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【完結】代筆令嬢は愛を囀る~朗読は秘密を抱えた恋の始まりでした~  作者: 藤原ライラ
第一部

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1.ままならない現実

お読みいただきありがとうございます。楽しんで頂ければ幸いです。

 ああ、いやだ。

 もう本当に、いやだ。


 シャルロッテは広げた本を睨みつけるようにして見つめた。


「どうした、シャルロッテ嬢。早く続きを」

 老獪な侯爵は猫を撫でるような声で、そう促してくる。


 心の底から悪趣味だと思う。けれど、決して、それを悟らせてはならない。

 だって、それが目的なのだ。


 金も地位も名誉も、この世の全てを手に入れた侯爵閣下のお楽しみは、何も持たない小娘が羞恥に顔を赤らめることである。実は流暢に読み上げるよりも失敗する方が喜ぶ、というのをシャルロッテは先日知った。


 だからこそ、絶対に噛むもんかと決めている。


「失礼いたしました。続けます」


 にしても、ここ最近は毎回人妻凌辱ものばかりだ。芸がないなと思ったところで、人の性癖は変わらないのだから当然と言えば当然か。


「『彼女は顔を赤らめた。けれど体は正直だ。拒むはずの腕は震え、むしろ縋るように男を抱き寄せてしまう。ああ、私は夫のある身なのに、どうして』」


 侯爵はシャルロッテの朗読に聞き入っている。昔から声はよく褒められた。いつまでも聞いていたいとか、金糸雀(カナリア)のようだとか、言われたことがある。

まあ、顔が地味だから他に褒めるところがそれしかなかったのかもしれないが。


 その鈴の鳴るような声で文章を読み上げながら、シャルロッテは心の中で毒づく。

 さっさとくたばれ、くそじじい。



 *

 


「うむ、今日も見事だった」

 そう言って、キンドリー侯爵はシャルロッテの手に銀貨を二枚握らせた。


「お褒めにあずかり光栄ですわ」

 あと二秒その手が離れるのが遅かったら「墓まで金を持っていく気か、守銭奴が」と口から出てしまうところだった。


 見た目は大人しそうだと言われるわりに、シャルロッテは気が強い。そういうところがつり目がちな目元に表れている気がする。


「ではまた来週、頼むぞ」

「はい。侯爵様」


 形だけは美しく礼をして、永遠に来週が来なければいいのにと思った。


 けれど、自分には今のところこれしか身を立てる術がない。結局また来週、この屋敷の門をくぐるしかないのだろう。シャルロッテはその壮麗な門を見上げて大きく溜息を吐いた。


 例えば男に生まれていたら、何か違っただろうか。


 そんなことを考えながら、次の目的地に向かって歩を進める。


 もらったばかりの銀貨がちゃりんちゃんりんと軽い音を立てて、踵のすり減ったブーツの足音とユニゾンする。


 男に生まれていたら、まず船を買おう。そうして知らない国をいくつも行き来して、貿易商を興す。楽しそうだ。


 いつの間にか足元が弾んでいて、出版社の前を通り過ぎそうになった。


 さて空想はここまでだ。いくつになってもこういう夢見がちなところが抜けないのは、自分の悪癖の一つだとは思う。


 それが金に変わればいいとずっと思っているが、なかなか難しい。


 シャルロッテはそっとスカートを持ち上げて、編集部への階段を上った。


「あの、先日お渡しした原稿の件ですが」


 そう話しかけても誰も返事をしてくれない。ここはいつもがやがやとしていて、煙草の煙に満ちている。その辺りのカウチで寝落ちしている人もいる。大方徹夜で入稿でもしたのだろう。


「あの!」


 少々声を張ったところで三白眼に無精髭の男がちらりと振り返った。この前シャルロッテが原稿を渡した編集だ。


「ああ、チャーリー先生。これはどうも」


 一週間後に来てくれと呼びつけておいて、この態度である。むっとしたけれど、ここは我慢だ。


「それで、雑誌には載せていただけるのでしょうか」


 持ち込みをするのははじめてではない。ここに来るまでに三社断られている。


 編集は興味のなさそうな鉛筆を指に挟んだまま、ぺらりとシャルロッテの原稿をめくった。この手つきとこの目を見れば、おのずと結果は分かるというものだ。


「まあ、作家は経験したことしか書けないって言いますしねぇ」


 男の目が頭の上から爪先まで滑っていく。シャルロッテの全身を舐めるように見た編集は、大きく溜息を吐いた。


「先生はちゃんとした恋をされたことがないんじゃないですかね。だからこんな薄っぺらい描写になるんじゃないでしょうか」


 ああ、またこれだ。前の出版社でもこうだった。その時はもっと露骨なことを言われたけれど。


「それに、現実にこんな王子様みたいな男はいませんよ。こんな……」


 それより先は男の含み笑いに飲み込まれた。大体言いたいことは分かる。

 三白眼に下品な光が宿る。


「どうです? こう、いっそおれと現実の恋愛をお勉強されるっていうのは」

 そのまま唇の端を持ち上げてにたりと笑った。まるで獲物を見つけた獣のように。


 一瞬、場の空気が歪んだように感じた。顔に血が上って、ぐらりと眩暈がしそうなほどだった。


 その全てを飲み込んで、シャルロッテは微笑んでみせた。


「おふざけになるのは、顔だけになさっていただきたいものだわ」

 とうとう言ってしまった。


 その手から、ぽとりと鉛筆が落ちた。さすがの編集も呆気に取られている。その隙をついて原稿を引っ掴んだ。


「ありがとうございました。ごきげんよう」


 シャルロッテは、逃げるように階段を駆け下りる。

 もう二度と来るもんか。






 ばかばかしいにもほどがある。

 シャルロッテは怒っていた。


 すたすたと家路を急ぐ。元来た道を帰るだけなのに、もう石畳は軽快な音を立てずに耳障りな騒音を生ずるだけだ。秋口の風は無遠慮にシャルロッテのスカートを揺らす。


 もしも本当に、作家が経験したことしか書けないのなら、魔法は、(ドラゴン)は、その他諸々の超常現象は一体どうなるのだろう。ミステリー作家は大量殺人鬼だし、ホラー作家は幽霊なのか。


 けれどそんなことを言ってあの編集に詰め寄っても、またばかにしたような目をするだけだろう。


 問われているのは思考の深さと解像度であって、現実の体験の有無ではないはずなのに。恋愛だけはその範疇にないようなことを、いつも言われる。いい女でなければいい恋愛は書けないといった口ぶりで。


 どんなものも書けるつもりでいた。想像の翼さえあればシャルロッテはどこへだって行けるし、なんにだってなれる。


 けれど、少女の夢を固めた砂糖菓子をばら撒いても、誰も見向きもしない。


 このままでいいとは思っていない。シャルロッテ自身、自分の書くものに全て満足しているわけではない。足りないものがあるのは分かっている。


 果たしてそれは、人間の男に恋をすれば得られるものなのだろうか。


 失意のままに家に着いた。

 もう誰とも話したくなかった。このまま自分の部屋に戻って休みたい。そう思っていたのに、見つかってしまった。


 鮮やかなストロベリーブロンドが翻って、青い瞳がきらめく。


「まあ、お姉様! どちらに行ってらしたの」


 やや高めの声が頭に響くのはくそじじいのせいかもしれないし、編集の態度のせいかもしれない。


「ただいま、ヘンリエッタ。ただの野暮用よ」


 三つ年下の妹とシャルロッテは、びっくりするほど似ていないが正真正銘の姉妹だ。勿論彼女は、姉があんな変態のところで小金を稼いでいるとは露ほどにも思っていない。


「わたくし探しておりましたのよ」


 そう言って、するりと腕を絡ませてみせる。「探した」という言葉に引っかかってしまう自分がいる。シャルロッテは、ヘンリエッタがこういう時に決まって甘えるような仕草をするのを知っている。


 けれど、これが妹の地なのだ。果たしてどちらの方が始末が悪いかは、別として。


「来週の伯爵家の夜会にお誘いいただいたの! ねえ、お姉様も一緒に参りましょう」


 ヘンリエッタは、左手のエンボス加工の施された美しい招待状を示す。シャルロッテは自分の眉間に皺が寄るのを感じた。


 おそらくそれは、ヘンリエッタだけを招待したものだろう。そこに、シャルロッテの名前はないはずだ。


「わたしはいいわ。あなた一人でいってらっしゃい」


 できるだけ棘がないように言ったつもりだった。それなのに、みるみるうちに青い瞳が潤んで膜が張ったようになる。


「どうしてそんなこと言うの、お姉様。わたくし一人だと不安なのに」


 呼ばれてもいない夜会に、どの面下げて行けと言うのだろう。この地味な面を下げて行くしかないわけだけだけど。


 けれど、この押し問答をこれ以上続けるとシャルロッテの方が悪者になる。妹を無下に扱ういじわるな姉というレッテルを貼られるのはこちらの方だ。この二十年の人生で、嫌というほどそれを思い知らされた。


 シャルロッテは一つ息を吐いて続けた。


「分かったわ。来週ね」

「やった! お姉様と一緒に夜会に行けるなんていつぶりかしら。とっても楽しみですわ」


 ヘンリエッタはそう言って、花が綻ぶような笑みを浮かべた。嬉しそうに、きゅっと手を握る。その手の振りほどき方をシャルロッテは知らない。何度も言うが、ヘンリエッタに悪気はないのだ。


 いつぶりか分からないほど、シャルロッテは夜会には出ていない。「一人では不安だ」などと妹は言うけれど、その実一人になるのはシャルロッテの方だ。どうせ、人に囲まれる彼女を壁際で見つめるしかなくなるというのに。


 さて、手持ちのものでまともなドレスはあっただろうか。すぐには思いつかない。ヘンリエッタのものを借りることもできなくはないけれど、サイズの手直しが必要だろう。主に胸囲の辺りが。


 身をすり減らして稼いだ銀貨が、行きたくもない夜会のドレスに消えていく。

 そのことがどうしても飲み込めなくて、シャルロッテはまた一つ溜息を吐いた。


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