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黒鉄の剣 5

「え? なになに?」

 夜の闇の向こうから現れた二人目の少女──長い黒髪の色白の少女は、米噛(まいかみ)と、彼女が「みっちょん」と呼んだ一人目の少女の顔を交互に見た。困惑しているようだった。二人目の少女は「みっちょん」を盾にするようにして、後ろに隠れてしまった。

 スマートフォンのライトは米噛の足元を照らしており、髪が黒くて長く、また肌がかなり白い以外に、少女の姿は詳しく分からなかった。手に何か握っているのが見えるようだが、何かは分からない。

 最終的に彼女は米噛から目を逸らすようにして、一人目の少女「みっちょん」──短髪の褐色の肌の少女の顔を覗き込んだ。

「ど……どういうこと?」

「手を。」褐色の少女は短く、そう言った。

「う、うん」

 少女らは手を握った。


 褐色の少女──三千代(みちよ)は、口を開くことなく、ただ言葉を思い浮かべる。

「(スイ。目の前に立ってる人が、私たちが追ってた剣士を転ばせたの。転んだ拍子に剣が木に刺さったから、しばらく剣士は動けないよ)」

 色白の少女──スイが返事する。

「(わ、分かった)」

 口語にするよりもテレパシーを使った方が、情報伝達が早く行われた。それに、話していることを外に聞かれる心配もない。

 二人がテレパシーによる会話を開始してから、現実時間では約一秒が経とうとしていた。目前の──「米噛(まいかみ)」と名乗った──男は、三千代の次の言葉を待っている。男への対応が不自然に滞らない程度に、スイには素早く要件を伝える必要があった。

 三千代は、視線を一切地面に傾けることなく、前を向いたまま続ける。

「(この人はさっき、剣について言及した。剣となんらかの関係があるみたい)」

「(ええっ!?)」

「(誤魔化す必要はないと思う。だから、私から状況を説明しようと思う)」

「(分かった。それとみっちょん──)」気づいてると思うけど、といったニュアンスでスイが下を向く。

「(うん、)」三千代は一瞬、地面に視線を落とした。変色ガラスの剣を握っている剣士が、ひくひくと身体を震えさせている。「(いくら手間取ってるっていっても、剣が木から引き抜かれるのは時間の問題だね)」

 スイが、闇の中で緑青(ろくしょう)を身に包む王敬(おうけい)を見ながら言う。

「(暴れる前に、動きを止めないと)」

「(分かった。)」

 三千代は、スイから手を離した。

米噛(まいかみ)さん。この街では剣を使って暴れている者と、そうさせる黒幕がいるようなんです。私たちはこの問題を解決するために戦っています──」


 褐色の少女は名を「三千代(みちよ)」と言った。あだ名が「みっちょん」というわけだ。

 三千代による説明が終わった。色白の少女は「スイ」という名前であることや、地面に倒れている剣士は寄生虫とやらに操られていることなど、様々なことを説明してもらった。

 米噛は、三千代の隣に並び立って地面を見つめている、スイという少女をサッと見た。前に出たことで、彼女の手に握っているものの姿が(あら)わになっている。それは剣だった。青い、美しい、剣だ。

 実は先程から──男を足にひっかけてころばせたあたりから、影の中の黒鉄(くろがね)(ごう)()()(ごう)がうるさい。テレパシーなので、目前の二人の少女に会話は聞こえていないはずだが、それにしてもうるさかった。

「あれは――! そうか、あの巨大な気の正体は――」

「(知ってるのか? コストコ。)」

 (ごう)()(おのれ)の影の中にいると悟られぬよう、正面を向いたまま、尋ねた。

「ああ。吾輩と同じく“名剣”の一本――銅剣・王敬(おうけい)だ。」

「(“名剣”!)」

 米噛の脳裏に「核兵器」の文字がよぎる。

 強さのあまり、そのうちの一本が他国に渡るだけで世界の秩序が壊れる、“兵器”。別世界の人間たちはそれらを恐れ、条約を結び、一斉にこの世界へと破棄した。……“名剣”。

「(“名剣”? ああいうのも、“名剣”なのか)」

 豪頭は、いかつい黒い鉄の巨大な剣だ。しかし、王敬と言うらしいあの銅剣は、折り畳まれた折り畳み傘ほどしか刀身がなく、歴史の教科書の縄文・弥生あたりに載っている祭事の儀礼用の剣にしか見えない。武器として豪頭に比肩するとは思えなかった。

「剣は見た目ではない。王敬は、吾輩や他の“名剣”のように要人を守るのではなく、戦場で振るわれた。新聞にもその姿はよく載せられた――いわば、最もメディア露出が多かった“名剣”だ。吾輩もその強さを知っている。世界で最も有名な、剣かもな。」

「(それは怖いな。もし戦ったら、勝てるか?)」

「分からないな。今は夜だ。影も弱い。」

 豪頭の力は、主人の影の濃淡に依存する。辺りは暗闇。スマートフォンのライトが生む程度の影ではその威力は半減どころではない。

「(そうか。……じゃあ、三千代さんの方の剣はどうだ?)」

 米噛は右へ目線を動かした。三千代と目が合う。彼女の腰には、ディスカウントストアの店頭で売られていそうな、おもちゃのような、剣が挿されていた。

「おかしな剣だ。一切、気配を感じない。吾輩のように姿を隠しているわけでもなく、変形して剣の魂の形状を変えているわけでもなさそうだが、気配がない。あれは、吾輩と同じ剣なのか?」


「……ひとつ質問いい?」

「なんですか?」

「三千代さんとスイさんは、別世界から送られてきた剣を使って悪さをする者や、その“身体を持たない寄生虫”とやらにに操られている者を止めるため、戦っているんだよね?」

 米噛は、地面に転がる、白目を剥いた男を見た。歳はそこまで離れていないように見える。手には、青と赤の光で美しく輝く、ガラスのような剣を握っている。先ほどから、ぴくりとも動いていない。しかし耳をすませば(かす)かな呼気の音が聞こえるので、死んでいるわけではないらしい。

 這いつくばって剣を握った青年に、自分の姿が重なった。

「そうです。」と三千代が答えた。「特に後者の場合……寄生虫に操られている剣士は、気絶したまま身体が動いているので、剣で負かす以外に止める手段がないと思うんです」

「だから、同じく剣を持った者が戦う必要がある……」

 米噛が言うと、三千代はこくりと頷いた。

 米噛は続けて尋ねる。

「では、キミ達が実は悪者である場合、あるいは後天的に悪者となった場合、どうする。かなりイヤな言い方になってしまうが……そう、なぜ、キミたちだけに、他者を(あく)だと決め、裁く権利がある?」

「それは……」

 少し考える素振りを見せてから、褐色の少女は口を開いた。場違いなように見える、彼女の腰にささったおもちゃの剣から目を逸らし、米噛は彼女の答えをまじまじと聞く。

「それは、私だけは……他の誰かに止めてもらえるから」

「……どういうこと?」

「私だけは、ニセモノの剣士なんです。」そう言って彼女は、腰からおもちゃの剣を取り出した。「これは、スイが持っている銅剣や、米噛さんが持っているであろう剣とは違って、別世界の剣ではないんです。“おもちゃの剣”ではなく、“剣のおもちゃ”なんです。」

「……」

 想定外の答えに、米噛は表情を変えることができない。そんな中、豪頭のテレパシーが、目前の三千代の肉声と混じって聞こえた。

「そういうことか。三千代という少女の剣は、やはり吾輩のような別世界の剣ではなかったのか。ははあ、この世界の剣は随分幼稚な見た目をしている。」

「でも勝負のルールには適応されるみたいで……。私は、この剣でスイに勝利しました。スイは王敬に操られて、暴れていたんです。そのとき戦って、私が勝ちました。この剣のおもちゃを使えば、相手を大きく傷つけることなく勝負を終わらせることができるんです。……別世界の剣たちのルールは知ってますよね」

「ああ。」米噛は口を開く。「顔面、喉、手やお腹に先に剣をあてた方の勝ち。負けた方は死ぬか、勝者に服従する」

「そうです。スイと王敬は、私とこの剣のおもちゃに逆らえません」

 首肯するスイを横目に、三千代は続ける。

「たとえば警察の銃では、気絶しても動き続ける傀儡(かいらい)剣士を止めることができません。だから私が、剣を使って止める。」

「……」

「でも私だけは、仮に暴れても警察の銃で止めることができます」

 そう言った後、三千代は熊と猟師の喩えを付け加えた。警察の銃とはつまり法である。法は、人間にしか効かないのだ。熊は人間の作った法になど従わないし、警察の銃では熊を駆除することは難しい。だから猟師が猟銃を使って駆除をする。そして、人間である猟師は、人間の法に従うし、仮に暴れても警察の銃で止めることができる。

 要は、(さん)(すく)みの関係になっている。

 三千代の隣で、スイの白い肌が一層青白く染まっていた。玉のような汗がぷつぷつと浮いている。この様子では、どうやらスイも三千代の考えを知らなかったらしい。

「そんな……みっちょん、そんなことを考えていたの……?」

「うん。私たちの手でこの一連の事件を終わらせたとき、全ての別世界の剣の力が私の手にある。そんな私が仮に悪さしようとしたそのあかつきには、構わず警察が私を射殺すればいい」

「……」

 米噛は手を(あご)にあてて考えた。

「どう思う?」豪頭が影から尋ねる。

「うん……いや、」顎から手を離す。「疑問なんだけれど、敗者は勝者に従うんだよね?」

 やや右下を見ていた三千代の瞳が前を向く。

「は……はい」

「それだと、三千代さんは負かした相手の剣を奪うこともできるはずだ。だとしたら、三千代さんはその剣のおもちゃを捨てて、敗者から取り上げた別世界の剣を使って悪さできてしまうんじゃないの? 今だって、スイさんから王敬を取り上げて使うことだって……」

「え……?」三千代は、「……そうなの?」スイの方を向いて尋ねた。

「あ、できるって、オーケーが言ってる」

 スイは銅剣を自身の胸の前に持ってきてみせた。

「故に、元いた世界では“名剣”同士の決闘が禁止となっていたわけだのう。勝者は敗者の剣を奪うも自由。勝者という──戦勝国という一箇所に複数本の“名剣”が集まれば、力の均衡が大きく崩れてしまう。」

「……って言ってる。」王敬の言葉をスイが代弁した。

「あっ、ほんとだ、そんな話だったね……」

 三千代はカッと顔を赤く染めて、黙ってしまった。


 米噛の前、地面に伏す男を挟み、褐色の少女がうろたえている。その背中を色白の少女がさする。

「ふ……あはは。」米噛は声を上げて笑った。

 びくりとして、少女二人はこちらを見る。

「ああ、ごめん。驚かせるつもりはなかった。ただ……」

 米噛は下を見た。地面に落ちている男ではなく、それよりももっと足元に近いところにある──自分の影だ。

「ああ。」影はそう言った。

「うん。もう道理にかなった説明はいらない。三千代さんが、悪者でないことは納得できたよ。言い換えると……そう、信じることにした」

「あっ、ありがとうございます」

「身体を持たない寄生虫のこと、初めて知ったよ。この事件をどうにかするのは、三千代さんとスイさんであるべきなんだろう」

「……はい」

「ボクも剣の所有者だ。もちろん、悪いことはしていないし、するつもりだってない。寄生虫にも操られてはいない……つもりだけれど、」

 静かに話を聞く少女らを前に、ゆっくりと膝を曲げる。

「見せるよ。とりあえず」

 右の膝を地面につける。小さな石が薄いズボン越しに食い込み、僅かに痛い。唇で圧迫するようにして、スマートフォンを口に咥える。反射光が強くなった。その分だけ、足元の影も濃いものとなる。

 両手を地面──の影の中に突っ込む。墨汁で満たされたバケツの中のように、手がすっぽりと黒で覆われる。

 芋を引き抜く要領で、

「ぐ、ぬ、ぬ、ぬ……」

 黒鉄(くろがね)の剣・(ごう)()()(ごう)が引き抜かれた。そのまま、豪頭を杖のようにして、よっこいせと立ち上がる。右手を、豪頭の(つば)にひっかけてもたれかかる。

「あー、しんど……」

「非力だな。」と豪頭が言う。

「(うるさいなあ。ホントに重いんだよ、コストコ)」

 三千代とスイは、その黒く巨大な剣を、丸い目でまじまじと見つめた。

「ふう。……紹介しよう。“名剣”── (ごう)()()(ごう)だ。オレ……ボクは、コストコって呼んでる」

「よろしく頼む。」豪頭が答える。

「(テレパシーは触れてないと聞こえないんじゃないか?)」

 心で唱え、米噛は三千代とスイ、二人の方を見つめる。

「ああ、そうだった。」

「(今、二人に触らせるよ」」

 米噛は鉄の(つか)を向けて、手を前に伸ばした。

「……」

 しかし、すぐ引っ込めた。

 米噛が三千代とスイの気持ちになって考えた結果だ。

 ……向こうからしたら、豪頭がどのような剣なのかは何も分からない状態である。刀身に触れた瞬間に攻撃が成立する力を持った剣、という可能性も否定できない。そんな相手と握手するのは、相手からしては不用心で、無警戒で、危険なことだろう。

 引っ込めた手を、豪頭の刃の平面にあてる。ばん、と叩く。鉄の塊にビンタしたわけだから、ひりひりと痛んだ。

「こいつは別世界では、大統領?総理大臣?の命を暗殺者やスパイから守るため、その歴代秘書に使われていたらしい。別世界では何人も人を殺してきている」

 はっきりと言ってみせる。言葉から逃げるのは意味がないように思えた。豪頭が元世界で沢山の人間を殺してきたのは、事実なのだ。問題はこの世界でどうなのか、である。

 米噛は続ける。

「が、この世界に来てから──オレに拾われてからは、羽虫の一匹も殺したことはない。これからもそのつもりだ。こいつ自身、別世界での殺人や戦闘は望んでやったわけじゃない。利用されていただけだよ。」米噛は一拍入れてから、「こいつに剣士を操る力はないよ」

 米噛は、地面に転がる自分と同世代ほどの男と、そしてその手に握られている美しいガラスの剣を見た。

「この地面の男が握ってるガラスの剣、壊すつもりだろう。」

 こくん。三千代の首肯に、米噛も顎を引いて応える。

「別の誰かの手に渡って暴れられたら、困るものな……」

 米噛は少女たちの行動に納得していた。危険因子を排除するのは、動物として──人間として正当な行為だ。いや彼女たちのソレは、そんな本能の話を超越し、「正義」に基づいた行動なのであろう。正しく崇高な行為とさえいえる。街を守るため、剣を壊すのだ。しかし──

「でも、どうか、コストコは壊さないでやってほしい。オレも剣を使って悪さしようなんて考えていないし、こいつもオレの身体を操るような力は持っていないんだ」

 米噛はゆっくりと言葉を切った。

 少女らは顔を見合わせた。先にこちらを向いたのは褐色の方だった。

「私たちに、他者を(あく)だと決め、裁く権利はないです。でも、米噛さんは悪じゃないと思います。……米噛さんとは、戦いません」

「そうか。」米噛は目を閉じた。「ありがとう」

 手を離すと、豪頭は影の中に吸い込まれていった。

「コストコは基本的にオレの影の中にいる。コストコの力を使うには、今みたいに影の中から引き抜いて剣を振るう必要がある。顕現している時の豪頭の気配は目立つだろう」

 米噛の言葉に、スイはこくこくと頷く。彼女の手の中の剣──王敬──が、豪頭の気配を感知しているのだろう。同郷の剣にとって、豪頭の気配は相当大きなものらしい。

 無論、それは豪頭にとっても同じこと。王敬の巨大な気配を、豪頭はひしひしと感知している。互いに、“名剣”。互いに、巨大な存在だ。

「この街にいる限り、オレが何か悪さしようとしてもスイさんと三千代さんがすぐに気づくだろう。その寄生虫とやらに操られたり、気が触れて暴れたときには、もしもそんなときが来たら……キミ達がオレらのことを止めてくれ」

「約束します。」少女二人の声が重なっている。

「ありがとう」


 帰宅後、クロが尋ねた。クロは(しげ)みの中から、米噛と三千代たちの会話を聞いていたのだ。

「良かったのか?」

「なにが?」

 あ。口を開け、焼きそばを押し込む。三千代たちと別れた後、結局祭りに戻り焼きそばだけ買って帰ったのだった。てらてらと茶色い光沢を纏う麺には、爪ほどもない小さなキャベツと豚肉の欠片が載っている。紅しょうがも海苔も無く、よくこんなもので500円を取ったなと思う。しかし晩飯のことを考えていなかったので仕方ない。

「この街を守る正義の味方の、一員にならないのか?」

 キャットフードをちろちろと食べながら、クロが言った。自分の手中にある茶色い麺よりもよっぽど上等な飯のように見え、米噛は哀しくなった。……ツナ缶が食べたい気分になった。

「ならないよ。というか、なれないだろう」

「なぜだ。」クロは頬の周りをうまそうに舐めた。

「三千代さんたちは、敵の剣士を──人間を、極力傷つけない方針でやっている。スイさんの持っていた銅の剣の力で相手の動きを止め、それから三千代さんがあのおもちゃの剣で手の甲やら顔面やらをやさしく小突く……そういう方法で戦っている」

 米噛は一時間前に見た光景を思い浮かべる。

 スマートフォンの小さなライトで照らされて、地面に倒れる白目を剥いた青年。

 変色ガラスの剣士がいつまで経っても動かないのは、米噛が転倒させた拍子に気絶させたからではない。転んだ拍子に剣が木の幹に深く突き刺さってしまったからでもなかった。見ると、彼の体中に青い(つる)のようなものが張り巡らされている。つま先から手に握られたガラスの剣にまで、(つる)は縦横無尽に走っていた。これこそが“名剣”・王敬の力──「緑青(ろくしょう)生成」であった。青い(さび)は火山島のように銅剣の面積を外へと増やし、周囲の物を浸食する。変色ガラスの剣士は、銅の錆によって像のように動かなくなったのだ。そこを、三千代が手に持ったおもちゃの剣でこつんと小突く。小突かれた箇所は青年のおでこだった。ぷっくり丸みを帯びたビニールの剣が、人間の頭蓋骨と肉の反発をうけ、バナナのように()る。瞬間、青年は魚の煮付けのような白い目に(まぶた)を下ろし、手からガラスの剣を離した。

 それを踏まえて、米噛はこう考える。

「コストコは適任じゃあないだろう」

 コストコ──黒鉄(くろがね)の剣・(ごう)()()(ごう)

 その力は、主人の影から無数の鉄の刃を生やす、といったものだ。豪頭の切っ先で影をつつくと、瞬時に、ヤマアラシかハリセンボンのように、無数の黒い刃が影から立つ。

 力は剣士の影の濃淡に比例する。

 学校の帰りに、その力を見せてもらった。

 あの時は、米噛は中学校旧校舎の裏にいて、地面に落とす影は薄い色をしていた。結果、豪頭の力は弱く、影からは猫よけのような小さな黒棘(くろとげ)しか生えなかった。

 しかし八月の今日この頃。炎天下、晴れの日、アスファルトに伸びる(うるし)で塗ったように黒く深い影の上で豪頭を使おうものなら──

「使おうものなら、周囲の全ての物をハチの巣にして破壊するだろう。影から生える鉄の刃は、剣の主人──つまりオレの、思考や感情によってある程度、指向性をつけることもできるらしい。けれど……」米噛は口元のソースを手で拭い、「そんな複雑そうなコントロール、オレにはできる自信がない。敵に致命傷を負わせず刃を伸ばすことはおろか、味方に刃を当てないようにもできそうにない。」と言った。

 クロは米噛の膝に乗り、床に伸びる薄い影に話しかける。

「そうなのか?」

「ああ。」豪頭が答える。「元いた世界で吾輩の使い手だった者たちにも、感情のコントロールが求められていた。感情は、刃の切っ先のようなものだ。尖りもするし、時には仲間を傷つけることもある。感情は正しく向けなければならない。護衛対象の命を狙う(やから)に対してのみ、強い感情を向けるんだ。怒りでも憎しみでもない。()()()()()だ。」

「おお……」

「――すると、影より生える無数の刃は全て、そいつへ向かう。顔面も喉も、腹も、四肢も、滅多(めった)刺しだ。」

「グロ……」

 米噛は(から)になった焼きそばの容器へ向けて、両手を合わせた。

「の、望んで手に入れた力じゃない!」

 強い感情の込められた豪頭のテレパシーに、体が揺らされる。

「分かってるよ」


 風呂の後、歯を磨いた。かっちりと上下の歯を合わせて、鏡を覗き込む。全て、完璧に白い。青海苔のひとかけらも付いていない、素晴らしい、と思ったが、そもそもあの屋台で売られていたセコい焼きそばには元々海苔なんて入っていなかったのだということを思い出す。

 部屋に戻り、本棚から漫画を取り出す。眠たくなるまで、今日はこの漫画を読むつもりでいた。別に、眠くならなければそのまま夜が明けてしまってもいい。もう、夏休みなのだ。

「ワガハイはもう寝るからな」

 クロは高く跳び上がって扉のレバーを下ろした。かちゃり。

「おやすみ。」と米噛が言うと、

「オマエも早く寝ろよ。」と残して、部屋から出ていった。

 母の部屋に行くつもりだろう。クロがこの家に来るようになってから、家には猫用ベッドが3つも常設されるようになった。主に米噛の部屋のものを使っていたが、その次に好んで使うのは、母の部屋のど真ん中に座する天蓋(てんがい)付きベッドだった。米噛の母は、クロを溺愛しているのだ。しかし、クロが人語を操るとは知らず、ただの黒猫だと思っている。

「……」

 手に取った漫画は、十巻で完結している、短いものだった。米噛が生まれる数年前に連載が始まり、米噛が生まれて数年目で完結した。

 彼がこの作品を知ったのは、隣町の古本チェーン店でたまたま目に留まったからだ。白銅のワンコインで一冊買えるような最低価格コーナーの、端にあった。見たことのないレーベルのロゴだった。掲載誌は、ジャンプでもサンデーでもマガジンでもチャンピオンでもなかったのだ。たまたま一巻を手に取って、それなりに面白くて、安かったので、全巻買うことにした。一巻ずつ購入するよりも、店頭でケースでまとめられている全巻セットの方が安く買うことができた。定価の六分の一で売られている中古価格の、更に約八割の(かね)で買うことができた。紙幣を一枚渡すと、白銅のコインが二枚返ってくるほど、安かった。

 それなりに面白かった。それなりに好きな漫画だった。一番、というほどではない。しかし間違いなく好きな漫画ではある。かなり、好きな漫画だ。

 主人公が、村の近くの森を支配していた悪魔の腹を切り裂いた。見開きの一ページに、主人公の決め台詞と、縁取りされた擬音が飛び出すように描かれている。そこまで写実的な絵柄ではない。話の展開的にも、グロテスクというよりはカタルシス。そんなシーンだった。しかし今は、モノクロの悪魔の黒い血が、赤く見えた。

「(あのとき……)」

 あのとき。

 三千代はおもちゃの剣で地面に転がる青年の顔を優しくつつき、スイは王敬を振り下ろして変色ガラスの剣を砕いた。()()()()()()()()()()に操られていた青年には、一切傷がついていない。少女らは見事、一切人を傷つけずに、悪を挫いてみせたのだ。

 もしあのとき、より暴力的な手法で三千代とスイが問題を解決しようとしていたら、自分は彼女たちを認めていなかっただろうと、米噛は思った。「認める・認めない」と言うと上から目線だが、やはり自分は認めなかっただろうと、米噛は思った。もしフィクションでない現実の世界で、特別な力を手にした人間が、その力を暴力として振るっていたら、いかなる理由や正当性があろうと、それはとてもグロテスクなことのように思えた。きっと彼女らを正義の味方だとは思わなかった。

 だから自分は三千代さんとスイさんの存在に安心し、そして人を傷つけ()る自分は正義の味方に加わるべきではないと思ったのか。そう自覚した途端、心地よい眠気が彼に舞い降りた。

 のそのそとベッドの中へ(こも)る。

「おやすみ。」と言うと、

「おやすみ。」と、自分の影の中にいる剣が答えた。




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