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【完結】代筆令嬢は愛を囀る~朗読は秘密を抱えた恋の始まりでした~  作者: 藤原ライラ
後日談

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2.特別な名前

「試された?」


「僕は、これを兄さんに託せるかを。兄さんは、これを開けられるかを」


 ああ、そうか。


 だってパトリックはほんの一瞬だが思ったのだ。これを破り捨てて、なかったことにしてしまいたい、と。


 俺たちは二人とも、互いを信じられるかを試された。


「僕は、ここに自分の名前が書かれていても、兄さんの名前が書かれていてもいやだった。封筒を開けない限りは、結論を保留に出来る。だからずっと、読む気はありませんでした」


 選ばれることは、選ばれない方を決めることと同義だ。

 リチャードがどちらも望まなかったことはよく分かる。


「みんな言いたいことを書いて僕に渡すので、なんの嫌がらせなのかなってたまに思うんですけど、違ったんです。みんな僕に時間をくれていたんだ」


 弟の目が、見えない何かに目を凝らすように細められる。それはまるで、ここにはいない祖父の真意を読み取ろうとするようだった。


「口にした言葉は取り消せない。聞いてしまったことはなかったことには出来ない。けれど、書いたものを読むか読まないかは選ぶことができる。それはみんなが僕にくれた選択肢なんだ」


 リチャードの言う通りだ。書かれた言葉はただ文字としてそこにある。それは、読まれてはじめて意味を成す。


「僕に僕の考えがあるように、おじい様にはおじい様の考えがあるし、兄さんには兄さんの考えがあるでしょう。そういうものだと思えたので、兄さんに読んでもらうことにしたんです」


 リチャードはいつも笑っていることが多い。近寄り難いとよく言われる自分とは対照的だ。


 しかしながら、あれは仮面だ。パトリックが威圧することで自分の身を守っているように、リチャードはああして微笑むことで自分を守っている。そうしなければ、弟は生きられなかった。


 けれど、今リチャードが浮かべているものは違う。

 ふっと零れ落ちるような、そんなやわらかな笑みだった。


「そうだな」

 何かが、弟の中で大きく変わったのだろう。


「そういうことなら、俺が跡を継ぐさ」

「はい、それでいいと思います」


 そしてそれはあの婚約者と無関係ではないはずだ。だからこそ、きちんと言っておかなければならないことがある。


「あと、あれだ」

「なんですか」


「あいつ、のことなんだが」

 なにせ名前を呼ぶと嫌がるので、面倒なことこの上ない。顎をしゃくって示したらリチャードは、


「シャルロッテのことですか?」

 そう、彼女のことだ。


「お前の結婚相手ってことなら、俺にとっても義妹(いもうと)ってことになるだろう。ずっと“あいつ”だとか“おい”だとか呼ばせるつもりか?」


「それは、そうですね……」

 聡い子だから、シャルロッテはそうやって距離を置かれればそれに気づかないことはないだろう。


 口元に手をやって悩んでいるリチャードにパトリックは言う。


「だから、お前が何か愛称とかより近しい名前で呼ぶようにしろ。ロッテだとかなんだとか色々あるだろ」

「愛称……」


「俺はそれでは呼ばん。それでいいだろ」

 これが今パトリックに考えつく一番穏便で順当な回答だった。それなら、ちゃんと自分と弟の差を示せるだろう。


「ついでに、お前も何か愛称で呼んでもらえ」

 特別な名で呼び合うのは、特別な関係の証左だ。


「な、ディック」


 それは自分とこの弟にも正しく当てはまる。ディックというのは元々、祖父が弟を呼んでいた愛称だ。これは家族しか使わない。


「それはそうですね。悪くない」


 パトリックの言葉にリチャードはぱっと顔を明るくした。


「僕の婚約と兄さんの後継者指名を一緒に発表しましょう。盛り上がりますよ」


 今でもリチャードを指名する客は多い。そしてそのどれもが上客だ。彼らは弟の婚約を心から祝福するだろう。


 そうして自分達の代が始まっていくのだなと、パトリックはしみじみと実感する思いだった。






 話を終えて居間に戻ると、シャルロッテはリチャードにぱたぱたと駆け寄ってくる。気遣うように眉を下げている様を見ると、彼女も何の話をしているかは知らされていたのだろう。


 弟はシャルロッテに微笑みかけたかと思うと、さっと抱き寄せて耳元で何事かを囁いた。


 もちろんパトリックにはそれが何なのかは聞こえない。けれどそれは自分には必要のないことで、この二人の間にだけ満ちる特別だ。


 まあ、シャルロッテがぱっと頬を染めたので聞かなくても分かるけれども。


 パトリックはぐっと眉間に皺を寄せた。

「お前、毎日これを見ていて胸焼けしないのか」


 いつものように完全に気配を消している傍らの家令に訊ねる。こほん、と大仰に咳ばらいをしたかと思うと顔色ひとつ変えずにエドガーは答えた。


「私はこれを待ちわびておりましたので、何の問題もございませんが」


 エドガーは祖父の頃からカールトン家に仕えてくれている。この者もまた祖父の贔屓で、俺を捨ててあいつに付くのかと思ったこともあるが、今となってはエドガーが弟の傍にいてくれるのが一番安心する。


 今度は弟はシャルロッテの髪を愛おし気に梳いたかと思えば、また彼女の頬が林檎のようになる。なんだ、これは。


 パトリックは緑の目を苦々し気に細めた。

「にしても、一日中やってるのかあいつら」


「恐れながらパトリック様。羨ましいなら羨ましいと素直に仰った方がよろしいかと」


 しかしながら、年齢を重ねた家令の言うことには一切の情け容赦がない。

 認めるのは癪だが、ほんのちょっとだけ羨ましい。ほんのちょっとだが。


「そして羨ましいのなら、パトリック様も奥方様をもらうほかないかと」


 何せこちらの方が年上なので両親にもせっつかれてはいるのだが、のらりくらりと見合いの申し出を躱し続けてきた挙句の果てがこれである。


「俺ももう、いい歳だしな……」

 流れていく毎日に必死で、誰かと一生をともにするだなんて、考えたこともなかったけれど。


「じゃあ、これは兄さんと僕で相談しますね」

「はい、ではお義兄(にい)様と」


 と、聞こえてきた二人の会話にパトリックは目を瞠った。

 案の定、弟は硬直していた。「おにい、さま……」


「リチャードさんの兄なら、そうなると思うのですが」


 シャルロッテは、きょとんと首を傾げている。この様子だと何が起こっているのか全く理解できていないだろう。


「それは、そうですね……」


 彼女は何も間違ったことは言っていない。至極真っ当な理屈である。ただそれを弟が飲み込めるかは、別の話だ。「でも、僕も“おにいさま”なんて呼ばれたことないのに」などと未練がましくぶつぶつと言っている。


「おい、シャルロッテ。もう一回、呼んでみてくれ」

 そして、これは存外に悪くない呼ばれ方である。


「ちょっと、兄さん!」

「あ、はい。おにい」


 分かりやすく弟が狼狽える。シャルロッテに向かって手を伸ばして、顔を背ける。


「いや、その、やめて。別に兄さんに“様”はいらないでしょう。もういっそ呼び捨てでもいいぐらいで」

「でもリチャードさんのこともまだ呼び捨てでお呼びしたことなんてないのに」

「あー……もう」


 わしゃわしゃと金色の髪を掻き上げてリチャードは天を仰ぐ。言えば言うほど泥沼にはまっていく感じだ。弟のこんな顔が見られるとは、それだけで羨ましさを差し置いても十分にお釣りがくる。


「諦めろ、ディック。これは、長子の特権だ」


 弟の肩をぽんと叩く。リチャードが不服そうに見下ろしてくるが、パトリックは目元だけで笑って返す。


 これをきっと人は幸せと呼ぶのだろうなと、パトリックは一人心の中で思うに留めた。


兄弟の行き着く先の話。


少しだけパットとディックの関係性を詰めておきたいなと思って書きました。

楽しんでいただければ幸いです。


いいね・ブクマ・評価・感想頂けますと励みになります。

お読みいただきありがとうございました。

また次のお話でお会いできれば嬉しいです。

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