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銅の剣 上

 ここからはるか遠く離れたところに、別の世界がある。こことは別の世界なのだから――「別世界」と呼ぶことにしよう。

 はるか遠く離れた、といっても、それは「何メートル離れた」とか、「何光年離れた」とか、「何年離れた」とか、「何世紀離れた」とか、そういうものではない。そういう「距離」の観点からいうと、この世界とその別世界は意外に近い距離にあるのだ。

 つまり。はるか遠く離れた、というのは、空間的距離や時間的距離とはまた別の単位の「距離」で見てはるか遠く離れているということである。空間的距離とも時間的距離とも異なる、この世界の人間にはまだ知らない単位を持つ、「距離」というものがあるのだ。


 はるか遠く離れているということは。2つの世界では、当然、「常識」も大きく異なってくるということだ。日本とアメリカで常識が異なるように。地球と火星で常識が異なるように。「この世界」とその「別世界」では常識が異なる。距離の分だけ、はるかに、異なる。

 といってもどちらも同じように人間が住んでおり、人間の容姿も両世界で似通っている。文明レベルも極めて近い。

 ああ、そうだ、「別世界」でも、走るときには馬ではなく車に乗る。夜に読書がしたくなったら、蠟燭を灯すのではなくマシーンに「明かりをつけて」と言うと部屋全体をパッと明るくしてくれる。

 感情も同じくらい複雑だし、情緒も欲も似たように発達している。


ゆえに、戦争もする。


ただ、戦争で銃を使わない。


戦車も戦闘機も爆弾も使わない。


使う意味がないからだ。


 「別世界」では銃で人が死なない。だから銃は、鳥や動物を狩ることくらいにしか使われていない。弾丸程度、人体のどこに撃ち込まれても、ぐに、と身体の表皮を一瞬凹ませてからぽろりと落ちるだけである。仮に弾が血肉や内臓に到達しても、貫通しても、それが脳や心臓のあるところだったとしても、死ぬことはない。すぐに再生する。羽虫がちょっと体に止まったこととなんら大差ないように肉体は振る舞う。


つまり「別世界」の人間は、()()()()()で死なない。


 「別世界」とは、文明レベルの爆発的飛躍があった時期に、同時に、人間の肉体も爆発的に進化してしまった世界のことなのだ。

 階段から転げ落ちても死なない、ビルから飛び降りても死なない、車に轢かれても死なない。事故では死なないし、自殺でも死なない。

 癌にもならないし、血管や神経がひとりでに暴走することもないし、寿命より先に心臓が止まることもない。病気にかからない。ゆえに病死というものがない。


 「別世界」では。人間という種から、死因のバリエーションは極限まで減らされていたのだ。

 病死と事故死と自殺と殺傷事件というものがなくなり、残された「死に方」は2つだけとなる。

 一つは老衰だ。ただこれも「この世界」の人間と比べてとても永いもので、まるで星のような寿命を持っている。

 そしてもう一つ、


「もったいぶるなあ」

 少女はあくびした。これまでの話は全て、少女の眼前のものが話している内容だった。

 少女の眼前のそいつは、「ええい静かにせい」と言って、「こほん」と咳する真似をした。改めまして、といったカンジに、いよいよ言った。「別世界」で人はどう死ぬか。一つは老衰。もう一つは、


「――それが、剣なのだ。」

 剣はそう言った。

「ふーん。壮大な話だねえー」

 少女の頷きを感知して、少女の眼前、ベッドの上の通学鞄に立てかけられている剣は続きを話す。


 身体的損傷によって死なないのに、剣で人が死ぬとはどういうことか。

 歴史を見ても理解できないだろうが、少なくとも納得するためには歴史を見る必要がある。


 「別世界」の人間がいかに死にづらくしぶといか。これまでさんざん説明をしたが、元々そうだったわけではない。

 ()()以前は、「この世界」の人間同様に脆かった。

 階段で転んだだけで死に、寺の3階から飛び降りただけで死に、牛車にぶつかっただけで死んだ。些細な事故で死んだし、自殺も、やろうと思えば蟻を踏みつぶすよりも簡単にできた。

 些細なことで病気になったし、些細な病気で死んだし、老衰もずっとずっと早く来るものだった。

 そして戦争でも、銃が発明されるよりも以前は「この世界」でもそうだったように、「別世界」でも剣が使われていた。

 昔から大きな戦争が断続的に起きたため、剣で死ぬ人間の数というのは、当時の事故死や病死の数に並んだ。剣で殺し殺されてきた人間はめったらに多い。そのため、自国の兵を育てるため、敵国の兵に殺されぬため、どの国でも──女・子供・老人含む全ての民に剣の練習をさせた。

 一般民衆のする剣の練習では、けがをしないように、イネ科植物を編んで作られた模擬刀が使われる。この模擬刀で先に相手の顔面、喉、腹、手を叩いた方が勝ちである。全ての国の全ての人間がこれをやっていた。「別世界」で最も行われた“勝負事”である。かけっこよりも、じゃんけんよりも、早食いよりも、いかなる場面でも、模擬刀による決闘が勝負に使われた。永き歴史の中で無数の勝者と無数の敗者が生まれた。いくつかの歴史的一戦があったし、その裏には無数の無名の勝負がある。

 一般民衆だけでなく──というより本来の通り──戦争の中、兵士たちも剣で勝敗を決めた。勝敗とはつまり生死。永き歴史の中で無数の生かされた者と無数の死なされた者が生まれた。

 そういうわけで、「剣で負ける」とはつまり「剣で死ぬ」ことなのだと、その世界の人間たちの()()が解釈した。

 そうやってそうこう過ごしているうちに、肉体の爆発的進化の(とき)がやって来た。黎明期の生物が水中から陸で生きれる体に進化したように、人間たちは脆い肉体からハチャメチャ頑丈で長寿で超再生能力持ちの肉体へと進化した。唐突に。これは最初に述べた通り。

 だが、進化したのは肉体だ。肉体は全ての弱点を克服し極端に死ににくくなったが、ひとつ、永い歴史の中でこびりついた誤った解釈があった。「剣に負けるとはつまり剣で死ぬ」ということだ。言い換えると、


「剣で負けたのなら死ぬべき」ということだ。


 そういうわけで、馬鹿馬鹿しいかもしれないが、剣で負けると肉体が勝手に「今剣で負けたということは今死ぬべきなのだな」と解釈して勝手に死ぬ。

 「別世界」の人間は、自分で自分の腹を切り刻んでも死なないのに、相手から剣で腹を突かれたときには死ぬのだった。なぜならそう、剣で負けたのなら死ぬべきだと、肉体が認識しているからだ。


 ゆえに、戦争では剣が使われ続けた。剣しか使われなかった。

 かつて神の怒りに触れて崩された塔よりも遥かに高いビルを建てるようになり、車や船や飛行機で移動するようになり、どこでもインターネットが使えるようになっても、戦争では剣だけが使われた。くどいようだが、剣にしか人間は殺せないからだ。


「野蛮な世界だねえ~」

「黙れい!」剣は(いきどお)って、自身の前であぐらをかいている少女の名前を、呼び捨てで乱暴に呼んだ。「スイよ!」

 少女はそのあほらしく野蛮な世界の話を流しながらも、「しかし最後まで剣がしゃべる理由は説明されなかったな……」なんてことをぼんやり思っていた。まあなんでもありなんだろう、その「別世界」というところでは。



────



 長い黒髪。透き通るような白い肌は、インドアのたまものである。

 少女は、スイといった。漢字ではなく、カタカナのスイである。

 スイは市立翔仰(しょうぎょう)第一中学校に通う科学部所属の三年生だ。パソコン部も兼部している。生活圏は、家と学校とその往復道でほぼ完結している。たまに海辺のゴミ拾いもするが、それくらいだ。

 今日がその日だった。海辺のゴミ拾いをする日。この地域では、子どもが海辺の掃除をするとお小遣いにボーナスを出す家庭が多く、スイの家も例外ではなかった。熱中症に充分気を付けながら、トング片手に30分ほど砂浜を歩いた。そこで、剣を拾ったのだ。赤く輝く、銅の剣を。

 ぴかぴかの10円玉硬貨のように眩い赤色をした、銅の剣。鯨の死骸のように、ぐったり横たわっている。刃から(つか)まで、つま先から頭まで全て銅で出来ていて、赤いからだには錆ひとつない。刃渡りは丁度、スイの一の腕──手から肘までくらいといったところか。折り畳まれている状態の折り畳み傘くらい、と言った方がイメージしやすいかもしれない。(つか)も短く、(つば)も薄いので、RPGゲームで見るような“武器”といったカンジがしない。どちらかというとそう、歴史の教科書で見たような、縄文・弥生時代の単元で見たような、“祭事”用の銅剣みたいだ。

 その日は珍しく曇りだったので、銅は太陽に()かれている様子もなく、素手でも触れそうだった。なのでスイは素手で触ってしまった。予想通り、そこまで熱くない。すると途端に、脳内に思考が流れ込んできた。他者の思考だ。語尾に「のだ」が付いており、子供の王さまのような口調の思考だった。それは、どうやら、信じがたいが、剣の思考らしかった。

 触れた瞬間にスイと剣の意思が疎通したようだった。剣は、

「そなたが、(チン)の新しい従者であるか?」

と言った。スイは、

「ううん? 違うけど」

と返す。

 それから。「喋る銅の剣」なんてものは珍しいので。家に持って帰ってしまった。


 すると出るわ出るわ、誰も尋ねていないのに、剣はべらべら自身の出生を語り出した。剣は別世界からやって来たらしく、その「別世界」とやらについて詳しく話してくれた。

 本気にしているわけではないが、そもそも銅剣が近所の砂浜に落ちており、しかもテレパシーを使ってくる時点でおかしい。自分は既になにかおかしなことに巻き込まれたと考えざるをえない。そうなると、剣の話に耳を傾けないわけにはいかなかった。

 スイは、帰宅してから数時間かけて銅剣に聞かされた話を、まとめてみた。


・「この世界」からずっと離れたところに「別世界」がある。

・「別世界」にも「この世界」と似たように人間がいる。

・「別世界」の人間は頑丈でたいていのことで死なない。

・ただし剣の勝負で負けたら死ぬ。

・そして銅剣は、そんな「別世界」からやって来た。


「フーム」

 スイはいちど、親指と人差し指で作ったチェックマークみたいな手で、顎をさすった。

「ウーン?」

 少し考える素振りを見せる。それから、

「その“別世界”の話がホントだとしてさー、キミが“別世界”から来たってのもホントだとしてさー……その動機というか理由は?なんで“この世界”にやって来たの~?」

 銅の剣はしばし黙る。スイは剣を見つめるが、返事はかえってこない。

「おーい?」

 猫の背をして身を乗り出す。あぐらを解いて、脚をハの字に後ろへ畳む。

「あ、そうだったそうだった」

 スイは思い出す。銅剣の声を聞くには、どうも体の一部を銅剣に触れさせていないといけないのだった。

 人差し指を銅剣の(つか)にぴっとりとくっつけた。銅剣は刃から柄にいたるまで全身が銅で出来ている。途端に、銅剣の声が聞こえる。

「“キミ”ではない。(ちん)には、王敬(おうけい)という気高き名がある。」

 銅剣はスイの質問内容よりも、自身を「キミ」呼ばわりされたことを気にしているようだった。スイは、聞き取れた通り、剣の名とやらをリピートしてみる。

王敬(オーケー)?」

 スイは「オーケー オーケー」と鳥のように何度か鳴いた。呼ばれた当の剣はご満悦そうに、

「うむ。帝王の(オウ)に、敬意の(ケイ)で、王敬(おうけい)である。」

と言った。言ったというか、テレパシーでスイに思考を流し込んだ。

「剣に名前なんてあるんだナー」

「以降、王敬様と呼べ。スイよ。」

「ええ? ヤだよ~」

「なっ!?」

 随分プライドの高い剣だ。まるで自分のことを王さまか何かだと思っている。スイは、でこぴんで銅剣──王敬(おうけい)(つば)の部分をはじいた。ちん。短く金属音が響く。


「オーケーはなんで、その別世界とやらから、こっちの世界に来たの?」

「端的に言うと、強すぎたからである。」

 王敬(おうけい)は間髪入れずに答えた。


 スイは、人差し指を王敬の鍔にくっつけたまま、尋ねる。

「強すぎた……から?」

「いかにも。(ちん)がいた世界では戦争に剣が使われていた、と話したな? 全ての戦士が剣を使うのだから、それはもう、沢山の剣が(つく)られたのだ。それこそ、人間の数だけ剣が創られた。」

 スイは、パン工場でベルトコンベヤーの上を流れるパンみたいに大量生産される剣たちの姿を思い浮かべる。

「わ~、たくさんの、ね~」

「うむ。沢山の人間と、その人間たちによって創られた沢山の剣。どちらもこれだけ数がいてこれだけ長い歴史があれば、中には偶然、ひときわ強いものがポコンと出てくるものだ。特別強い戦士。そして――特別強い剣。」

「つまり、天才や、傑作が、ってカンジ?」

「そうだ。(ちん)の使い手は代々天才であり、朕もまた――傑作であった。」

 王敬の声に強弱や抑揚なんてものを、スイはほとんど感じ取れない。それでも今の台詞は、どこか哀愁があったようにスイは解釈した。しかし次には一転して、王敬は語気を強めた。

「だが! 朕は傑作の域に留まらぬ、傑作の中の傑作――強すぎたのだ。“この世界”でいうところの核兵器のような、その存在ひとつで戦況を支配できるほどに特別に強い存在だった。」

 核兵器。いきなり登場した強い言葉にスイはぎょっとして、身を後ろに引く。

「ええ? キミ──じゃなくって──オーケーが? 核兵器?」

 スイは、空いている方の手で、こつんこつん、と王敬の刃の部分をノックしてみる。

「核兵器というのはものの喩えだ。なにも、朕が本当に爆発して周囲一帯を焼野原にするわけではない。剣同士による決闘でしか戦いが成立しないあちらの世界では、名剣として猛威を振るった。というだけのことよ。――おい。そのコツコツと小突くのをやめんか。」

「ああっ。ごめんごめん」

 ぱっ。手を刃から離す。

「ともかく、朕は戦争において影響力が強すぎたのだ。そうした“強すぎる剣”が、朕を含め数本のみ存在した。」

「無数にたっくさん存在する剣の中で、たった数本?」

「そうだ。朕を含む数本の“強すぎる剣”。それらには強さを讃えるための名が与えられた。――それが、“名剣”。名剣は、そうでない剣に対して一方的に勝利を収めることができる。数千人もの兵士に対し、名剣を振るう一人の戦士が勝ってしまう。」

「そんなに強いんだ」

「そんなに強いのだ。ゆえに名剣使いには名剣使いをぶつけるしかないかと思われた。」王敬はその身に光を反射させ鈍く輝く。「しかし、勝負である以上、いくら互角の戦いを演じてもいずれは一方が勝ち一方が負ける。勝てればいいが、負ければ敵国に自国の名剣が渡ってしまう。すると――」

「国の間のパワーバランスが……大きく、崩れる?」

「そうだ。そして、そんなことはどの国も(いや)がった。ゆえに、全ての国が条約を交わし、全ての強き剣を一斉に、他の世界へ送ることにした。」

「(“核兵器”たちをいっせいのーせでポイってわけか)」

「そうだ。」

 銅の剣はスイの心を読んで答えた。銅の剣には人の心が読めた。スイは考え込んでいて、そのことに気が付かない。


 スイは、同じ姿勢のままで疲れてきたので、座り直す。ベッドの上のまま。再びあぐらになる。隣に横たわらせた銅剣の、(つか)の上に手を置く。

「オーケーがすんごい剣なのは分かったケド。そんなすんごい剣がこっちに来て、これからどうするのー?」

 スイは言ってみて、少し王敬のことを可哀そうに思った。同情さえする。人間が勝手に作っておきながら、強すぎるというだけで、これまた勝手に人間が世界から追い出した武器。赤き銅の剣・王敬。

「そうだな――朕はまだまだ強くなりたい。スイ。そなたがこの世界で朕を振るえ。」

「う~ん。それはちょっとヤかも~」


 こうして、ただの女子中学生・スイは、別世界で最強の一角だった銅の剣・王敬(おうけい)に出会った。




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