黒鉄の剣 12
(la, la, la, la, la!)
人生がジョークじゃないなら、どうして俺は────
あれから二週間が経った。クロが死んでから、二週間が。
八月は終わり、夏休みも終わり、しかし依然として、暑い日々が続いていた。
「暑い……」
自転車のペダルがいちいち重たい。
影より後ろに落とされた汗が地面の上で瞬時に蒸発してゆく。
今日は日曜日だった。夏休みが明けてから最初に迎える日曜日であり、九月第一日曜日でもあった。しかし学校だった。科目ごとの授業数を調整するために半日だけ、授業があるのだった。
遠くに巨大な入道雲が立っていて、その下に青い海が凪いでいる。それらのずっと手前で、青い葉をこれから枯らしてゆくのだろう街路樹が、さわさわと揺れていた。風を受けて揺れていた。その流動的な陰が、黒い猫に見えた。
米噛は二週間前のことを──クロが死んだ日のことを思い出していた。
救急車によって惨殺犯が搬送されるのを見届けながら、米噛は紺色の制服たちに囲まれていた。警察だ。
警察に、発見した時の状況などを全て事細かに問われた。当然だ。事件が事件だ。街の中央から少し逸れたところにある廃れた映画館で、館内の二階だけが徹底的に破壊され、青年が片腕を失った状態で気絶し、その足元に胴と頭を切断された黒猫の死体が転がっている……。こんな小さな街には似つかわしくない、物騒な事件だった。
米噛は至って冷静にそれらしいことを話した。頭が妙に冴えていた。米噛は完全に“偶然派手な音を聞いて映画館にやって来た第一野次馬”でしかなかった。警察に事件への関与を怪しまれることはなかった。
米噛は、事件の重要な第一発見者としてその日、日が暮れるまで事情聴取の名のもとに拘束された。家に帰ったのは23時を回った頃だった。
本来はもっと早く帰されるはずだったのだが、あることを警察に頼み、それが受け入れられるまで粘ったため、時間がかかったのだ。
それは、
「あの事件現場にいた黒い猫、ボクが弔ってもいいですか?」
「キミの飼ってた猫なのか?」警察は言った。
「ボクにも、猫の友人がいたので。最初に発見したときから、他人事のようには思えなくて。あの子が可哀想に思えて……。とにかく、ボクが、弔ってやりたいのです」
この主張を押し通すために、小一時間ほど粘った。
しかし結局は無理だった。事件であることが認められた以上、猫の死体は剖検へと出さなくてはいけないのだ。そこに“事件の第一発見者”などという“一般人”が立ち入ることは許されなかった。
「それでも。ボクが弔ってやりたいんです」
「そう言われても、解剖しないと……」
「だったら! 解剖の後は!?」
そう尋ねると、警察は少し「ええと」と言った後に、「それなら可能性がある」と言ってくれた。事件で亡くなった動物は剖検の後、自治体や動物愛護団体に引き取られ、そこで火葬されるのが一般的だ。しかし申請すれば一般人でも引き取ることができる。そう説明してくれた。
その時、米噛はその日初めて、安堵から息を吐いた。
遺体を引き取るのは二週間ほど後になるらしい。
つまり、今日だった。
「ただいまー」
家に着く。
これから駅へ向かう。電車を乗り継ぎ県警へ行く。そこにクロの遺体が保存されている。剖検とはどういったものなのだろうか。クロはバラバラにされてしまっているだろうか。どんな形だっていい。今着ている袖の短い夏服に、白い制服に、取れないほどの染みをつくるくらい、ぎゅうと抱きしめよう。それから、土に埋めて土に還そうか、燃やして天に還そうか。どうしようか、うんと悩もう。
階段を駆け上がって二階の扉を乱暴に開ける。そこには誰もいなかった。誰も、洋ロックも邦ロックも聴いていなかった。誰も、ベッドの上で丸まっていなかった。
二冊しか教科書の入っていない軽い通学鞄を、ベッドの上に放り投げる。
「いってきます」
誰もいない部屋に、そう言い放つ。
「待て。」
しかし返事が返ってきた。豪頭だった。
「コストコ」
「昼食くらい食っていけ。有機生命体は食事を摂らないと。」
そう言われたとき、丁度米噛の腹が鳴った。クル、ル、クル、と空腹を訴えている。朝は随分軽く済ませてしまっていた。だから、豪頭の言う通り何かを腹に入れてからでもいいかと思った。
そうして、カップラーメンに湯を入れたのだった。
三分待つ必要がある。
早くて、二分半。
退屈だ。
テレビをつける。
ニュースをやっていた。
よく知らない芸能人に子供が生まれたらしい。
よく知らないけれど、おめでとう。そう思った。
結局、連続小動物惨殺事件なんて小さな事件は、全国報道される程のことではないのだった。しかし……
米噛はスマートフォンを開いた。もう事件は終わったのだから、ニュースサイトに地域のニュースが流れるようにしている設定を解除してもいいのだ。これから解除するつもりだった。
アプリのアイコンをタッチする。白地のユーザーインターフェ―スがパッと広がって表示される。
「!」
ニュースが載っている。それも、地域のニュースが。
そこには、連続小動物惨殺事件の記事があった。
「犯人が、逮捕されたのか」
そこには、右腕を失った、七三分けの青年の写真があった。
左手の甲にあった猫のひっかき傷と、最後の事件現場で倒れていた猫の手が完全に一致していたらしい。それが決め手となって、今回の逮捕に至ったのだと。
「そうか。」米嚙は、「そうか……」顔を押さえ、「クロが、」喘ぐように、「クロが報われたんだ。」と言った。
天井を吹き飛ばされ破壊の限りを尽くされた廃映画館や、犯人が片腕を失って気絶していたことについては、事実とは全く異なる、それらしい推察が書かれてあった。事実とは全く異なるストーリーがそこにはあった。しかし、それで仕方ない。まさか、誰が「異世界から送られてきた剣がめちゃくちゃに暴れた」というのが真相だと思いつくだろうか。
くだらないけれどめでたい、そんなテレビのニュースを見ながらだらだらと箸を進める。
とうとうカップラーメンを食べ終えてしまった。
「ごちそうさま」
席から立つ。
豪頭はあることを考えていた。
「米噛。」
「なんだ」
「猫の寿命は、どのくらいなんだ?」
「いきなりだな……」と答えるが、米噛も知らなかった。「調べてみよう」
机の上に伏せてあったスマートフォンを手に取る。慣れた手つきで検索窓に文字を打ち込む。
「ええと? ……大体10から15才くらいまで生きるんだって」
「そうか。この世界でも、それくらいなんだな。」
「コストコの元いた世界でも同じだったんだな」
米噛はそこまで興味もなさげにスマートフォンをしまい、空になったカップと割箸を台所へと運ぶ。
「ああ。それで、クロは何才だった?」
「13くらいじゃないか」
「かなり、おじいさん猫だったんだな。」
豪頭がそう言ったのを聞いて、米噛は足を止める。
「? どうかしたか。」豪頭が伺う。
「いや……あれ?」米噛は目を右上に向けて宙を見た。「え、オスだったっけ?」
「なに。そなた、6年も共にいて、性別さえ知らなかったのか」
知らなかった。
米噛はクロの性別を知らなかった。
思えば、年齢も大体それくらいというだけで、正確には何才なのかだとか、生年月日だとか、何も知らなかった。
「まあ、いい。吾輩が不思議に思っているのはそこではない。13才でも14才でも、そこは些細な違いだ。」
豪頭はそう言って、続ける。
「十数年しか生きていないのに、なぜ……地域の猫から長老のように慕われていたんだ? なぜ、何十年も前の事件の話を当事者のように鮮明に話せたんだ? なぜ、四半世紀以上古い昔の友人なんてものがいるんだ?」
最後の疑問については、米噛はそもそもそんな話すら知らなかった。クロに、四半世紀──二十五年──以上も昔からの友人がいるだなんて。おそらくあの日に──日本の終戦記念日に、クロとコストコが話したときに出た話なのだろう。米噛はそう思った。
「……」
米噛はカップに水道水を勢いよく出しながら、数週間も前のまどろむ記憶を一生懸命思い出していた。
八月十五日。終戦記念日。あの日、クロは豪頭に「この世界であった世界大戦」について話をした。なんでもクロの“昔の友人”にそういったミリタリーの話に詳しい奴がいて、そいつの傍にいたからクロも多少詳しくなった、とのことだった。あれだろうか。あれが、“四半世紀以上昔からの友人”だったのか。
米噛の思考に、豪頭のテレパシーが介入する。
「それに、最も不思議なことがあるだろう。」
「え、何?」
「クロが人の言葉を話す猫、ということだ。」
それを聞いて米噛はしばらく声を出せずにいた。それから、声の出し方を思い出したかのように間抜けな声で、
「あ、」と言った。「あーー……。もうずっと当然のことだったから、なんていうか、今更だな。疑問にも思ってなかったわ」
「吾輩がそなたに拾われた日――初めてクロに会った日のことを、鮮明に思い出すよ。驚いたものだった。この世界の猫は喋るのか、とな。」
それを聞いて米噛は笑う。
「もう慣れてしまっていたな。でも、確かに、本当は不思議なことなんだろうな。……そうなんだけれど、なんで急にそんなことを」
そう言いながら米噛は手に持っているゴミの水を切り、カップと蓋と割箸を紙ごみへ、かやくや調味料のパックをプラスチックごみへと分け、それぞれのゴミ箱へ放った。
「吾輩やそなたが思っているよりも、クロは特別な猫だったのではないか、と思ってな。」
豪頭はそう言った。
そのとき、玄関の方から物音がした。
「……」
米噛は表情を引き締め、警戒した。
インターホンの音は聞こえなかった。鍵のカチャリと回る音もなかったので、家族の誰かが帰ってきたわけでもない。となると、残るパターンは、一つくらいしか残っていない。しかしそれが有り得ないことだと、米噛は充分に理解していた。
それでもここで待っていたって何も分からない。
思い悩むといってもたった数十秒のことだったが、数十秒、思い悩んだ末、意を決し、米噛は玄関へと向かうことにした。
脱ぎ捨てられた二足の靴が散らかるだけの玄関。
そこで米噛は不思議なものを見た。
有り得ないことだと思っていた。
米噛の家の入口扉には、下の方に小さな扉が付けられている。上にぱかぱかと開くそれは、人間は通ることができない。それは、猫専用の扉なのだ。黒猫のよく通る、扉だったのだ。
猫専用扉から入って来たらしい。
そこには猫がいた。
茶色い猫がこちらを見つめている。
口に小さな、小さな黒い猫を咥えて、こちらを見つめている。
米噛は、何も言えないでいた。豪頭も同じだ。目の前の状況をどのように解釈するべきなのか、困っていた。ただ、御伽噺のような可能性を、年甲斐もなく考えていた。望んでいた。願っていた。空想していた。
そして、それは的中していた。
小さな黒猫は口を開き、
「んにゃあ。」と鳴いた。
それから、
「久しぶり、米噛、コストコ。」そう言った。
「クロ!!」
米噛は勢いよくしゃがみ込み、茶色い猫の口の先に吊るされた、黒い子猫に顔を近づける。
「ふしぎなカオをしているな。」黒猫は言う。「ただいま。」
「なっ、ええっ! うはぁ! クロ……クロ!」
米噛は口をぱくぱく開閉し、その度、息が黒猫の顔に吹きかかった。
「息がくさいぞ、オマエ。……カップラーメンだな。」それから「にゃーーあ」と鳴くと、茶色い猫は黒猫を口から離した。
米噛の靴の片方に着地した。
「クロ、なのか?」
米噛が尋ねた。
黒猫はこくりと頷く。小さな頭はおもちゃのようで、首がすわっていない。
「転生した。猫には九つの魂があると言うだろう」
「……マジで?」
しかし、見てみるとその黒い子猫は、丁度生後二週間のように見えた。丁度クロの死んだ日に生まれたら、今はこれくらいになるだろうな、といった具合の大きさだった。
「ま、全てのネコがそうってわけじゃあない。たまぁーに、だ。たまぁーに……生殖機能を持たずに生まれてくるネコがいるんだ。そういうのが九生を持って生まれてくる。ワガハイの魂は、これが6つ目で──」
クロの話の途中で、米噛は立ち上がった。掲げるように、クロを抱いて。
「クロ!!」
「うっ!」クロは目を開いて驚く。「おい、びっくりさせるな。丁重にあつかえ。ワガハイは今世じゃあ未だ子猫なのだから」
「ああ、クロ、……クロ!!」
「おう、おう。オマエ、そんなに感情豊かだったか」
「しかたないだろ。うれしくて、」米噛は鼻をズビとすすった。「たまらないんだ」
「クロ。」
そう言ったのは豪頭だった。
「コストコか」
「ああ。……よく、帰ってきた」
「ふう。全くだ。“死”というのは何回やっても慣れないな。それに、」クロは続ける。「人のことばの発声を再習得するのにも、苦労した」
そう言うクロの日本語は、確かに前世と比べてそこまで流暢なものではなかった。
クロは米噛の方を見て、
「コストコはいいが、米噛には猫語は通じないからな。……しかし、コストコがいるんだった。べつに人語で思考して、それをテレパシーで読ませればよかったな」
そう言われた米噛はまだ、べそべそ泣いていた。新調した黒い縁の眼鏡を押し上げ、半袖から露出された細い腕で一生懸命に拭っている。
「そうしてまで、またオレたちに会いにきてくれたのか」
「そう言われると気恥ずかしいが、まあ、そうだ。……死に別れがキブンのいいものではないのは、知っているからな」
クロは今世の魂が「6つ目」だと言っていた。あの惨殺犯による殺害を含め、これまで5回、“死”というものを経験してきたわけだ。
米噛は以前まで、クロがどのような生を──そして実は死をも──歩んできたのか、そこまで興味がなかった。しかし今では違う。クロは自分よりずっと長い期間、この世界に存在してきたのだ。様々なことを、経験してきたのだろう。
「今度、」米噛は言う。「クロの昔の話を……オレと出会うより前の話を、聞かせてくれよ」
クロは少し目を開いてこちらを見ている。
「いいけれど。どうして?」
「クロが死んだとき、オレはクロのこと何も知らなかったな、って分かったんだ。……だから知りたくなったんだ。数少ない、友人のことを、もっと」
それを聞いたクロは、ジェスチャーで下に降ろすように示した。米噛はゆっくりとクロを床に近づける。クロは両脇を空けた格好で、
「仕方ない。」と言った。「今世もここで過ごすことにしよう。本来ワガハイは、あまり一箇所に留まるのがスキではないのだけれどな」
そのままクロは玄関の上に降り立った。
クロは茶色い猫に近づき、「にゃうーん、にゃおーん」と鳴いた。
「(なんて?)」
米噛は、豪頭に尋ねた。豪頭は猫語を習得している。
「別れの挨拶をしている。どうやらあの茶色い猫が、今世でのクロの生みの親。そして、」豪頭は驚いた口調で、「クロが惨殺犯から守った妊婦だったようだ。」そう言った。
猫用扉を跨いで、茶色い母猫は去っていった。
「複魂の猫と親猫の関係は複雑だ。」クロは、からんからんと揺れる猫用扉を見つめて言う。「ジブンの胎から毛の色が異なるコが生まれるんだから、まず不気味だろう」
そう言われても、米噛に母猫の気持ちは分からない。当然、豪頭にも分からない。
クロは気にせずに続ける。
「で、伝えるわけだ。“ワガハイは既に名の付けられた猫である”と。つまり複魂の猫であると。すると更に不気味がるわけだ。ジブンのコが、ジブンよりも永く生きてきたモノだと判るわけだからな」
米噛はクロを抱き上げる。
豪頭が尋ねる。
「なぜ、そうだと不気味なんだ?」
「生物の理に矛盾しているからだろう。」クロは答える。「生物はずっと、ジブンより若い存在を──次の世代を作り出すことで、ここまで続いてきたのだから」
クロは床に淡く滲む、米噛の影に向かって手を動かしている。
米噛は階段を上がる。クロが、二階の米噛の部屋に行きたがっている。今日は一日中、あの部屋で過ごそうかと思う。
警察には「事情ができて猫の遺体を受け取ることができなくなった」と伝えた。直前になって言い出すのは申し訳なかったが、仕方ない。今のクロに前のクロの遺体を見せるのは、何か倫理的に良くないことのように思えた。
思ったということは、豪頭を通じて思考はテレパシーとなり、触れているクロにも伝わったということだ。クロは「そんなこと気にしていない」と言ったが、米噛が気にするのだ。
二階に着く。
部屋の扉を開く。
クロはすぐに、パソコンの方を向いた。
「音楽を聴くには、ここが一番いいからな」
クロを机の上に乗せようとして、米噛は思いとどまる。
「こんな子猫を高い所においていいものか」
猫は高いところから落ちてもクルリと回って華麗に着地する。しかしそれはある程度成長した猫に限る。あの回転は魔法でもなんでもなく、経験に基づく技術なのだ。子猫が高いところから落ちては、普通に危険だ。
「じゃあ、ベッドの上から聴こう」
そう言ったクロを、望み通りベッドの上に置いてやる。円を描いて掛け布団を踏んでいる。渦を巻いて皺ができた。
米噛はパソコンを開いた。黒い画面にパッと明かりが灯る。スリープ状態で放置していたのだった。画面には、一時停止したままのアプリケーションが待機してあった。それは音楽アプリだった。二週間、クロのつくったプレイリストをずっと聴いていたのだ。
再生ボタンを押す。
「サンボマスターだ。」流れ出した音楽を聴いてクロは言った。「ああ、落ち着く。生きるのが少し、怖くなくなるよ」
米噛は首をかしげる。
「生きるのが怖い? 死ぬのではなくて?」
「怖いのは生きることだろう。死ぬのは“寂しいこと”だ。」クロはごろんと丸まって、「ワガハイが死んで、オマエは寂しかっただろう?」
「それは、」そうなのだけれど。でも米噛には少し分からなかった。
「世を跨いだ友人は米噛とコストコが初めてだ」
クロが言った。
「どうしたんだ、急に」
米噛が応じる。
「いや、ふと、そう思ったんだ」
クロは四本足をついて立った。米噛のベッド上から、机の上のパソコンの画面を一生懸命見ている。
「これまでの五回の生では、毎回周囲の関係を変えてきたのか?」
豪頭が尋ねた。
クロは小さな頭をこくりと前に倒す。
「望んでそうしたわけではないのだけれどな。転生先は、己の死の瞬間にどこかで生まれる猫の赤子から選ばれる。つまりワガハイの死と同時刻の誰かの誕生が、転生先となるわけだな。そのため前世と出生地が全く異なって当然というわけだ」
「それでは、今回の転生は奇跡的なものだったのか。」豪頭は言う。「偶然、クロの守っていた妊婦猫の出産の瞬間に、クロは亡くなっていたわけか」
「どうも、そうらしい。」クロは笑った。
それを聞いて米噛は顔を上に向けた。
奇跡。
この再会は、奇跡だったのだ。
今、隣に友人が座っているのは、奇跡だったのだ。
「そうだ、そろそろ改名しないとな」
クロが言った。
少しの間の沈黙の後、
「唐突だな。」
豪頭が言った。
「転生する猫は──複魂の猫は……一から五回目までの人生は同じ名前を使うけれどね。それ以降は輪廻の後半だ。だから、六回目の生で、改名するものなんだ」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんだ。ま、日本猫界の土着信仰的な考えだな。……で、新しい名前、決めてくれよ。」クロは見上げる。「米噛」
そう言われ、それまで黙っていた米噛は目を開いた。
「え、オレ?」
背中を曲げてクロを覗き込む。クロもそれに応じ、背を伸ばす。青年と子猫の顔が近づいた。
「話は聞いてたろ?」
「え、えー。改名かあ。……でもこれまでずっとクロって呼んできたからなあ」
渋る米噛へ、クロはぐーんと手を伸ばす。小さな2つの肉球が青年の乾燥した頬に触れる。
「あ、そうだ。オマエの母親が帰ってきたときのことを考えてみろ。前のワガハイは老衰で亡くなったことにするとして、今のワガハイは新たに住み着いた別の子猫だ。そんなワガハイをどう呼ぶつもりだ。ええ? またクロか?」
そう言われて、米噛は己の母の像を脳に編んだ。
クロの次にやって来た猫を「クロ」と呼ぶとどうなるか。すると母がどう言うか。容易くイメージできた。
母はきっとこう言うだろう。クロが亡くなった後に家に来た猫を「クロ」と呼ぶのは、まるでその子を、前のクロの代替品のように扱っているようじゃない! それは2つの命に失礼なことよ!
「母さんはそういったところで面倒くさいからなあ」
カレンダーを見る。二か月以上家を空けていた母だったが、来週の末には帰って来る。そのことを知って豪頭は、
「そなたの母か。」と呟いた。
興味があるようだ。
「そうか、コストコは目にするの初めてか。」しかし、「ま、あの人に会ってもなんにも別に面白くないよ。ただの猫溺愛家だ」
だらだらと雑談を交えながら、青年と黒剣による子猫の名前決めは続いていた。
そろそろクロが以前に作ったプレイリストも終わりを迎えようとしていた。──一巡目の、終わりを。……つまり次の最後の一曲が終わっても、二巡目が始まるだけなのだが。
一巡目のうちに決着をつけておきたい。
「漏斗なんてのはどうだ?」
豪頭が言った。
「漏斗?」米噛はあぐらを崩さず背を曲げて、ベッドに落ちる己の影を覗き込む。「漏斗って、あの漏斗か? 実験道具の?」
「そうだ。」
豪頭のネーミングセンスは壊滅的だった。
「お前のネーミングセンスは壊滅的だ、コストコ。」米噛が言い放つ。
「ロウト。ロート、か。ワガハイは別にそれでもいいがな。」
クロは──子猫は、笑っている。
最後の一曲が始まった。
「(これはサンボマスターの……)」
米噛の耳がぴくりと動く。ぼさぼさした髪をかき上げ、顔を前に向ける。
決めた。
「ロク」
米噛ははっきりとそう言った。
「ロク?」
子猫が米噛の言葉を反復した。
「ああ。ロク」
「六回目の生だから“ロク”か? それとも“クロ”を逆さから読んで“ロク”? いずれにせよ単純だなあ、おい」
「いや、ロックの“ロク”」
「単純だなあ!」
「いいだろ、別に、単純で。」パソコンから流れるその音楽は、「それに、」プレイリスト最後の曲の名前は、「ロックンロール、イズ、ノットデッド、だから」
こうして青年と剣は、猫と再会した。




