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黒鉄の剣 7

 がら、がら、がら。空っぽのキャリーケースを引きずりながら、米噛はコンビニを出た。手を鼻に近づけ、すんすんと嗅いでみる。血の匂いも、青い草の匂いも落とすことができたようだ。

「(ごめん。コストコはこっちの世界で隠居するって決めたのに、力を使わせてしまった)」

「構わん。別に、何かを殺したわけでもない。」

 ピローン、リローン、と入退店を告げる音が響く。背中の方から若い男店員の「ありあとあしたー」という声が聞こえてくる。随分、()(だる)げだ。でかいキャリーケースを引っさげてトイレだけ利用して出ていく迷惑客のことも、特に気にしている様子はない。

 外界の空気に触れた瞬間、暑さでくらりと足元が揺れた。数分にも満たない短い滞在だったが、身体は既にクーラーのガンガン効いた室内の快適さを思い出してしまったらしい。Uターンしてもう一度コンビニに入りたいと、強く思った。

「(う、暑い……)」

「水は足りているのか?」

 (ごう)()の潜む影に見せるようにして、手にペットボトルを持つ。

「(もう三分の一しか残ってない……。でも家まではあと十分もかからない。どっかで買うほどじゃないな)」

安銭(やすぜに)をケチって熱中症でぶっ倒れたとあれば、洒落にならんぞ。」

「(そうなんだけどさ。……分かったよ。でもコンビニってただの水でも結構高いんだよなー)」

 体を180度(ひるがえ)して後ろを向いた。入退店を告げる音が響く。気怠げな、「らーしゃーせー」という声が前から聞こえてくる。


 店員の手に硬貨を数枚落とす。

「(本当にあれで何かが解決するだろうか)」

 店員の差し出すお釣りを見つめながら、米噛は唱えた。手の上に、一回り小さくなった数枚の硬貨が落とされる。

「どうした、急に。」

「(この炎天下の中、オレは無意味に剣を引きずり歩き回り、公園施設をちょっと損壊させただけだ。犯人を見つけることもできなかった。何か事態は進んだだろうか)」

「手がかりを見つけただろう。」

「(ウサギの亡骸のことか)」

 コンビニを出る。日傘を広げると、地面に楕円の影が拡がった。斜めから差す日差しは強く、影はとても黒い。絵の具を水に溶かさずに使ったような、濃い黒だ。

 ウサギの死体を思い浮かべる。この暑さだ。あの子の血は、もう乾いただろうか。

「そうだ。()のウサギだ。首の切断面を思い出せ。」

「(ヤなこと思い出させるなよ)」

「何か変なところはなかったか?」

 ウサギの死体。首から隔たれて2つになった死体。首から(したた)る血。赤と黒を混ぜたような血。血は草の上に垂れて湖を作っていた。丸い輪郭の小さな湖だ。輪郭は既に乾き始め、薄い膜になりかけていた。しかし中央部分は鏡面となって、覗き込む米噛の姿とその頭上に浮かぶ太陽を映していた。

「(血が……乾燥しきっていなかった。)」

「そうだ。変ではないか?」

「(変だ……。)」米噛は、キャリーケースから手を離し、口元にあてた。暑い吐息が手のひらとの間に(こも)る。「(この炎天下で、まだ乾燥していなかった?)」

 その時、顎の先から汗が一滴、アスファルトの地面に落ちた。黒い円形のシミを作り、数秒で消えていった。すぐに蒸発してしまったのだ。

「(一分もあれば、あれくらいの血なら乾き切ってしまいそうじゃないか)」

 米噛は目を細め、公園に戻るべく、足を反対側に向けた。今にも全力疾走するつもりだ。

「待て!」

「(オレ達が公園を訪れるほんの直前に犯行があったんじゃないか!? まだ近くに犯人がいるかもしれない!)」

 豪頭の制止を無視し、米噛は駆け出す。しかし、

「いや。既にこの近くにはいないだろう。」

 というテレパシーを聞き、体に急ブレーキをかけた。

「(……なんで分かる?)」

「肉が固くなっていた。あれは死後、少なくとも三十分は経過している。」

「(触れてないんだけど)」

「触れずとも分かる。吾輩は、向こうの世界で嫌と言うほど、生物の死体を見てきた。」

「……」

 米噛は黙ったまま、地面に放り出してしまったキャリーケースを拾いに行った。それから、

「ん?」あることに引っかかる。「(待て、コストコが元いた世界で相手してきたのは剣士──人間だろ? そっちの世界じゃ、人間は剣にやられたら霧散して死ぬんじゃなかったっけ)」

 前に豪頭から聞いた話だった。

 豪頭が元いた、こことは別の世界──剣の世界の、人間。かれらは老衰か、もしくは剣の勝負で負ける時以外に死ぬことがない。全人類が誇り高き剣士であるためだ。魂が剣以外で死ぬことを拒んでいるのだ。剣の勝負は文字通り命を賭けている。敗者は、勝者に忠誠を誓って以降を生きるか、風に散る霧のように消えて死ぬ。大抵は後者を選ぶ。そのため、人間の死体なんてものは残らない。

……はずではなかっただろうか?

 米噛は己の影の返事を待った。そしてそれは、

「霧となって消えるのは人間の剣士のみ。猿や(イヌ)は、死体が残る。」

 予想外の答えだった。

「(は? サル? イヌ?)」

「そうだ。猿に剣を握らせ、狗に剣を咥えさせ、剣士として――兵士として運用する国もある。無論、人間みたく剣に誇りを持っているなんてことはない。そのため普通に、物理的な肉体の破壊によって倒す。」

「(げ……ゲェ!)」

「ドン引きするのも無理はあるまい。吾輩もそうしたやり方は気に食わなかった。」豪頭は一拍、間を置いてから話を戻す。「ともかくそういうわけで動物の死体は見慣れている。触れずに、ひと目するだけで死後どれほど経過したか分かる。」

 先程買ったばかりの水を手にする。ペットボトルの中でゆらゆら揺れて、上から降り注ぐ太陽の光を乱反射していた。米噛は、ぐつぐつと沸騰し始めた胃液を(おさ)めるため、一気に水を流し込んだ。

「(嫌な話聞いた。)」一息吐いて、「(それで、あのウサギは……)」

「ああ。我々が発見した時点で、三十分以上前に殺されている。よっぽどのマヌケでない限りは、とっくにあの場を去っているだろう。」

 豪頭の言葉に、顔が(うつむ)く。とぼとぼと歩く。五歩、六歩、そして七歩目で足が止まった。

「(じゃあ、どうして血は乾いていなかった……?)」

「そうだ。そこが、“変なところ”だ。」

 米噛の中で、ある確信が生まれた。

「剣の力……か!」、

「声に出ているぞ!」

 豪頭に言われて気づく。

「(あっ。ごめん、つい。)」胸がどくどくと鐘を打つ。「(でも、じゃあ、やっぱり、犯人は──)」

「剣の保有者だと思う。そいつが扱うのは恐らく、水や氷の力を持った剣だろうな。」

 米噛は己の全身が熱くなっていくのが分かった。特に手は……剣を握る両の手は、鉄さえ赤く染めてしまいそうなほど熱く──。


 すぐにでも公園に戻りたい気分だった。犯人は剣を持っている。こちらも豪頭という剣を持っている。別に、戦いたいわけではない。ただその姿をひと目見て、警察に連絡するつもりだった。

「……」

 帰路がとても長く感じた。時間の流れがとても遅く感じた。太陽の落とす光がとても強く感じた。足が重い。鉛のように重くなっている。

 祭りの日に出会った二人の少女のことを思い出す。片方は自分と同じ「別世界の剣の保持者」だ。王敬(おうけい)という名の銅の剣を持ち、名をスイと言った。もう片方は、そのスイという子に襲われた子で、名を三千代と言った。三千代はたまたま手にしていたおもちゃの剣で、王敬に操られていたスイに勝利した。それ以降、二人はこの街に潜む剣で悪さをする者を探している。それはなぜか。

「剣には、剣で勝たないといけない」

 三千代が説明の中で口にした言葉だ。

 それが彼女たちが戦う全ての理由だった。

 一部の剣や、また謎の「寄生虫」は、人間を操ることができる。人間が気絶していても──恐らく死んでいても──操られている肉体は動き続ける。傀儡(かいらい)だ。警察含む普通の人間には、打つ手なしだろう。しかし、剣士だ。剣士を止めるには、剣で勝つしかない。面、喉、胴、小手。このいずれかの部位を相手より先に剣で打ち、勝利する。これしか、剣と剣士の暴走を止める方法は無いのだ。

「(剣には……)」米噛は日傘を掴む手を固く握りしめた。「(──剣で)」

 家までの道が永遠のように感じた。

 それでもなんとか、一歩を踏み出す。

 その時。

「あれ。米噛さん?」

 前方から聞こえた声に、顔を上げる。

「三千代さんとスイさん」

 そこには、自転車に乗った二人の少女がいた。少女といっても、米噛とはほとんど年齢差はない。少女らは中学三年生であり、米噛は高校一年生なのだ。彼女らの通う中学校は米噛の出身校でもあった。そのため三人は先輩後輩の関係といえる。しかし米噛は中学時代クラブに入ることなく、また委員会も活動の少ない美化委員会に所属していた。そもそも同級生にさえあまり知り合いはいなかったのだ。後輩の顔など、ほとんど知らなかった。そのため、同じ学校出身であることは祭りの夜、初めて知ったことだった。

 二人は自転車から降りた。

 よく日に焼けた褐色の肌には、だらだらと汗が(ほとばし)っている。首のあたりでさっぱりと切り揃えられている髪が印象的だった。確か彼女が三千代だ、と米噛は脳内で顔と名前を一致させた。

 三千代は自転車の前かごからカバンを取った。そこまで重たそうにしていないのは、中身が少ないのか、あるいは運動の得意そうな彼女だ、多少の荷物は軽々と持てるのだろうか。

 その斜め後ろに一歩分下がって立っているのがスイだ。白い肌に、上背(じょうはい)()のあたりまで伸びた長くて黒い髪。三千代とは対照的だった。彼女も肩からカバンを垂らしているが、こちらは随分重たそうにしていた。本当に重いのかもしれないし、あるいは彼女が非力なのかもしれない。いずれにせよ、二人からは対照的なイメージを受けた。

 スイがぺこりとお辞儀をした。こちらも小さく首を前に倒す。彼女の鞄は薄いベージュの布でできており、なにか角ばったものが透けて見えた。荷物は実際に重たいものなのか。

「近くに剣の気配があったんです」

 三千代が言った。

 米噛は気まずかった。気まずいまま、

「それ、多分、オレだと思う。」と言った。


 スイのカバンに入っていたのは王敬だった。周りを青い錆で包み、分厚い銅の板になっている。銅の塊だ。重たいに決まっている。

 三人は、コンビニの裏の壁にもたれて立った。

 三千代が、米噛から水を受け取る。

「ありがとうございます」

 三千代のカバンには元々、数本のペットボトルが入っていたが、既に(ぬる)くなっていそうだった。なので米噛がコンビニで新しく買ってきたのだった。

 右手に一本、左手に一本。左手に持った方を、三千代は隣で手をうちわにして仰いでいるスイに回した。スイは小さく「ありがと~」と言ったのち、体を壁から離してこちらを見た。そして「ありがとうございます」と言った。語尾が少し伸びている。喋り方からして、ゆったりとした性格なのだろうなと思った。また、三千代が話してくれたことから、このスイという少女も思ったよりタフなのだなと思った。

「もう二十分以上も外を探していたのか……」

「はい。」と三千代が答えた。

 自転車に乗っていれば多少の風を受けることができる、といっても三十分近くこの酷暑の中に身体を放り出しているのだ。それも、銅の塊を自転車に載せた状態で、だ。三千代の持ってきた水も、3リットルはあった。

「すごいな……すごいパワフル……」

「いや、米噛さんもそのキャリーケースに鉄塊を入れて引いてたんでしょう。それも徒歩で!」

 三千代が目を丸くして言った。

 三千代とスイは、他でもない、影より顕現した(ごう)()()(ごう)の気配を追ってここまで来たのだ。

「うん。」ペットボトルから口を離す。「説明するよ。なぜオレがコストコを……剣を抜いたのか──」

 話の続きを言おうとしたその時、

「小生には分かる。」人工音声が邪魔をした。「米噛殿は正義の心に目覚め(たも)うたのだな。」

「……は?」

 思考が飛ぶ。

 その抑揚の無い声が聞こえたのは、三千代が肩にかけているカバンからだった。

「す、すみません!」

 三千代はあわてて、カバンの膨らみをぎりぎりと握りしめた。

「いや……というより、えっと。何だったの?」

 頬をぽりぽりと掻く米噛に、申し訳なさそうに、三千代はカバンの中から()()()の正体を取り出した。

 おもちゃの剣だった。

 ねずみ色のビニール風船でできた刃。赤い(つか)と安っぽい金の(つば)はプラスチックのようだ。鍔の真ん中に、青いビー玉のようなものが埋め込まれている。

 米噛は祭りの夜に聞いたことを思い出す。おもちゃの剣のことは聞いていた。三千代が剣士と戦うときに使う、おもちゃの剣だ。別世界の剣ではなく、正真正銘この世界で造られた、ただのおもちゃ。ディスカウントストアのドン・キホーテに売っていそうだから名前は「ドンキ」。刃の部分がビニール風船でできているので、叩いても相手が傷つくことはない。そのため、不殺を心掛けて戦う彼女にピッタリの武器なのだ。

「ドンキ君って、喋れるのか」

 情けなく曲がった人差し指でドンキを指さしながら、そう言った。

 三千代は恥ずかしそうに、

「すみません、すみません。」と何度も謝った。「ドンキは中にAIが内蔵されていて……見聞きして、喋ることができるんです。そこまではいいんですけど、このAI、なぜか侍口調で、それで……」

「それで?」

「中二病なんです」

 変わった剣もあるものだ。いや、変わった“玩具”か。とりあえず米噛は曖昧に「へぇ」と返した。それ以上どう反応すれば良いか分からなかった。

 変わった玩具は、主人に叱られてなお、口を減らさない。それどころか口が早くなった。

「米噛殿からは騎士の精神が立ち昇っておる。以前会った時とは見違える。青年、騎士となりし。大切な者を護らんがために剣を振るう――そんな気概がひしひしと伝わって参る。――ふ。昔を思い出す。小生、かつては田舎の小娘に力を貸しておった時期があったのよ。いや、小生は背中を押したまで、か。あの者はひとりで騎士と成った。護らんと願うもの在るとき、若人は(おの)ずと成長するものよ。」

 すごい早口だった。

 啞然としていると、三千代と目があった。

「こんな調子なんです。う、スミマセン」

「そんな、謝ることないよ。」確かに発言は中二病というか壮言というか妄言のようではあるが、「ドンキ君って結構鋭いんじゃないか?」

 米噛は足元を見た。握っているペットボトルが結露している。肘の先から水滴が落ち、灰色の影に黒点を打った。

「説明を再開しよう。オレがコストコを使ったのは、友人を守るためだよ」

 クロの姿を思い浮かべる。そして次に、草むらの上に横たわるウサギの亡骸、モザイクをかけられた液晶の向こうの骸。

 三千代とスイは真剣な眼差しをこちらに向けている。応じるようにして、壁から背中を離して一歩前へ身を出す。二人の目を見る。

「最近ニュースになっているのを見たことがあるかも知れないけれど。……この街で、小動物の惨殺事件が起きている。」

「ネットで見ました。小鳥が首のあたりで……。それですか?」

 三千代が苦しそうに言った。正義感の強い少女なのだろうと思った。

「それだね。二十年前にも、似たような事件があったようだ。アレをなぞるなら、事件はどんどんエスカレートしていくんじゃないかと思う。ニュースで報道されたのは、小鳥までだったか」

 最後の方はほとんど独り言のように呟いたつもりだったが、

()()?」三千代は律儀に返事した。

「さっき、公園でウサギの死体を見つけたんだ。ニュースで言っていたのと同じ殺され方をしていた」

 影に落ちた水滴は数え切れないほどになり、地面に黒い水玉模様を描いていた。驚いた表情で固まった二人の少女に、米噛は震える声で教える。

「オレには、ネコの友人がいる。寂しいヤツと(わら)われるかもしれないけれど、唯一の友人だ。鳥に続いてウサギも殺され始めている。次はネコかもしれない。オレは、クロが殺されてしまうのが……たまらなく、恐ろしい」

 口から熱い息が漏れた。栓をするようにして、ペットボトルの水をがぶがぶと流し込む。溢れた水でシャツが大きく濡れた。

「クロというのが、米噛さんの飼っているネコの名前ですか?」

 三千代はコンビニの壁のつくる物陰から出て、米噛とスイの前に立った。

 口を(ぬぐ)い、三千代の問いに答える。

「そうだ──けれど──飼ってるわけじゃない。家によく来る地域猫、という感じかな。だからよく外に行きたがる。なぜか最近は特に出たがる。よりにもよってこんな時に……」

 どうしてこんな時に外に出たがるんだ? 教えてくれ。クロ。米噛は心の中で呟いた。


「警察には通報したんですか?」

 そう言ったのはスイだった。陶器のように白い肌に、玉のような汗が散りばめられている。しかし彼女は汗を拭う様子を見せない。目の前の会話に一生懸命、といった感じだった。

「いや……していない。犯人は“剣”を使ったのだと思った。そう……“別世界の剣”を。」米噛はちらりと三千代に目を向けて、「剣には剣で戦うしかないんだろう。」と言った。

 相手が剣士ということならば、警察さえも「一般人」の括りだ。下手に剣士と接触させれば、余計な被害者を増やすことになるかもしれない。

「それでも通報した方がいいと思いますよ。ここらで野生のウサギなんて見たことないので……そのコは、きっとどこかの家で飼われてたコですよ。他人のペットが被害にあったとなると、これまでの比じゃない規模で警察が動いてくれるかもしれない。警察が剣士の抑止力にならないとしても、犯人は活動を控えるようになるかも……」

 スイの語尾は一切伸びていない。それだけで彼女が今とても真剣なのだと、三千代と米噛に伝わった。米噛は手で己の口を(おお)った。彼女にはゆったりとした印象を抱いていただけに、真剣な物言いをしたときの言葉の力は強く感じた。

「そう、だね。ごめん、どうかしていた。今からでも通報しよう」

 キャリーケースを引く手に力がこもる。

その隣で、三千代が口を開く。

「その場所について行ってもいいですか?」

 彼女の声は気丈だったが、顔を見ると恐怖の色が浮かんでいた。まるで、「恐れていたことが起きた」ような顔だ。二人が大丈夫かと尋ねるよりも前に、三千代は言う。気丈さも失われている、自責と後悔をそのままゲロにして吐いたような声で。

「とうとう……本当に、剣で悪いことをする人が現れてしまったんだ……」

 そうか、と米噛は思った。彼女はそのために戦っていた。剣からこの街を守るために戦っていたのだ。米噛はこの時、彼女が真に正義のために戦っているのだと分かった。


 自転車を押して歩く少女二人の隣で、米噛は今になって思い出したことがあった。そして、そのことで、不安になっていた。

「(しまった。あの時、ついカッとなって公園を破壊したんだった。警察に見られたら、混乱させてしまうかもしれない……っていうか、どエライことだ!)」

「しかし、そなたの行いは(あやま)ちのようには思えない。」豪頭は言う。「あの時、米噛は純粋な正義の心で、吾輩を使用した。」

「(それにしても、だろ)」

「相手は別世界の剣だ。同じ力を持った者がその力を示すことで牽制するより良い方法は、あの場で思いつかなかった。吾輩にもな。」

 豪頭の示した“力”は、あまりに“この世界のもの”とは離れていた。公園のあちこちに、大きな串をぶすぶすと突き刺したような破壊痕があるのだ。一般の人が見ても、何がどうしてそうなったのか分からない。警察が見ても、その非現実的な結論に辿り着くことはないだろう。米噛は、人々に混乱をもたらしてしまったかもしれないと、自責の念に駆られていた。

 ただ。

 ただ、同じく剣を保持する者だけが、気づくはずだ。「これは“剣”による破壊の痕だ」と。

「(あの、)」三千代が控えめに手を挙げた。「(聞こえてますよ)」

 彼女の声は、心の声だった。

 米噛が地面に視線を落とすと、そこには西日を受けて長く伸びる自分の影があった。そして、隣を歩く二人の少女の足が、自分の影の上を踏むようにして歩いていることに気が付いた。

「(ず……)」気まずそうに二人の方を向く。「(ずっと、聞こえてた?)」

「(はい……テレパシーで)」

「(はーい)」

「((オウ)。)」

「うむ。」

 返事が四つ、テレパシーを通して返ってきた。三千代、スイ、ドンキ、王敬だ。三千代は、米噛同様、気まずそうな顔をしている。しかし一切首を動かす様子はない。テレパシーがあればジェスチャーは必要なかった。彫像を相手しているようで少し恐ろしい。


 公園の近くに着く。入り口付近には大勢の人々が(たか)っており、先に進むことが困難だった。人ごみから少し外れた路地に、三千代とスイはひとまず自転車を停めた。

 米噛の不安は命中していた。ウサギの死体があった場所に、紺色の服をした人間が団子のように固まっている。警察だ。「小動物の死骸が落ちていた」にしては多すぎる数が動員されていた。当然だ。地面が抉られ、草が散乱し、傍に立つフェンスはぐしゃぐしゃに潰されているのだ。(はた)から見たらこれは、並みの事件ではない。

 野次を公園に入れないように、警察が並んで壁を作っている。人の壁だ。壁の隙間から事件現場をひと目見てやろうと、人々がひしめき合ってそれも壁になっている。

 米噛はきょろきょろと、人ごみを見渡した。

 事件現場を最初に発見して通報したらしき人物を見つける。薄い赤のシャツを着た主婦だった。警察による人間バリケードの前にも相当数の野次が集まっているが、それに匹敵するほど、赤いシャツの主婦の周りで多くの人がひしめき合っている。人々は「発見したときどのような状態だったか」「犯人の姿は見たか」矢継ぎ早に質問をている。中心となっている主婦は額に汗を浮かべ、まくし立てるように質問に答えていった。それを聞いていると、無残な飼いウサギの死体と同じくらい、破壊された公園が人々の関心を引いていたことが分かった。二つの事象は、並べて語られていた。

「(本当に余計なことをしてしまった)」

 肩を落としてがっくりしていると、三千代が腕のあたりを掴んだ。

「(切り替えていきましょう。これで世間からの注目は大きくなりました。犯人も活動を控えるかもしれません)」

 年下の子にフォローされてしまった。しかし、米噛は恥ずかしくはなかった。というより、ここで恥ずかしがることは失礼だと思った。……死んでいった命に。

 三千代がそっと手を離す。見ると、目を閉じていた。それがウサギへの(とむら)いを意味していることはすぐに分かった。米噛は先ほどの豪頭を使った公園の破壊に(とむら)いの意味も込めたつもりでいた。しかし今。三千代に続くようにして米噛も目を閉じる。

 (まぶた)が下ろされ、世界と自分が遮断されるその一瞬、米噛にはウサギのイメージが点滅して見えた。西日や街灯などが光の残像となって(まぶた)の裏の暗闇に浮かび上がっただけだ。

 しばらくして、光のウサギは輪郭を溶かし、消えていった。

 そして、完全な暗闇となった。

 ……

 ウサギへの黙祷(もくとう)を終える。

 しかし米噛は目を開けようとしない。

 そうしていると、闇の中に猫の目が浮かんだ。満月のような黄色い(たま)に、それを二分するように、中心に大きな地割れのような縦の瞳が付いている。それが二つ、浮かんでいる。それから時間差をつけ、ゆっくりと猫の輪郭が見えだした。黒い耳、黒い四肢、黒い背、黒い尻尾。口の中を見せてくれないので、目以外の全身が黒い。黒い、猫だった。

 これから犯人はどうするつもりなんだろうか。小鳥の次はウサギを殺した。ウサギの次はネコなんだろうか。次はネコを殺すんだろうか。それは……それは黒い、人語を話せる、黒いネコだったりは、しないだろうか。

 手に汗を握った。運動なんて、最近は学校の体育の授業でしかしていない。身体を鍛えたことなんかない。柔らかい、室内を好む、弱い手だ。とても、剣を握るような手ではなかった。誰かを守れるような手ではなかった。それがたまらなく悔しかった。




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