた。切っ先は柔らかな砂に埋まることなく、米噛の影の上で留まる。米噛は、この暗闇の中、スマートフォンのライトで己の影を作り出していたのだった。

 彼の影から、ハリネズミの針のような、細い、しかし無数の黒い針が生えた。地中の砂鉄でできた刃である。それらは三千代たち味方に一切触れることなく、間隙を縫って、半径5メートルまで伸びた。針でできた半球である。これでは傀儡剣士たちはうかつに近づけない。

「ありがとうございます」

 三千代は短く礼を言うと、米噛の手に触れた。ここからはテレパシーで会話した方が早い。スイ、鈴鉢の手が加わる。

 戦いはまだ、終わっていない。

 三千代は説明する。

 確かに、百合烏賊が“双想の実”を食べてしまった。しかしまだ、僅かに猶予があるはずだった。そう思えるのは、“双想の実”の特質のためだ。

 “双想の実”は、食べた者の願いを叶える。しかしそれは“ドラゴンボール”や“魔神のランプ”のような「言い切り」のかたちで叶えられるものではない。百合烏賊は病室で“ミラクルフルーツ”の喩えを出していた。つまり“双想の実”には、効果持続時間という制限がある。この特質のために、三千代は自分たちにまだできることがあると考えていた。

 全世界の停電は、たった一言で叶ってしまうものではない。「全世界を停電させてください」と願えば、途端に全世界は停電してそれきりなのか、と言うと、そうではない。“双想の実”の効果持続時間が仮に一時間だとすれば、「全世界を停電させてください」と()()()()()()──最大でも一時間の間だけ、全世界が停電するはずだ。

 当然、三千代たちはその妨害に打って出る。そして百合烏賊もまた当然、三千代たちが己の妨害に走ることは予想しているだろう。となれば百合烏賊はまず、「停電」よりも先に別のことを願うはずだ。例えば「三千代たちを無力化できるような力を手に入れる」だとか、そういったことを。

 今、百合烏賊が閉じこもっている、漆黒の繭。あの中から、何かに変身した百合烏賊が飛び出してくるはずだ。それはほとんど直感だったが、ほとんど確信でもあった。あるいは、ほとんど希望的観測だ。三千代はとにかく、まだ諦めたくなかった。

 この想いは、テレパシーを通してドンキ、スイ、王敬、米噛、豪頭怒号、鈴鉢、()(らく)宝刀(ほうとう)へと伝えられる。

「(みっちょん。私もそう考えるし、気持ちも同じ。でも実際にはどうするつもり?)」

「(スイ。そして、みんな。……あの日、ビデオ通話で話したことを思い出して──)」

 あの日。百合烏賊が三千代のいる病室に訪れた日の晩。四人と五本の剣は、“双想の実”について議論を重ねた。互いに持っていた情報を出し合い、その輪郭をなんとか描いてみせた。


「……」


双想(そうぞう)の実”

 稲穂を編み上げて作ったような霊木に、千年に一度、夕暮れのような深緋(こきあけ)と、夜明けのような淡黄(たんこう)の、さくらんぼのように(ふた)つ並んで実る、林檎ほどの大きさの、酸っぱい果実。

 そして──────

「(そして。(ふた)つのうち、前者を“理想の実”、後者を“妄想の実”と呼ぶこと……!)」


 理想を現実にする“理想の実”と、妄想を現実にする“妄想の実”。どこにも確証はないが、今はあの病室で出した推論の可能性に縋るしかない。

「(鈴鉢ちゃん。さっき、君とららぽが百合烏賊からかすめ取ったのは、それだと思うんだ)」

 一瞬の出来事だったが、三千代には確かに見えていた。緑青の階段を駆け上がって、百合烏賊のすぐそばまで来ていた三千代には。

「(はい。あのとき、ららぽが咄嗟に動いてくれて……)」

 鈴鉢は左手から、淡い黄色に輝く、恒星のような果実を取り出した。

 “双想の実”の片割れ。

 “理想の実”と対を成す、もう一つの実。

 “妄想の実”。

「そんなものに、全てを賭ける気か?」王敬が言った。「確かに、朕は“黄色い実の伝説”を東の小国で耳にしたことがあると言った。しかし、それだけを頼りに思考を放棄し、これからあの黒繭から生まれてくるであろう怪物と戦うというのは、あまり賢い考えとは思えん」

「(……オーケーのいうことはもっともだ。でも、百合烏賊が“理想の実”と思わしきものを口にしてしまった以上、残された手段は、これくらいしかない。“妄想の実”の力で、対抗するしか……!)」

 三千代は、ドンキを脇に挟み、鈴鉢の差し出した黄色い実に手を伸ばす。

 “これ”を齧れば、己の妄想が具現化される。「理想」の対が「妄想」とは随分とふざけている。でも今はこれしかない……!

 がぶり。小さな歯型をつけて、黄色い実が──“妄想の実”が、齧られた。

「すっぱい!」

 強烈な酸味が口腔(こうくう)を満たす。

 瞬間。

 奇妙な感覚に襲われた。

 夢の中で夢を見ているような。目を覚ましたと思ったらまだ夢の中だったような。この世界を架空のものとして上位次元から俯瞰しているような。全てでたらめでできた箱の中に手を突っ込んで、引き抜くようにして何かを取り出したような。そんな感覚がした。

 三千代のつむじのあたりから、何かが飛び出した。

 それは小さな両の手だった。手だけが、ふよふよと宙に浮かんでいる。風に吹かれるビニールのように、手袋のように、曖昧に浮かんでいる。

「な、なにこれ」

 スイが思わず声に出した。

「た、多分……私の、妄想?」

 三千代が今齧った黄色い実は、間違いなく“妄想の実”だった。摂取した者の妄想を現実にする、伝説の実である。


「(“妄想の実”、は本当だったわけだけど……)」

 スイは、ちらりと、三千代の頭上に浮かぶ2つの小さな手を見た。

「(あれで会長に対抗できるとは思えないかも)」

「(そ、そうだよね)」

 三千代は目をつむって肩を落とす。

 黒い剣を杖のように影の上に突き立てたまま、米噛は上空を見やった。闇に眼が慣れてきたこともあり、百合烏賊の閉じこもっている黒い繭が僅かに視認できる。それから、海の広がる前を見て、振り返って街の方を見た。

「(まだ街には灯りがある。世界の停電は、まだ叶えられていない)」

「米噛。そなたが食べてみてはどうだ」

「(……コストコ。俺の心内がテレパシーで伝わってるだろ? いや、俺だけじゃない。みんな、この状況で自由自在な“妄想”なんてできていない)」

 米噛の指摘は正しかった。

 理想を叶える“理想の実”と、妄想を叶える“妄想の実”。その「理想」と「妄想」とは何が異なるのか。つまるところ、行う者の心理状態である。「理想」とは信念に基づく前向きな願望。王からの使命を賜っていた異音や、詩音ちゃんに見せたいビジョンを固めていた百合烏賊に相応しい言葉だろう。対して「妄想」とは根拠のない自由な発想。そんな楽観の適う者は、この場にはいなかった。

「(三千代さんは、何を妄想してたんですか?)」

 鈴鉢が問う。

「(あ、ああ。……いや、自分でもよく分からない。きっと深層心理的なものだから)」

「(そうですか……。聞いてすみません)」

「(謝らないでいいよ。でも、もしかしたら、私は。私はあのとき、百合烏賊に手を伸ばしたけれど届かなかったから……だから、なんにでも無条件に届く手、みたいな荒唐無稽なものを妄想したのかもね)」

 三千代は視線を己の頭上に向ける。浮かぶ2つの手。自分の妄想の産物だと思うと、少し恥ずかしい。

 一口分齧られた黄色い実が残っている。

 四人は手を重ねて、以心の会話を行っている。互いの思考が高速で行き交いする。だからこそ、()()()()()()()

──今この場で、自由気ままに“妄想”できるお気楽な奴などいない。

 当然だ。世界の命運を背負っているこの土壇場で、緊張しない方がおかしい。しかし皮肉なことに、今はそんな、おかしいくらいお気楽な奴が必要なのだ。

 この状況でもバカみたいな“妄想”を飛ばせる、おかしい奴が。必要だった。

 三千代は、舌を口蓋にくっ付けた。ひりひりする。まだ果実を齧った酸味が残っていた。

「くそ、小生が本来の力を発揮しさえすれば、世界の一つや二つ、まるっと救ってみせるのだがな。」

 皆沈黙しているせいで、ドンキの人工音声が妙に大きくこだまする。

「……いや、何を言う? 小生はいついかなる(とき)でも最強ではないか。よし、そうと決まれば三千代(ミンチョ)、小生を天に掲げよ。冥府の王をも屠る七天で禁じられし奥義、見せてくれようぞ!」

 ドンキの戯言は王敬と螺落宝刀以外、皆、無視していたが、

「……あ」

 このときの三千代の素っ頓狂な声には反応した。まずスイが尋ねた。

「どうしたの? みっちょん……」

 三千代はスイと顔を見合わせて、ぽそりと言ってみる。

「ドンキに食わせたらどう?」

「え、ん……剣──っていうか、おもちゃ、に?」

「あっ。そうだよね。ごめん。変なこと言っちゃった」

「……」

「……スイ?」

 スイは返事せず、黄色い実を掴むと、三千代が歯を立てた場所から溢れた果汁を一滴指で掬った。舐める。すっぱい。

「いや、試してみようか?」

 三千代は首を傾げた。自分で言った手前だが、おもちゃの剣に果実を食わせるとはどうするつもりなのか。

 スイはパッと笑顔を見せる。

「ボルタ電池だよ!」

「え……」

 まだ何を言っているか分かっていない三千代。スイは構わず続ける。

「米噛さん! 鈴鉢ちゃん! ──コストコとららぽ! 力を貸して!」スイは興奮から、手にしていた剣を空高く掲げた。「それに、オーケーもね!」



────



 黒い繭が割れた。

 かちり、と光を放って、中からは百合烏賊が出てきた。手には白銀の剣が一本のみ。“理想の実”は全て食い終えた。彼女の姿は、()()を済ませていた。

「(……体感で分かる。“理想の実”の効果は、およそ二時間。十分で三千代たちを無力化して、その後、世界をしばらく停電させる……)」

 繭の中で丸まっていた百合烏賊は、その姿()を伸ばす。腰より下まで長く伸びた水色の髪。彫刻のようにシャープな輪郭。鋭さの増した美しい切れ目。すらりと伸びた高い背……。

 それが、百合烏賊が、三千代たちを倒すために選んだ「力」であり「姿」。自らに臨んだ「力」であり「姿」。

 百合烏賊は。

 彼女は──26歳の姿に成長していた。

 それは医者になれる年齢だった。百合烏賊は来年から高校生になる。更に三年後に大学生に。医学部は最低でも六年かかる。その後医師国家試験に合格し、初期臨床研修が二年。全てストレートでクリアしても、その時には26歳。そのことを彼女は知っていた。言うまでもなく、詩音ちゃんと関わったことが、調べるきっかけだった。

 彼女は……今すぐ、26歳になりたかったのだ。無論、“理想の実”にそのことを願ったのは無自覚のことだったが。

 ともかく彼女は、背伸びした。

 等身大の自分は、残酷なこの世界にすぐにでも殺されてしまいそうだったから。

「──これが最後。いくよ……三千代君」

 オトナになった彼女の身体には、沢山の電気が流れていた。異音の力を最大まで引き出すことができる。高いレベルでの電磁浮遊が可能だった。

 く。と身体を少し前に倒すと、それだけで稲妻のような速さで宙を駆けることができた。二度、夜空を旋回して感覚に慣れされる。

 夜空には相変わらず星の一つも浮かんでいない。遠くに街の灯り。やはり()()があるせいでこの国から星が見えずらいのだと思った。でもそれももうすぐ終わり。百合烏賊は異音を手に舞った。バチバチと刀身から漏れるスパークが反射して、銀の刃が神器のように輝く。

「ごめん、異音。結局、私の願いに終始付き合わせてしまうね……」

「いいさ。もう元いた世界に未練なんてねえ。今はお前が、俺様の主人だからな」

「本当に、すまない。……いや、ありがとう、だね」

 百合烏賊はくるりと宙でターンすると、頭から落下していった。

 途中、身を捻って前後の向きを変える。目の先は地面。三千代たちの待つ、この戦いの終着点。

 しかし──

「(──三千代君たち。一体何をしている……?)」



────



 三千代たちは、“妄想の実”を取り囲んでいた。

「百合烏賊が出てきた!」

 三千代が叫ぶ。

 時間がない。

「いくよ!」

 スイは、王敬を思い切り“妄想の実”に突き刺した。

 続くように、米噛が豪頭の切っ先をそっとあてる。ず、ぶぶ。ゆっくりと突き刺さる。

「ほんまに上手くいくやろか……」

 言いながら、鈴鉢は螺落をぎゅっと握った。彼女の白い手の熱で、螺落はとろとろと溶けてゆく。細く変形してゆく。そして最終的に、線になった。二本の細い線だ。もはや剣の原型はない。

「やるしかない……!」

「は、はい!」

 三千代の言葉に、鈴鉢は覚悟を決める。

 スイ、米噛、鈴鉢、そして三千代は、それぞれ手にしていた剣を地面に置いた。小さな黄色い果実に突き刺さった銅の短剣と、巨大な黒鉄の剣。そこから少し離れた位置におもちゃの剣が横たわる。

「な、なにをするきだ──。」

 おもちゃの剣は──ドンキは、そんなことを言っている。柄の腹のあたりががぱっと開いている。中は空洞。よく見ると空箱の端には、端子がついている。

 にょろにょろと、日本の黄金の線が地面を走る。線は先端の形状を、スイの指示通りに変えた。すなわち……導線のような形に。

 ボルタ電池。電位差の大きな異なる二種の金属板を、電解液で挟むことで電気を生む。電解液とは、電気の通り道の役割を担う溶液のこと。溶液の中で金属板Aが溶けて電子を放ち、それを金属板Bが受け取る。結果、電流が生じる。これの素敵なところは、電解液を果汁で代替できることだ。そう例えば、レモンやオレンジみたいな──酸っぱい果物で。

 金属板A──豪頭怒号と、金属板B──王敬の間に、電流が生じていた。“妄想の実”の中で生まれた電気エネルギー。それを導線──螺落宝刀が、運ぶ! どこに運ぶか。決まっている。ドンキ……もとい、慟哭風纏へ!

「うおおおおおっ!」

「ドンキ!」

「なんぞこれ! なんぞこれ!」

「ドンキ!」

「なんなのだ、この上質なエネルギーはっ!? あの()()()()()とやらから供給されしものの比ではない! 太陽のそれとも違う、なんともフルーティーな味わい! なんなのだ、この小生の中に流れ込んでくる素晴らしきエネルギーは!!?」

「ドンキ……! 私を──!」

「お、おお、三千代(ミンチョ)。何用ぞ? 小生、今、いささか忙しい──」

「私に! 私に、ドンキの武勇伝を聞かせてよ!」

 その(とき)

「あい分かった!」

 ドンキの、ビニール風船みたいな刃が、極彩色に輝いた。


 激しい雷を纏った銀の剣が、三千代の左手に振り下ろされようとしていた。百合烏賊の肉体はほとんど雷速(らいそく)に達していた。それに耐えるだけの強度を、百合烏賊は「大人」に望んでいたから。彼女の中の大人像は、それだけでたらめで、無垢で、無敵だった。いくら三千代といえど、「ソレ」に対応できるはずがなかった。

 がしゅっ! 皮膚を裂き、肉と骨を容易く断つ音が、暗黒にこだました──かに思えた。

「慟哭風纏殿。まさか再び、貴方と共に戦えるとは」

「!」

 百合烏賊は驚き、のけぞった。いや、ほとんど、異音を弾かれたと言っていい。競り負けたのだ。──突如として現れた、灰色の大男に……!

「ふ。久しいな!」

 ドンキが叫んだ。

「え? え?」

 百合烏賊を含め、場にいるほとんどの人間が困惑していた。でも。三千代だけは分かった。()が──灰色の大男が、誰なのか。

「ドンキの──ううん。慟哭風纏の、かつての相棒。ですよね?」

 それは。

 かつて、ドンキが三千代に話してくれた武勇伝。ドンキ曰く、この海辺で三千代に拾われるまで、ドンキは流浪の旅をしてきた。様々な地で様々な者に拾われ、その地に巣食う悪を討ってきたのだと。そう言っていた。目前にいる灰色の大男こそは、その────

 灰色の大男は、にっかりと人の良い笑顔で振り返った。強面に似合わぬ、優しい笑みだった。

「話には聞いています。現在の慟哭風纏殿のパートナー……三千代(ミンチョ)殿。私は、かつてのパートナー」

「は、はは……」

「片腕を失うまで、よくぞ戦ってこられた。もう心配はいりませぬ。ここからわ私が──いや。()()、先輩が……代わって、世界を守ってみせましょう!」

「わ──」

「はっはっはっ、何。ご安心を。なんせ我々、世界を救うのは……これが初めてではない!」

「──()()?」

 もはや灰色の大男は、疑問符のついた三千代の台詞を聞いてなどいなかった。振り返って叫ぶ。

「そうだろう! 我が──同胞たちよ!」

 豪風のような轟音が、闇より爆ぜた。それは人々の叫びだった。ほのかな光を纏った人々。それは、ドンキの妄想の産物──慟哭風纏がいつの日か三千代に語った彼のかつての相棒たちだった。

──森の黒き巨獣を討った、屈強な灰色の大男。

──かつて盗賊の頭領として「夜風」と名乗っていた、義賊の頭。

──弱き民を食い物にする悪の組織を壊滅させた、華奢な少女。

──アンコウの王「スピカ」を倒した、人魚の若き王。

──ヨーロッパの北の小さな町で人生の道に悩む村娘だった、騎士団長。

──全長が砂漠ほどあるデスワームから村を救ったことのある、恰幅の良い商人。

──熱風の魔女や悪しき鏡の騎士と戦った、隠居老人。

──いたずら好きの笹舟の精霊と、大きな馬。

 かれらは、剣を手にしていた。大剣のようなものもあれば、日本刀のようなものもあった。レイピア、ククリナイフ、ロングソード。見たことのない形状のものまで。剣の形はバラバラだった。でも、どこか見覚えがあった。

「はは、これぜんぶ、ドンキ?」

三千代(ミンチョ)。何度言えばわかる? 小生には、慟哭風纏という立派な名があったのよ。そなたに、ドンキという間抜けな名を賜るまではな!」

 ぴかぴかの刃。金色の鍔と、その真ん中には蒼い宝石。そして、赤い柄。かれらの手にある剣の名前を、三千代は知っている。形のばらばらな9本の剣。その名は。慟哭風纏(どうこくふうてん)。馬鹿馬鹿しい、中二病の妄想みたいな剣だ。


「馬鹿な! 三千代君……きみ、“妄想の実”を……あのおもちゃの剣に食わせたのか!?」

 百合烏賊の叫びに、三千代はこくりと頷いて応える。

 地面に転がったおもちゃの剣。その柄の腹から伸びる、二本の金色の線。その先には銅剣と黒い鉄の剣の刺さった、黄色い果実。妄想の実。

 ドンキの妄想が、理想の怪獣と化した百合烏賊の前に立ちはだかっていた。

「はははっ! 面白くなってきたなあ、おい!」

「(異音、笑ってる場合じゃないよ、まったく)」

「……“理想の実”の効果時間はあと、1時間と50分かそこらだ。それまでに目の前のコイツら全員倒して、世界を停電させねえとな。」

 三千代たちが聞いてるのも厭わず、百合烏賊はわざわざ声に出して、異音に返事する。

「……ああ。でないと、星空も、流星群も、見えないね」

 最後の戦いが始まった。もうじき、流星が降る。この町からも、東京からもきっと、見えることない、流星が。


 百合烏賊は異音を横に薙いだ。灰色の大男は、巨剣・慟哭風纏をでたらめに振り回しただけだったが、それだけで凄まじい風が起きた。風は竜巻となって剣士を空高くに舞い上げた。隠居老人は己を中世の騎士か何かだと思い込んでいるらしく、気高い台詞をつらつらと吐きながら、百合烏賊へと突進していった。この吹き荒れる旋風の中で快適自在に空中を闊歩できるのだから、でたらめだ。百合烏賊は老人の突き出すレイピア・慟哭風纏を紙一重、異音で受け流す。しかし間髪入れず、「夜風」を名乗る盗賊風の男が文字通り夜風となって百合烏賊へと吹き荒れた。手には慟哭風纏という名のククリナイフがあった。華奢な少女、恰幅の良い商人、いたずら好きの笹舟の精霊と馬、騎士団長。寓話の中に出てきそうなでたらめな剣士たちが、百合烏賊と無数の剣を交えた。

「す、すごい……」

 その様子を、地上から三千代たちが眺めていた。

 宙を裂く音で疾風が、夜を裂く光で稲光が、何度も何度もぶつかり合った──



キンキン、ギャン、ガシャァン、ギリリ、ガキリ、シャリン、カァン、カァン、バチィ、ズバッ、ギュバン、シャリィン、ガチャリ、ギャリッ、ギン、ガシャッ、チィン、シャバン、ギリリ、ギリリ、キン、キン、ガシャン、シャクッ、ガラリ、ギャン、ギャン、キュイン、ガリリ、バチン、ズガッ、ギチチ、ガコン、シャリン、バチン、ガシャン、ギリリ、シャリィン、ギャン、ギャン、ガチャン、キン、キン、ズバッ、ギリギリ、ガガッ、シャラッ、ガキリ、シャバン、チリリ、キュイン、ガシャッ、ギュッ、カァン、シャリ、シャリ、キンキン、ギャリッ、ギン、カァン、シャララ、ガチャン、シャリィン、ギュッ、バチン、ギリリ、ガガガ、ズシャッ、キン、キン、シャリン、ガシャッ、チリリ、ギュバン、バチィ、ギリギリ、ギャン、ギャン、ガシャンズシャッ、バチバチ、ギャン、ギン、シャクン、ガラッ、キン、ガイィン、シャリン、シャリン、ギャシュッ、ガキリ、ガキリ、チリリ、パチン、キィン、ギャン、ガリガリ、ガシャァン、ギリリ、ギャン、ギャン、キンキン、ガシャッ、ガリリ、ギリリ、シャリン、カァン、カァン、チィン、ガチャン、ガチャン、シャバン、ギン、ギン、ガシュッ、バチィ、キュイン、キン、キン、ギャリ、ギャリ、シャクン、ズバッ、ズバッ、ガキリ、ガキリ、チリリ、シャラン、ギン、ガシャ、シャリ、シャリ、ガシャン、シャクッ、ザシュッ、バチィ、ズガガ、ギャン、キンキン、ギャリッ、ギャリッ、カァン、チィン、ギュバン、ガチャリ、シャリン、バチン、ガシャン、ギリリ、シャリィン、ギャン、ギャン、ガチャン、キン、キン、ズバッ、ギリギリ、ガガッ、シャラッ、ガキリ、シャバン、チリリ、キュイン、ガシャッ、ギュッ、カァン、シャリ、シャリ、ガコン、ギャン、キンキン、ギャシュッ、ズガッ、バチバチ、ガシリ、ギリリ、ギリギリ、ガキリ、ガキリ、チリリ、パチン、キィン、ギャン、ガリガリ、ガシャァン、ギリリ、ギャン、ギャン、キンキン、ガシャッ、ガリリ、ギリリ、シャリン、カァン、カァン、チィン、ガチャン、ガチャン、シャバン、ギン、ギン、ガシュッ、バチィ、キュイン、キン、キン、ギャリ、ギャリ、シャクン、ズバッ、ズバッ、ガキリ、ガキリ、チリリ、シャラン、チン、チン、ギュバン、ギュバン、シャリィン、カチ、カチ、ギシャッ、ギャン、キンキン、バチン、シャララ、ガキン、チン、チン、ギュバン、シャシャッ、バチィ、ギン、ギン、シャクン、ガラリ、キン、ガキリ、カチ、カチ、ギシャッ、ギャン、キンキン、カァン、チィン、ガチャン、ガチャン、シャバン、ギン、ギン、ガシュッ、バチィ、キュイン、キン、キン、ギャリ、ギャリ、シャクン、ズバッ、ズバッ、ガキリ、ガキリ、チリリ、シャラン、チン、チン、ギュバン、ギュバン、シャリィン、カチ、カチ、ギシャッ、ギャン、キンキン、バチン、ギリギリ、ギン、ガシャ、シャリ、バチン、ギリギリ、ギン、ガシャ、シャリ、シャリ、ガシャン、シャクッ、ザシュッ、バチィ、ズガガ、ギャン、キンキン、ギャリッ、ギャリッ、カァン、チィン、ギュバン、ガチャリ、シャリン、バチン、ガシャン、ギリリ、シャリィン、ギャン、ギャン、ガチャン、キン、キン、ズバッ、ギリギリ、ガガッ、シャラッ、ガキリ、シャバン、チリリ、キュイン、ガシャッ、ギュッ、カァン、シャリ、シャリ、キンキン、ギャリッ、ギン、カァン、シャララ、ガチャン、シャリィン、ギュッ、バチン、ギリリ、ガガガ、ズシャッ、キン、キン、シャリン、ガシャッ、チリリ、ギュバン、バチィ、ギリギリ、ギャン、ギャン、ガシャン、シャクン、ガラッ、シャリィン、ガチャリ、ギャリッ、ギン、ガシャッ、チィン、シャバン、ギリリ、ギリッ……キン。



 半時ほどして、音と光は止んだ。

「くそ、埒が明かない……」

 ビッ。異音を斜め下にはらうようにして振り抜いてみたが、血の一滴も飛ばない。百合烏賊と、ドンキの妄想より生まれた8の剣士は、互いに一度も剣を肉に触れさせなかった。それだけ力が拮抗していた。当然だ。“理想の実”と“妄想の実”は対の存在。生む力の天井もまた同じ。

 また、百合烏賊は異音の操れる電気量を全て自身に注ぎ込んでいた。そのため地上にいた傀儡剣士たちも今は動いていない。

「あ……」

 そのとき、宙に一筋の光が流れた。雷を纏った斬撃による稲光などではなかった。黒いクレヨンで塗りつぶされた画用紙を、針で引っ掻いたような、細く白い光だった。

 流れ星だった。

 空の上で繰り広げられている戦いを見届けるため、三千代は宙を見上げていたのだ。三十分もの間、ずっと。そして、百合烏賊とドンキの妄想たちが剣を止めた一瞬、入り乱れる斬撃戦の閃光が止み、眩さに辟易していた視界はその反動から暗黒をいつもより明瞭に捉えていた。光と闇に敏感になっていたのだ。そんなときに流れた、流れ星である。いつもなら見えなかっただろうが、この時は見ることができた。

「……」

 三千代はドンキを拾い上げた。

「むっ。小生らも参戦するわけだな。よし、早速、秘技・割空明転雷(かっくうめいてんらい)をブチ放とうぞ。」

 三千代は、くす、と笑う。

「今なら本当に出せるかもね、その技……」

「お? お、おお。」

「でも、やらないよ。ドンキ。いつもみたいにやろうよ。今回も」

「……ああ。そなたが、そう申すなら。」

 ぱちっ、ぱちっ。ドンキの柄から垂れていた金の線が、垂れ落ちる。ららぽの作ってくれた導線が、オーケーとコストコの作ってくれた“妄想の実”電池が、ドンキから外された。

「え? みっちょん……」

 スイはうろたえる。ボルタ電池というものは、電池と接続しっぱなしじゃないと電気が供給されない。すぐにドンキから“妄想の実”の効力は消えてしまう。

 三千代は意に介さず、

「スイ。オーケーを拾って。最後に私も、あそこに行きたいの」

「……」 スイは、「……」 ゆっくりと、「分かったよ。」オーケーを拾い上げた。

 銅でできた短剣はずしりと重い。


「(やるしかない!)」百合烏賊は心の中で叫ぶ。「( ──異音! 生命維持に必要な電気量だけ私の中に残して、残りは全部、君の切っ先に集めてくれ!)」

「……今の姿のお前なら、その負荷に耐えられるかもな。」

 オトナになった百合烏賊の姿。しゃんと高い背を伸ばし、長い刀身を持つ異音にも振り回されない風格が備わっている。

 百合烏賊はもう、自分の声が出ていることにも気づかぬくらい、気が昂っていた。

「ああ! だから!」

「……いや、その必要はないぜ、百合烏賊。」

「なっ──! 異音! なぜ!」

「見ろ。」

 異音のテレパシーに従い、百合烏賊は周囲を見渡した。

 見ると、さっきまで戦っていた「あのおもちゃの剣の生んだ妄想たち」の姿が消えかかっている。

 と思えば、妄想たちは、一斉に風に吹かれるように、どこかへ流れていった。

 どこか。

 それは、下。

 かれらは、ドンキの中へと(かえ)っていくのだ。

「そなたたち、大儀であったぞ! 後は、小生に任せい!」

「──!」

 百合烏賊は急いで下に目を向けた。靄に包まれていた意識が晴れてゆく。鋭利に研ぎ澄まされたと思っていた五感が、脱皮によって真になった感覚がした。暗黒の宙。汗の走る肌。舌の上は僅かに血の味で、鼻腔を海の夜風がくすぐる。鼓膜を叩く音がする。何者かが、階段を駆け上がってくるような、そんな音。

 きらり、と。金メッキのような、青いガラスのような、赤いプラスチックのような、安っぽい光沢が見えた。

「三千代君!?」

「ゆひいあ!」

「……え?」

 三千代の姿がどんどんと確定してゆく。やはり、王敬の作った緑青の階段を上って来たらしい。彼女がなんて叫んだのかは聞き取れなかったが、最後の最後に彼女自身が決着のために打って出たことは確かだ。

「くっ! 異音……迎え撃つぞ!」

「ま。それくらいは、付き合ってやるよ!」

 百合烏賊は異音の身を横に倒し、水平線を描くように持った。

 構わず、三千代は叫ぶ。上空数十メートルまで連なる階段を全力疾走で駆け上がりながら、よくぞそこまで大きな声が出せる。それはひとえに彼女の身体能力が優れているからであり、それ以上に──彼女が正義と信念とやさしさの少女だからだった。

ゆひいあ(ゆりいか)!!」

 彼女の姿が、百合烏賊の目に確定する。

 彼女は────おもちゃの剣を、口に咥えていた。


 三千代は、ドンキを口に咥え、空いた手をどうしたかというと、広げていた。左手は義手で、しかも電動のものではない。それなのになぜか持ち上がっている。……持ち上げられている。彼女が“妄想の実”の効果で生んだ、小さな白い手によって!

 三千代の()()が、百合烏賊を迎え入れようとしていた。

「──っ!」

 百合烏賊は鋭い目を、三千代の左手の甲へと向けた。──斬り落としてやる。

 三千代の持っている剣はドンキだけであり、それはおもちゃの剣に過ぎない。決して別世界から送られてきた剣ではない。だから別世界の決闘ルールなど適応されていない。三千代の手の甲を打っても、それで彼女が「負け」たことにはならない。しかし今の百合烏賊には、そんなこと気が付かなかった。だから構わず、三千代の左手に向かって異音を振った。

 振ろうとした。

 しかし振れなかった。

 百合烏賊の身体は動かなかった。良心の呵責によってではない。物理的に動くことがかなわなかった。なぜなら彼女の手に握られていた異音は──宙に浮く白い手に掴まれていたのだから。

 三千代が“妄想の実”を食べたことで生んだ妄想は──白い手は、2つあった。右手と左手。前者は三千代の義手を支えており、後者は、このとおり、白銀の剣・異音を掴んでいたのだ。

 百合烏賊はソレを振り解こうとした。

 全てを拒絶しようとした。

 そうしてしまうより先に──

 三千代の手は、彼女に届いた。

ふかまえは(つかまえた)……」

 常々、考えていたことがある。剣には──別世界の剣には、切り結ぶよりも有用な使い方があると。少なくとも、この世界に住む自分達には。

 それは、

「(百合烏賊──)」

 テレパシー。

「(──聞いて──)」

 剣を握っていれば文字通り、心で通じ合えるのだから。

「(──会長は充分優しいよ)」

「……」

「(だって、だから、私に──私たちに、勝ち筋を残してくれたんだ。世界の停電を止めるための隙を残してくれた。その隙に私は、付け入るよ──)」


 それに。

 テレパシーによって行われる思念情報の交換は、発声によるそれよりもずっと速い。

 百合烏賊の胴を抱きしめたまま、三千代はぺこりとお辞儀するように顔を突き出した。

 三千代の口に咥えられたドンキが、百合烏賊の顔を叩くまでの、短い間。二人は話し合った。それだけの時間が、そこにあった。

「(三千代君。私って、どのような人間に見える?)」

「(──)」

 僅かの間、三千代の心には何も回答が思い浮かばなかった。あまりにも質問の意図が分からなかったからだ。ただ、まさか百合烏賊が周囲からの評価を気にするような人間でないことだけは分かっていた。テレパシーで心を読むまでもなく、それだけは分かり切っていた。三千代は素直に思っていることを答えとすることにした。というか、ここ──テレパシーの世界では、思っていることがそのまま答えとして自動提出されるのだから。

「(私にとって会長は……完璧人間なんだと思ってたよ。正直中学の三年間、あまり関りはなかったけれどね。でも傍目から見てそんなイメージだった)」

「(……)」

「(背筋がピンとしていて姿勢がよくって、美人で、英語も数学もできて、頭が良くて、なんでもそつなくこなして、みんなの顔と名前も憶えてて、礼儀正しくて、挨拶の時の声もいい。あと、走るときのフォームもキレイ。投球の動きもね)」

「(……)」

「(でもなにより……優しいよ。会長は。同級生にも、下級生にも、目上の人にも、大人にも子供にもお年寄りにもね)」

「(ちが──)」

「(どこにいても目立つ存在だ。いい意味でね。……前、車通りの少ない信号で青信号を待って止まっているところを見た。電車で老人に席をゆずるところを。落ちてる缶を拾うところを。……どれも私は、別の人と話してるときに見かけたから、声、かけれなかったけど。でも会長は──)」

「(違うんだ!)」

「(……)」

 そろそろ、ドンキが百合烏賊の鼻の頭に触れようとしていた。現実時間ではまだ一秒も経っていない。百合烏賊は話を続ける。彼女の告白は、走馬灯のように、凄まじいスピードで、そしてゆっくりと、行われた。

「(……私は、三千代君、きみたちの思っているような人間ではないよ)」

「(……)」

「(完璧な人間だと思われている。別にそれは苦ではない。そして当然、私は私が完璧な人間ではないことをわきまえている)」

「(……)」

「(例えば運動ではきみに敵わない。それに勉強でも、あそこにいるスイ君に勝る科目は少ないだろう。模試の成績は校内で上位10パーセント、全国偏差値で60に僅かに届かない程度だ。志望校は少し高望みしたらC判定だったよ。全校生徒の名前を覚えるのも、決して天才にしか許された所業なんかではない。たった数百人、どのような人生を歩む人でも出会う数だろうからね。……言いたいことが分かるかい?)」

 分かるに決まっている。心に思っていることがそのまま伝わってくるのだから。だから分かる。百合烏賊の思いに、嫌味などは一切ない。百合烏賊は続ける。

「(私は、周囲より少し、ほんの少しだけ勉強ができたり、運動ができたりするだけの、普通の人間なのさ。だって、どこにでもある中学校にいる、どこにでもいる中学生の一人なんだから……)」

 それが、等身大の彼女だった。世界を救ったり、また世界を壊したりもできない、普通の女子中学生。それが彼女、百合烏賊だった。あだ名は「会長」。長いこと中学校で生徒会会長を務めてきたから。それだけのことだ。

 ドンキのビニール風船でできた刃が、百合烏賊の鼻の頭を叩いた。

 ぷにり、と柔らかく反発した。

 勝負はこの「面」をもって決着となった。

 力が抜けていく。

 決闘に負けた百合烏賊は、三千代の嫌がる「全世界の停電」を望むことはもうかなわない。

 二人の少女は、落下を始めた。

 いつの間にか三千代はドンキを右手に持ち替えていた。

「……会長──ううん……百合烏賊……」

「……」

「百合烏賊は、等身大の、優しい人、だよ。みんなから慕われる優しい人だ」

「……」

「賢くてかっこよくてやさしい生徒会長だよ。私も、慕っている。そんな人だ」

「……三千代君」

「うん」

「ああ……三千代君……詩音ちゃん……みんな……」

「うん」

「ごめんなさい」

「うん……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 ぱたぱたと、閉ざされた鋭い目から溢れる涙が、空へと昇ってゆく。少女たちは抱き合っていたので、涙を拭うことさえできず、ただ落ちていった。


「……け、結構な高さだな。下は海だけど、これもしかしたら死ぬ?」

 三千代は下を見て言った。一面暗黒である。

「わ、私が下になる。全部、私のせいだから」

 百合烏賊はそう言って、器用に、三千代の下敷きになる位置に身体を回した。

「いやそんなわけには……」

 なんて言ってる間にも、というか今にも、落下は終わって海に叩きつけられそうだった。

「はあ。」

 ため息が聞こえた。実際にはため息ではないし、「聞こえた」という表現も不適切だった。それはテレパシーだった。

「やれやれ、やっと終わったかよ。」

 白銀の剣・異音の、テレパシーだった。

「異音!」

「くそ、二人分は流石に上手くいくか分かんねえぞ。」

 二人の少女の周囲の空間が、静電気を纏ったセーターのようにふよふよと僅かな弾力を示し始める。

「異音殿! 小生の蓄電池にあるエネルギーも使用してくれ!」

「──は。ありがとよ! この世界の“名剣”さんよ!」

 異音はそこにあるありったけの電気を自身に取り込んで、今あるべき形へと──少女らを助けるために望む形へと、変換した。

 ぱち、ぱち、と、小さな拍手のような音に包まれる。

 少女らの周りを仄かな光が包む。

 電磁浮遊。

 といっても流石に、再浮上、からの旋回……なんてことをする余力はなかった。少女らの落下スピードを大幅にゆっくりにするのが、限界だった。

「うひー」

 十月下旬の夜ともなると、海は冷たかった。

 少女らは、そして剣らは、ゆっくりと海へと着水した。

 ざぶ、ぶ、ぶ……。

 海の中は真っ黒だ。

 まるで海の上に広がる空みたいに。


 三千代が、百合烏賊を抱えて陸まで泳いだ。幸い、そこまで離れていなかった。

「三千代君……」

「はあっ……はあっ。……うん、何……っ、会長……」

「げほっ、がほっ。……わた。……私……」

「……うん……」

「……いい高校行って、大学の医学部に入って、お医者さんになるよ」

「……いいね。それは……詩音ちゃんのような子のために?」

「……三千代君の腕も、私のせいだから、治してあげたい」

 百合烏賊は寝転がったまま、目をつぶった。その隣で、三千代は立ち上がる。

「そんなの、気にしないで。会長のせいじゃないから、これは」

 三千代は手を差し伸べた。しかし百合烏賊は目をつぶっているし、そうでなくともこの暗闇の中では差し伸ばされた手の所在なんて見えないだろう。だから三千代は手を伸ばし続けて、そのまま百合烏賊の手を握った。百合烏賊は起こされるようにして、立ち上がる。

「やさしいね、三千代君は……」

「そうだね。」三千代は笑う。「会長もね……!」


「三千代!!」

 遠くから──向こうの暗闇から、声がした。スイのものだった。さらに耳をすませると、鈴鉢や米噛の声も混ざっていた。みんなが自分を探しているのだと、三千代は気づく。

「あ、早く合流しよう!」

「う、うん」

 三千代の手に引っ張られ、百合烏賊も歩き出す。

「おうい! 小生のことを忘れておるぞ!」

 後ろから声。

 振り返ると、暗い砂浜に、おもちゃの剣が突き刺さっている。カメラの部分がちかちかと点滅しているので、すぐ見つかった。ドンキだ。

「ご、ごめん!」 駆け寄る。「落ちてるときはしっかりつかんでたつもりだったんだけど……さっき立ち上がったときに、つい脇から放り出しちゃったみたい!」

「しっかりせんか、三千代(ミンチョ)!」

「ごめんね」

「そのおもちゃ、防水なんだね……」

 暗くて表情はよく見えないけれど、百合烏賊の柔らかい声がした。

「うん。……あ、そうだ、会長。異音は?」

「ああ。しっかりと握っているよ」

 そう言って、百合烏賊は柄の部分を三千代に触らせた。すべすべしている。上質な銀の感触だった。

「これ! 砂粒が纏わりついて気持ちが悪いぞ! さっさと拾わんか!」

「はいはい……」

 三千代は一旦百合烏賊と手を離すと、海水と砂でべたべたした、おもちゃの剣を拾い上げた。




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