白銀の剣 下
転送の条件は、時間的座標と空間的座標、そして、海水だ。
転送の基本は「同質量の交換」と「共振」。同じ質量であり、似た性質のものを、入れ替える。これが転送。大量の海水は、都合が良かった。二つの世界で同じくらい大量にあるし、しかもいい具合に不純物が混ざっている。大量の海水と大量の海水を入れ替えようとすると、二つはほとんど同じ成分・性質をしている一方で、僅かに不純物が入っている。つまり海水+不純物Aと、海水+不純物Bが入れ替わる。この不純物の枠はいわば「余り」だ。この余剰を利用し、本当に転送したいものを転送することができる。
時間はいわばx軸。空間はいわばy軸。同じz軸上に存在する世界になら、このx軸とy軸をすり合わせることで世界間の移動が可能になる。その交点がつまり、百日ごとに標準時子午線上に訪れる。
そして、「次」に訪れる時が……「十月二十二日零時」だ。
その日、「別世界」から「双想の実」なるものが「この世界」に送られてくる。
私は、海辺で拾った白銀の剣から、その話を聞いた。
奇しくも、オリオン座流星群の降る日だ。
これは神の思し召しだ。
そう思った。
これで詩音ちゃんを弔うことができるのだと。
そして、今日がその日だった。
今は十月二十一日の午後十時。
辺りはすっかり真っ暗だ。
あと二時間後……
今から二時間後に……
今から二時間後、この世界から「10トンの海水」と私のかばんに入っている「2つのりんご」が消える。そして代わりに別の世界から「10トンの海水」と「双想の実」が、来る。
今から二時間後、私はそれを齧る。
今から二時間後、世界は停電する。
今から二時間後、流星群が降る。人間の焚いた薄汚い光が消え、暗黒の中に静止した世界では……きっと、それが、よく見える。
来い……。
私は静かに、その時を待っていた。
ざぱあっ。
波が跳ね、私の目の前に大きな水の冠を作った。海の中から巨大な魚が飛び出した。夜の海でもソレが見えるのは、ソレが輝いているからに他ならない。
それは大きな大きなマグロだった。マグロの背には、細い紐で括りつけられるようにして、白銀に輝く剣が乗っていた。刃と、銀皮が、僅かな月光を反射してぎらぎらと輝いている。
海上に跳ね上がったマグロが身じろぎすると、白銀の刃に当たって紐がぶちぶちと千切れていった。それから思い切り背びれを振った。剣は円弧を描いて宙を舞い、乾杯のように掲げられていた私の手の中に、すぽりと収まった……。
来た。
「(こんばんは────異音)」
私は、その剣の名前を心の中で唱えた。
「おう、俺様が来てやってぜ。」
剣は、そう応えた。
三千代君に会ってきたあの日以降、学校には行っていなかった。家にも帰っていない。弁護士の父と、大学で教鞭を振るう母。どちらも忙しさのあまり家に帰ってくることはなかった。だからバレなかった。
中学三年の二学期に入って、生徒会も引退した。
「会長──」
病室で私のことをそう呼んだ、三千代君の声が思い出される。もしかしたら彼女は、今日、ここに来るかもしれない。私を止めに来るのかもしれない。……しかし来るとしたらそれは、私が与えた「ヒント」を手繰ったから来れたのだろう。なぜ私は彼女に「ヒント」を与えたのか。それまで異音の他には誰にも言わなかった、私の「願い」を……なぜ、彼女には話してしまったのだろう。
「ああ? そりゃ、お前、そいつが詩音ナントカってやつに優しくしてくれたからだろ? お前が自分で言ってたじゃねえか」
私の心の声に、異音が答えた。
……そうだった。テレパシーで通じ合っているから、心の声がこうして聞かれてしまうのだった。
ついでに私は異音と話すことにした。最近はあまり会えなかったから。
「(異音。……君の計画は、二枚舌君にバレていたようだったよ)」
「ふーん、あ、そ」
「(あまり、関心が無いんだね?)」
「まあ。……そんなことより、そろそろ来るぜ?」
異音の言葉に私は顔を上げる。
ざ、ざ、ざん。
糸を張ったように凪いでいる黒い海が突如、細かく荒立ちはじめた。さっき異音が登場したときのように、いくつもの水の冠が立つ。それらはやはり、魚であった。背に剣を背負った、大小様々な魚たちであった。
学校にも行かず、家にも帰らず、私が何をしていたかというと。
「みんな、久しぶり」
剣を、隠していたのだ。
海の中に。
気配を隠せぬ一部の剣を、全て、海の中に隠していた。
この町の穏やかな海に、そんな海深はない。だから、掘らせた。この世界に送られてきた無数の剣を集めていく中で、様々な剣と出会った。その中には「削岩の剣」やら「打開の剣」やら「一筋の光の剣」やら、海底を掘り進めるのに適した剣があった。私は、異音の特殊能力で魚たちに電気信号を送り、魚に「海の底を掘り進めなさい」と命令した。そうして、今、この町の近海にはたった一部だけ、非常に深いところが生まれた。魚に剣を背負わせて、そこに隠したのだ。
そしてこの日、再び私のもとに集う予定だったのだ。
「……」
私は夜空を見上げた。月の他には星一つ出ていない。しかし魚と剣が宙で輝いていた。
魚たちは一斉に背を振った。ひゅん、ひゅん、と無数の剣が私に向かって降り注ぐ。流星のようだった。
剣は、私の隣に、右に、左に、手前に、奥に……周囲に突き刺さってゆく。およそ30本。
振り向くと、ぬぼーっと突き立った人々がいた。そうだ。三千代君たちの言葉で言うところの──傀儡剣士と、その元となる傀儡たちだ。この日のために用意していた。
既に手に剣を握り締めているのは、傀儡剣士。気配を隠せる剣をそれぞれ手に持っている。およそ50人、およそ50本の剣。
まだ剣を持っていない人は、私に近づくと、足元に転がっている剣をてきとうに引き抜いていった。さっき魚が打ち上げてくれたおよそ30本だ。
こうして、合わせて80人の傀儡剣士がここに集まった。
もし。
もし──三千代君たちが、たった今私たちの「気配」に気づいても、もう遅い。到着する前に私は双想の実を齧り、別世界へのゲートの出現と、全世界の停電を叶えるだろう。
でも、もし……三千代君たちが、あの病室で会った日から私を止めようとしていたら、私の計画に迫っていたら、もしかしたら……そろそろ現れるのかもしれない。
でも、だから何だ。
私が三千代君に「ヒント」を与えたのは、詩音ちゃんに寄付してくれたことと手紙を送ってくれたことの礼を言った際についこぼしただけだ。これ以上の譲歩は無い。たとえ彼女が何人の仲間を連れてこようとも、私は80人の傀儡剣士と、異音をもって、叩き潰す。私は私の願いを叶えてみせる。
黒い海は静かだった。
黒い空もまた静か。
しかし町の方には、ちろちろと灯りが見える。それは家庭だったり、店だったり、街灯だったり信号機だったり、人間が作った灯りたちだ。汚らわしい、とは思わない。でも、星を見るのには、邪魔な灯りだ。
今日まで長かった。
夏至のあった二週間後、詩音ちゃんが亡くなったとの報せを受け、私は冷静にお悔やみの言葉を述べると、一滴の涙も流さない内にその電話を切ることができた。それから今日まで、泣いていなかった。葬式に招かれたが、私はいかなかった。
今日まで──。
私は──。
「来たぜ。」
異音が言った。出会ってしばらく経つが、こいつは無口なやつだった。基本的に必要な時以外、こうしてテレパシーを送ってくることはない。だからそんなこいつがそう言うのだから、「来た」のだろう。
「うん」
私は振り向いた。水色の長髪がバサリと夜に踊った。
目を細めると、人間の姿が確認できた。
この闇夜には見えずらい、褐色の少女だ。しかし、すべすべとした右の義手と、左の本物の手に握られたおもちゃの剣が、僅かに見える。三千代君だ。
その隣には対照的に色白の少女がいた。スイ君だ。そうだ、彼女は剣の所有者だった。異音によると「王敬」という名前の、“名剣”の所有者だ。
二人は何も喋らずに、私に近づいてきている。焦るでもない、しかしだらりと退屈そうにしているわけでもない、普通の歩速で私に近づいてきている。どんどんと近づいてきている。
その両隣りに、二人、私の知らない人がいることに気づく。……いや、片方は知っていた。三千代君の左を歩く男性。去年卒業した米噛先輩だ。私は全校生徒の顔と名前を覚えているので、知っていた。なるほど彼も剣の所持者だったか。
一番右側は、隣のスイ君よりももっと肌が白い。頭頂の髪から、僅かに露出した足首まで、全てが新雪のように白い。恐らくアルビノというやつだろう。目にするのは初めてだ。小柄で、あまり力も強そうではないが、それで剣を振るえるのだろうか。私は彼女を見て、僅かに詩音ちゃんのことを想起した。
私に向かってくる四人の姿は、月光程度でよく見えるほどにこちらに近づいていた。そろそろ決戦が起きようとしている。
三千代君の瞳がよく見えた。あれが、今から私を止めようとする者の目なのだ。私は顔を逸らせない。
「(いいかい。狙うのは、手の甲だよ)」
心の中で唱える。
別世界の剣を用いる勝負のルールは簡単。というかほとんどこの世界の剣道のソレだ。先に顔面か喉、腹、そして手の甲のどこかを、先に打った方が勝ち。……しかし異音で相手の肉体を打とうものなら、どうなってしまうかは想像に容易い。豆腐を裂くみたいに相手を斬り殺してしまう。そんな中で手の甲を狙うというのは、私のせめてもの「やさしさ」だと思ってもらいたい。頭部をかち割っても、喉ごと首を掻っ捌いても、腹から人体を真っ二つにしても、この世界の人間は死ぬ。だけど手の甲をたたっ切っても、指を失うくらいだろう。だからこれは、私の「やさしさ」なのだ。私の願いを叶えさせまいとする邪魔者たち。つまりは世界を救おうとしている勇者達なのだろう。手の甲で勘弁してやるというのは、そんな勇者達へのせめてもの慈悲であり、せめてもの「やさしさ」なのだ。と。私は、私に言い聞かせる。
「お前も結構、面倒くさいやつだよな」
異音が言った。
うるさい。
私は、異音を──白銀の剣を、横に構える。
左手に持っていた手提げかばんからりんごを二つ取り出すと、腰のホルダーにセットした。これで落とすことはない。
目の前で三千代君も同様に構えた。おい、おい。そのおもちゃの剣で、この白銀の剣の刃を防げるのか? なんて思う。
そういえば、なぜ三千代君はおもちゃの剣で傀儡剣士と戦ってきたのか。それは彼女の「やさしさ」だ。おもちゃの剣なら、顔面を叩こうが喉を突こうが相手は死なない。だから彼女は、おもちゃの剣で戦い続けることにこだわったのだろう。
優しいね。
いくよ──。
私は、だん、と砂を踏んだ。駆け出す。風のように速く、三千代君めがけて。
ほら、もうこんなに近づいた。
これが異音の「力」──「導電」だ。異音は銀でできた剣。銀の特質といえば、その伝導率の高さだ。傀儡剣士を作り出したり、魚などの生物を操作するのもこの力。電気信号を送ることによる洗脳。三千代君たちは「身体を持たない寄生虫」と呼んでいたそうだが……正体はこんなものだ。ただの、電気信号。
そして、電気信号は、異音の持ち主である私自身に送ることもできる。身体の挙動というのは脳から肉体に送られてくる電気信号だ。しかし、脳から神経を通って肉に行き渡る長い過程の中で僅かに濁る。脳内で思い描いていた自分の理想の動きと、現実での挙動が違うわけだ。異音によって電気信号を操作することで、脳からの命令を濁ることなく肉に届ける。今の私は、頭の中で思い描いていた超人そのままの動きで動くことができる。
三千代君も相当運動は得意な方だが……流石に今の私の動きにはついてこれまい。
右手に握り締めた異音を振る。斜め上へと、斬り上げる。白銀の刃が一閃の光となって宙を裂いた。
宙を。
宙を──?
馬鹿な。外した。
三千代君が低く屈んでいる。私は慌てて、首を少し伸ばすようにして顔を後ろに反らせる。ぎりぎり鼻の頭に当たらないスレスレを、おもちゃの剣の刃が駆け上がっていった。
私は後ろに跳ぶ。
「……」
「なんだ百合烏賊、もう負けそうか?」
「(流石はスポーツテスト校内一位だ。……私だって体育の成績は最高評価なんだけれどね……)」
「見苦しいぜ。」
うるさいな。
まさか三千代君がここまで動けるとは思わなかった。だって、今の私は、身体に流れる電気信号をいじくって、人体の想定する最高の動きを強制的に実現させている。まさか素の人間についてこれるだなんて。
「(……異音)」
「なんだよ。」
「(四肢の──両腕両脚の制御を20パーセントまで超過させて)」
「ぶっ壊れるぞ」
「いいの」
最後の台詞はつい、口に出てしまった。でも。いいの。
いいから、やって。
瞬間、身体が軽くなった。今の私なら風よりも疾く走れそうだ。それこそ、そう、雷のように──。
私は地面を蹴った。ざふっ、と砂が舞う。次の瞬間には三千代君の前に躍り出ていた。さっきよりもずっと速い。
今度は義手の方を狙う。彼女の偽物の右手めがけて、異音を振り下ろす。左に避けたところを、V字に斬り上げるような斬撃を繰り出し、本物の左手を斬ってやる。
がきぃいん。金属音が炸裂した。異音は、私の目前に突如として展開された青い盾を引っ掻いていた。
腕がびりびりと痺れた本来許容されている以上の電気を局所的に流し込んだせいだ。
私は、異音の柄を青い盾に突き立てた。だん! 闇夜に火花が散る。私は構わず、異音をぐりぐりと押し付ける。瞬間、私の思考が他人へと届く感触、そして他人の思考が私に流れ込んでくる感触が、した。
「(────)」
「────」
「(────)」
「(────)」
やはり、青い盾は剣の力によるものだったか。
剣は、接触している相手との間にテレパシーを開通させる。私は異音を通じて、青い盾を生み出したであろう剣とその持ち主との間に、テレパシーを通わせたのだ。今の一瞬で、沢山の言葉を、王敬、そしてスイ君と交わした。青い盾は“名剣”銅の剣・王敬の力によるものだった。「緑青」と呼ばれる銅の錆を一瞬にして広げ、三千代君を守る盾を作ってみせたとのことだった。やはりテレパシーは便利だ。相手の意思に関係なく相手の心を見通せるんだもの。
しかしリスクもある。私はすぐに、異音を王敬の緑青盾から引き離した。あと一瞬離れるのが遅ければ、むしろスイ君がテレパシーを通じて私に何か尋ねていただろう。スイ君はよく頭の回る人間だ。「(あなたの弱点は何?)」なんて尋ねてくるかもしれない。すると私は「(教えてやるもんか)」という私の意思に反して、質問への素直な答えを心に思い浮かべてしまう。それを問答無用でスイ君に知られてしまう。
三千代君の傍には、“名剣”の王敬を手にしたスイ君がいる。このことを心に留めて戦わねば。私は自戒した。
「ありがとう、スイ」
三千代君がスイ君に礼を言った。
よく見ると、さっきまで彼女たちの両隣にいた米噛先輩とアルビノの少女がいないではないか。
──周囲から絶えず聞こえてくる、激しい音。
……なるほど、傀儡剣士との戦いはあの二人に任せて、私とは三千代君とスイ君のコンビで当たるようにしているわけか。
「……さしずめ」
私は、後ろに何度か跳んで距離を取りながら、口を開く。
「米噛先輩ともう一人の少女も、相当強い剣の所有者なのだろうね。あの二人になら、傀儡剣士の軍団を任せられる、と。……でも、いいのかい?」
「何が?」
三千代君が返事する。
「あの二人に傀儡剣士たちを任せ、君たち二人で私と戦う。スイ君の剣には、相手の動きを封じる力があるらしいじゃないか。それで私を拘束し、三千代君のおもちゃの剣で私との勝負を終わらせるつもり、だね」
「……」
図星だろう。この期に及んで、お優しいことだ。しかし……
「しかし、傀儡剣士も人間だ。米噛先輩とあの少女が振るっている剣では、傀儡剣士の身体を傷つけてしまうんじゃないかい? そんなこと、心優しい君が許すの?」
目尻に、米噛先輩とアルビノの少女の戦いぶりが映っている。米噛先輩は、右手のライトで己の影を照らしている。その影から、無数の黒い刃が生えている。アルビノの少女は、私の異音に勝るとも劣らないほどの輝きを放つ、黄金の剣を振るっている。剣というよりは鞭のようで、ひゅんひゅんと宙を駆けるようにしなっている。
三千代君は嫌みの無い笑顔を見せ、
「大丈夫。きっとあの二人は、誰も傷つけない。誰も傷つけないで、全ての傀儡剣士に勝つよ。そして私も──」
「……」
「会長。会長を──百合烏賊を──君を、傷つけないで、君に勝つ!」
「……そうかい」
随分な信頼と、随分な自信だ。
「……」
水平線に半円の月が沈もうとしていた。
十月。二十一日。二十三時。
日付が変わるまで──この世界に双想の実が送られてくるまで──私がそれを齧るまで──別世界へのゲートが開くまで──この世界が全て停電するまで──星が空に見えるようになるまで────あと一時間。
私は三千代君の左手以外も狙うことにした。例えば片方の脚を斬り落とすだけでも、相当動きを削ぐことができる。その後にゆっくり手の甲を狙えばいい。左脚の腱を撫でるように、異音を滑らせる。
それも避けられてしまった。
戦いはじめてからもう二十分は経つというのに、よく動き続けられる。
「無駄だ、無駄だ! 新生した小生らを前に、そなたはもはや敵にあらず!」
三千代君の手元の剣が随分とやかましい。確か、ドンキ、と言ったか。やはり場違いのように感じられる。別世界で最強だった剣たちの集うこの最終決戦に、なぜドン・キホーテの店頭で投げ売りされていそうなおもちゃの剣が参戦しているのか。
「……」
そうだ、ドンキを狙ってみてはどうだろう。ドンキを破壊すれば、三千代君はもう他に剣を持っていないだろう。そうなれば私を止める手段もなくなる。スイ君の相手をするのはその後でいい。
それに。米噛先輩と、アルビノの少女も残っている。さっきから視界の端であの二人の戦いぶりもちらちら観察していたが、あの様子ではうちの傀儡剣士たちは全滅だろう。いくつもの剣が破壊されている。それでは、異音の目的が叶わない。
「そのことなんだが──」
異音が私の心を読んで、反応を示した。
「別に、気にしなくてもいいぜ。」
「(え?)」
こいつは何を言っているのだろう。だって異音、きみの目的は別世界へのゲートを開いて、こっちで集めた剣を故郷の国に送ることだろう。そうすれば君の国が戦争に勝てる。だから──
「ああ──。」
「(きみは、きみの国を──きみの王を、勝たせたいのではなかったか?)」
テレパシーで会話を続けながら、異音を振るう。刃は三千代君の肉体にぎりぎり届かなかったり、またスイ君と王敬によって妨害されたりもした。このままではジリ貧だ、と思った。
「確かに俺様は俺様の王に忠誠を誓っていた。主人と剣っていうのはそういう関係だからな。それで──」
「……」
「今の俺様の主人は、あんただ、百合烏賊。」
「──!」
「俺は、いわば捨てられたのさ。“名剣”として生まれ、長い間、大きな国の王に仕えてきた。しかし王は作戦のために俺様を手放した。だったら、次に拾った奴のものになるさ。この世界の寓話でも、伝説の剣てのは……大体そうだろ?」
「ふふ。」
私は口元を緩めてしまった。
「(なら、私だって一度、きみを海に捨ててしまった。ならばきみの今の主人は本来、魚のはずじゃないか)」
「あ、そうか。……そうだな。うん、そうだ。だから結局俺様は……」
「……」
「俺様は、お前の手元になら帰っても良いと思ったんだよ。あの世界には別に、帰りたくねえんだな、きっと」
「!」
「他の連中もきっとそうだぜ。あの世界に帰っても、待っているのは一方的な殺戮。自分よりも弱い相手しかいない世界で、一方的に殺しまくる。そういうのが好きな剣もいるにはいるだろうが……大半は、それよりもきちんとした決闘の方を好む。」
異音の言葉に、私はアルビノの少女の方を見てみた。金色の剣が刃先をしならせて次々と傀儡剣士の攻撃を受け流している。異音の記憶が流れ込んでくる。どうやらあの金の剣も“名剣”の一本らしい。
「きっと、あいつらも──今傀儡剣士の剣として戦ってるやつらも、ここで“名剣”と戦って散ってゆく方が本望なんだろうよ。二枚舌の野郎を除けば、誰も反対しなかったしな。」
「(つくづく、君たち剣というものの望む生き様は分からないな)」
異音との会話を切り上げ、前を見据える。顔面に向かって、三千代君の放った一撃が飛んできている。おもちゃの剣の、ビニール風船の刃。いつの間にかここまで迫られていた。
私は異音を縦に構え、ドンキを真っ二つに割いてやろうとした。
が──
「っ!」
思うように身体が動かない。
見ると、私の服に青い、蜘蛛の巣のようなものが走っている。──緑青だ!
服が銅の錆で固められてしまい、腕が思う通りに動かないのだ。仕方ない。こんなところで賭けに出たくはなかったが……。
「!」
三千代君の驚く顔。
私は、異音を地面に落としていた。柔らかく細かな海の砂に、ざっくりと突き刺さって立っている。空いた手で、私はドンキを鷲掴みにしていた。
「くっ、」
三千代君が退くと、ドンキは簡単に私の手から離れた。異音による導電がなければ、私の力が彼女に敵うはずなどないのだ。
ふよ、と異音が砂の中から浮かび上がる。電気を操ることができれば、こんな芸当だってできるのだ。電磁浮遊である。
異音は蝶のようにくるくる回りながら宙を舞うと、私の服に纏わりついていた銅の錆をざくざくと斬り剥がしていった。それから、私の手中に収まった。
「続きをやろうか」
もう時間がない。
場からは、ぽつりぽつりと気配が消えていっていた。残るは、バカみたいにデカい気配が四つ──私の異音と、向こうが所有している3つの“名剣”。そしてそれなりに大きな気配が40前後。もう傀儡剣士たちの半分が敗れてしまったらしい。
私は、たーん、と地面を強く蹴り、垂直方向に高く跳び上がった。
「わぁああぁっ!!」
そのとき、叫び声が上がった。スイ君のものだった。
「──!?」
何だ!? 彼女、とても険しい顔をしている。いや、この最終決戦の場に来てからずっとシリアスな顔はしていたが。しかし今の顔は段違い。もの凄く強い感情を放っている。
私の跳躍はアーチの頂上に達し、これから自由落下の時間に入る。三千代君のいる場所に着地する寸前、異音の力で僅かに浮遊し、タイミングをズラす。その時に生じるであろう相手の一瞬の戸惑いの隙に、攻撃するつもりだった。──しかし、まさかスイ君が突如として発狂したが如く叫ぶとは。
一体、彼女に何があったのか。
今の私に、それを考えている余裕はない。
私は落下に合わせて、異音を思い切り前に振った。
瞬間、三千代君の前に立ちはだかるスイ君。手に握られた銅剣・王敬から、恐ろしい速度で錆の盾が広がってゆく。僅かな月光の中、私はその巨大な盾の輪郭さえも正確には認識しきれなかった。
が、ぎゃりぎゃりがりがり。
異音が緑青の盾を引っ掻きながら、私は落下してゆく。私の身体と異音の刀身、王敬の刀身とスイ君の身体は今、接触状態にある。私の中にスイ君の思考が流れ込んできた。彼女としても決して私に聞こえさせたくないことだったろうが、テレパシーとはそういった意思でどうこうできるものではないので仕方ない。
そして私は知った。そうか。そうだったか。三千代君の腕を斬ったのは、今の私がしているような落下攻撃だったのか。それはさぞ、スイ君にとってトラウマであることだろう。
私は、閉ざされた城門のような巨大な緑青の盾に足をかけると、それを蹴って後ろに跳んだ。宙で一回転し、着地する。ビッ。払うように、異音を斜め下に振り切る。ぱらぱらと、付着していた銅の錆が地面に散った。
「スイ。私は大丈夫。ありがとう」
「みっちょん……」
「ドンキ。時間は?」
「うむ。現在、二十三時──」
あのおもちゃの剣、時計機能も内蔵されているのか。おもちゃの剣の告げた現在時刻を耳の中で反芻しながら、私はそんなことを思っていた。
このままなら、逃げ切れる。
そうも思った。
傀儡剣士はまだ30体ほど残っている。倒すペースが落ちてきたようだ。米噛先輩とあの少女だけじゃない、三千代君とスイ君も僅かに──しかし徐々に、動きが鈍くなってきている。
このまま残り少ない時間を耐えてやる。
私は異音に指示を出し、脚に流す電気量を増やした。といっても日本の標準時子午線上から離れることはできないので、そう遠くに逃げることはできない。三千代君とスイ君の攻撃を避けることに専念だ。
月はその身の九割以上を海に沈め、辺りはほとんど完璧なまでの暗黒に染まっていた。しかし遠くにはやはり、チラチラと灯りが光っている。街の灯り。
「私もいつか、たくさんの星を見てみたいな」
記憶の中の詩音ちゃんがそう言った。
東京からは星は見えない。本当は星なんて見えない。沢山のアニメや漫画は東京を舞台にしており、作品内ではやたら星が見えるが、それはフィクションに過ぎない。本当は東京に星なんて見えない。
「ここからはあんまり星なんて見えないけれど……お姉ちゃんの住む町では、たくさん見えるんだよね?」
「うん。よく見えるよ」
嘘だ。本当はほとんど見えない。もう少し山の方に行けば多少は見えるかもしれないけれど。少なくとも私は、この海に近い町に住んでいて、あの児童書に描かれるような満天の星空は見たことがない。
「いいなあ。いつか私も行ってみたい」
「歓迎するよ。近くに海もあるから、きっと退屈しない」
「ホント!? 楽しみ!」
「ふふ。……そうだ、知っているかい。水平線の近く──海のすぐ上に浮く星は、一層きらきらと輝くんだ。地球の大気によって、星の明るさや色が、絶えず変わって見えるのさ」
「へえ……!」
「これを、“星の瞬き”と言うんだ」
「へえ~!! 見てみたい、見てみたい!」
見せてやりたいよ。詩音ちゃん。それに、私も、見てみたい。私も、見たことがないのさ。“星の瞬き”なんて……ただの、図鑑で知っただけの言葉だから。
日が変わるまで、あと10分。
……
あと5分。
……
あと2分。
……傀儡剣士は順調に減らされていった。もう手足の指を合わせれば充分数えられる。それどころか、初めの方に倒された傀儡剣士は、そろそろ意識を取り戻す頃だろう。自分が剣を握って戦っていたことなんて忘れて、この世界の一般的な人間に戻る。
しかし、その前に全て終わりそうだ。
その刻は迫っていた。
あと1分。
三千代君の攻撃。私は身を左に倒してぎりぎりで避ける。
59。
返す刀で、三千代君の義手めがけて異音で突く。
ばきっ。プラスチックっぽい、木っぽい、何かが壊れる音。
三千代君の右手は今一度、破壊された。地面に人工的なパーツが散らばる。
58。57。56。55──
三千代君は構わず、私に向かってドンキを振るった。ドンキはこんな時でも何か喚いている。「暗黒竜」だとか「勇者」だとか「砂漠の剣士」だとか「魔界の宝玉」だとか、なんとも中二病っぽい言葉を、ただひたすら喚き散らしている。やっぱりこのおもちゃだけは場違いなように見えた。義手の次は、こいつを破壊してやろうか──
──30。
29。
私たちは刃を向け合った。それは白く輝く銀だったり、ビニール風船だったり、錆を纏った銅だったり、様々な刃だった。でも互いに、目の前の敵を打ちのめすために振るわれた刃だった。
私の鼻の頭を、風圧が押した。三千代君の振るうおもちゃの剣は、すぐそこに迫ってきていた。私も負けじと、剣を振るう。
私たちは、ただ剣を振るい続ける。何もない虚ろな宙を切り裂くように、ただ剣を。
28。
27。26。25。24。23。22。21。20。19。18。17。16。15。14。13。12。11。10。9。8。7。6。5。4。
3。
2。
1──
私は飛んだ。三千代君とスイ君から逃げるように、後ろに飛び退った。それと同時に、異音の電気の力で浮遊する。読んで字のごとく、私は宙を飛んでいるのだ。
──0。
目には見えないワイヤーから引っ張られるみたいに、私は三千代君たちの方を見ながら、背を向けずに、遥か高くへと昇っていった。
戦いの中、一つ気を付けていたことがある。それは背を向けないこと。私は腰をぐるりと廻るホルダーの中に2つの林檎をセットしていた。「2つの林檎」は「双想の実」とほとんど合同でかつ同質量。別世界の転送術が発動した際に、両者が入れ替わるようになっていた。そのことを、三千代君たちに悟られぬよう、私は背を向けずに戦っていた。
私の腰のあたりが、光り輝いていた。
──この世界から2つの林檎が消え、代わりに別世界から「双想の実」がやってこようとしていた。
「腰だ! 腰を狙って!」
と三千代君が叫んだ。
一層、私の腰は輝きを放つ。きっと入れ替わっただろう。私は、腰のホルダーに──“双想の実”に、手を伸ばす……。
そのとき、今度は光が一閃を描いてこちらに伸びてきた。まさかこれも別世界からの贈りもの、なわけではないだろう。
「──!」
地上を見ると、一閃の光はあのアルビノの少女から放たれたものだと分かった。──剣を伸ばしたのか!
黄金の剣は、私の腰に巻き付いていたホルダーを破壊し、“双想の実”をそこから零れさせた。
見事だ。
あの一瞬で、私の身体は一切傷つけずに、ホルダーだけを狙って破壊したのだから。
しかし、そんなことで“双想の実”争奪戦を終わりにするつもりなど、あるわけない。
私は空中でくるりと振り返り、今日初めて、三千代君たちに背を見せた。
今にも落下の最中である、双想の実。
それは、深い赤を秘めた夕の太陽のような実と、かわいらしく淡い黄に輝く夜明けの太陽のような実。──2つの実。
「(どっち?)」
私は冷静に、異音に尋ねた。
「赤い方だ。」
冷静に、異音は答えた。
私は異音を伸ばし、赤い実を突き刺した。零細な銀の刃は赤い実を貫き、そのままの勢いで黄色い実へと伸びる。私に必要なのは赤い実だ。異音の言っていた「力」を持つのは、赤い方の実なのだから。しかしまさか、だからといって黄色い実を地上の剣士たちに渡すわけにはいくまい。私は黄色い実も異音の刃で取ろうとした──。
しかし。
しゅるり。黄金の剣が蛇のようにしなり、黄色い方の実を絡めとった。そして瞬時に縮んで地上の主人のもとに戻っていった。凄まじいコントロールだ。
銅の剣・王敬、黒い鉄っぽいの剣、そして今の黄金の剣。三千代君の連れてきた三本の“名剣”のうち、私は一見してこの黄金の剣が最も扱いづらそうだと感じたのだが……あのアルビノの少女がここまで上手く扱えるとは。
少し驚いた。
でも、仕方ない。目的の方は得れたのだから。だからつまり、“双想の実”の片割れ、私の望んでいた方──“理想の実”を。
私は、異音に突き刺さっている赤い実を、左の手でそっと抜き取った。刃の通っていた穴から、ざぷっ、と僅かに果汁が漏れた。
「あ……」
大きく口を開き、果実を近づける。
そのとき。
たん、たん、たん、たん、と闇の中に音が響くのが聞こえた。──何の音だ? 私は手を止めることなく、闇に目を凝らした。
「百合烏賊!」
それは、三千代君だった。階段のような何かを駆け上って、ここまでやって来たらしい。なるほどスイ君と王敬の仕業だろう。王敬の力──緑青の生成には、この戦いで大きく手を焼いた。だから分かる。あの力ならば、短い時間でこの高さまで届く階段を作り出せるのだろう。三千代君は、それを何の躊躇いもなく踏みしめ、ここまで登ってきたというわけだ。
「三千代君──」
ぎらりと青い光が、三千代君の手から走った。あのドンキというおもちゃの剣を振ったのかと思ったが、どうやらそうではない。あろうことか三千代君は、右手のドンキを口に咥えたのだ。そして両手を広げ、階段の最上から、私の方へと飛び出してきた。
彼女の、右手と、義手の左手の、両手。私に伸ばされた二つの手。
私の前歯が、赤い果実に触れていた。
「やめるんだ!」
三千代君が叫んだ。口にモノを咥えながら、随分器用に叫べるものだ。
「やめないよ──」
私は、にやりと笑う。
様々な記憶がリフレインしていた。最も鮮明なのは、なぜか詩音ちゃんとの記憶ではなく、病室で片腕の三千代君と話したときの記憶だった。──思えば。あそこで三千代君に“双想の実”と私の願いについて話してしまったのは、決して、「詩音ちゃんに良くしてくれたことへの礼を伝えたかった」からだけではないのだろう。きっと優しい三千代君なら、私の暴走を止めてくれると思ったからだ。私は今になってそのことを自覚した。
しかし全てはもう遅い。
三千代君の鋭く、しかしあたたかい、瞳が……すぐそこまで迫っている。彼女の両手は今にも私を抱擁でもするつもりで伸ばされている。
でも私はやめない。
「ふふ──」
やめないよ──
「──怪獣にならなくちゃ。等身大じゃ、殺されちゃう……」
歯が赤い果実に食い込んだ。
強い甘みが口腔へと流れ込む。
脳が拓く感覚がした。
私は願う。
私が願うと、私は黒い繭に包まれた。硬い繭だ。この中で私は変身するつもりだった。全世界の停電を願って叶ったとしても、三千代君たちに邪魔される可能性がある。だから私は、まず三千代君たちを無力化できる力を得る必要があった。そのための変身が、私が最初に願ったことだった。
ばん! 繭が外から叩かれた音がした。三千代君だろう。私は繭の中で、三千代君があの両手で私に何をするつもりだったのか、しばらく考えた。




