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【完結】代筆令嬢は愛を囀る~朗読は秘密を抱えた恋の始まりでした~  作者: 藤原ライラ
第一部

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7.試し

 リチャードは新聞を手に取った。長い指が、確かめるように文字をなぞる。やわらかな目元が眇められて、一瞬彼は苦々しい顔をした。


 けれど、シャルロッテの方を見た時にはもう、リチャードは元のように笑みを浮かべていた。


「こちらを読んでもらえますか」

 渡されたのは今日の新聞だった。内容はシャルロッテがよく見るものとは少し異なっていて、経済に特化したもののようだ。


 論じろと言われれば話は別だが、読み上げるだけなら難しいということはない。今年の小麦の取れ高だとか株の値動きだとかについて、シャルロッテは淡々と音読した。


 一面を読み終えたところで、リチャードが言う。

「結構です」


 そして、傍らに立っているエドガーを見上げた。家令はひとつ頷いてみせる。問題ないということだろうか。


「では今度はこちらの紙に、お名前となんでもいいのですが、簡単な文を書いてみてください」


 なんでもと言われてもそんなものすぐ出てくるわけもない。まずはシャルロッテ=ウェルナーと自分の名前を書き、その後少し悩んだ後「全ての(Every)雲は(cloud)銀の裏地を(has a)持って(silver)いる(lining.)」と綴った。


 なんということはない。子供でも知っている、ありふれた慣用句だ。


「確認していただけますか」


 紙をリチャードに返す。自分で言うのもなんだが、割ときれいに書けたとは思う。


 彼はちらりとそれを見つめて、その紙をエドガーに渡した。また同じように家令は頷いた。書いた言葉が短すぎただろうか。リチャードなら何か、自分が思いもよらない誉め言葉をくれるようなことを心のどこかで期待していたのだけれど。


 おそらく彼の中ではもう結果は決まっていて、これはそれを補強するだけのポーズなのだろう。リチャードは真剣に裁定しているようには思えなかった。


「ミス・ウェルナー。あなたにお願いしたいことがあります」

 膝の上で手を組み、リチャードは言った。


「我がカールトン家は貿易商を中心とした商売をしておりまして」

「ええ」


 カールトンズという大きな百貨店が、街の中心の広場に近いところにある。シャルロッテはそこまで縁がないが、ヘンリエッタなどは母とよく訪れているようだった。品揃えがいいと評判だった。


「僕の曽祖父が始めた事業で、まあ、跡は兄が継ぐのですが。僕も少しだけその手伝いをしています」


 確かカールトン家はその次の代――つまりリチャードからすれば祖父が事業を大きく発展させて、その金を元に男爵位を得たはずだ。言葉を選ばずに言えば、比較的新興の成金である。


「なので、あなたにも僕の仕事のなかで細々としたことをお願いできればな、と」


 具体的にはリチャード宛に届く手紙の代筆や、新聞や資料の読み上げといったことだった。読み書きができればそこまで難しいことではない。けれど、この国の識字率はそこまで高くない。家令ならいざ知らず、ほかの使用人に頼むにはいささか無理があるということなのだろう。


「報酬は銀貨三枚でいかがでしょうか」


「えっ」

 思わず声をあげてしまった。あの朗読でもらっていたよりも給金がいいのは何事だろう。


「少ないですか?」

 リチャードは神妙な顔をしていた。聞き返す声も真摯なもので、とても冗談を言っているようには見えなかった。


 シャルロッテはすぐさま首を横に振る。多すぎるぐらいだ。


 まさか、この人も特別な(・・・)仕事を望んでいるのだろうか。

 しかし、すぐにそれはないと思い至る。リチャードなら、女の一人や二人や、いっそ十人だって、微笑みかけるだけで容易く落とすことができるだろう。何もこんな地味でつまらない自分に金まで積む必要はないのだ。


 だとしたら、これはなんだろう。


 考えても答えは出なかった。まとまらないものだけが、頭の中で巡る。

 けれど、選べるだけ自分はまだ恵まれているだろう。少なくとも、リチャードはシャルロッテに無体なことを強いることはないのだから。


 ここでひとつ、決めるしかないのだ。


「おねがい、します」


 シャルロッテがそう答えると、リチャードはどこかほっと安心したように息をついた。そうとは見えなかったのだけれど、彼もどこかしら緊張するようなことがあったのかもしれない。


「それでは、来週からお願いします。それと、キンドリー侯爵には僕から話をつけておきましょう」


「そんな、そこまでは」

 朗読のことは、シャルロッテが自分で決めたことだ。これはリチャードとは何の関係もない話なのに。


「これは僕にとって全く悪い話ということもないのですよ、ミス・ウェルナー」


 リチャードはゆったりとソファにもたれかかった。そのまま、ティーカップに手を伸ばす。


 陶器がわずかに触れ合うかすかな音が響いて、リチャードはカップに口をつけた。シャルロッテに向けても「どうぞ」と促す彼の声は、湯気に溶けるようにやわらかだった。


「例えば、僕がただただ商売をしたいという理由で侯爵閣下を訪ねたら、どうなると思いますか?」


 キンドリー侯爵は先祖代々、由緒正しい貴族のお生まれだ。リチャードのような新興貴族を頭ごなしにばかにしているようなところがある。きっと丁重に使用人あたりに追い払われて終わりだろう。


「けれど、あなたの代理人として伺えば、彼は僕に会わざるを得ない」

「それは……」


「うちは貿易商ですから、侯爵閣下のお眼鏡に適いそうな稀覯(きこう)本を扱っているような先もいくつか伝手があります。我がカールトン家にとっても、これはいい足がかりになるんですよ」


 シャルロッテは内心舌を巻いた。穏やかで落ち着いた語り口だが、リチャードはやり手の商人の顔をしていた。


「ですから、ご心配なく」

 リチャードは余裕たっぷりに微笑んでみせる。


「何から何まで、すみません」


 シャルロッテは、膝の上できゅっと手を握りしめる。まるで小さな少女に戻ったような気分だった。出会ってからずっと、シャルロッテはリチャードに助けられてばかりだ。


「こちらを見てくれますか、ミス・ウェルナー」


 頭の上から静かな声が降ってきて、シャルロッテは顔を上げざるを得なかった。

 そうして、緑の瞳と見つめ合った。凪いだ湖面のような、リチャードの目。


「こういう時は『ありがとう』と言ってもらえる方が、僕はうれしい」


 彼はとても交渉の術に長けている。そしておそらく、シャルロッテの扱い方も。「ね?」と目配せされれば引き込まれるようで、目を逸らせない。


 心のどこかで反論したい気持ちはあった。リチャードにいい様に丸め込まれている自覚ぐらいはある。


 けれどどうしてこんなにも、彼の言葉はこの心に真っ直ぐに響くのだろう。


「ありがとう、ございます」


 シャルロッテがそう答えると、リチャードはもう一度供された茶を進めてきた。


 まだあたたかなそれは、りんごに似た甘い香りがした。紅茶よりもやわらかで、彼が言うようになんだかとても落ち着くような気がした。 


Every cloud has a silver lining.:全ての雲は銀の裏地を持っている

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