黄金の剣 6
「先ほど、そなたは朕に尋ねたよな?」王敬は言った。「完全に姿を隠せる剣について、朕のいた世界の著名な剣で、心あたりはないか……と。」
「うん、言った……」
スイは胸の前に王敬を構えた。スイの意思がそうさせるのではない。スイに剣の才能はないし、経験も最近までなかった。スイに剣を振るわせるもの、それは剣自身だ。
王敬がスイの身体を操作している。
と言っても、意思が奪われているわけではない。崩れ落ちゆくエスカレーターに駆けていったのは、スイの意思だったのだから。今やスイと王敬は、れっきとした剣士と剣の関係にあった。
剣は──王敬は、続ける。
「あったぞ。心あたり。」
「あれのこと?」
目線の先には、髪から恐らくつま先まで、真っ白な少女が立っている。黄金の剣を構えて、立っている。
「そうだのう。」王敬は言った。「黄金の剣・螺落宝刀。――朕と同じ、“名剣”である。」
スイはあの刹那のことを思い出す。少年。少年を胸に押し込んで丸まった三千代。三千代の背中。落下するエスカレーターの塊。青銅の剣を握った己の腕。青錆の蔓。しかし、細い蔓が束になろうと、あの巨塊の落下を食い留めることができるかは、怪しかった。その時だ。黄金の光を放つ、眩い一閃が、巨塊に向かって走った。エスカレーターの塊は豆腐のようにスパスパと切り裂かれ、ついには無数の礫となった。
「(あれが、黄金の剣の力……?)」
おかげで三千代を助けることができた。
「朕も、目にするのは初めてだった。元世界では唯一の、面識ある“名剣”だったがの。」
「みっちょん」
スイは、自身の身体から伸びる一本の蔓の先から、おもちゃの剣を取り外す。三千代が少年のもとへ駆け出した際、フードコートの席に置き去りにしたものだった。ぽい、と投げる。
それを三千代は難なくキャッチした。
「ああ、ドンキのこと忘れてたや」
「ふん。おい。忘れるなよ。――が、今回ばかりは見逃そう。そなたは幼き童の命のために奔走したのだから。あっぱれなり。」
「はいはい、ありがと」
そう言って三千代はおもちゃの剣──ドンキを、構えた。
「みっちょん、エスカレーターを小さく切ってくれたのは、鈴鉢ちゃんだったよ」
スイが言った。
「そうだったんだ」
三千代は鈴鉢の方を向く。確かに、彼女の白い手には、剣が握られていた。
「鈴鉢ちゃんも、ありがとう。おかげで助かったよ」
「や、三千代さんが助かってよかったです。それにあの子も……」
少年のことを言っているのだろう。
三人は身を寄せた。
見つめるのは一点。
イベントスペースの中心に立つ、傀儡剣士。
ソイツはこちらを向いていた。スイと鈴鉢がそれぞれ剣を使用してしまったためだろう。傀儡剣士は、剣士にしか襲い掛からない。つまり、剣士には襲い掛かる。そして、こちらが剣士だということがバレてしまっている。
もう戦うしかないだろう。
「もう戦うしかない。スイ」
「うん、了解」
スイの了解を受け、三千代は続ける。
「それに、鈴鉢ちゃんも……あいつがどういった存在なのか、知ってるんだよね?」
「はい。私らと同じ、別世界の剣を拾った人ですよね。やけど、私らと違って、なんかに操られとる……」
今言ったことに加えて、鈴鉢は傀儡剣士が剣士のみを襲うことも知っている様子だった。もはややることは一つだろう。
「あいつを倒そう。協力してくれる?」
「はい! 」
鈴鉢の元気な返事を皮切りに、少女たちは弾丸となって飛び出した──ということはなく。静止が続いていた。
傀儡剣士に動く様子が見られない。そのため、三千代たちもまた動けないでいたのだ。
いつもなら、スイと王敬による緑青の先制攻撃で決着する。緑青は意思のないもの相手なら、一瞬で浸食することができる。傀儡剣士相手にはとても相性がよかった。緑青に絡めとられて動きの止まった傀儡剣士を、三千代がドンキで小突く。いつも通りなら、これで勝てる。
しかし今回は少しイレギュラーだった。
まず、隣に鈴鉢がいること。これは問題ではない。むしろ心強い味方だ。
問題は、もう一つのイレギュラー。傀儡剣士の方だ。王敬によると、「二本の剣が重なった状態」で現れた。
それはどういうことか。
今、正体を視認できる距離に立っている。
「分かった……」
二本の剣が重なった傀儡剣士。その正体は──
「剣が、剣を操っていたんだ」
視力の良い三千代が真っ先に気づいた。次いで、スイと鈴鉢がまじまじとソイツを見つめる。
「え? え? どういうことやろ……」
「みっちょん、どうする?」
三人の視線の先にあるのは、マネキンだった。紳士服売り場に飾られていたであろう、おしゃれな服で着飾られたマネキンだ。左の手に剣を握っている。そして。剣はもう一本。マネキンの頭頂部に、垂直に、突き刺さっていた。
剣が、剣を操っている。その発想に至れたのは、かつての王敬の発言だ。
「剣と人間は形状が似ている」
鐘楼での戦いに敗れた次の日、王敬がスイに言ったことだ。後日、三千代はスイに教えてもらった。
なぜ人間と剣がテレパシーを通して会話できるのか。それは人間と剣の“形状”が似ているからだ。肉体の形状、そして魂の形状。「剣を振るう」とは、似た2つの魂が共鳴しているということなのだ。
そのことを知っていたからこそ、思い至った。
人間だけではなく、剣もまた、剣を振るうことができるのではないか。
そして、今、目前に立つ傀儡こそ。
剣を振るう剣に他ならない。
「(どうする、か。)」三千代はごくりと唾を飲む。「(どうしよう……)」
一人で考えていても仕方ない。三千代は、手を伸ばし、スイと鈴鉢の背中に触れた。
「(会話はテレパシーに切り替えよう)」
鈴鉢の華奢な身体がぴくりと反応する。
「(あ、ゴメン。驚かせた?)」
「(い、いや……大丈夫です。剣持ってたら、他の人ともテレパシー使えるん……ホンマやったんや、って……)」
「(剣を介して人とこうするのは、初めてだったの?)」
「(は、はい。剣のこと、誰にも喋らんかったから……)」
それだけで、鈴鉢が今までどうしてきたのかを窺うことができた。三千代とスイとは違い、鈴鉢は周囲の人物に別世界の剣のことを打ち明ける機会がなかったのだろう。一方で、何かに操られている剣士──三千代たちが「傀儡剣士」と呼ぶもの──のことは知っていた。
「(よく、一人でここまで……)」
三千代は見上げる思いがした。
「(そんな、私は大丈夫でしたよ。近くに話せる人はおらんかったけど、他でもない剣が──ららぽが、ずっと傍におりましたから)」
「(ららぽ。それが、鈴鉢ちゃんの剣の名前?)」
スイが尋ねた。
「(はい。──すご、テレパシーって、なんやろ、テンポがめっちゃ速い)」
テレパシーは肉声で交わされる会話よりも速い。接続されたコードの中をカラフルな電気信号が行き交うイメージだ。鈴鉢はまだ、慣れていないようだった。
「(正式名称は、螺落宝刀? 日本刀みたいな見た目だねー)」
スイが、鈴鉢の目を見つめながら心で唱える。
「(知ってんのや……)」なぜ知っているのだろう。それも気になったが、「(あ、てか、ここで突っ立っとって大丈夫なんですか?)」
イベントスペ―ス中央で佇むマネキン剣士は、こちらを見つめている。目など付いていないが、マネキンの顔がここから正面で見える。マネキン剣士はこちらを見つめている、と考えるべきだろう。
三千代は答える。
「(油断はできないけど、向こうもすぐに動くつもりはないと思う。うかつに手は出せないよ。だって──こっちに“名剣”が2本もいるんだから)」
「朕も、三千代殿に同意だ。」王敬が応える。「名剣が二振り、協力関係にあるのだ。世界だって落とせようぞ。そなたもそう思うであろう――螺落宝刀よ。」
鈴鉢は「スイさんの剣、なんかテレパシーの感じがシブいなあ」なんて思いながら、自分の剣に語りかける。
「(このオーケーって剣と知り合いなの? ららぽ)」
「どうかしら。」
黄金の剣が言った。その声──テレパシーは、落ち着いた高貴な娘をイメージさせた。
「お久しぶりでございます。王敬様。顔を合わせるのは、これで三回目かしら。私、貴方の知り合いを名乗ってもよろしくて?」
「ふん、好きにせい。」
王敬は「小娘が。」とでも悪態をつきそうな雰囲気で言い放った。
「やだ怖いお方。でもこの世界では――仲良くしましょうね?」
黄金の剣はゆらゆら揺れている。三千代は、鈴鉢の小さな背中越しに、改めてその刀身を見た。日本刀みたくスラリと伸びる、金色の剣。眩い金色の金属。というか、金そのものだろう。きっと純金なのだろう。テレパシーの口調も、「金」のイメージっ通り、高貴だ。
「それと、スイさん? 三千代さん? どうぞよろしくお願いしますわ。私は、“黄金の剣” 螺落宝刀。ららぽ、とでも呼んでいただけると嬉しいですわ。」
「(よろしくー)」
「(よろしくね)」
「(麗しき金色のお嬢さん。小生のことを忘れております。)」
最後の発言は当然、ドンキのものだった。
「あら、貴方は。――不思議。人間でもない、剣でもない。なのにどうして、テレパシーに入ってこられるの? 貴方はだあれ?」
「(小生、名を慟哭風纏と申す。それと小生の主人は三千代──そう、ミンチョと呼んでいただきとうござる。)」
「まあ、ユニークな剣ね。」
聖杯のふちをなぞるような気高いテレパシーで、螺落宝刀は答えた。それに対してつっかかってきたのは王敬だ。
「無礼者。慟哭風纏殿は、朕に勝利した強きお方。それに、立派な名をお聞きになられたであろう。名を有しているのだ。こちらの世界の“名剣”であるぞ。」
「まあ! あの王敬様に勝利してしまうだなんて! それじゃ、王敬様、今はこの方に服従しているおかたちになるのかしら。」
王敬は答えない。
螺落宝刀は「ウフフ」と一笑した後、
「失礼いたしましたわ、慟哭風纏様。」
「かはは。構わぬ、構わぬ。小生は流浪の侍。名を馳せるだとかそういったことに興味は持たぬでな。ま――自然に馳せてしまう分には致し方あるまいが、どうもそうなってしまいそうだな?」
「(あんまりコイツを調子に乗せないでやってくれ……)」
三千代はため息を吐きつつも、マネキン剣士から目は離さなかった。
沢山のテレパシーが飛び交わされた。が、時間にして二分に収まるほどの、短い間のことだった。その間、マネキンは一度だけ動きを見せていた。剣を、振り上げたのだ。
左の腕の先に握られた短い剣が、上を向いている。マネキンは剣を振り上げた。そして、それを最後に、ぴたりと動かなくなった。
「(あれは、何かの構えのつもりか……?)」
三千代は独白のつもりだったが、テレパシーが通っている状態であるため、スイや鈴鉢、そして彼女たちの手中の剣たちにも聞こえている。
「(私は武術とか詳しくないからわかんないけど。でも、なーんか不気味なポーズだよねー)」
「(はい……。なんなんやろう。動かんってことは、飛び込んできたところに対するカウンターを狙ってんのかな?)」
スイ、それに鈴鉢が、剣を握る手に力を込める。時間の経過に比例して、警戒が高まる。
「(あの。)」鈴鉢が二人に問う。「(いつもは、どうやって倒してるんですか? 傀儡剣士っていうのを)」
鈴鉢は三千代とスイからのテレパシーによって「身体を持たない寄生虫」、そして「傀儡剣士」というワードを覚えた。
「私たちは、出会っても戦わずに逃げていましたからね。」
螺落宝刀が言ったことに、三千代は少しひっかかる。
逃げる──。鈴鉢と螺落は、傀儡剣士と出会っても逃げてきた。螺落は“名剣”だ。戦っても負けはしないはずだ。なのに、これまでずっと逃げてきた。
いやそれを咎めるつもりはない。いきなりこのような非日常に巻き込まれ、戦いに身を投じろというのは、強要できることではない。むしろ、今回は逃げずにここに残ってくれたことを、讃えるべきだろう。
そうして三千代は、そのひっかかりを無視することにした。螺落からの質問に答えよう。
「(うん……私たちはこれまで、傀儡剣士相手の勝負は正直、ほとんど苦戦せずに勝ってきた。オーケーがとても相性いいんだ──)」
王敬の力である、緑青生成。瞬時にして刀身を青い錆で纏う。主人を守る鎧を展開したりもできる。そして、蔓のようにして対象を絡めとることもできる。このとき、対象が無生物であったり、また生物でも意思を失っている状態ならば、緑青の蔓はすぐさま浸食させることができる。
「(浸食?)」
三千代の説明に、鈴鉢が疑問符を浮かべる。
「(そう。相手のコントロールを支配できる。傀儡剣士は一時的に人間の意思が失われている状態だから、浸食は容易いらしくてね。だから、オーケーなら一瞬で支配できる)」
「でしたら、今回も楽勝ではなくて?」
螺落のテレパシーが一段、明るくなる。
「(かもしれないね。でも、少し怖いんだ。2つの剣を持ったマネキンと戦うなんて、初めてだし)」
「三千代さん。」螺落は、答える。「でしたら、私たちが戦います。ね? アレ相手になら、良いでしょう?」
自身の主人である鈴鉢に尋ねているようだ。
しかし、鈴鉢は答えなかった。それどころか、両の手がかたかたと小さく震え出していた。
三千代は心配し、声をかけようとしたが──
「二人とも!」
スイの声によって中断された。いや、スイが声を上げずとも、会話は中止となっていただろう。マネキンが動き出したからだ。
三千代は、スイと鈴鉢の背中から手をはなし、尻ポケットに突っ込んでいたドンキを抜き出す。
マネキンは人間と遜色ない、器用で繊細で滑らかな動きを見せていた。といっても、行動内容は人間の一般道徳・倫理とかけ離れた、非人間的、サイコチックなものだった。マネキンは、左に握っていた剣を何のためらいもなく頭頂に突き刺した。これで剣の柄が二本並んで頭から生えて、まるでウサギの耳のようになった。
「どういうつもりだ……」
「二つ並びし妖刀の柄。さながら鬼よ。」
ドンキが言った。鬼っていうか私にはウサギに見えたけど、とは返さない。三千代はマネキンの行動を見守る。
マネキンは、元々刺してあった方の剣を引き抜いた。一本角に逆戻りだ。つまり、選手交代だったのだろう。マネキンの手には、短剣と入れ替わって随分と長い剣が握られた。
「来ます!」
鈴鉢が叫んだ。
マネキンが、こちらに来ていた。
マネキンは、右手に握られた長い長い剣を横に薙いだ。水平線を描いて、刃に触れた物がスルリと切れる。
切られたのは支柱だった。スイの右斜め前に立っていた支柱が、いともたやすく切断された。
なぜ一度支柱を切ってみたのか、瞬時には分からなかったが、とにかく二撃目の攻撃は三千代たちに到達するだろう。三千代とスイは右に、鈴鉢は左に散ろうとした。
しかしその時だ。
「きゃあぁぁぁぁあああ!」
耳をつんざく悲鳴が上がった。
「うっ──!?」
ものすごい不快感だった。耳をふさいでしまいたい。脳漿に到達するほど耳の奥まで指を突っ込んで、この音を防ぎたい。そう思った。しかし、今両手を使えば剣が握れない、剣を捌けない。
三人は耐えるしかなかった。
「(何の音だ……!?)」
悲鳴の出どころを確認する。
それは支柱だった。長剣に切られた支柱が、悲鳴を上げているのだ。
長剣は、元いた世界で「斬髪斬首の剣」と呼ばれていた。死刑囚を最も残酷に罰するために、処刑場で用いられていた剣だった。斬られたものはすべからく──生物も無生物も──悲鳴を上げて死んでゆく。
そんなことを三人は知る由もない。ドンキも当然知らない。王敬と螺落もまた、知らぬ剣だった。しかし、手ごわい相手だということはこの瞬間に分かった。
マネキンは長剣──斬髪斬首の剣──を右から左に薙いだ。空いた右の脇を、スイと三千代が続けざまに抜ける。二人は広いイベントスペースへと躍り出た。
「鈴鉢ちゃん!」
スイの叫び。
鈴鉢が一人、マネキンの左手前に残された。三千代も、しまったと思った。
「(くそっ、何をしているんだ私は! 鈴鉢ちゃんは、傀儡剣士と戦ったことがないと、さっき聞いたばかりじゃないか! それを、ひとり残すだなんて!)」
三千代はマネキン剣士のもとへと駆け寄ろうとしたが──
「私らは大丈夫ですっ!」
鈴鉢は表情こそ強張っていたが、ひゅるりと冷静に黄金の剣を振った。流石、剣道の経験者だ。鈴鉢の剣は余裕を持って、マネキンの振るう長剣を受け流す。
広いモール内に、金属が擦れ合う、ぶつかり合う、高音が響く。
マネキンは鈴鉢よりも頭数個分背が高い。鈴鉢は若干見上げるようにしていた。上からさみだれる斬撃を下に受け流す。そんな動きだった。マネキンの斬撃が暴風雨だとするならば、鈴鉢の受けの姿勢はトタン屋根だった。最小限の動きしかしていなかった。
鈴鉢によって逸らされた斬髪斬首の剣が、床を傷つけることもあった。小さなひっかき傷ができて、その度、小鳥が殺されたみたいな「きゃあ」「きゃあ」という悲鳴が上がった。
マネキンは大振りに動いているが、足は止まっている。鈴鉢の前から一歩も動くことができない。そんな様子だった。
三千代とスイに背中を見せっぱなしだった。
「みっちょん、この隙に……!」
振り返るスイに、三千代はこくりと頷く。
それを受け、スイは足を前へ踏み出した。じり、じり、と気づかれぬようにマネキンへとにじり寄る。
「しかし、おかしいな。螺落宝刀殿はなぜ、力を使わなんだ?」
ドンキが言った。
三千代は、スイの二歩後ろを歩きながら、短く応じる。
「ちから?」
「おうとも。王敬殿は、気高き蒼い錆を操ろう。あの木偶の握りし長剣は、恐らく斬りつけたものに悲鳴を叫ばせる力がある。では、螺落宝刀殿は?」
鈴鉢から放たれる螺落の斬撃は、どれも研ぎ澄まされた鋭さがあった。その一方で、別世界の剣特有のでたらめな特殊能力は、まだ見せていない。黄金に輝く“名剣”に、特別な力が備わっていないということはないだろう。
スイとマネキンの距離が段々と短くなってゆく。一歩踏み込めば刀身を当てられる距離まで、こうして静かに近づいてゆくつもりだった。
そんな中、三千代は推測していた。
「(ららぽの力……それは、多分、“変形”だと思う)」
そう考えるのには2つの理由があった。
一つ。気配について。螺落は、マネキンが暴れるまで気配を隠していた。気配を隠すには、王敬のように形状を変えるか、豪頭怒号のように完全に姿を消さなければならない。
二つ目の理由。一つ目に挙げた理由にも繋がってくるが、金属の性質だ。これまで戦ってきた剣の多くは、使われていた材質に由来する力を持っていた。王敬は銅剣であり、銅の錆である緑青を操る。この前に戦った巨大甲虫の剣も、二層の翅というカブトムシらしい力を使っていた。また、米噛と会ったときに尋ねたのだが、鉄の剣である豪頭怒号の力の正体も、地中の砂鉄を操ることだった。ならば、黄金の剣である螺落宝刀は、黄金の性質に由来する力を持っているはずだ。
「(黄金。……金といえば、変形だ)」
ちらりとスイの背中を見る。以前、スイに教えてもらった。スイは理科の話をするとき、いつも楽しそうである。
「金ってね、やわらかいんだよー」
金はやわらかい。テレビでスポーツ選手が金メダルをかじる真似をしているシーンがよく映されているだろう。あれは、「メダルに使われている材料が金であることを確かめるため噛む」というかつての風潮の名残だ。本物の金が使われていれば、歯形がつく。人間の咬合力で変形する。それほど、金は、柔らかい。
そして。
三千代の考えは当たっていた。
黄金の剣・螺落宝刀の力は、金の「変形」の性質に依るものだ。三千代と逃げ遅れた少年の頭上に落ちようとしていたエスカレーター。あれをばらばらに切り裂いたのも、その力を使った技だった。ただ、ここでは鈴鉢は、マネキン相手にその力を使わないでいた。
鈴鉢は必死にマネキン剣士の攻撃を防いでいる。
そこにスイが近づく。
あと一歩。
あと一歩近づいたら、あとは飛び込んで王敬の一撃を喰らわせてやる。そんなときだった。
「あかん!」鈴鉢が叫んだ。「スイさん! 私に近づかんといてください!」
「え──」
スイの動きが止まる。
そしてマネキン剣士は、後ろの二人に気づいて振り返った。ぎゅるんと長剣を後ろに向けて薙ぎ放つ。
三千代は、思い切りスイを後ろに引っ張った。
先程までスイの首があったところを、斬髪斬首の剣が通った。
スイは、三千代の腕にぐったりともたれかかっている。何が起きたのか分かっていない。そんな様子だ。彼女の顔前には、緑青でできた小さな盾が展開されていた。王敬が咄嗟にそうしてくれたのだろう。にしても──危なかった。
「退くよ!」
三千代は叫び、そのままスイを引っ張り後退した。
マネキン剣士は高く跳び上がり、鈴鉢からも、三千代とスイからも再び離れていった。
「鈴鉢ちゃん、どうして……?」
スイが、困惑した声で尋ねる。
「すみません、すみません」
そう答える声はほとんど泣きそうだった。新雪のように白い顔。目元だけがほんのりピンクだったのだが、今は泣き腫らしたみたいに赤い。目も焦点が定まっていない様子だった。
「君を責めているわけじゃない」
三千代が言った。
その言葉を聞いて、鈴鉢もいくつか落ち着く。
マネキン剣士からは決して目を離さず、
「鈴鉢ちゃん。もしも剣を振るうのがつらいのなら──ららぽを使うのがつらいのなら、私たちから離れていて」
「え……?」
「大丈夫。きっと私たちが勝ってみせるから。私とスイで、君を守ってみせるから」
三千代は、ドンキをヒュッと軽く振った。ビタリと腰のあたりで止まって、刃部分のビニールバルーンがばるんと揺れる。
「そうだ。安心せい。小生がいれば、あのような木偶人形など、楽勝ぞ。」
「三千代さん、ドンキさん」
鈴鉢は、螺落の切っ先を下に向けた。
「オーケーと私ももそのつもりだよー!」
スイは、ぐっ、とサムズアップを見せた。
「ちゃう……。ちゃうんです……」
鈴鉢の雪解けみたいな小さな声は、モールに響くことなく消えてゆく。
「いくじなし。また逃げるのかしら。」
螺落が言った。今、螺落に触れているのは主人である鈴鉢だけである。
「ららぽ……」
「まだ、私が恐ろしいの?」
「……」
鈴鉢は黙る。
「ねえ?」
「……」
鈴鉢はぎりぎりと唇を噛んだ。薄い皮が破け、薄い色の血がこぼれる。
沈黙。
三千代とスイは、マネキン剣士を睨みつけ、毅然としてそこに立ち構えている。
しかし鈴鉢はもはや、立っているのではない。魂が抜けてしまった。立ち尽くしているのだ。
螺落は、言う。
「さっきは使えたじゃない。私の力を、使ってみせたじゃない。」
「あれは……」
「あれは、何だったの。まぐれ。違うでしょう?」
「……」
「それに、あなたのお姉さんは生きている」
「……!」
「あなたのお姉さんは死ななかった。」
「うる、さい」
「あなたは、あなたのお姉さんを殺さなかった。」
「うっさいって……!」
鈴鉢の声が徐々に大きくなる。
しかし螺落も止めない。
「なのに、あなた、まだ怖がるの?」
そして──
「──怖いよ!!」
鈴鉢は叫んだ。
その声に、スイが振り返る。とても驚いた顔で、鈴鉢を見る。
「あ──」
やってしまった。鈴鉢は……鈴鉢の身体は、明確に、がたがたと震え出した。
三千代だけは、それでもマネキン剣士から目を逸らしていなかった。そこから動かず。ただドンキを片手に構えていた。そのまま、
「どうかしたの、鈴鉢ちゃん」
と尋ねた。
「いや。」鈴鉢は自身に落ち着けと言い聞かせる。「……ほんまにすみません、なんでも……なんでもないんです」
手に熱がこもる。その微熱で、黄金がとろとろと歪み始めていた。




