8:失ったものの大切さ
晴秋が学校に来なくなってから一週間。
その日は期末テストの一日目だった。
教室には朝から少しだけピリピリとした空気が漂っている。一教科目が始まる直前、…ガラリ、と教室の扉が開いた。本来なら遅刻扱いの時間だ。
「…晴秋…」
机から声をかけようとするが、晴秋はこちらを見なかった。
そのまま、試験開始のチャイムが鳴る。
静寂の中、それぞれが回答用紙に答えを書き込んでいく音だけが響いていた。
一日目の三教科が終わるチャイムで、教室は一気にガヤつく。
各々答え合わせをしたり、山が当たらなかった嘆きを友達にぼやいたりしている。
晴秋はそのチャイムが鳴った瞬間、カバンを持って教室を出て行った。
避けられている。
オレが声をかけるタイミングを徹底的に潰しているように感じた。
全部、オレがしくじった所為だ。
結局オレは、晴秋の全部を分かったつもりでいただけで、実のところ全く分かっていなかったのかもしれない。
落胆しながら学校をあとにする。
途中で、雨の匂いがし始めた。ゴロゴロと、空が唸っている。
「これは降られるな…」
ポツポツと降り出した雨に舌打ちすると、オレは慌てて家へと走っていった。
「ただいま」
家に駆け込むと、母さんがタオルを投げてよこす。
「ほら、玄関上がる前にちゃんと頭拭きなさい」
「…あんた、ちゃんと、晴くんに伝えた?」
「えっと…」
オレは何も言えなくて、俯く。
「…断れた。あいつ、何がなんでもあの家に執着してる…オレなんかが入る隙間なんて…なかったよ」
「まだ、三年だものね…」
母さんは少しだけトーンを落とした。
「…無理やり進める話じゃないわね。きっと、まだ機会はあるかもしれないし、ゆっくり向き合っていきましょう。晴くんだって、簡単に答えられる問題じゃないしね」
母さんが少しだけ寂しそうに笑った瞬間、急に雨が強くなった。雷の音もする。
それはどんどん激しくなっていった。
バケツをひっくり返したかのように、雨は激しく屋根を叩く。オレは何故かそれが不安で仕方がない。茶の間のテレビをつけると、ちょうどニュースで豪雨の様子が報じられていた。
止まる電車やバス、帰路につけないサラリーマンの様子。
「これは長く続きそうだな」
電車が止まる前になんとか家についた父さんは部屋着に着替えてテレビを眺める。
その瞬間、不安を煽るその音が一斉に家族の携帯から鳴り響いた。『警戒レベル2』画面にはそう出ている。
すでに電車やバスは止まっているけれど、幸いうちの家族は何とかなった。母さんは「念の為」と新聞入れからハザードマップを取り出して避難場所を確認していた。父さんも備蓄しているものを取り出しやすいところに移動させる。
オレは携帯の予備バッテリーを充電しようと自分の部屋に引き上げた。
雨が降り始めてどれくらい経っただろうか。
ニュースは各地の被害情報を詳細に伝え始めた。すでに土砂崩れが起こっている地域もあるらしい。
「…晴くんは大丈夫かしら」
母さんは心配そうに言った。
「こんな時に一人でいるのは危ないわ」
オレは頷いて晴秋の携帯に電話をかける。でも、それは虚しく留守電に変わった。
何かが起こっているのかもしれない。オレは急に不安になる。
「ちょっと、様子を見てくる」
「待ちなさい! 危ないから父さんが行ってくる。お前はちゃんと家にいなさい」
後ろから父さんの厳しい声が聞こえるが、オレはそれを振り切って玄関を飛び出した。