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黒鉄の剣 1

 片方の耳から蝉の声が、もう片方の耳からは洋楽が聞こえる。七月の曇天の下を、米噛(まいかみ)の自転車が走っている。放課後だ。

 歌の再生が終わり、次の曲が始まった。これも英語の歌だった。

「クロからはいくつも歌を教えてもらったけれど、洋楽は歌詞を見なければ何について歌ってるかよく分からないな」

 音楽はミュージックプレイヤーに、ワイヤレスイヤホンを接続させて聴いていた。スマートフォンは家に置いている。いつものように、クロが家で使用しているからだ。

 見上げると、薄い雲の向こうで太陽が輪郭を見せていた。こうなっては月と大差がない。

 顔を元の向きに戻す。坂道に入った。下りだ。帰りの道では下り、ということは行きは上り坂だったということだ。明日の登校を思うと憂鬱な気分になった。明日は美術の授業があるため荷物も多く、その上、雨らしいのだ。

 顔面に風が吹きつける。それなりに強い風で、眼鏡をかけていなければ目を閉じてしまっただろう。ぼさぼさの髪がゼラチンのように揺れた。

「コストコは、英語は分かるのか?」眼鏡の位置を直しながら尋ねる。

 コストコ。それは、剣の名前だった。本当の名を「(ごう)()()(ごう)」と言う、夜のように暗い黒の鉄でできた、大きな剣である。

 剣には2つの大きな特色があった。ひとつは、普段は所有者の影の中に潜んでいるということ。もうひとつは、喋るということ。

「あまり分からない。」(ごう)()()(ごう)は答えた。

「そうかー。まあ、難しいよな。」米噛(まいかみ)は目線を右上へ向ける。「ん? でも、日本語は誰から学んだわけ?」

「そなただ。」

「え、オレ?」

「うむ。吾輩(わがはい)は、こうやってテレパシーでそなたと話しているだろ。つまり心が読める。吾輩は、そなたの心に浮かぶ無数の“日本語”を見て、日本語を理解・生成できるようになった。」

「すごい。じゃあ、しばらくクロに触らしてやれば英語もできるようになりそうだなあ」

「クロ殿が、その英語とやらを出来るのであれば、そのはずだ。」

 それを聞き、米噛はほくそ笑んだ。

「(じゃあコストコに英語を覚えさせれば、テストも楽勝ってことだ)」

「それは騎士のやることではない。手は貸さんぞ。」

 コストコ──豪頭怒号は、「騎士」というワードにこだわりがあった。


 豪頭には不思議な点が多々あった。日本海側海辺に剣が落ちていた、というだけでも十分不思議だが、その剣はあろうことか喋り、なにより影に潜る。

 この時点でどれだけ鈍い奴でも「おかしいだろ」と気づくものなのだが、米噛に限ってはそうではなかった。

 家に着く。きい、かちゃ。自転車は不快な金属音と共に停止した。車体に散らばる赤い錆を見れば分かるが、もうだいぶガタが来ている。

「ただいまー」彼が部屋の扉を開けると、

「おかえり、」と声がする。「米噛」

 クロが言ったのだ。

 そう。

 彼が「日本海から漂流してきたっぽい黒くて大きくて喋って影の中に潜る剣」を拾ってもさして驚かなかった理由。

 クロ。

 喋る、猫である。

 彼は、喋る猫と数年前に出会っていたのだ。もう並大抵のことでは驚かないわけである。米噛はその非力さの割に、異様なほど胆力があった。

 クロが、肉球を向ける。

「コストコを拾ってから初めての登校だったろう。どうだった?」

「全く何も起きなかった。ま、バレるわけないわな。ずっとオレの影の中にいるんだから」

「それもそうか」


 クロは、米噛のスマホを使ってサンボマスターを聞いていた。そういう名前のロックバンドだ。

「サンボマスターか」

 ベッドに腰を下ろすと、足元の影にクロがにじり寄ってきた。

「サンボマスターだ」

「クロはずっとそれだな。聴くのはいつも、サンボマスターかもしくは、その洋楽の、ええと、」

「MCR……マイ・ケミカル・ロマンスな」

「そうそれ」

「ところでよ、」クロは顔を上げた。「コストコには聞こえているのか? この歌は」

 こちらを見上げる黒猫の顔。

「多分。」曖昧に答える。というより、「オレの影の上にいればコストコ本人と喋れるだろ」

「あ、そうか。で、どうなんだ」

 そのとき、米噛の影が濃くなった気がした。米噛は一瞬これはどうしたことだろうと考えたが、なんてことはない。太陽が雲から顔を出したからだ。部屋が照らされ、その分、影が濃くなったに過ぎない。

「吾輩にも聞こえているぞ。米噛殿と五感を共有しているからな。とても騎士道精神に溢れた歌だ。」

 豪頭の声が、影の上に座るクロへと伝わった。

 クロはじぐざぐした小さな歯を見せて、笑う。

「これは騎士道精神とは少し違う。ロックというものだ」

「ロック。なるほど、これは――ロック。覚えておこう。」


 次の日、雨が降った。

 そこまで大きいわけではない。ぱらぱらと振った。光の屈折率が不完全である窓越しには、見えないくらい、小さな雨だった。米噛も、窓を開けるまでは気が付かなかった。

「あ。今日、雨なのか」

「おや、本当だ。ワガハイも気が付かなかった。」あくびを挟んで、「で。もう行くのかい」

「うん。雨の強くならないうちに、行ってしまおう。今ならまだ傘をさすほどじゃないだろ」

「そうだなあ。だが、音楽を聴くのはやめておけ。」念を押すように、「片耳でもな」

 米噛は「分かった」と言って、左耳から小さな白いイヤホンを外した。

 部屋の電気を消そうとして、その手を止める。クロの方を振り向くと、

「ん? ああ、良い、良い。ワガハイも外出しようと思っているから。電気は消せば良い」

「雨の日に?」

「たまには外を歩かないと体がなまる」

 パチン。

 電気を消すと、部屋全体が薄い闇で満ちた。影も、にじんで溶けた。


「しかし眠いな」

 高校までは自転車で十分以上かかる。

 坂に入り、ペダルを踏む足に力を入れる。

「昨日、夜遅くまでテレビを見ていたからだ。」豪頭の声が影から伝わる。

「そ、そうか。ずっとオレの影にいるから、コストコも見てたのか」

 剣は、視覚や聴覚を所有者とリンクさせているらしい。

「面白い物語ではあったが。」

 アニメのことだ。

 米噛は毎日、夜遅くまで目を開けて深夜アニメを見ていた。そのたびにクロが咎めてくる。「夜更かしは健康に悪い」とぐちぐち言ってくる。結局付き合って、一緒にテレビを見るのだが。クロの言い分は、

「ワガハイはオマエが学校に行っている間、たっぷり昼寝をしているからいいんだよ」

 しかしそれを言うなら米噛も、

「オレだって、別に、昼にしっかり寝てるよ……学校で」

 勿論、こんな返答でクロは納得していない。

 そんなことを考えていて、米噛はふと思った。

「そういえばコストコは、眠ったりしないのか?」

「吾輩には睡眠も食事も必要ない。」

「それは、羨ましいようで、そうでもないかもなあ」

 坂を上り切る。

 米噛は続ける。

「あ、まあ、剣だから当然か。剣は食べもしないし眠りもしないよな……」

「いや、そうとは限らない。」

「ん? よく聞こえなかった。」米噛は下を見た。「なんかコストコの声、聞こえづらいぞ」

 灰色の地面に、ぽつぽつと黒点が散っている。雨だ。さっきまではこんなにはっきりと水玉模様を描いていなかった。雨が段々と強くなっている。

 ぼさぼさの髪の上に、雨が、さくさくと音を立てて刺さっているのが分かる。メガネにも水滴が付着し、視界が歪む。

 雨は看過できないほどになっていた。

「ヤバい、急ぐか!」

 既に、豪頭の声はほとんど聞こえなくなっている。雨音が強いのもあるが、それを抜きにしても、豪頭の声は電波の悪いラジオのようになっていた。

 ぴしゃん。遠くで、雷が空気を裂く音がした。


「ふう、散々だったな。って、別にコストコはオレの影の中にいたから平気だろうけど」

 教室にはまだ誰もいない。小雨のうちに出発しようとして早く家を出たのと、本格的に降り出して急いで自転車を飛ばしたことで、思ったより早い時間に学校に着いてしまったらしい。

「吾輩も雨は苦手だぞ。」豪頭怒号が答える。「影が弱くなる。」

「影?」

 尋ねながら、米噛は靴から足を抜いた。。

 びしょびしょになってしまった靴下を脱ぎ、机の前脚二本に橋のようにかかっているパイプ部分にひっかける。素足で靴を履くのは気持ちが悪そうなので、そのままあぐらをかくことにした。

「そう、影だ。吾輩は普段、主人の影の中にいる。つまり今は、そなた――米噛殿の影の中だ。吾輩の力もまた、そなたの影の濃淡に比例するということだな。」

「力──」

 豪頭怒号の「力」とは何なのか。尋ねてみたかったが、教室に別の生徒が入ってきたので急遽、話は中断された。

「別に、話を続けたければ、すれば良い。吾輩は心の声が読めるのだから。誰にも吾輩と話していることはバレないだろう。」

「(そうなんだけれど、でもそれどころではなくなった)」

 豪頭は米噛の心の声に返事をする。

「なんだ、どうした。」

「(思い出したんだよ)」

 彼の視線の先には、先ほど教室に入ってきた生徒がいた。

 その生徒とは別に友人というわけではない。そもそも米噛に、学校内に友人はほとんどいない。坊主頭に、半袖の夏服をさらに肩と脇のあたりまでまくったお祭り男のような恰好。クラスのお調子者だ。よく目立つタチの者だった。だから親しくなくとも、印象に残っていた。

「あの者にいじめられているのか。」

「(違う! って、んなことくらい心を読めば分かるだろ)」

「うん? ええと、あの者は、英語という授業科目の係で、教師の手伝いをしている。」

「(そう。係、ってやつだ。英語係。ちなみにオレは理科係だな)」

 そのため米噛は、たまに授業で使う実験道具を理科室から運んできたりしている。

「それで、かれを見ていたら、今朝は英語の小さなテストがあることを思い出したと。」

「(その通り。だからオレは今から、必死こいて英単語を覚えねばならんのだ)」

 鞄から青い表紙の英単語帳を取り出す。ほとんど雨に濡れておらず、乾けば元通りになりそうだった。そのことに安心しながら、慌てた様子で60ページ目を開いた。

 テストが終わり、隣の席の人と答案を交換して採点。二十点中九点のテストが手元に返された頃には、豪頭の言っていた「力」のことなどさっぱり忘れていた。

 そのまま数日、ずっと忘れていた。


 再び「力」という言葉が豪頭のテレパシーに登場したのは、六日後の月曜日だった。

 月曜日には、現代社会という科目があった。四限目。昼食のひとつ前の時間だ。担当教員は、前頭部に禿()げの(きざ)しが見える、五十代の男性である。

 教師の話は冗長で、声のトーンも落ち着いている。退屈で仕方ない。ほとんどの生徒は寝るか他のことをして暇を潰している。米噛も最初は真面目に聞こうという意志があったのだが、授業時間が二十五分を過ぎたあたりでついに耐えられなくなって、瞼が下りた。彼の場合は前日の夜更かしも関係がある。むしろ夜更かしのことを考慮すれば、ここまでよく耐えたものだ。

 現代社会の授業は今、政治分野についてやっている。日本の外交政策や国際関係、平和主義について、つらつらと五十代男性教員が解説を進める。そんな中、「非核三原則」という言葉が登場した。

「おい、米噛。」

 自分を呼ぶ声がして、米噛はぱっちりと目を開けた。大きく開いたが、驚いた様子はない。あくまで生体反応のようなものであり、極めて冷静だ。

 冷静に、声の主を探す。

 まずは黒板を見る。教師がこちらを向いていないことを確認した。どうやら、授業中に眠りこけていたことを指摘されたわけではないらしい。

 次に左右の席を見る。右はツーブロックの男で、左はスイカの中身のようにくるくると渦巻くカールの女子だった。どちらも机に突っ伏して、ノンレム睡眠を決め込んでいる。全く起きる気配がない。

 そして最後に、下を見た。机の下、椅子の下、それはつまり股の下だ。床である。床には、自分の影が落ちている。

「(どうかした?)」米噛は、自分を呼んだ相手を確信した。「(コストコ)」

「寝ていたのか。」豪頭は答えた。

 豪頭は、主人が眠っている間も授業を聞いていたのだ。別に、進行形で授業を聞き逃している主人の手助けをしてやるためではない。ただ単に、授業が豪頭にとって興味のある話だったというだけだ。

「授業を聞いていたのだけれど、非核三原則という言葉が登場した。」

「(ああ、そこらへんのことを授業でやっているのか。中学で勉強したことがあるし、やっぱり現代社会の勉強はしばらく、テキトーでいいな)」

「そなたもクロ殿も、吾輩について全く尋ねてこないから、吾輩は吾輩のことについて話すのがこんなにも遅れてしまった」

 豪頭のテレパシーの雰囲気がいつもと違う。まだ出会って一週間程度だが、影というのは肌身離さずの関係だ。一週間もあれば、そいつの「いつも」というものも薄っすら分かってくる。豪頭のテレパシーの雰囲気が、いつもと、違う。なんというか、シリアスだ。

「(どうかした? コストコ。せっかく起きたんだから、オレも現代社会の授業を受けたいのだけれど)」

 豪頭は、

「吾輩は、別世界から来た。別世界では、丁度、()()のような扱いをされていた。」

 説明を始めた。


「(()() ?)」

 米噛の目は、黒板に向けられる。

 黒板にはでかでかと「非核三原則」と書かれている。板書はそれだけではないが、今、彼の目はその五文字のみを見ている。豪頭の言う「あれ」があれのことだと、彼は直感で思った。

「(あれ、って……非核三原則?)」

「そうだ。」豪頭が答える。「核。――吾輩は、核兵器のようなものだ。」

 米噛は黙ってしまう。一瞬、意識が豪頭との会話から離れ、教師の進めている授業の方に向かってしまった。教師は「核の傘」だとか「核兵器禁止条約」だとか、そういった話をしていた。

 意識の方向を戻す。

「(……ええと。コストコが、核兵器?)」

「そうだ。」

「(おい、おい。あまり比喩でも、使う言葉じゃないぞ)」

「しかし、そう言う他なかった。別に、爆発と共に周囲の生物を殺戮し、一帯を焼野原にするわけではない。ただ、多くの人間を殺すことができ、多くの人間に恐れられてきた。」

「(……分かった、授業を聞くのは一旦止める。コストコの話を聞こうか)」

「有難い。」


 豪頭は、()()()たちと比べ、拾い主への説明時期が遅かった。彼が喋る剣を驚くことなく、受け入れてしまったためだ。

 全ては拾い主である米噛が、喋る猫と知り合いだったせいだった。猫と日常的に喋っているのだ。喋る剣が存在しようが不思議に思うことはなかった。米噛にとって、不思議なことがあるのは、不思議なことではない。

 喋る猫の方も、剣を見て最初は驚いたが今はそうでもない。猫は複雑な言語を習得したことによって種の限界を超えた知性と理性を獲得しており、それが野生や動物的本能とうまいこと融合していた。そのため動物的かつ人間的な思考ができた。この猫は、「害は無いっぽいしまあ放っておこう」という結論に達したのだった。

 そういうわけで喋る剣・豪頭怒号はこの世界に来てから一週間、誰からも何かを追求されることはなかったのだ。戦いを忘れ、愉快な仲間の一員となりつつあった。

 しかしいつまでもそうやって過ごすわけにもいかない。剣は、人を殺すために作られた道具だからだ。豪頭は別世界という場所、そしてそこで自分がどう扱われていたのかを話した。

「(それは随分、すごいことだなあ)」

「信じるのか?」

「(まあ)」

 米噛は、授業の後半20分間と昼食の間、コストコの話に耳を傾けた。話はこの世界の常識からかけ離れた内容だったが、そこまで複雑ではなかった。米噛は、口に放り込んだ牛肉のコロッケと共に、咀嚼する。

「(話をまとめると、)」ごくんと咀嚼物が喉を落ちる。「(人間が剣道でしか死なない世界で、コストコは強すぎる剣だった、ってことか)」

「とても嚙み砕いて言うと、そういうことだ。」

「(で危ないからこっちの世界に送られてきたってわけか)」

「そうだ。」

「(うーん、別にオレに話さなくてよかったんじゃないか)」

「なぜだ。」

「(コストコの他にも、その“名剣”たちがこっちの世界に送られてきた……からといって、敵対しているわけではないんだろう)」

「ああ。しかし、悪用する者がいるかも知れない。この世界、特にこの国では、剣は当たり前のものではないようだ。そなたが昨日読んでいた漫画でも、似たようなことが(えが)かれていたのではなかったか。」

 昨日は日曜日だった。米噛は一日中、家で漫画を読んでいた。それは、ある日異能力に目覚めた少年少女が、神の座を巡って戦い合うというものだった。突然手にした、非日常的な力。もやしのように非力だった少年は、力を使いいじめっ子をメタメタに打ちのめしていた。どうしてもピアノの腕で敵わない同級生を力を使って殺した少女もいた。実行力だけを理由に殺人に乗り出せなかったサイコ会社員が快楽を貪るために大量殺戮を始めた、なんてエピソードもあった。

「そなたやクロ殿が吾輩を使って犯罪行為を犯すことはないだろうが、他は分からない。主人を(そそのか)し、力を振るわせる剣がいるかもしれない。剣は、人のように十人十色。戦うことを好む者、殺すことの好きな者や、手にした剣士を操る者もいる。」

「(コストコは、そいつらを排除したいのか?)」

「そうだ。」

「(即答かよ)」

「そなたらのことを好きになったからだ。」豪頭は言った。「悪しき剣から、そなたらを守りたいのだ。」


 豪頭は、元いた世界では、南の大国の大統領秘書に携えられていた。読んで字のごとく、懐刀だったわけだ。大統領暗殺を狙う者たちに刃を向け、残忍に殺してきた。勝負はいつも一瞬だった。一振りで決着はついた。それほどまでに、“名剣”と他の剣では差があった。

 血で血を洗う毎日だ。

 全ては返り血であった、というだけだ。

 かれこれ二百年ほど、そうやって過ごしてきた。大統領は三の倍数の年に選挙で新しく選ばれる。何人もの大統領を守ってきた。無数の暗殺者やスパイを殺してきた。

 歴代秘書には、剣の腕は求められなかった。豪頭怒号さえ手に握っていれば、単調な一挙手で相手を(ほふ)ることができたからだ。それよりも国への忠誠心が求められた。謀反を起こせば、国内に敵う者は──剣はいない。豪頭を握る者一人が国を裏切るだけで、国は滅亡の危機へと傾く。そのため、秘書を選ぶ際に、度重なる精神調査によって忠誠心を確かめ、その上で家族を人質に取る。こうして豪頭を手にする秘書たちは、誰もかれも重度の愛国者であり、国の(かなめ)を守る役職に陶酔する変態となった。常に気を張り、緊張していた。剣と剣士の関係もドライで、互いに相棒などとは思っておらず、絆なんてものは当然存在しなかった。

 南の国で第百十三代目の大統領が選出された頃だった。海水を利用した、異世界への物質転送術が確立された。それから数年と経たないうちに、各国の偉い人間たちがひとつの大きな建物に集まり、万国共通条約というものを結んだ。“名剣”を筆頭とする、世界有数の危険物を、別世界に捨ててしまおうという話だった。

 初めて自分以外の“名剣”の姿を見た次の瞬間、豪頭怒号は日本の砂浜にいた。転送であり、追放であり、破棄だった。

 そして。

 米噛に拾われ、クロとも共に過ごしているうちに、無敗の化物は懐柔されていった。つまるところ、その剣は二百年以上人間の(そば)で存在してきたくせに、人間と過ごすことに慣れていなかったのだ。剣はすぐに、己を拾った人間と猫のことを好きになってしまった。

「吾輩がそなたとクロ殿を守る。」

「(まあ、落ち着けよ。そろそろ飯も食い終わる)」

 米噛は、最後に残った小松菜をごくんと飲み込んだ。

「ごちそうさま」

 小さな声で言った。机の周りには、誰もいない。クラスには友人がいないため、彼はいつも一人で食事をとっていた。

 立ち上がる。

「(しかし世界のどこに、他の送られてきた剣があるんだ?)」

「おそらくこの近くだ。」

「(なんで?)」

「なぜか――は、分からない。人間たちの話し合いに、剣は出席していなかったからな。だから、ただの勘だ。」


 午後、気温が急速に上昇し、体育の授業が開始十分で中止となった。

 生徒たちは体育教師に続いて多目的室へ行き、この時期に授業で取り扱っているスポーツのビデオを見ることとなった。部屋の電気が落とされ、分厚い側面をしたテレビの画面がぴかぴかと光り出す。

 体育座りで、画面を見る。米噛は列の真ん中に位置し、前が見えづらかった。

 暗室の中、周囲も人に囲まれ、米噛の影は濃淡を失う。

 それに伴って豪頭の声が聞こえなくなり、話し相手を失った米噛は、眠たくなってきた。


 明転し、同時に豪頭の声が聞こえるようになる。

「起きろ、米噛。授業が終わったぞ。」

「ん……。」あくびをし、手の甲で口を拭く。よだれは垂れていなかった。「眠ってしまったか」

 ぞろぞろと立ち上がる生徒たちにつづき、立つ。

「(なあ コストコ。お前は人の心の声が読める。それじゃあ、夢はどうなんだ? オレは寝ている間、夢を見た。どんな夢だったと思う)」

「そこまでは見れない。」

「(なんだ。そうなのか)」

「だが、今。どんな夢を見たんだ?と尋ねれば、そなたは無意識に、質問の返答を心に生成する。それを読めば良い。」そう言った二秒後、「なるほど。白い部屋に巨大な象がいる。鼻の長さよりも、頭上に乗せた真っ赤な林檎の方がむしろ特徴的な、奇妙な象。そなたと吾輩、そしてクロ殿は、象の背に乗っている。変な夢だな。」

「(正解。)」米噛は「くく」と笑い、立ち上がる。

 笑っている理由が分からず、豪頭は尋ねる。

「なぜ笑っている。」

「(いや、別に、コストコが剣として誰かを殺す必要なんてないんじゃないかって)」

「なぜこの流れでそう思っているんだ」

「(だって、コストコはオレとクロの話し相手っていうか、その、友達ってことでいいんじゃないか? 最強の剣とか、核兵器とか、そういう役割じゃなくて。……この世界ではさ)」


 猛暑はホームルームが終わっても変わらなかった。流石に会話をしている余裕もない。だらだらと汗水を垂らしながら、家へ着く。道中、米噛は一言も喋らなかったし、コストコも彼の心の声に返事することはなかった。「(暑い暑い暑い)」しか言っていなかったからだ。

「た、ただいま。」部屋の扉を開けるなり、白い制服を脱いで上半身を裸にする。下も、パンツと靴下を残して他は全て脱ぎ捨てた。「異常気象だ」

「おかえり、米噛。コストコ」

 クロは、米噛の影に立った。

「ただいま帰宅した。クロ殿。」豪頭が影から返事した。

「明日は今日ほど暑くないぜ。良かったな」

 クロは前脚を伸ばし、スマートフォンを前へ押し出した。画面には明日の天気予報が表示されている。

「いや、日傘だ。明日は日傘を持ってくぞ。このままでは死ぬ」

 画面を一瞥した後、米噛は新しいシャツとパンツを片手に、風呂場へ向かった。その後ろをクロがてとてとと歩く。


 目にぱしゃぱしゃと水をかける。シャンプーが目に入って痛いのだ。つむじから水をかぶりながら、米噛は言う。

「そうそう、コストコがなんか悩んでるっぽいんだ」

「へえ。ってなんでワガハイに言うんだよ」

「だってクロ、賢いだろう」

「猫にしてはな。」クロはめちゃくちゃにぬるくしてある湯船から出て、米噛の影に回り込んだ。「どうしたんだ?」

 クロの声を受け、豪頭が答える。

「そなたらがいつまでも尋ねぬものだから、言うのが遅れてしまったが。吾輩は別世界から来た──」

 昼に米噛に向けて行われた説明と同じものが繰り返される。


 クロは脚をばたばた動かし、ぬるま湯を乱して遊んでいる。

「つまり、剣道でしか死なない世界で、コストコは強すぎる剣だった、と。そして手に負えなくなった人間たちが結託し、この世界へ送ったと」

 米噛が頷く。

「で、他にもそういう剣が何本かいる。コストコは、剣を拾った人間が悪さをしないか心配らしい」

「ふうむ。」クロは(うな)った。「と言っても、まだ実際に悪行を目の当たりにしたわけではないと言うのだからなあ」

 クロはぶくぶくと湯の中に沈んでいった。猫なのに全く風呂を嫌わないのも、こいつの変わったところだった。

 ざぱあ。顔を水から出した。

「気配の話があったが……米噛の影に潜んでいる間は、察知されないのだろう?」

「うむ。」コストコが答える。「吾輩に限らず、多くの強い剣は気配を隠す術を身に付けている。」

「オマエはその中でも特にバレづらい方なんじゃあないか? 影から出なければ、物理的にも姿は見えないのだから」

「そうかも知れない。」

「じゃあ、隠れてしまおう。少年漫画みたく、剣を拾った剣士同士でバトルでも繰り広げられるかもしれないが……ワガハイ達は関わらないでおこうぜ」

 米噛は猫と剣の話を聞きながら、湯を掬った。指の隙間から漏れてゆくのを見届け、

「そうだな。特別な力を宿した剣……。ま、なんとも格好いいカンジだけれど、コストコを剣として使うのはよそう。世界のピンチでも訪れない限りな」

「うむ。」豪頭は調子を高くして答える。「米噛とクロ殿にそう言ってもらえて良かった。吾輩も戦いは好まない。吾輩の騎士道は能動的なものではないからな。それに、戦いなら向こうの世界で飽きるほどやった。――隠居といこうか。」

 剣は、剣として生まれて以来初めて……剣であることを求められなかったことが。友というものができたことが。とてもうれしかった。




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